キズナ  〜カイナ2〜


13
最終話

 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

赤坂から大久保の事務所まではタクシーで2、30分というところだ。
タクシーの中でも松平は白石から離れなかった。絶対に許すつもりはない。
白石の方はこの警察官に捕まえてもらえないとなると、直江が絶対に上杉に漏らす。漏らされたら最上の耳にも入るだろう。今の最上は上杉の威光を借りなければならないほど弱体化している。その関係を維持するのなら、白石一人が刑務所に入れば済み、白石も五体満足のままでいられる。青木会に戻れるかどうかは別として、そうならない限り白石の小指がなくなり、青木会や最上から報復があるのは紛れもない真実だ。

まだ太陽も出てこない時間に事務所に着き、松平が内部を色々と捜索している。

「はー、立派な闇金の証拠が残ってるなあ。こりゃ一網打尽だな」

松平が携帯で所轄の捜査課に電話をした。闇金事務所を『偶然』にも知ってしまったので証拠と犯人の確保のため今すぐ来い、と。

「松平さん一人のお手柄にしてください。白石、あなたは松平さんの言う通りにしていれば上杉からも最上からも狙われませんよ。ちょっとした休暇だと思って刑務所で休んでください」

さらに松平が部屋の中を物色していると、奥のドアから人の声らしきものが聞こえた。不審に思ってそのドアを開けると芋虫のように縛られている加藤がいた。

「おい、大丈夫か?」

口の中に詰められていたギャグボールを取り外してもらい、ようやく声を絞り出せた。

「なんとか大丈夫……」

足の拘束を解かれて部屋から出るとスーツ姿の高耶がいた。
その隣りには背の高い威圧感のある男。そして高耶たちに囲まれている白石。
加藤を助けた男もヤクザかと思っていると、ガムテープを剥がしてくれている間に警察官だということがわかった。

「きみ、どうして監禁されてたんだ?」
「借金が返せなくて……」
「返せないと?」
「スナッフビデオの材料に……」

ニヤリと松平が笑ったのを加藤は見逃さなかった。ただの警察官ではないことがわかる。
たぶん高耶と共謀しているのだろう。加藤は指を差して言った。

「あそこにいるの、俺の知り合いなんです」
「……これから警察で保護するが、あの2人のことは絶対に喋るな。しらばっくれておけ。いいな」
「はあ……」

松平はすべてあの二人の画策だと気付いたが、手柄も取れるし強請れる店も手に入れられるのだからこの画策に乗っておくのが一番だと考えて高耶たちのことは不問にした。
その高耶たちが抑えている白石の元に松平が加藤を連れて出た。

「監禁されていたようだから警察で保護しておきます。どうやら闇金だけじゃないらしいから色々聞かせてもらいますよ」

白石は加藤を監禁したまま外出した自分を恨んだ。これで闇金だけではなくスナッフも摘発される。
刑期は10年見て置かなければならないかと、すべてを諦めた。
しかし嵌められたとはまだ思っている。カジノでのイカサマは絶対に自分ではない。だとしたら誰かが自分を嵌めて得を取ろうとしている人間がいるはずだ。

最近のトラブルといえば加藤の件だけで、由比子は惜しいことをしたが加藤はまだ手中にあった。
自分が漕いでいたはずのボートがいつの間にか誰かに流されてしまって、ここまで来た。

ふとドア付近で話している長身の2人を見た。元上杉、直江。もう片方の男はディーラーだ。なぜディーラーがここにいるんだ?

そこまで気付いてやっとわかった。あれが景虎だと。博徒たちが崇めている景虎。

「か……」

視線に気が付いた高耶が白石を見た。その目は今までヤクザ社会で見てきた目とは違う。自分が丸裸にされたような、すべてを見ている目。
いつのまにか景虎の作った流れに乗せられていたとは思いもよらなかった。
全部が全部、稀代のギャンブラーの手で転がされていたと気付いた。

「俺はいつから躍らされてたんだ……」

呆然とこちらを見ている白石に高耶は親指を立てて下に向け、声を出さずに答えた。

『さいしょからだ』

どこからが景虎の思惑で、どうしてこうなったのか、白石には知る術がない。

 

 

 

加藤は被害者として警察官と一緒にパトカーに乗って警察署へ。それを少し遠くから見ていた高耶と直江。
所轄の警察官が集まってくる前に雑居ビルから出て、道路の反対側のガードレールに寄りかかって見ていた。

「これで加藤も安全ですね」
「ああ。借金も終わったことだし、白石がパクられればスナッフもなくなるし。一安心だ」

このことを由比子に報告しようと二人はマンションへ帰った。
由比子も心配で眠れなかったようで、リビングでニュース番組を見たり、玄関に行ったりと落ち着かない夜をすごしていた。
高耶たちがドアを開けようとしたところに由比子が立っていたのはそういうことらしい。

