仰木荘奇譚 2 

〜せんざか探偵舎〜

 
         
 

高耶が管理人室で留守番をしていると、肩を落とした千秋が帰ってきた。それから続いて高坂も。

「どした?」
「仰木のじーさん、来てくれねえってさ……」
「マジ?なんで?ちゃんと事情を話したのか?」
「話したからダメになったっつーか……」  

どうも高坂と千秋が険悪な雰囲気だった。大きく溜息をつき、高坂が千秋の頭を一回小突いてから、わけを高耶に話し出した。

「探偵舎を始めたなら自分たちだけで解決してみせろと大笑いされたんだ。千秋が探偵舎の話なんかしなければ、ただの人助けとして手伝ってもらえたかもしれないのに。このバカが」
「だってあのじーさん、誘導尋問みてえなことすんだぜ?どうしてそんな経緯になったのかとかよぉ!食えねえじーさんだと思ってたけど、あそこまで食えないとは思わなかった!」  

少し離れて暮らしただけで仰木老人の性格を忘れてしまったのか、千秋のやったことはただ老人を面白がらせるだけで終わった。高坂が電話を替わった時には、すでに無情な電子音だけが流れていたそうだ。

「こんなことなら千秋に任せるんじゃなかった」
「うるせえよ!」
「二人とも!ケンカしてる場合じゃないだろ。どうすんだよ、キツネとの話し合いは」  

そうだったと思い出してまた千秋が肩を落とす。高坂は責任を全部千秋に押し付けたい気持ちがあったが、それでも部の存続のために一緒に悩んでやっている。

「もいっぺんタヌキに相談すっか……」
「まあ、それしかないだろうな。夕飯までにタヌキを探しておけよ」
「がんばる……」  

それから下宿じゅうに千秋と高坂のタヌキを呼ぶ声が響き渡っていたが、しばらくして止んだ。最後には泣き声になっていたから出てきてくれなかったのだろう。  
すぐにでも相談しなくてはいけないというわけでもなさそうなので、高耶は二人を放っておいて夕飯作りに取り掛かった。今日も猫村さんが来て準備をしていてくれた。

「あ、高耶さん。さっきまで高坂さんたちがタヌキさんを探してらっしゃいましたけど、どうかしたんですか?」
「この前のアレだよ」  

夕飯を作りながら猫村さんに事情を説明した。
猫村さんも同じ動物同士だから何かわかるんじゃないかと聞いてみたが、神様と妖怪は別物だからわかりませんと言われてしまった。

「そっか。どこかで通じるものはあると思ったんだけど……」
「私もキツネさんとは知り合いですけど、あの人は猫を軽視してますからねえ。私がお手伝い出来ることは何もないですねえ」
「じいさんは手伝ってくれない、稲荷寿司はない、直江は敷地に入ることも出来ない、タヌキじゃ無理……八方塞だよな」
「そうでもないですよ」
「え?」  

あっけらかんと猫村さんが高耶に言った。しかしそれはもう含みを込めて。

「そうでもないって……」  

聞きかけた時に涙目の千秋が食堂に入ってきた。タヌキが見つからないことで高坂とモメてしまったそうだ。

「高耶〜」
「どっちもどっちじゃねえか。バカ」
「千秋さん、高坂さんを殴ったんですか?」
「まさか。あいつを殴ったらカラス天狗に毎日つつかれて頭穴だらけになっちまう」
「ですね。ついでに猫の引っかき傷も毎日つきますよ」
「……」  

どうやら猫村さんは高坂のファンらしい。この下宿の住人は男前揃いだが、中でも高坂の中性的な美貌は女心を引き付けるようだ。

「じゃあ高坂さんのために私がいいことを教えてあげます」
「なんだ?」  

高坂のためというのが気に入らなかったが、藁にでも縋りつきたい千秋は平伏して猫村さんの話を聞くことにした。
料理の途中だったが高耶もそれに付き合わされた。

「高耶さんが話せばいいんです」
「へ?」
「オレ?」
「ええ、高耶さんです。タヌキさんはわかってないのかもしれませんが、高耶さんだったら話せるはずですよ。だっておじいさんの血を濃く引いてるわけですし、何よりも器が違いますから」  

