「ねえ綾子、今日の合コンやっぱ無理なの?」 大学の帰り、愛車のFZRに跨りヘルメットをかぶろうとした綾子に、同じ学科を先行してる子達が呼び止めた。
「どうしても用事があるのよ、ホントゴメン!また今度誘って」
申し訳程度に手を合わせて綾子が答えた。
…本当は用事なんかないけど、こうでも言わないと諦めてくれないもんね。
「もしかして、この間一緒にいた彼とデートとか?」
「え?」
「ほら、黒いスーツを着た長身の素敵な彼」
「もしかして直江のこと? 彼は違うわよ」
「ええー、違うの?」
「すっごく仲よさそうに歩いてたから、てっきり…」
思わず綾子は額に手を押さえた。
いつの間に直江といるのを見られたんだか。
「違うなら私に紹介してよ、立候補しちゃうから」
「あ、私も!」
「…彼にはもう大切に想ってる人がいるから駄目なのよ」
「うそー、残念」
「じゃ、じゃあ、あたし急ぐから、またね」
「ちょっとー綾子ってばー」 半ば逃げるようにその場を走り去った。
この手の誤解は、実はそう珍しいことじゃない。
ただでさえ女性を挽き付ける風貌の直江が一緒だと、今までも勝手に直江の恋人に見られて、女の嫉妬をかったりとか。
まわりに変な噂話たてられちゃったりとか。
どうしてすぐこういう話になっちゃうんだろ。 直江には景虎がいるんだから── (あ…)
ほら、余計なこと考えてたから入る路地1コ間違っちゃたじゃない。
ミラーを見ると、後ろから乗用車が1台迫ってきている。
しょうがない、このまま迂回路を探そう。
綾子はUターンするのを諦めて、そのまま真っ直ぐ走行した。どうやらここは団地へ続く道のようだ。しばらくして小さな公園が見えてきた。
(──え?)
視界の端に見えた光景に、思わずバイクを止めてしまった。
案の定、後ろの乗用車に派手にクラクションを鳴らされたが、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。
気が付くとバイクを脇に止めて、その光景に吸い寄せられるように、公園の中に足を踏み入れていた。
1人の人に鳥がたくさん集まってる。
20〜30羽はいるだろうか。
その人は鳥達に餌を与えてるようだ。 こんな光景、どこかで── ぼんやり手ごたえのない記憶を、必死に手繰り寄せようとすると、遠い昔の、いつかの場面が頭の中で重なった。
川面に佇んで水鳥に餌を与えていた人。
懐かしい姿、愛しい面影。
そして思わず叫んでいた。 「慎太郎さん!」 バサバサバサ…
綾子の声に驚いて、鳥達が一斉に空へ羽ばたいていった。後に残されたのは、一人の老人だった。驚いて綾子を見ていた。
「ご…ごめんなさい。驚かせてしまって」
我に返って慌ててガバッと頭を下げる綾子に、
「いやいや、気になさらんで下さい」
優しく顔を上げさせると、相手を安心させるような穏やかな笑顔を向けた。
老人は鈴木晋一郎と名乗った。
近くの団地で1人暮らしをしているらしい。 「…そう、お嬢さんの恋人も鳥が好きじゃったのかい」
「さっきは驚きました。あの鳥達ってスズメでしょう?あんなに人に懐いてるスズメって初めて見たわ」
鈴木さんの腰掛けてるベンチの隣に綾子も座った。鈴木さんの手にはパンが握られていた。
「スズメたちはわしの家族じゃから。いつも天気がよければ、ここに来てはパンを与えてるんじゃよ」
そこへ、さっき飛び立っていったと思っていたスズメが一羽、遠慮がちに近づいてきた。
「おお、ちゅん助か」
鈴木さんにそう呼ばれたスズメが、見知らぬ顔に少々戸惑っているようだ。
「そのスズメ、ちゅん助っていうの?」
「一番最初に仲良くなったんじゃ。ホラ、怖くないからこっちへおいで」
優しく微笑むと、手の中のパンをちぎって地面に落とした。
初めは綾子を警戒していたようだが、よほど鈴木さんに懐いているのか、しばらくしてパンをつまみ出した。
「わあーかわいいー」
「よかったなちゅん助、こんな美人さんに褒められて」
「まあ、鈴木さんったら」 鈴木さんと出会ってから、時間さえあればこの公園に来るようになっていた。
鳥と接してる鈴木さんは、やっぱりどこか慎太郎さんに雰囲気が似てて。側にいると心が安らいだ。
この間、話のはずみで慎太郎さんとのことに触れたら、見守るようにずっと静かに聞いてくれていた。
そして、
「わしも綾ちゃんが慎太郎さんに会えるように、一緒に祈ってあげるから」
そう言って、皺だらけの手でそっと頭を撫でてくれた。
大きな手があったかかったのを覚えてる。 12月に入って、だいぶ冷え込みが厳しくなってきた。公園には落ち葉が多くなった。 「やあ、綾ちゃん。丁度よかった」 ちゅん助達にパンを与えながら、自分の姿を見つけるなり、
「綾ちゃんにはこれ」
そう言って、少し離れたところで落ち葉を燃やしてる中から、アルミホイルの包みを取り出した。
焼きイモだった。
「ありがとう、美味しそう」
ホイルを広げると、優しい甘い湯気がのぼった。いつものベンチに腰掛けて、2人で食べた。
