オレには小さい頃からナイトがいる。夜のナイトじゃなくて騎士のナイトだ。
うちの裏に住んでる大学教授の息子の直江。それがオレのナイト。
10歳年上の直江はオレが赤ちゃんの頃からそばにいて、オレを守るのが趣味というか義務というか、嫌な顔ひとつせずにいっつもオレをかまってくれた。
赤ちゃんの時から幼稚園まで、近所の子だろうが幼稚園の友達だろうが、オレがいじめられてるとすっ飛んできて守ってくれる。
10歳も年下の子供相手にムキになって説教したり、高校生なのに幼稚園児5人に飛び掛られてボコられそうになって反撃(つっても逃れるために振り切っただけだが)したり、オレを連れて逃げ出したり、そんな感じでいつも守ってくれた。
のぶちゃんは高耶の王子様ね、なんて母さんは言ってたけど、直江は自分をナイトだって言い張った。
王子様は高ちゃんだって。
そんな直江も実はオレをからかっていじめたりしたこともある。つってもオレはからかわれても楽しかったからいいんだ。
いつだってからかった後は優しくしてくれた。
困ったら家庭教師してくれたり、うまくバスケのゴールが出来ない時は直江家の庭にあるリングで特訓してくれたり、大人な音楽CDを貸してくれたり、コンサートの付き添いをしてくれたり、たまに美味しいものを食べに連れてってくれたり。
でも一回だけ直江がナイト引退したこともある。
オレが小学校に入ってガキ大将になったあたりだっけな。
小学校に入ったとき、直江は高校生で部活もやってて(テニス部だったそうだ)受験のための予備校も行ってて忙しかった。
直江の志望は医学部だったからそりゃもう大変な苦労して勉強してたらしい。
忙しい直江に迷惑かけたらいけないって思ってガキ大将になったのに、なったらなったで全然遊んでくれなくなって、隣町の大きい子とケンカしたって助けに来てくれない。
それが悔しくて寂しくて、直江に言ったんだ。
オレの部屋の窓と直江の部屋のベランダは向かい合わせになってて、「こっち見ろ」ってテレパシーを飛ばすといつも気付いてくれたから、その日も直江が勉強してる姿を見ながらテレパシーを送ったんだ。
そしたらすぐにこっちを見て、ベランダに出てきた。
「どうしたんですか?」
「今日、隣町のおおきい子とケンカした」
「怪我は?」
「膝すりむいた。なあ、もう直江は守ってくれないの?」
まだ小学校に入りたてだったオレは甘えた声で聞いたんだ。
「…………高耶さんが必要としてるなら、いつだって守ってあげますよ」
「じゃあ守って」
「はい」
1ヶ月間のナイト廃業期間を終わらせて、また直江はオレのナイトになって、オレは直江の王子様になった。
今じゃオレは高校生で、直江は医学部を卒業して院生になって色々研究してるらしい。
直江のお父さんも医者で、大学の教授もしてて難しい研究をしてるそうだ。ものすごい変わり者のお父さん。
でもオレを息子同然に可愛がってくれて、ちょっとした実験の対象にもしてた。
脳のことが専門の教授だから子供の思考をオレから聞いてどうたらっていう実験だ。安全な実験。
「おーい、高耶くーん」
「?」
テスト勉強をしてたらおじさんが直江のベランダにいた。
「なーに?」
「今テスト勉強中なんだって?おじさんが研究所で作ったアメがあるからあげるよ。題して脳アメ」
脳アメ?
「脳の働きを活発にして暗記や回答の能力を引き出すアメだ。安全な食品や漢方薬で作ったアメだから危険じゃないよ」
そう言って直江のテニスラケットにその脳アメがたくさん入った袋を乗せてオレのいる窓に差し出してきた。
「これを舐めながら勉強をするとはかどるから。その代わり一日5個まで」
「5個以上食べると危険なの?」
「そうだな。危険といえば危険かな」
「何?どうなんの?」
「虫歯になる」
「…………じゃあ5個までにしとく……」
おじさんは笑ってからベランダを去った。
今日はこれから直江が家庭教師をしに来てくれる約束だ。相変わらずオレのナイト。
夜8時。夕飯を食べ終わってから部屋で勉強してたら直江が来た。
「今日は数学ですね」
「うん。さっそくやろうぜ。あ、ちょっと待って」
さっきおじさんにもらったアメを食べないと。せっかくの脳アメ。勉強しながらじゃないと効果ないみたいだから。
「それ何ですか?」
「脳アメだって。さっき直江のおじさんにもらったんだ。記憶力とか良くなるって」
「……ちょっと見せてください」
一個渡すと直江はじーっとそれを見た。
「もらっていいですか?」
「え〜。直江が食ってもしょうがないじゃんか。けどそんなに味見したいなら一個やる」
「いただきます」
黒くてニッキの味がするアメを直江は口の中でカラコロやった。
何か考えてるっぽいから、もしかしたら考え事を整理したいとか?だから欲しかったのかな?