突然の話に一番驚いたのが高耶だった。目を剥いて猫村さんの顔を見つめている。

「器って何だ?」
「器は器です。高耶さんの器は琵琶湖どころじゃありませんから、キツネさんも話を聞かなくてはいけない気分になるでしょうね。そういう感じのものです」  

ずいぶんとフワフワした器の説明でわけがわからないが、キツネと高耶が話し合いをしてくれるなら有難い。千秋は猫村さんから高耶に向き直って頭を下げた。

「頼む!キツネと話してくれ!」
「え〜?出来るかわかんねーよ、オレだって……」
「この俺様が頭下げるなんざ、留年を言い渡す教授相手ぐらいなもんなんだぞ!なあ、頼むよ、高耶!」  

微妙に横柄な態度だが千秋の本心は伝わってくる。部を存続させたい気持ちも、東堂を助けたい気持ちも。

「んじゃあ……とにかく一回行ってみるけど……話せなくても文句言うなよ」
「サンキュー!高耶ぁ!」  

高耶に抱きついてキスでもせんばかりの勢いで顔を近づけた時。

「何をしてるんだ!」  

心臓が口から出るほど驚いた直江が飛び込んで来た。高耶に貼り付いている千秋を引っぺがして、大声で怒鳴った。

「この人に手を出すな!」
「違うって、直江〜!」  

誰が何を言おうが耳にも入らないほど怒っている直江を猫村さんが制した。ガリッと。

「痛っ!」
「いい加減になさいな、直江さん。さっきから高耶さんも千秋さんも違うって言ってるじゃないですか」
「……猫村さん……」
「高耶さんがキツネさんと話せるかもしれないってことで、千秋さんは喜んでただけです。高耶さんが自分だけのものだと思うのは勝手ですけどね、ここにはたくさんの人が住んでるんですよ。高耶さんはその管理人で、皆さんに慕われているんですからいちいちヤキモチなんか妬いてもしょうがないでしょう」
「すみません……」  

猫村さんに引っ掻かれ、お説教までされてやっと静かになった直江に一同安心して、事情を説明した。

「はあ、なるほど。高耶さんだったら出来るかもしれませんね。器ですか。いい表現ですね」
「だから明日にでもオレ行ってみようと思ってさ」
「私も行きます」
「直江は敷地にさえ入れないじゃんか。意味ないから来なくていいって。仕事も溜まってるんだろ?」  

最近、直江に時間を割いてもらってばかりいるのが悪いと思った高耶としては、気を使ったつもりが直江にはそう聞こえなかったようだ。

「邪魔だと……?」
「邪魔なんかじゃない。でも敷地に入れないんじゃ」
「入れなくても高耶さんをそばで見守ることは出来ます。危ないと思ったらそう言うことだって出来ます。私があなたと一緒に行かないで何が恋人ですか」  

猫村さんと千秋がいる前での恥ずかしい発言も、この男なら平然とやってのける。困ったのは高耶の方だったが、これ以上直江を不機嫌にしたらもっとひどい失言をしてしまうことだろう。

「じゃあ明日、一緒に行こう。千秋も来るだろ?」
「それこそ俺が行かないでどうすんだっての」
「だよな。タヌキも連れて行けたら一番いいんだけど……あいつ、どこ行ってるんだろ」  

高坂は外せない授業があるとかで行けないそうだ。これを逃したら留年してしまう、と。だったら最初から探偵舎など作らなければいいのに、と高耶も直江も思ってはいたが口には出さずにいた。

「なあ、猫村さん、タヌキを見かけたらオレの部屋に来いって伝えておいてくれるか?」
「いいですよ。代わりにと言ってはなんですが、高坂さんには私が直江さんを引っ掻いたことは黙っててもらえませんか?」
「なんで?」
「私が暴力を振るったなんて高坂さんに知れたら幻滅されてしまいますからね」
「……わかった」  

