*☆*仔猫のみる夢*☆*
自分の異変に気付いたのは、かれこれもうどのくらい歩いたころだろうか。
どこまで行っても延々と続くアスファルトの地面。
その脇には鬱蒼と生い茂ったジャングルのような森が広がっている。
松本にこんな場所があっただろうか。
今度は、そんな自分の行く手を遮るかのような大きな障害物。
突然目の前に現れた、赤いドラム缶。
何か英語の文字が書いてある。
コカコーラ?
なんとかそれを避けたと思ったら、巨人のような大きな足に踏まれそうになった。
なんかヘンだ。
松本の街はこんなに殺伐としていただろうか。
こうして歩いているだけなのに、すごいプレッシャーが高耶の身体にかかる。
灰色の空が恐ろしく遠い。
そうこうしてるうちに、今度は池がみえてきた。
そこに映された自分の姿を見て、高耶は愕然となった。
1匹の薄茶色のトラ縞な仔猫が自分を見つめていたのだ。
恐る恐る右手を水面にかざしてみると、仔猫が応えるように左手をかざしたのだ。
高耶はすっかり凍り付いてしまった。
なんでこんなことに…
高耶が池だと思ったそれは、さっきまで降っていた雨のせいでできた水たまりだった。
まわりが巨大化したのではなく、単に自分が縮小化してしまっていたのだ。
例えようもない不安と恐怖に、すっかり気が動転してしまった高耶は、
無我夢中で駆け出した。
《誰か》
《オレはここだ》
《オレを見つけてくれ!》
《早く!!──》
(え?)
そのころ、丁度松本市内を愛車のウインダムで走行していた直江が、
自分に訴えかけてくるような声をキャッチした。
その声があまりに切羽詰っていて必死だったので、
運転中にも関わらず、無意識に声のする方角に意識を集中する。
(高耶さん…なのか?)
すっかりそっちに気を取られていたのがいけない。
急に目の前を何か小さい茶色のものが飛び出してきて、
はっと我に返って、慌てて急ブレーキをかけた。
キキキキキー
横転は免れたが、横にものすごくハンドルを取られなんとか止まる事が出来た。
車を降りてみると、1匹の薄茶色のトラ縞な仔猫がうずくまっていた。
直江がそっと抱き上げると、仔猫はぐったりしていた。
幸い怪我はなかったようだが、衰弱が激しい。
すっかり濡れそぼって、身体は氷のように冷たかった。
このままではいけない。
直江は着ていた自分の上着を脱いで、仔猫を包むと再び車に乗り込んだ。
──あれ?
ここはどこだろう。
気が付くと、大きな上着に包まれてベッドの上にいた。
甘いにおいがする。
このにおい、どこかで嗅いだことがある。
きょろきょろしていたら、そんな自分に気付いたのか、穏やかな低い声が上から降ってきた。
「気が付いたようだな」
手には白い皿を持っていた。
大きな厚い手のひらで優しく頭を撫でられた。
あったかい。
ガラスのような鳶色の瞳が自分を見つめる。
「お腹がすいているだろう」
ふっと微笑して、さっきのお皿をそっと目の前に置いた。
中にはミルクが入っていた。
「ぬるめに頼んだから、おまえでも大丈夫だろう」
あ…。
直江だった。
どうやらここは、ホテルの一室のようだ。
「ん? どうした?…飲まないのか?」
自分をマジマジと見ている仔猫に、直江が首を傾げた。
「まだ寒いのか」
そういうと、大きな腕で自分を抱え上げた。
どんなに大きくなっても、さっきみたいに怖いとは少しも思わなかった。
今までの恐怖がウソのようだ。
すっかり安堵して、直江の腕に身を委ねた。
そんな自分に、温かい大きな手が何度も優しく頭や背中を撫でてくれる。
この中にいれば恐れるものは何もないって思えた。
まるで母親の胎内にいる赤ん坊のように。
そしてまたゆっくり意識を手放していった──
「ん…」
目をこすると、目の前には知らない天井があった。
「高耶さん、気付いたんですね」
そんな自分にすぐ気が付いて、傍らの直江が声をかけた。
額には冷たい濡れタオルがのせられていた。
「ここ…は?」
「私が宿泊してるホテルです」
静かに直江が答えた。
「そういえば、オレ!」
思わずガバッと跳ね起きた。
自分の顔や身体をぺたぺた触ってみる。
髪も、手も、鼻も、口も全て、仰木高耶に戻っていた。
仔猫じゃない。
「どうしたんですか?急に」
高耶の不可解な行動に、思わず直江が目を丸くした。
「どうしてオレはここにいるんだ?」
まだぼんやりする頭で、必死に記憶を手繰り寄せようとした。
「丁度学校帰りのあなたを見かけて声をかけたら、突然倒れこんできたんですよ。
慌てて額を押さえてみたらすごい熱で」
「そうか。それでここへ運んできてくれたのか」
「ええ。お家まで行ってもよかったんですが、ここのほうが近かったし、
お医者さんもすぐ呼べたので」
「もしかして、一晩中ずっとオレの看病をしてくれてたのか」
「タオルを取り替えることくらいしか、できませんでしたけど」
「悪かったな。おまえのベッドを占領してしまって」
「いいえ、そんなこと。それより…」
直江の視線を目で追って、さっきからずっと直江の袖を自分が掴んでいるのに気付き、
慌てて手を離した。
「悪い」
そんな高耶に、
「どうしたんですか?何か怖い夢でもみたんですか?」
直江が優しく微笑した。
「いや、そうじゃなくて」
「なんです?」
「おまえの腕の中は温かいんだな」
ぼそっと高耶が呟いた。
「はい?」
自分にはひとつも身に覚えのない直江であった。
ぽかんとしてる直江に、
「なんでもねーよ」
わざと意地悪っぽく答えて、
「さっきみたいに、頭…」
そう言いながら高耶が再び横になると、嬉しそうに笑って、
直江が優しく髪を梳いてくれた。
「もう少し、こうしていてくれ」
「はい」
──きっと仔猫の見る夢は、大好きな腕に包まれてみる夢なのかも知れない。
END
お礼
志歩ちゃんが連載とは違うお話を下さいました。
ありがとう〜!
可愛いお話で私はとてもお気に入り♪