「加藤くんは?!」
「警察が保護した。ちょっとした事情聴取されるとは思うから、今日の午後ぐらいに戻れるんじゃないか?」
「そうなの?!無事なの?!」

加藤をここまで心配しているのだから本気で好きになった男なのだとわかった。
いくら加藤が高耶にとってイラつく存在だとしても、由比子をどれだけ大事にしているかはわかる。この先、由比子を幸せにするために真っ当な仕事をしてくれと思うばかりだ。
また自分のような裏側から抜けられない人間を作らずに済んだことだけが今回の報酬だ。

「無事だし、この先も安全だから。ちょっとぐらい休めよ。寝てないんだろ?」
「うん……ありがとう、高耶」

由比子は少しだけ泣きそうな顔をしたが、それは自分と加藤がもう安心だという嬉しさからだろう。
おやすみ、と言って部屋に戻って行った。

「千秋も帰っているようですね」
「あとでちゃんと謝っておく」
「私も付き添います」

それから直江の入浴で介助をしながら高耶もシャワーを浴びた。バスルームから出て寝室へ行き、直江にバスローブを着せた。
すでに外は明るくなっていて、太陽の光が寝室にも入ってくる。カーテンを少しだけ開けて街を見た。
朝の明るい光の中で、自分を取り巻く人間や事象を思うと、気分が落ち込んでくる。景虎という名前がどれだけ重たくてどれだけ大きいかを再確認してしまう。

「高耶さん?」
「あ」

ボーッと考えてしまったのを直江に悟られた。

「どうしたんですか?」
「ん、別に。なんでもない。直江は寝てろよ」
「……私はたぶん、あなたには一生かかっても勝てないでしょうね」

いきなりな言葉に高耶はどういう意味だと詰め寄った。最初に直江に負けたのは自分で、あれ以来すべてが変わってしまったのだから直江にそんな話をされたくない。
怒りとも悲しみともつかない感情が次々湧いてどうにかなりそうだった。

「あなたを愛しています。心の底から」

感情が昂ぶって涙が出てきた。いつから直江の前でしか泣けなくなったのかを思い起こし、あの時だと気付く。
自分が人を殺した日。

「あなたが泣くなら私がすべて受け止めます。それが私に出来ることですから」
「うん……」

直江の首筋に頭を預けた。直江の右手が肩から後頭部にかけて抱いてくれる。その優しくて罪深い腕と、傷のある胸が自分の唯一の居場所なのだと思う。

「両腕で抱いてくれ……」
「……高耶さん……」

高耶が下に垂れ下がったままの直江の左腕を取って背中に当てた。直江が眉間に皺を寄せてながら動かない腕に力を注ぎ込むと、指先が少しだけ動いて高耶の背中をくすぐった。
高耶が直江の腕の付け根を殴って以来、動かなくなっていた指が動いた。
泣き笑いをした高耶が直江にキスをして、そのまま高耶に促されてベッドに沈んだ。

 

 

 

昼過ぎに起きた千秋が直江の寝室のドアを叩いた。

「直江!白石が逮捕されたってニュースでやってる!」

その声で起きて高耶も直江もバスローブ姿のままリビングへ出た。
そこには闇金融とスナッフビデオ作成で青木会の白石が逮捕された、とアナウンサーが言っていた。

『現在、白石容疑者の事務所で監禁されていた被害者の男性が警察で事情を聞かれているもようです』

明け方からずっと加藤は警察にいるらしく、まだ解放されていない。しかし加藤は金を借りただけの人間なので、罪には問われないだろう。

「由比子ももう家に戻ってもいいんじゃないか?」
「うん、加藤くんがいる警察に行って待ってる。出てきたら一緒に帰るよ」
「もうギャンブルと借金はするなってきつく言い聞かせろよ。由比子が甘い顔したらまた同じこと繰り返すだろうから」
「わかった」

荷物をまとめた由比子が加藤がいる警察署へタクシーで向かった。以前とは違う明るい笑顔だった。
最後に大きな声で「ありがとう!」と美しい表情で去っていった。

「おい」
「ん?」
「おまえ、俺様に言うことがあるんじゃないのか?」
「ああ、なんか……巻き込んで悪かった」

千秋が鼻で溜息をついて、斜に高耶を見た。

「巻き込んでじゃないだろ。俺を利用して悪かったって言ってもらわないとな」
「……ごめん」
「……もういい。おまえが俺を信じてたってことだもんな。直江だけじゃなく俺も信じられるようになったってことだよな?」

高耶がその言葉にはにかんで見せると千秋は笑って頭を小突いた。

「白石のことは怒らないのか?」
「んー、別に。おまえと直江が無事ならいいさ」

自分の言った言葉が恥ずかしかったのか、千秋は高耶に背を向けて自分の部屋へと歩き出した。

「寝不足だ〜、俺もう夕方まで寝るからな」
「じゃああとで起こす」
「俺を利用した罰に1週間おまえがメシ作れ」
「わかったよ」

リビングに残された高耶と直江で軽く食事をして、由比子が使っていた自分の部屋を掃除すると言って高耶がいなくなった。
直江はそのままリビングで新聞を読んでいた。たぶん今日の夕刊では白石が捕まった件が載るだろう。
掃除機の音が消えて、なにやらガサゴソと音がしてから静かになった。
寝てしまったのか、それとも何かあったか。

