仰木荘奇譚



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最終話
 
         
 

目が覚めると高耶の目の前に男の端正な笑顔があった。
いつの間にか直江の腕から出て手を繋がれていたのが少し不満だったが、直江から「暑いって言いながら高耶さんが離れたんですよ」と言われてしまい、せっかくの直江の腕の中にいられる時間を無駄にしたと心の中だけでむくれた。

「さてと、顔洗ったら朝飯の支度だ」
「一緒に行きますよ」

直江と顔を洗ってから食堂へ行くと猫村さんがすでに来ていた。

「おはようございます」
「おう、早いな。あ、そうだ。直江」
「ええ、猫村さんにお願いしましょうか。あの、少しだけいいですか?」

首を傾げて直江の話を聞く姿が愛らしい猫村さんは、幽霊の話をされるとわかっている素振りを見せた。

「もしかして、知り合いの幽霊さんなんでしょうか?」
「いいえ、私は知りませんけど。タヌキさんが知ってるはずですよ」
「タヌキが?なんで?」
「……見かけたら聞いてみてくださいな」

話は終わりだと台所仕事を始めてしまった。
一体どうなっているのかがわからない二人は呆然とするばかりだ。

「ところで高耶さん。例のあの悩みは解決したんですか?」
「あ、ああ。アレな。おかげさんで」
「何ですか、悩みって」
「オレと猫村さんの秘密だ。直江には……そのうち教えてやるよ」

高耶と猫村さんが顔を見合わせてニヤニヤしているのを見て、直江がしかめっ面をした。

「あら、直江さん。もしかしてヤキモチですか?」
「……いけませんか」
「いいえぇ」

やけに嬉しそうな猫村さんはそれからはもう直江を無視して料理を始めた。横で高耶が笑っている。

「高耶さん。きっともう幽霊は出ませんよ?」
「え、なんで猫村さんにそんなことわかるんだ?」
「そりゃあ……詳しくはタヌキさんから聞いてください」
「……あとでな」

高耶を猫村さんに任せて直江は部屋へ戻って着替えた。
思わせぶりな猫村さんの態度と、幽霊は出ない発言。どちらにしてもタヌキに聞かなければわからないらしい。
どうにかタヌキに出くわさないもんかと三階に行って三号室のドアをノックした。しかし誰からも返事はない。

「おう、直江。何をしているんだ」

織田の部屋から織田本人と蘭丸が出てきた。
こんな朝早くに二人が同じ部屋から出てきたということは。
しかし直江だってもう織田たちよりも幸せなのだ。たとえまだ出来立てのカップルだとしても。

「タヌキさんに会いたいのですが」
「あいつは本当にたまにしか出てこないからな。用があるなら好物の煎餅を置いておけば今日中には出てくるかもしれん」
「なるほど。ありがとうございます」

二人の背中を見送ってから直江は自室に戻って煎餅を出した。
以前、千秋に聞いていた、煎餅を常備しておけばタヌキが天井裏で暴れないというのを覚えていたために難なく煎餅が用意できた。

「これを持って一日中廊下にいろというのか……?」

煎餅を高耶の管理人室に置き、それから食堂へ戻るとちょうど朝食が出来たところだった。
いつもの高坂や綾子の隣りを避け、高耶が座るはずのテーブルの方へ座った。
それを見た千秋と綾子がヒソヒソと話し出す。

「とうとうか……」
「そうね。うまくいったみたい」
「タヌキの奴、どんな手を使ったんだか」
「だけど直江も高耶も幸せそうね」

高耶と直江のふたりは仲良く話しながら朝食を食べている。
どこから見ても出来たてホヤホヤの純情カップルだ。当人たちが自覚しているかどうかは別として。

「あとでタヌキさんをおびき出しましょう。煎餅を用意しておきました」
「煎餅だけじゃ来ないぞ。オレにアイデアがあるから任せろ」
「そうですか?じゃあお願いします」

住人にニヤニヤ見守られつつ朝食が終わり、住人たちはそれぞれ学校や職場へ出かけた。
全員がふたりの行く末を楽しみにしながら。

片付けを手伝ってから直江は高耶と連れ立って管理人室に戻った。
お膳の上の煎餅の袋を高耶が取り、それをガサガサさせて廊下で叫んだ。

「煎餅あるぞー!食うなら来いよ!あと小遣いもやるぞー!」
「た、高耶さん?」
「パチンコやる金が欲しいんだからすぐ来るって」
「そんなおびき出し方を……」

しばらくすると本当にタヌキがやってきた。
いつものように好々爺風に笑顔を見せてはいるが、腹の中ではパチンコ銭が欲しくてたまらないのだろう。

「小遣いだって?」
「ああ、部屋ん中にあるから、ま、入れ」

直江とタヌキを部屋に入れると、高耶はドアを閉めてしっかりと鍵をかけた。

「……高耶?」
「聞きたいことは山ほどあるぞ。全部白状したら煎餅も小遣いもくれてやる」

たじろぎながら高耶の顔色を伺ってみると、少しばかり怒っているようだった。
そして助けを求めるつもりで直江を見ると、こちらは高耶の行動に驚くばかりで助けになどならない。

