*〜*喫茶直江*〜*

 

 

 

ドアを開けると、コーヒーの香ばしい匂いがした。

「高耶さん」

すぐに自分に気が付いて、カウンターの直江が微笑んだ。
この店内の雰囲気は直江そのものだ。
自分を落ち着かせる、安心する感じ。
それは、カントリー調の木目が優しいテーブルや椅子だったり。
さりげなく飾られた趣味のいい雑貨の置物だったり。
緑が優しい観葉植物だったり。
そこここに直江の匂いがする。

ついぼうっと店内を見回してたオレに、

「今日はこないかと思いましたよ」

直江が静かに声をかけた。
いきなり現実に戻る。

「わりーな、遅くなって。なんか台風が接近してるらしくてさ」

そういえば自分と直江のほかには客がいない。

「そうみたいですね。そのせいで今日は早くお店を閉めたほうがよさそうです」

店の柱時計をみるとPM8時を少し回っていた。

「高耶さんは、おウチのほうは大丈夫なんですか?」
「今まで美弥と一緒だったんだ。台風の備えってやつ。」

美弥には早く風呂入るように言ってある。停電にでもなったらやっかいだしな。

そんな高耶に応えるかのように、庭の木々がざわめきだした。
実は直江が心配になって、バイクを走らせて様子を見に来た高耶だった。

「バイクできたんですか?風が強くてここまでくるの大変だったでしょう。ご飯はもう食べましたか?」
「ああ、美弥と食べてきた」
「それなら今、温かいコーヒーを淹れますね」
「そんなのいいから、おまえももう店しまえ」

慌ててひきとめようとした高耶に、

「いいえ、あなたが今日の最後のお客さんですから」

軽く微笑して手際よくコーヒー豆の袋を取り出した。
直江の淹れるコーヒーはドリップ式だ。
最近は家庭でも手軽にインスタントで楽しめるけど。

彼の淹れるコーヒーは、豆を扱う段階に無駄がない。
手馴れた様子でミルで挽いた豆を、ペーパーをのせたドリッパーにのせて、
熱湯のお湯を粉の中心にゆっくりと細く入れる。

「なあ、おまえの淹れるコーヒーってさ、なんか特別な事してたりする?」

高耶の唐突な質問に、

「どうしてそんなことを聞くんです?」

直江が思わず目を丸くする。

「いや、なんかよく分かんねーんだけど」

要領を得ない高耶の口ぶりに、直江は首をかしげながらも、
手だけはテキパキと動かす。
少しの沈黙の後に、

「おまえの淹れたのが1番美味しいからさ」

気持ち顔を俯けてぼそっと呟いた。
そうこうしているうちに、目の前にカップが置かれた。

「はい、どうぞ」
「…サンキュ」

実は風に煽られて、すっかり身体が冷えていたので、
直江の気遣いがありがたかった。

高耶を静かに見守りながら、直江が口を開いた。

「特別なことなんてしていませんよ。ただ…」
「ただ?」

そこまで言うと高耶にいたずらっぽく笑って、

「やっぱり内緒です」
「直江てめー、教えないつもりだな」

思わずムキになる高耶を、

「これは企業秘密ですから」
直江は軽くあしらった。

コーヒー豆を蒸らす刹那の時間は、魔法をかける時間。

“愛するあなたにひとときの安らぎを──”

 

 

END

 



続く