*〜* 喫茶直江 *〜* 


2005 バレンタイン

 

カタカタっ
下の厨房から、かすかに物音が聞こえてくる。
部屋の中はまだ薄暗い。

早朝4時。

普通の人なら気付かず寝ているようなささやかな音でも、
この男の研ぎ澄まされた神経は、捉えてしまったようだ。
足音をしのばせてドアの外から気配を伺う。

こんな時間に泥棒、、、なのか。
私と高耶さんの愛の巣に無断で入り込むとは、言語道断!

キッっと身構えると、勢いよくノブを掴んで開けた。

「誰だ!…って、た、高耶さん!?」

直江が目を見張る。
エプロン姿の高耶が、直江の声にびっくりして肩を揺らした。

「ワリぃ、起こしちまったか?結構気を配ったつもりだったんだけど」
「どうしたんですか?こんな朝早くに」

安堵したら、なにやら甘い匂いがしているのに気付いた。
高耶の側のミルクパンのなかで、チョコが軽やかな音をたてている。
それをみて直江はピンときた。

「高耶さん、これってもしかして今日のバレンタインのチョコですか?
なんて可愛い人なんだ。私のために…」
「ちょ、ちょっと待て」

すでにうっりしてる直江の言葉を慌てて高耶が遮った。

「なんです?」
「これはだなー、今日カップルでお店に来てくれたお客さんに、
チョコレートフォンデューをサービスしようと思って、準備してるだけなんだって」
「そうなんですか」
「そうだ」
「ええー」

それを聞いた途端、露骨に直江が落胆した。
すっかり肩を落としている。

「おい、直江。直江ってば」
「私の為じゃなくて、見知らぬカップルの為にだなんて…」
「お前は毎年山ほど貰うだろーが。去年なんておまえのチョコで、生き埋めになるかと思ったんだかんな」
「私はあなたからのチョコが欲しいんです」
「男から貰ったってしょーがねーだろ」
「そんなことありません。外国では、男性が女性にプレゼントするんですよ」
「ここは日本だ。そんで、おまえは男だ」
「そんなの関係ありません。要は気持ちの問題です」
「おまえなー、あんな女の戦場みたいなトコ行けるわけねーだろ」
「私は行って来ました」
「げっ、マジで!?」
「はい。本当は、もっとムードを盛り上げて渡そうと思っていましたが」

いつの間に用意していたのか、お洒落なラッピングの箱をそっと手渡された。
見るからに高級感が漂っている。

「おい、代官山って書いてあるけど。おまえまさかこれの為だけに、
東京まで行ってきた…なんて言わないよな」
「あなたの為なら、このくらい当然です。
確かに売り場は女性客でいっぱいでしたが、すんなりレジしてくれましたよ」

──絶対まわりがひいたんだな。
こんな大男が売り場に現れれば、場違いもいいとこだって。
ああ想像しただけでも、こっちが恥ずかしくなる。
目立ちすぎる。
こいつは一体どんな顔してこれを買ったんだか。
ったく信じらんねー。

「オレにはとても真似できない」

思わず高耶が苦笑した。

「高耶さんのお口に合うように、甘さ控えめのトリュフにしました」

ニコニコ嬉しそうに直江が説明する。

「いちいちそんな日を利用しなくたっていいだろ、オレ達は」

高耶が真顔になる。

「え?」

要領を得ない直江に、

「ああもう」

急に不機嫌になったかと思うと、みるみるうちに高耶の顔が赤くなる。

「高耶さん?」

きょとんとしている直江の胸倉をいきなり掴んで、自分のほうへ顔を向けさせると、
優しく唇を重ねた。

「!」

直江が大きく目を見開く。
不意をつかれてまばたきも忘れてる彼に、

「………チョコのお礼。でもそんなもの貰わなくても、お前の気持ちは分かってるから」

顔を見られたくないのか俯き加減でぼそっと告げた。
そんな高耶を優しく抱き寄せて、

「ありがとうございます、高耶さん。最高に素敵なプレゼントです」

直江の腕の中は温かかった。

「おまえ、どうでもいいけど」
「はい?」
「また親父スエット着てるな」
「はっ、これは」

高耶に言われて慌てて自分の身なりを整えようとする。
そんな彼の様子にクスっと高耶が小さく笑った。

「オレにしか見せるなよ、そんな格好。じゃないと幻滅されちまうぞ」
「…はい」

“オレにしか”…ね、高耶さん。

「あー腹へった、なんも食わずに家出てきたかんなー」
「それならちょっと早いけど2人で朝食にしましょう。高耶さんのオムレツ食べたいです」
「よし、ならおまえは美味しいコーヒー淹れろよな」
「はい」

バレンタインデーは、恋する人にとって。
恋人達にとって、一年で最も特別な日。
だけど、この2人にはそんな特別は必要ないようである。
お互いが自分のすぐ隣にいる。
そのことがすでにほかに代えがたい『特別』なのだから。



END

 

 

お礼

可愛い!ラブラブじゃーん。
直江の親父スウェットも私は好きよ。
高耶さんのチョコレートフォンデュ、
食ってみたいのは私だけじゃないはず!
うまそう〜!