猫の妖怪とは言え乙女心は複雑だ。好きな高坂には醜聞を聞かせたくないのだ。

「さあ、高耶さん。夕飯の支度を終わらせないと間に合いませんよ」
「あ、そーだった!やっちまおうぜ」  

せっかくいるのだからと言って千秋と直江にも支度を手伝わせて準備が完了した。  



今夜も直江は高耶の部屋にいる。無線LANを導入してから毎日、どちらかがどちらかの部屋にいるのが当たり前になってきている。

「千秋さんが高耶さんに抱きついているのを見たら、目の前が真っ白になりましたよ」
「そりゃオレだって直江が誰かと抱き合ってたらショックだけどさあ、相手は千秋なんだぜ?どこをどう間違えばそんな想像出来るんだよ」
「相手が誰であろうが間違えた想像します」  

胸を張って言われてしまった。
高耶に対する独占欲が強いせいと、そこまで愛しているからだとはわかるが、恥ずかしいことには違いない。照れ隠しに話題を変えようと、高耶は直江の仕事の話を持ち出した。

「そろそろちゃんと仕事しろよな。締め切り過ぎて編集者が徹夜で見張りなんて、他の下宿人に睨まれるぞ?」
「わかりました、しっかり締め切りに余裕を持って仕上げますから」  

聞いてみると直江は締め切り一週間前には原稿を渡しているそうだ。しかも手直しをした後に渡しているのだからよっぽどのことがない限りは締め切りを過ぎることはない。

「自分の中だけで締め切りを早めてるんです。そうすれば編集に急かされることはないし、次の原稿も早くに手をつけられるでしょう?」  

何かに追われたり急かされたりするのが嫌いらしく、子供の頃から何でも早めに片付けていたそうだ。

「なんでそんなふうになったんだ?」
「何をするにも遅かったからです。例えば動作とか。勉強も運動も苦手ではないのですが、親の影響でなんでも丁寧にやってしまうので、靴を履いたり、服を着たり、掃除をしたり、そんな日常的な動作が遅くて、人よりも早めに準備をしないと不安になってしまうんです。その癖が今でも続いていて」
「……それでか」
「それでか、とは?」
「いや、べつに」  

だから体の関係を持つのも遅いのかと高耶は思った。動作とは違うが、高耶のことも丁寧に愛していっているということだろう。単に今の関係が楽しいからというのもあるが、それだけで大の大人が手を出さないなんてあるわけがない。
高耶を大事に思ってのことだ。  
それが嬉しくて、気分が高揚する。このまま部屋で過ごすのはもったいない。

「なあ、直江。散歩しに行かない?」
「外、寒いですよ?」
「じゃあ手を繋いで」  

夜ともなれば凍えるほどの季節だ。そんな中を歩きたいと言う高耶の和やかな気持ちに応えて、厚着をして出るならと条件をつけて仰木荘を出た。
マフラーを巻いて、暖かなインナーの上にダウンジャケットを着せて。直江もムートンのジャケット姿だ。

「月がきれいだな」
「ええ、星も、今日はよく出てる」
「都会って星が少ないけど、空が澄んでる夜はアンドロメダ星雲の明かりも見えるって知ってた?」
「いえ」
「たま〜に見えるんだよ。驚いただろ」  

都会の夜空は星が少ししか見えないものだと思っていた直江に高耶が新しい発見を教えてくれる。

「すばるだってちゃんと見える」
「知りませんでした」
「悪くないだろ?」
「ええ」  

ホコホコした気持ちのまま黙って手を繋いで歩いていると、いつの間にか東堂のアパート裏まで来ていた。
この近所は裏道が多くて、ちょっとでも知らない道に入るとどこかの建物の裏に出たりするから面白い。それだけ道が入り組んでいて、住宅や商店が密集しているということだ。