「あの幽霊、どうやらおまえが知ってるらしいな」
「ゆ、幽霊?さて、なんのことやら」
「てめえ。誤魔化すんじゃねえよ!オレがどれだけビビッたか!なあ、直江!」
「え、ええ。とても怯えてましたけど……タヌキさん、あの幽霊が知り合いだったのなら助けてくれても良かったじゃないですか」
「さあ、言ってもらおうか。でなきゃこの先、一切小遣いはやらねえぞ!」

渋い顔をしてタヌキが諦めたように告白を始めた。

「アレはこのへんに住んでいる幽霊でわたしの知り合いで。ちょっと頼んで高耶を脅かしてもらったんだわ」
「なんでそんな必要があるんだよ」
「……おまえさんら、うまくいったんだろう?」

それを言われて直江も高耶も赤くなる。どうして昨晩のことなのにすでにタヌキが知っているのか。

「高耶は鈍感というか恋愛に疎いというか。そんなだからわたしらがお膳立てしないといつまで経っても疎いままだ。そんなとき直江さんが部屋を借りたいと言ってきた。わたしは一瞬で『ああ、こいつだ』と直感で思ってな。高耶の運命の相手だと」

それでタヌキは直江を気に入ったというわけだ。
他の住人もタヌキに選ばれて入居し、何かしら高耶に影響を与えている。
その中でも直江は特別な相手だった。

「どうも高耶は自分の気持ちに気付いてなさそうだったから、あの幽霊に頼んで怖がらせて、どうにかくっつけようとしたんだが……成功したようで何より」

言い終わってタヌキは満足げに二人を見た。
高耶は苦虫を噛み潰したような顔をしているが、その頬は真っ赤になっている。直江は眉を下げて笑っている。

「……おかげさまで大好きな人とお付き合いできるようにはなりましたが、そのためだからと言って高耶さんをあんなに怖がらせたのは許せませんね」
「な、直江さん……」
「ねえ、高耶さん?どうしてくれましょうか?」
「……オレがどれだけ怖かったかをタヌキにも味わってもらってもいいんだが、どうしたらタヌキが怖がるかわかんねえ。つーわけでおまえは一ヶ月間、下宿全体の掃除をしろ。おまえの苦手な織田の部屋もだ。わかったな!」
「そんなひどい」

同意を求めようと直江を見ても、直江は高耶の決定に従うつもりでまったく目を合わせてくれない。

「じゃあ高耶さん、これで解決ってことで、タヌキさんがここを掃除している間、私の部屋でのんびりお茶でもしましょうか」
「そーしよう。いいな、タヌキ。まずはこの部屋をピッカピカにして、それから次は直江の部屋。廊下も食堂も風呂もだ」
「こんなことなら幽霊になんか頼まなければ良かった……」

渋々掃除を始めたタヌキを尻目に二人は階段を上がって直江の部屋に入った。

「高耶さんに聞きたいんですけど」
「ん?」

共同冷蔵庫から出してきた直江の缶コーヒーを飲みながら、直江が一番聞きたかったことを訊ねた。

「もし、幽霊騒ぎが無かったら、私を好きだって思わなかったんでしょうか?」
「…………それでも好きだって、思ってただろうし、どうにかして伝えてた……と思う……たぶんな。直江は?」
「きっと私はあなたが伝えてくる前に、ガマンできずに告白してますよ。それほどあなたが好きだから」

柔らかい笑顔の直江が腕を伸ばし、そこに高耶が入って抱かれる。
心地よいそこは高耶にとって安住の場所なのだと確信できる。

「ずっとここに住んでくれよな?」
「ええ。いつまでもね。そのうちあなたの部屋に引っ越すかもしれませんけど」
「うん」

どちらからともなくキスをして、直江の腕に抱かれていると廊下を掃除するタヌキの鼻歌が聞こえた。

「妖怪バンザイってとこか?」
「ですね」

 

おわり

 
   

お付き合いありがとうございました。
単調で波もなくエロもなく。
ただのほのぼのですね。
こういうのも好きなんで
またやるかもしれません。