「なるほど……これが脳アメですか」
「なあ、もう始めようぜ」
「はい」
数学は苦手だけど脳アメと直江の家庭教師さえあればなんとかなりそうだ。
そういえば、確か幼稚園のころだっけ。直江に字を教わったんだ。
直江んちにお絵かき帳とサインペンを持って遊びに行って、直江とおじさんとおばさんを描いた。
おばさんは「上手ねえ」って言ったんだけど、おじさんは「どれが誰だ?」って言うから何度も指差してコレが誰でコレが誰でって教えた。
なのにおじさんは笑いながら全然覚えてくれない。
悔しくて泣きそうになったら直江が「名前を書いたらどうですか?」って。
「字書けないもん」
「教えてあげますよ。僕の部屋にいらっしゃい」
その頃の直江は自分を「僕」って呼んでた。そんでオレを高ちゃんて呼んでた。
で、直江の部屋に行って字を教えてもらったんだ。
「最初は何て書きたい?」
「のぶちゃん、て書きたい」
「じゃあそれだけまず覚えましょうね」
直江が書いたお手本を見ながら何度もお絵かき帳に「の」「ぶ」「ち」「や」「ん」を書いた。
「上手にかけましたね。じゃあ次は……たかやって書いてみますか?」
「うん!」
たかやたかやたかやって書いてるうちに、直江がふと言った。
「高耶さん」
「……高ちゃんだよ?」
「男の子はいつまでも『ちゃん』をつけてちゃいけないんですよ」
「じゃあのぶちゃんもダメなの?」
「まあ……あまりいいとは言えませんが」
「じゃあオレのこと高耶さんて呼んでいい。オレものぶちゃんて呼ばないから」
それから直江のフルネームの平仮名を教えてもらった。なおえのぶつな。
「のぶちゃんは直江ってゆーんだ?」
「そうですよ」
「ん〜、じゃあ直江って呼ぶ」
「………………はい」
たくさん書いて、たくさん字を覚えた。
覚えるのが早いって褒めてくれて、ご褒美ですってデコにチューされた。
「チューよりジュースがいい」
「そ、そうですか……じゃあジュース持ってきますね」
直江はオレが赤ちゃんの頃から何度もチューしてきた。可愛い可愛いって言って、ほっぺたを突っついた後は絶対にチューだ。
高ちゃんのほっぺは大福みたいって言ってたっけ。
今じゃ大福の面影もない普通の男子高校生のほっぺたになったけど。
「高耶さん?」
「あ、うん」
昔のことを思い出して集中力が途切れたらちょっと叱られた。
数学は苦手科目なんだからしっかりやれって。
せっかくの脳アメもこれじゃ無駄になっちまう。気をつけないと。
「じゃあ今から集中して10問解いたら終わらせましょうか」
「おう!」
アメを食べながら10問を終わらせて採点したら、なんと全問正解。
アメの威力と直江の家庭教師は最強だな!
「おおおお〜」
「これなら数学も安心ですね。アメの効果あったってことでしょうか」
「だよ!おじさんってすっげーな〜!さっすが教授!」
「……人間性は問われるところですが、優秀ではあるんでしょうね」
おじさんは何個も賞をもらってる天才だ。直江の家の中には楯や賞状がいっぱいある。
世界的に有名な脳の研究者らしい。
直江はというと、おじさんと同じ脳の研究はしてなくて、遺伝子だか生体だかよくわからないけど難しい研究をしてるそうだ。
「直江も病院の先生にはならないのか?」
「ええ。私も研究者になりますよ。治す医師も素晴らしい職業だと思いますが、研究する人間がいないと新しい薬も治療法も出来ませんからね」
「立派だな〜」
オレなんか何したいのかもサッパリわからないのに、直江は高校に入る頃には医者になるって決めて医学部の受験勉強を始めてたんだから。
「では私は帰ります。高耶さんもお風呂に入ったらすぐ寝るんですよ?」
「え?」
「もうそろそろ11時ですから。睡眠と食事は勉強のために充分とらないとダメです」
「ホントだ。もう11時なんだ。ありがとな」
「また明日も来ますね」
「トーゼンだろ」
おやすみなさいって言って出てった。それから数分後、直江の部屋に明かりがついた。
テニスラケットと腕を足したぐらいの距離にナイトは住んでる。これなら毎日安心だ。
テストは家庭教師と脳アメのおかげで今までより平均14点も上がった。
両親はもちろんのこと、直江もおじさんも喜んでた。
証拠の答案を持って直江んちに行って報告だ。
「高耶くん、すごいなあ!」
「おじさんのアメのおかげだってば〜」
「そうかそうか、そりゃ何より。どれどれ、見せてみなさい。数学は80点、国語は76点、英語が72点、か。ふむふむ」
メモってる……。もしかして脳アメって実験だったってことじゃ……!!