「お稲荷さんの祠だ」  

柵の向こうにアパートの建物があり、その手前に小さな祠が見えた。

「あそこにキツネさんがいるんですね」
「試しに呼んでみよっか」
「……大丈夫ですか?明日にした方が良くないですか?」
「大丈夫だろ。じいさんとも話してたみたいだし。それに今も直江がいるからさ。千秋がいても仕方ないけど、直江がいればなんか大丈夫な気がする」  

直江を信用しきったセリフを言うと、当の男は眉を下げて嬉しそうに「ではどうぞ」と答えた。高耶の頼りになれるのは自分しかいないと自覚している。  
高耶が小さな声で「キツネさん、仰木ですけど」と呼んでみた。仰木と名乗れば祖父と間違えて出てきてくれるかもしれないからだ。

「キツネさ〜ん」
「何か用か」  

しわがれ声が聞こえたと思ったら、祠の扉が開いて神主姿の小さなキツネが出てきた。ほんの十センチほどか。

「……キツネ、さん?」
「そうだが何か?……む、その気配はこの間来た仏教徒だな」  

直江のことを言っているらしい。眉間の皺が深く刻まれる。

「いえ、呼んだのは私ではなく、こちらのたか……仰木さんで」
「おお!仰木の!」  

キツネは昔から仰木老人を「仰木の」と呼んでいた。ずいぶん江戸言葉に慣れた神様である。

「あ、すんません。オレ、じいさんじゃなくて、孫の高耶っていうんです」
「じゃあお前は高の字か?」  

どこかで誰かにそう呼ばれていたような記憶が甦る。「たかのじ」なんて呼び方をされたのはいつのころだったか。

「た、たぶんオレが高の字ですけど……」
「元気だったか?あの頃は小せえガキだったのがでっかくなったわけか。すまねえなあ。わしゃ目がもう悪くなっちまって姿形がほとんど判別できなくてなぁ。高の字の顔も見られねえんだ」  

目が悪くなったのはタヌキから聞いていると言うと、嬉しそうに笑ってフワリと浮き、高耶たちがいる柵の所まで飛んできた。

「お、近くで見りゃ本当に高の字だなぁ。相変わらず目が輝いてるなぁ」
「……オレ、小さい頃に会ったことありますか?」
「何度も来たじゃねえか。仰木のと一緒に。あの時のかんぴょう巻と稲荷寿司がまた格別にうまかったぞ」  

記憶を辿ってみると、小さい頃に仰木荘に遊びに行くたびに「お稲荷さん行くよ」と祖父に連れ出されていた。途中の花寿司で稲荷寿司とかんぴょう巻をふた包み買って、ひとつはお稲荷さんの祠に供え、もうひとつは前田老人と祖父と分け合って食べていた。それを言っているに違いない。

「高の字が持ってきた稲荷寿司のせいで、あれしか食えなくなったじゃねえか。おかげでここ最近の稲荷寿司のまずいこと、まずいこと。コンビニとかいうところにある稲荷寿司はダメだな」  

花寿司とコンビニの助六弁当では格段の差が出てしまう。いきなりコンビニの稲荷寿司など供えられたらグルメで評判のキツネが怒って当然かもしれない。

「また買ってきとくれよ」
「それが……花寿司のおじさんが病気で、しばらく店は休みなんだって。だからコンビニので我慢してくれないかな?」
「我慢できたら住人に祟ったりしねえよ」  

直江と顔を見合わせて、他の店の稲荷寿司ではやっぱりダメなのかと諦めの溜息をついた。

「だいたいこちとら目が悪くて、何かを見る楽しみもなくなってるんだ。お供えに来てる人間の顔もわかりゃしねえ。それじゃちっとも楽しくねえんだよ。わかるか?」  

ただ稲荷寿司が気に入らないだけではないようだ。何かを見る楽しみ?じゃあ見られたら楽しみが増えると、そういうことなのだろうか。

「何見て楽しんでんの?」
「そらおめぇ、この裏道を通る子供たちだの、じいさんばあさんの元気な顔だの、仲のいい夫婦だのだ。そのためにわしがここに奉られてるんじゃねえのかい」
「そっか……」
「ま、稲荷寿司がねえならねえで、もっとマシな稲荷寿司を寄越せと前田の家の者に言っておいてくんねえか?それで祟りは終わらせてやるからよ」
「うん、それだけでいい?」
「また何かあったらタヌキにでも伝えてもらうとするか」  

