◇◇◇レプリカの恋◇◇◇

秋葉 志歩様からの頂き物

 

 

「あんたが付いていながら何やってたのよ」

すごい剣幕で綾子がまくし立てる。

「それで?こんな状態の景虎をほったらかしにして、今まで何してたのよ」

静かなホテルの一室に、綾子の怒声が響き渡る。
すっかり興奮状態の綾子とは対照的に、
長い付け毛を後ろにつけ、全身黒に身をまとった青年は、
そんな綾子を冷めた目で見ながら、

「事後処理です」

なんの感情もなく、平然と答えた。
そんな態度が一層綾子の怒りを買った。

「景虎は怪我してるのよ、まだ意識が戻らないの。
命に別状なかったらよかったけど、どうして側についててあげないのよ」

どんなに怒りをぶつけられても、青年は動じることなく、ただ目を細めるだけだ。

「本当の直江ならこんなことにはなっていないわ」

そこで初めてぴくっと青年が反応した。

「本当の直江なら…」
「そうよ。所詮あんたには直江の身代わりなんて無理なのよ。
感情のない、マリオネットのあんたには」

──そう、本当の直江なら。
景虎に怪我を負わせるようなことはしない。
それこそ、命がけで彼を守る。

そもそもこんなことになったのには、自分にも責任がある。
敵の怨将の力を侮って、景虎と今は直江とされている小太郎2人だけを
行かせてしまったこと。

ベッドに横たわってる景虎は、頭を包帯で巻かれていた。
医者を呼んだが、幸いかすり傷程度で済んだ。
意識がないのは脳震盪を起こしてるせいだ。
だが顔には疲労の色が窺える。
硬く瞼を閉じて、今は静かに眠っている。
どうして景虎は、よりにもよってこんな男を直江だと思い込んでしまったんだろう。

「ここはもういいわ。景虎の側には私が付いてる。もう出て行って」

ため息混じりにそういうと、綾子は小太郎を部屋から追い出した。

 

無情にドアが閉まる。
まるであのかたの心まで閉ざされてしまったようだ。
今でもはっきり耳に残っている。
つい数時間前。

《直江、オレが奴を捕縛してる間に調伏するんだ。
どうした直江、早く調伏しろ。直江、直江ぇー!》

自分に向けられた悲痛な叫び。
どうすることもできなかった。
自分には怨霊を調伏する力がない。
自分の本当の正体は風魔忍軍の頭領、風魔小太郎だからだ。
調伏力は、上杉夜叉衆のみが持つ特別な力。

あの男の口調や仕草は完璧にコピーできても、さすがにそこまで真似できるものではない。
それに加えて、最近は景虎とうまくいっていない。
自分が話す事が、態度が、何故か景虎の怒りを買ってしまう。
まだ自分の模倣術が劣っているというのか。

何がいけない?
何があのかたを苛立たせる?
こんな時、あの男ならどうしてた?

追い詰められた時、自分の中で必死に模索する男の影。
──直江信綱。
今でも自分は理解できていない。
あの男の精神分析が。

 

「その様子じゃ、だいぶ晴家に責められたようだな」

ふいに廊下の片隅から声が上がった。
小太郎は驚いて声のしたほうへ目を向ける。

「長秀…」

腕を組んで壁にもたれてた千秋が、不敵な笑みを浮かべていた。

「風魔の頭領ともあろうものが、オレの気配に気付かなかったのか」

キッと小太郎が千秋を睨み付ける。
そんな小太郎にはお構いなしで、

「一つおまえさんに忠告しておく」

ゆっくり小太郎のほうへ歩み寄ってきて、千秋が幾分声音を落として続ける。

「おまえの模倣術のおかげで、ヤツはどうにか発狂死せずに生きてる。
でもな、どんなにがんばってもおまえはあいつの直江にはなれないんだ」
「何故だ」

珍しく小太郎が千秋に詰め寄った。

「私の模倣術は完璧だ」
「分からないか?今のおまえのそれは、あくまでも表面上の直江だ。
あいつの求めている直江じゃない。おまえを直江に仕立て上げたのも景虎だが、
ほかの誰よりも直江を見抜くのも景虎だ」
「……」

「いくらヤツのうわべを真似ても、いつか本当の景虎の目が、おまえを偽者だと見抜く。
悪いことは言わない。これ以上直江のフリを続けるのはやめろ」
「あのかたが発狂してもいいのですか?そうなれば、困るのは貴殿らではないのか」

感情的になっている小太郎に驚きながら、

「あいつの直江はもう死んだんだ。誰もあいつの代わりにはなれないんだ」

千秋が絶望を帯びた目で答えた。
小太郎は、ふいに胸の奥に痛みを覚えた。
それは、自分の力不足を指定されたからではない。
もっと別の何か…
自分でも分からない、未知の感情。
なんだ、この痛みは。