心配になった直江が高耶の部屋を覗くと、ベッドに座って肩を落としている高耶がいた。なんとなく悲しそうだった。

「どうしたんですか?」
「あ」

直江の声に気付いて袖で顔を拭いた。泣いていたようだ。

「どうして泣いてるんですか?」
「由比子と加藤が無事でさ、よかったなって思って」

それにしては背中を丸めて悲しそうな声を出している。

「本当は?」
「……オレは、加藤や由比子を助けたかったんじゃなくて、加藤がオレみたいになっていくのを見たくなかっただけなんだ。全部自分のためにしたことで、ありがとうなんて言われるのは違う」
「動機がなんであれ、あなたが2人を助けたことに違いはないでしょう?」
「でも……だからって今更オレが表側に行けるわけじゃない。しかももっと裏側に入り込んだ気がする」

高耶をこうしてしまったのは直江だ。どんなに愛していようが手放せなかろうが、高耶を悲しませているのは直江だ。
高耶の言葉が直江の心臓に突き刺さった。

「じゃあ……もう景虎にならなくて済むようにしましょうか?私があなたをそうさせたんですから、責任は取ります」

それは高耶の消息を上杉が追えなくするということで、そうしてしまえば高耶は直江のそばにいることが出来ないということだ。
別れようと言っているのと同じだ。

「だから……前に言っただろ……オレはもうおまえがいないと生きていけないって。オレを殺す気か?」
「そういうわけでは……」
「もういいんだ。自分が悪かったんだから諦めるしかない。泣くのは自分が弱いせいだ」

その背中が痛々しくて直江は思わず腕を伸ばして高耶を抱き寄せた。

「あなたのすべてを私が受け止めます。悲しいことも、辛いことも、全部、何もかも。あなたが私のすべてです。お願いですから、一人では泣かないでください。ずっと私を責めていいから、一人で抱え込まないでください」
「う……」

小さく息を詰まらせてから、振り向いて直江の背中を強く抱きながら大きな声で泣いた。

「いつかあなたを両腕で抱きますから、一人にならないでください……」
「うん……」
「愛しています……」
「もっと、もっと強く抱いてくれ……」
「はい……」

熱い涙が胸に沁みて疼き、もう二度とこんなに愛せる人はいないと痛感した。それがどんなに重い罪を孕んでいようが、一生消えることのない血で汚れた腕だろうと、高耶も、直江も、もう手放せない。

「愛してるから……直江……」

叫びだしそうな衝動を堪えて直江が高耶のすべてを受け止めようとする。後悔と罪悪感と愛が混ざり合って爆発しそうな感情が、高耶を抱く腕に注ぎ込まれる。

「すみませんでした……あなたをこんな目に遭わせてしまって……ッ」
「なおえ……」
「この償いは、一生をかけてしていきます……いくらでもいいから私に縋って泣いてください……あなたと同じ心の傷を私にも与えてください……あなたの涙で殺してください……」

直江の言葉を心に染み渡らせて、高耶が顔を上げた。

「愛してるよ……」

泣きながらキスをして、罪も後悔も飲み込んで、高耶と直江は二人で生きる決心をした。

 

 

その後、加藤から高耶に連絡が入り、無事に警察を出ることができたと言ってきた。由比子から高耶の警告も伝えられたのか、もうギャンブルも借金もしないと真剣な声で宣言した。

「次は助けられないからな。もうオレたちにも関わらないでくれ。その方がお互いにいいだろ?」

高耶の言葉に含まれた意味を加藤は考えた。素人の自分が裏側にいる高耶と関われば面倒ごとに巻き込まれる。
ギリギリの淵で高耶も直江も生きているのがわかったからこそ、そこに自分が立てば高耶の命も危ないのだろう。

『わかった。真面目に働くよ』
「じゃあな」

もう一度、ありがとうと言い掛けた加藤の言葉は最後まで聞かずに切った。これ以上は何も言われたくない。

「高耶さん、そろそろ出ますよ」
「おう」

今から仕事だ。高耶は気持ちを切り替えて直江の声のする玄関に向かい歩き出した。
その一歩には諦め以外の意味もある。
どんなに辛くても、高耶には信頼できる人間がいる。直江も千秋もそばにいる。この二人がいれば何があっても自分たちの力で解決できる自信がある。

玄関で待っていた直江が高耶に向かって右手を差し出した。その手を取って高耶が小さく呟いた。

「早く両腕で抱けよな」

とても小さな声だったが直江は聞き逃さなかった。

「絶対に抱きます」

下を向いたまま高耶がクスッと笑うと、取った手を引っ張られてキスをされた。
それはすべてを受け入れる温かなキスだった。

 

どうしても必要な悪があるように、どうしても拭えない後悔がある。
私はそれを、大切な人の涙でしか知ることが出来なかった。
でもその涙も後悔も、すべてを受け入れる覚悟も出来ている。この両腕で。

 

 

 

おわり

 
         
 

長々とお付き合い頂きありがとうございました!