そう言い残して光の玉になってしまった。目の前でキツネ色の光がポウッと浮かんでいるのを高耶と直江は不思議そうに見ている。

「そこの仏教徒」
「え?私ですか?」  

光の玉になってもまだ会話は出来るようだ。さっきのキツネの声が直江を呼んだ。

「おまえだけは特別に敷地に入れてやるから、今度からは裏から見るだけじゃなく表玄関から入って来い」
「は、はい。ありがとうございます」
「名前は?」
「直江、です」
「……直の字だな」  

それだけ言って光は祠に入って行き、もうそれ以上はなんの反応もなかった。

「……なんか……一件落着?」
「そのようですね」
「あははっ。帰ったら千秋たちに教えてやろうぜ。稲荷寿司のうまいのをお供えすればいいだけだって」
「そうしましょうか」  

二人はまた手を繋いで夜道を歩いた。キツネが怖くなかったどころか優しかったことを話しながら、裏道から大通りに出る。 コンビニを見つけて温かい缶コーヒーを買って飲みながら下宿への道をゆっくり歩いて帰る。
コンビニの棚に稲荷寿司が陳列されていたのには苦笑いしてしまったが。

「高の字と、直の字だってさ」
「面白いキツネさんでしたね」
「ああ、ウチのじいさんみたいな感じだったな。あれならじいさんと仲良かったのも頷ける」  

思っていたよりも怖い神様じゃなくて良かったと直江は内心ホッとしていた。これでもし高耶に危害を加えるような相手だったら神だろうが対決してやると覚悟をしていたのだ。

「高耶さんにはいつも驚かされます」
「なんで?」
「私に出来ないことをサラリとやってのけて、ケロッとした顔で何でもないように話すから」
「そうか?」
「はい」  

じゃあ、と言って高耶が立ち止まった。どうしたのかと直江も立ち止まるといきなりキスをされた。

「たっ」
「帰ろ?」
「……またやられました……」  

ケロッとした顔で笑って、直江の手を引っ張って仰木荘へ戻った。  




帰宅した高耶たちから話を聞いた千秋と高坂は小躍りして喜んだ。面倒がなくなったのが一番嬉しそうでもあった
。相変わらず他力本願が見え隠れ、どころか、丸々見えている。  
さっそく東堂に電話を入れてみることになり、高耶の目の前で携帯電話を使って話した。通話を切ると千秋が少し不思議そうな顔をしている。

「なんかさ、嬉しいはずの報告なのに残念そうだった」  

それもそのはず、東堂は直江に一目惚れをしていて、きっと明日は直江に会えると期待していた面もあったはずだ。そのために残念そうだったのだろう。

「トラブルがなくなったのにおかしいよな?」
「あ、いや、気のせいじゃないか?」
「そうかな〜?」  

とりあえずこれで一件、依頼は完遂したことになる。  
千秋たちが戻って二人きりになった管理人室で、高耶がなんとなく膨れっ面をしているのに気が付いた直江。そんな顔をさせるような事態になっていないはずなのに、高耶の機嫌はあまり良くない。
さっきまでキツネと和解できたことを喜んでいたのに。

「高耶さん?」
「……こういうの嫉妬ってゆうんだよな」
「嫉妬、ですか」  

直江と目を合わせないまま小さな声で高耶が話し始めた。

「別に直江が東堂さんのこと好きなわけじゃないのにさ、勝手に片思いしてるだけなのに気に入らないんだよ。オレの直江に何勝手に惚れてんだよって」  

言葉が出るたびにどんどん小さくなっていく高耶の背中が可愛くて、思わず抱きしめそうになる。しかしそれを今やっても高耶の中の自己嫌悪が益々大きくなっていくだけだろう。

