我が名は直江。直江信綱だ。
高耶さんと同居を始めて約1ヶ月半。
連日のように高耶さんに誘惑らしきものを受けている。
皆さんにひとつわかってもらいたい事がある。
俺は高耶さんを愛しているが、高耶さんが学生のうちは手を出すつもりはないのだ。
なぜなら、あの人は大学へ入って家裁の調査官になるという夢を持っているからだ。
そんな中で、私が手を出してしまえばあの人はめくるめく快楽に身を委ねてしまうのが目に見えている。
したいのは山々だが、などという有り勝ちなことは言わない。
確かに抑えている部分はあるが、だからと言っていきなり高耶さんに圧し掛かるような人間でもない。
理性が私を制しているのは誇りでもあるのだ。
今日も高耶さんは「直江陥落作戦」を実行しているつもりらしい。
「なおえなおえなおえー」
平仮名で俺を呼ぶ時は誘惑中だ。
「なんでしょう?」
「チューしよう、チュー」
「…あなたさっき一人で『よっちゃんイカ・にんにく風味』食べてませんでした?」
「食ったけど。直江も食いたかった?」
「にんにく臭いキスは嫌いなんです」
「がーん!」
そうなのだ。高耶さんはいつも詰めが甘い。
もしこれが俺の好きな契ワインロゼだったらキスもしていただろう。高耶さんになぜ陥落させられないのか、は、高耶さんの全責任なのだ。
言わせてもらうが『いーでぃー』ではない。
もし高耶さんがとてつもなく俺の好みの誘惑をしてくれれば、陥落したっていいのだが。
裸にエプロンだって、あの真っ青な顔さえなければ大興奮していたし、風呂場で抱き上げた時だって、あの可愛らしい股間に白髪すらなければそのまま寝室に直行だった。
先日も風邪さえなければ高耶さんの誘惑を見てみたかった。
高耶さんは誘惑をする前に自己管理をすべきだと思う。
「歯磨いてくる!」
「歯を磨けば済むことではないんですよ。胃から匂いが来るんですからね」
「ひーん!」
泣き真似をしながら自室に閉じこもる高耶さん。可愛らしくはない。
高耶さんの泣き真似はヘタクソでどうしようもない。見ているこっちが恥ずかしくなるほどの大根だ。
だがここで追いかけなければ愛が冷めるので、仕方なく追いかける。
「明日、にんにく臭が消えたらキスしましょう。それでいいでしょう?」
「やだ!」
「じゃあおでこにしてあげますから」
「やだー!」
もうこうなったら諦めてもらうしかない。
俺は嫌なものは嫌だと言える人間なのだ。純粋ジャパニーズを400年もやっているが、NOと言える日本人だ。
「そうですか。でしたら私はもう寝ますから。おやすみなさい」
「なおえー!」
「もう子供じゃないんですよ。私はそんな景虎様は見たことありませんけどね」
「景虎じゃないもん!」
「景虎様でしょう?あなたは」
「…あ、そっか」
自覚をした、という意味での「あ、そっか」ではないようだ。独り言らしい。
「高耶さん?」
「うん、今日はもういいや。おやすみ、直江〜」
何か企んでますね?明日はその企みを披露するつもりなんでしょう?
ニヤリと笑うあなたのその顔が景虎様そのものですよ。
「ただいま帰りました」
毎日兄にコキ使われて、ぐったりとなった私が楽しみにしているのは高耶さんの笑顔での「おかえり」だ。
だが、今日は出てきてくれなかった。
「高耶さん?」
「ご苦労であった」
「あの、どうかしたんですか?」
「近こう寄れ」
どこかの殿様のような話し方をする。今日は何モードなのだろうか。
「直江、メシを作ってたもれ」
「は?夕飯の準備してなかったんですか?私が料理が出来ないのはあなたが一番知ってるじゃないですか」
「主君に向かってその口のききかたは何じゃ!」
「えーと、あなた、高耶さんですよね?」
「景虎じゃ」
「そうですか…景虎様ですか…ですが、私の知っている景虎様はそんな話し方はしませんよ?」
「なに?!」
「もう少し砕けた喋り方でしたけど」
「間違えたか!」
いったい何を考えて景虎様の真似(?)なんぞを。
「まあいい。直江、今日はメシを作ってない。何か食わせろ」
「では近所のレストランでも行きましょうね」
「よきにはからえ」
??????
「今夜の伽を申し付けるぞ、直江」
「とぎ〜?!…ですか…?」
「そうじゃ。主君の言いつけに逆らうわけにはいくまい?」
なるほど。景虎様になって俺に逆らえないようにしたわけか。
だが、景虎様はこんな話し方もしなければ、俺に伽などを申し付けるような誇りのない人間でもない。
そして何より今は景虎様よりも高耶さんである景虎様を愛しているのだ。逆でもいい。景虎様である高耶さん、かもしれない。
とにかく「高耶さん」でなければ愛しても意味がないのだ。
「いいんですか?景虎様の伽を申しつかっても。高耶さんじゃない人を抱くわけですから」
「え、それは…」
ほらほら、詰めが甘い。可愛いですけど、私の好みの誘惑ではないですから?受けるわけにも行きませんよ。
「よろしいのでしたら、すぐにでも寝室に行きましょう」
「いや、ダメだ!あ、でも、うーんと…どうなるんだ?」
「私が景虎様を抱けば、高耶さんは満足なんじゃないんですか?それとも景虎様ではなく、高耶さんを抱けば景虎様が満足なさる、ということなのでは?」
「わけわかんなくなってきた…」
「では頭の中の整理がついたらにしましょう」
「…うーん、そうだな…」
「ではおやすみなさい」
「…おやすみ」
あなた(高耶)の頭じゃ景虎様と自分を割り切って考えるなどという高等な処理はできないでしょうに。
ま、これでしばらくは誘惑からも遠ざかれるわけだし、毎晩攻防戦を繰り返さなくても済む。
昼間は兄にコキ使われて、夜は高耶さんの突拍子もない誘惑を受けるなんて、人間を400年やってきた俺だって疲れるのだ。
いい加減にしてくれ。
「やっぱいくら考えてもわかんねーんだよな」
「何がです?」
「高耶と景虎って同じ人物じゃねーの?」
「そうですよ」
「おまえ、どっちを愛してるわけ?」
「高耶さんです。景虎様である高耶さんですよ」
「…………………頭痛くなってきた…………」
これだけはあなたに負けませんから。
いくらでもかかってらっしゃい。
END |