「景虎を正しい世界へ導くには、オレたちが直江の死を理解させてやんなきゃ駄目なんだ」

そう告げると、すっかり黙り込んでしまった小太郎をそのまま置き去りにして、
千秋はそのまま静かに去って行った。

         ◇       

駐車場へ向かう小太郎の足取りは重い。
すっかり外は暮れて、街灯が灯っていた。

『おまえはあいつの直江にはなれないんだ』

さっきの千秋の言葉が耳に付いて離れない。
私はあのかたの直江にはなれない。
私の直江にないもの。
あの男なら持っていたもの。
そう自分を模索していくうちに、頭にいつかの場面が蘇ってきた。

《この人を鏡の中から解放してほしい》
《生きていてほしいんだ。死なせたくない》
《愛しているんだ──》

それは芦ノ湖でのやりとりだった。
魔境に封印された主人の魂と共に湖に沈もうとし、結局は開放を望んだ、
あの時の直江の言葉。

“愛している”

それは今までの自分が生きていく上には、必要のなかったもの。
冷静な判断や任務遂行の為には邪魔でしかない感情の1つだった。
感情で行動した事がない小太郎にとって、それがどういうことなのか、
今の彼に理解する事は不可能に近い。
しかし今、その感情が理解できねばあのかたの望む直江にはなれない。
誰かを愛するとは、どういう感情なのだろう。

「直江」

その時背後で誰かに呼び止められた。
驚いて振り向くと、頭の包帯がまだ痛々しい高耶が立っていた。

「景虎様…」

息を切らせていた。
走ってきたのだろう。
少し遠慮がちに近づいてきて、

「おまえは、どこも怪我してないようだな」

小太郎の無傷を確認して、安心したようだ。
あれからすぐ意識を取り戻した高耶は、綾子から直江(小太郎)が来ていた事を知り、
静止を振り払って、慌てて追いかけてきたのだった。
少しの沈黙の後、静寂を破るように高耶が問いかけた。

「どうしてあの時調伏できなかったんだ」

急に痛いところをつかれて、小太郎はうまく返答ができない。
そんな彼の様子を、ただ黙ってじっと見つめていたが、

「それだけおまえとオレはもう、意思疎通ができなくなってしまってるのかな」

ふいにふっと淋しそうに笑った。

ズキン。
また、さっきと同じ胸の痛みがはしった。

「今のおまえには、どう接するべきか分からなくなってる」
「!」
「おまえにはもう、オレの言葉が届かないのか?
オレもおまえの言葉が聞こえてこない。分からない。何故なんだ?」

高耶の鋭い目が小太郎の目を捕らえて離さない。
上着を掴まれ、

「答えろ、直江!」

強く揺さぶられた。
高耶も必死だった。

『いつか本当の景虎の目が、おまえを偽者だと見抜く。』

──私はあなたの直江にはなれない。
その時、掴んでいた高耶の手が急に緩まった。

「直江…」

自分でも気付かないうちに、一滴頬をつたう温かいものが流れて落ちていた。
高耶は目を見開いた。

(…?)

小太郎は彼の様子を怪訝に思って、自分でその雫を手のひらで拭った。

「おまえ、泣いているのか?」
(!?)

彼に言われて、初めて自分が泣いているのだと知った。
生暖かい雫の正体は涙だったのだ。

「私は…」

呆然となった。
私が泣いている?
その時、そっと高耶の指が頬に触れた。

「景…虎様」

さっきまで自分を睨み付けていた瞳が、今は自分をいたわるように見つめていた。

「…悪い、感情的になってしまって。もう泣くな」

頬に手をのせたまま告げた。

「おまえに泣かれるのが、一番辛い」
「景虎様」

気が付くと、高耶を抱きしめていた。
無意識な行動だった。
どうしてこんなことをしてしまったんだろう。

「直江…」

高耶も驚いていた。
だがじっと身じろぎもしないで、彼のされるままになった。
2人はしばらくの間抱き合っていた。

そして、小太郎の心に新たな意識が芽生え始めていた。

私があなたの望む直江になる。
いつか本当の直江がいらなくなるように。
自分がいつまでもあなたの側にいられるように──

それは、心までオリジナルに侵食されてしまっていくような、
本人にはまだ自覚のない、苦い恋の始まりだった。

 

END

 

 

あとがき

ありがとう!志歩ちゃん!
切ねえ!切ねえね!
私は志歩ちゃんの小太郎を主役にする、
という発想がとても好きです。
あなたの優しさのようで好きです。