「わかってるならいいじゃないですか。高耶さんが私の恋人で、他の誰も割り込む余地なんかないんでしょう?いつもそう思ってくれてますよね?」
「……割り込む余地なんか……あるかも知れないし……。だから不安てゆうか。東堂さんだけじゃなくて、さ。直江がモテるのを知ってるだけに、毎日幸せなんだけど不安も押し寄せてくるってゆうか……」
「何をバカなことを言い出すやら。私にとっての高耶さんは世界中で一番特別な相手なのに。あなたには伝わっていないんですか?」  

絶対に伝わっている自信があっての質問だった。そうでなければ直江の自信も喪失してしまう。
「伝わって……るけど……実際に目の前で直江に一目惚れしてるとこを見たから……」
「でも」  

心をこめて誠心誠意伝えよう。高耶の目を見ながら直江が優しく微笑む。

「あなたはちゃんと私の中身を知った上で好きになってくれたでしょう。見た目や職業で決めたわけではないでしょう?それが大事なんだと思いませんか?そうやって好きになってもらったからこそ愛することに意味が生まれると私は思うんです。あなた以上に愛したい人はいませんよ」  

さっきまで不安で泣き崩れそうだった高耶の顔に赤みが差して、嬉しくて仕方がないといった表情で直江に抱きついてきた。

「やっぱ直江が好き。絶対オレのもの」
「はい」  

うまく伝わったようだ。相手に心を尽くせば理屈などなくてもわかってもらえる。二人の心は理屈などではないから、そんなものは逆に邪魔なだけかもしれない。

「今夜は一緒に夜更かししましょうか」
「そうだな。でも明日も朝飯作らなきゃいけないから、十二時が限界かも」
「それで充分です。あなたと一緒に過ごせるなら」
「オレも」  

直江の腕の中で何を話すでもなくうっとりとした時間を過ごした。またこれで管理人室のハートマークが増えたんだろうな、と高耶は思う。
タヌキのようにそれを感じ取れるようになったら面白いかもしれないとクスクス笑った。

「なんですか?思い出し笑い?」
「タヌキがさ、この部屋によく平気で他人を入れられるなって言ってたんだ」
「はあ?」
「オレと直江の好きってゆう想いが充満してて気持ち悪いぐらいなんだって」
「気持ち悪いって……ちょっと気になる表現ですが、そんな想いが感じられたら、きっと私は嬉しすぎて狂い死にしますね」

それは困る。直江に死なれたら生きていけないかもしれない。

「ダメ!そんなら充満させたくない!」
「冗談ですよ」
「何が冗談なんだよ!嬉しくてってゆうのが冗談か?それともそんな想いなんかいらないってことか?」  

思い切り勘違いをしてしまっている天然さは愛する長所でもあるが、そんな勘違いをされたままでは直江が困る。

「死ぬっていうところが冗談ですってば。嬉しすぎても狂い死にはしません。これからもっともっと愛していきたいのに」
「……そっか……ならいいけど……」
「長生きして私の本気を見てもらいますから」
「うん」  

そうこうしている間にまもなく十二時になる。アパートの住人はまだほとんどが起きているようだが、高耶たちは眠ることにした。
管理人室の寝室に二組の布団を敷いて、手を繋いで横たわる。

「くっついて寝たい」
「どうぞ。私を温めてください」

直江から高耶の布団に引越しをしてきた。いつもだったら高耶が動くのに、今夜は直江から。高耶の嫉妬を解消できるようにとの配慮だ。
いつだって自分が高耶を求めているんだと気付いてもらうために。