鈴木さんとは他にもいろんな話をした。
スズメ達のこと。
鈴木さんの若い頃のこと。
亡くなった奥さんのこと。
その中でも、孫の話になるととても嬉しそうに話してくれた。 「来年の正月は、東京にいる息子が仕事で帰って来れなくてな。だから、今月の半ばに孫を連れて帰ってきてくれるんじゃ」
「お孫さんって、まだ小さいの?」
「来年小学一年生になるんじゃ。みかんが大好きな子でな。この間食べ過ぎてお腹こわしたってゆうとった」
「半ばって言ったら、丁度クリスマスくらいじゃない?」
「そうか、じゃあわしにとってのクリスマスプレゼントじゃな」
満面の笑みで言った。
「それは今から楽しみね」 それからしばらく、怨霊調伏の使命を受けて、鈴木さんと会えなくなっていた。
カレンダーはもう20日。
今日は絶対会いに行こう。そう思ってバイクを走らせた。
途中でけたたましいサイレン音を発する救急車とすれ違った。公園に近づくにつれ、いつもは静かな公園に人が集まっていた。
道路には事故の凄さを物語るように、飛び散ったガラスの破片や、大量の血痕が、アスファルトを赤く染めていた。
そしてたくさん転がったみかん…
ドクン
何か急に嫌な予感が胸を締め付けた。
心臓の音が不穏に打ち始める。
そこへ野次馬の無遠慮な会話が耳に入ってきた。
“スーパーの帰りだったみたいよ”
ドクン
“お孫さんが遊びに来るって、あんなに楽しみにしてたのにね”
ドクン、ドクン
“運転手の居眠りが原因だってさ”
(──まさか)
「あの、事故に遭われた方ってこの公園によく来ているおじいさんじゃなかったですか?」
あまりの必死の形相の綾子に、買い物カゴを下げたおばさんがたじろぎながら、
「そ、そう。この近くの団地に住んでる鈴木さん」
(!?)
心臓を冷たい手でぎゅっと鷲掴みにされたような衝撃が綾子を襲った。
「そんな…うそよ」
綾子は立っている力もなくなって、そのままへなへなと崩れ落ちた。目の前のこの状況が、どうしても現実のものだと受け入れられない。
悪い夢でも見てるの。 遠くで野次馬の無神経な会話が続く。
“鈴木さんのお知り合いかしら?”
“さあ”
“かわいそうに、たぶんもう助からないわね”
耳には入ってきても全部抜けていくようだった。鈴木さんの穏やかな笑顔が、涙でかすんでいく。
《綾ちゃん》
自分を孫のように呼んでくれた、優しい声。慎太郎さんの面影をどこか持った人──
「あああああー」
人目もはばからず、涙と声が枯れるまでいつまでも大声をあげて泣き続けた。 鈴木さんは、そのまま一度も目を開けることなくこの世を去った。
25日、クリスマス。
まだ泣きはらした目のまま、綾子は花束を持ってあの公園を訪れた。
あんなにお孫さんに会うのを楽しみにしてたのに。
道路の脇にはすでに花が供えられていた。
綾子の手には、あの日拾ったみかんがある。本当は遊びに来る孫に、食べさせるつもりで買ったであろうものだった。
思い出すとまた泣きそうになった。
どうして、鈴木さんがこんな目に遭わなくちゃいけないの。
その時、小さな泣き声がしてハッと我にかえると、一羽のスズメが綾子の側に近づいてきた。
「ちゅん…助?」
綾子を導くように、すぐに公園のほうへ飛び去った。慌てて追いかける。
公園にはたくさんスズメが集まっていた。
そしてその中心には──
「ああ!」
鈴木さんだった。
《綾ちゃん》
鈴木さんの身体は光に透けていた。
「鈴木さん」
綾子が駆け寄ると、
《綾ちゃん、今までありがとう》
いつものように穏やかな笑顔で言った。
《ワシはちゅん助達と一緒に、あの空の向こうまでいくんじゃ》
「鈴木さん!」
《もし、そこに綾ちゃんの待ってる人がおったら、
綾ちゃんがずっと待ってるから、早く会いに行くようにってよーく伝えとくから》
「鈴木さんっ!」 《さよなら、綾ちゃん──》 そう告げると、笑顔を残してゆっくり陽だまりの中へ消えていった。鈴木さんが消えた空に、スズメ達も羽ばたいていった。
冬空には珍しい、目に沁みるような青空だった。
ありがとう、鈴木さん。
綾子はもう泣いていなかった。
キリっと顔を引き締める。
そこへ1組の親子がやってきた。
小さな少女が、空を見上げていた。 「おじいちゃん、あの空の向こうに行っちゃったの」
「そうだよ、空からいつも加奈を見守ってるんだよ」
加奈と呼ばれた少女が空に手を振った。
その少女に綾子がゆっくり近づく。
「お姉ちゃん、だあれ?」
不思議そうに綾子を見る少女に、
「おじいちゃんのお友達だったの。はい、これおじいちゃんから」
そう言って、持っていたみかんを差し出す。
「わあ、ありがとう。おじいちゃん、ありがとう」
空に向かってお礼を言う少女の姿が微笑ましかった。そんな様子を側で見守りながら、両親が軽く綾子にお辞儀した。
もう一度、空を見上げた。 あなたが羽ばたいていった空の彼方には、きっとあの人もいる。
いつか必ず会えるから。
だからあたしはここでずっと待ってる。 新たな誓いを胸に綾子はその場を後にした。 END |