「キスも」
「はい」  

おやすみのキスをして、高耶を腕の中に閉じ込めた。朝までどころか朽ち果てるその日が来る時までのつもりで。




あれから東堂は体調も部屋も元に戻り、順調な毎日を過ごしているらしい。
後日、お礼にと高耶と直江に近所の有名パティシエのケーキを持ってきた。  
その時に直江が見た限りでは命の火も元に戻っていた。顔色も良く、困り果てていた頃とは見違えて明るく美人だった。しかしそんなことで直江の心が揺れるはずもなく。  
経過を聞きたかった直江が高耶の許可を得て食堂に通した。当然高耶も付き添う。やはりずっと直江に見蕩れていたが、高耶は愛されている自信を持ったせいか嫉妬をしなかった。

帰りがけ、東堂は高耶にそっと耳打ちをした。

「直江さんて、恋人いるんですか?」  

高耶と直江がそんな関係だと知らないのだから、高耶に協力を仰ごうとしたのだろう。

「いるよ。すっげー好きなんだって」
「……失恋かあ」
「東堂さんぐらい美人だったら若くてかっこいい彼氏なんかすぐ見つかるから大丈夫」
「そう?じゃあめげずに頑張る。かっこいい彼氏捕まえてみせるわ」  

日々の不安が消えて元のさっぱりした性格が前面に出てきたらしい。落ち込まずにいてくれた東堂に少し感謝した。  
頭を下げて帰って行った東堂に手を振って玄関で別れた。直江がなぜか高耶をじっと見ている。

「なに?」
「何を内緒話してたんですか?」
「嫉妬?」
「嫉妬です」  

お互いにくだらないことで嫉妬をしているとわかって高耶が笑った。

「なんですか?」
「直江に恋人いるのかって。だからいるって答えただけ。なあ、根拠のないおかしな嫉妬って、笑い話みたいだな」
「……そうですね」  

玄関先でキスをしてから、いつものように管理人室に引っ込んだ。  




その後の高坂と千秋はと言うと……。
「頼むよ!また依頼が来たんだ!出来ませんなんて今更言えねえんだよ〜!」
「細かいところは俺たちで調べる。だから直江、祓ってくれ」
「…………おまえら……」  

とうとう千秋と高坂を「おまえら」とまで呼ぶようになってしまうほど、直江が優位に立ってきている。
あれからせんざか探偵舎は大盛況で、つまらないデマの証明から失せ物、本格的な除霊までしているが、ほとんどは直江とカラス天狗とタヌキに頼っている。
困った高耶が何度もやめさせようとしたが馬の耳に念仏とはこのことで、やめる気配はどこにもない。

「いい加減にしろよ!直江は仕事があるんだぞ!」
「廃部になってもいいってのか、おまえは〜!」
「知るか!廃部にでもなんでもなりやがれ!」  

そこにしたり顔の高坂が一言、衝撃的な事実を放った。

「高耶。おまえのじいさんも所属してた部だぞ。廃部になったら俺たちどころかおまえも責められるんだからな」
「ええ〜!」  

あの祖父に責められるのは高耶も怖い。妖怪を遠隔操作して嫌がらせをして大笑いするに決まっている。

「……直江の仕事の邪魔にならない程度にしろよな……」
「わかってるって!」  

仕方なく直江を貸し出すことになってしまい、おかげで心配が増えてしまった。危険なのも心配ではある。しかしもっと心配なのは、また東堂のような女性が直江を好きになるかもしれない。それが一番心配だ。
だからと言って毎回千秋たちの面倒に自分が付き合えるほどヒマでもない。

「大丈夫です、高耶さん。仕事優先でやりますから」
「あと女にも気をつけろ」  

目を丸くして驚いた直江は、すぐに意味を悟って囁いた。

「あなたしか見えませんから」  

キツネはどうなったかと言うと、あれからすぐに花寿司のご主人が復帰して好きな稲荷寿司を食べられるようになった。花寿司のご主人は今後病気で仕事を休むことはないだろうとタヌキが言っていたのは、キツネが神力を使って健康を取り戻させたからだ。  

そして祠にもうひとつお供えが増えた。とはいえこちらは高耶と直江の手で祠の中に収められたものだ。  
それは仰木老人のお古の老眼鏡。  
いつまでも人々の笑顔を見ていて欲しいと願いを込めて。

 

 

おわり