「実験?!」
「はははははは」
乾いた笑い声を上げたってことは実験だったんだな……脳アメの実験かよ……
「お父さん、また高耶さんを実験に使ったの?!」
おばさんがいきり立って怒ったのを直江が止めた。
いつもだったら直江が一番に怒るのに……。オレよりお父さんの実験の方が大事だってことかよ。
ムカつく。
「高耶さん、大丈夫ですよ」
「なにが」
「あのアメはただのニッキ飴ですから」
「……へ?」
おじさんは直江に向かってビックリした顔を見せた。
「なんでわかったんだ?」
「高耶さんに一個もらって食べた時わかったんですよ。たまにお母さんが買ってくる飴だってことが」
「さすが我が息子……鋭いな」
「まあ食べてすぐにわかりましたが……きっと今回は高耶さんの『思い込み』を利用して成績が上がるかを実験したいんだな、と思いまして黙っていました」
そ、そうなのか。まあアメのおかげで頭の回転が良くなったような気もしなくもないから効果はあったんだと思うけど、ただのアメだったとは……。
世界的な天才が作ったアメなんだから効くんだろうなって思ったオレの単純さがなんだかな〜。
「ごめんなさい、高耶さん」
「ん〜、いいよ。結果的には成績上がったんだし」
「お詫びに私が高耶さんの好きなものをご馳走しますから」
おお!やった!
成績上がった上に直江とご飯だ!何にしよっかな〜♪
「んっと、えーと、じゃあ味噌ラーメン!」
「はい」
そーゆーわけで今日の夕飯は直江と味噌ラーメンを食べに行くことになった。
着替えて家を出て、直江オススメのラーメン屋がある繁華街まで電車で行った。
「ラーメンの前に色々見て行かない?服とか雑貨とか見たい」
「いいですよ」
でかい電化製品屋とか、デパートとか、CDショップとか、そうゆうところをブラブラした。
直江は研究所で使うCD−R買ったり、新しい服を買ったりしてた。
「高耶さんは買い物しなくていいんですか?」
「お金ないもん。バイトもしてないしお小遣いも使っちゃったしさ〜」
「じゃあお詫びとは別に、成績が上がったお祝いに欲しいものあげます」
「……欲しいもの?なんでもいいの?」
「ええ、なんでも」
欲しいもの、欲しいもの……なんかあるかな〜?オレって食欲はあっても物欲ないんだよな〜。
ケータイだって欲しかったわけじゃなくて、高校の入学祝に父さんが買い与えただけ。
学校で使う文房具だって中学生の頃に買ったやつそのまま使ってる。
服も母さんが勝手に買って来てるのを着てる。
最新の電化製品も説明書を読むのが嫌いだから欲しいと思ったこともない。
「うーんうーん」
「あの、ないようなら別に無理しなくても……」
「ダメ!せっかく直江が買ってくれるって言ってんだから!」
「じゃあ食べ物にします?ラーメンの後に豪華なデザートなんてどうでしょう?」
「食べちゃったら終わるものはヤダ」
どうせなら残るものがいいんだよな。直江が買ってくれるんだもん。
「今日じゃなくてもいいですよ。いつだって」
「考えておく」
そんでラーメン屋に。直江オススメのラーメン屋は普通の中華屋だけど美味くて、注文した味噌ラーメンも超うまかった。
今はいろんなラーメン専門店があるけど、そういう奇抜なラーメンじゃなくて普通のが一番いい。
「うまかった!ごちそうさま!」
「良かったですね」
帰り道、駅から家まで暗い道を歩いて帰った。
「高耶さんは予備校や塾には行かないんですか?」
「うん、勉強で困ったら直江が来てくれるから」
「じゃあ夜道の心配はありませんね」
「あ〜、でもこの前、学校の友達とカラオケで盛り上がって10時ぐらいになったことがあってさ。そしたらこの先の細い暗い道で変質者に会ったよ」
「え?!」
「振り切って逃げたけど怖かったな〜」
コートを脱いだら全裸だったハゲオヤジだって説明したけど直江はまったく聞いてないっぽかった。
なんか知らないけど直江がグルグル考えだしてる。独り言ブツブツ言ってる。
「た……高耶さんに変質者……。私はどうしてそんな危険なことを見逃してしまったんだ……高耶さんは私が守ると心に決めているのに……そうだ!高耶さん!」
「なに?!」
「成績アップのお祝いの欲しいもの、もしないのだったら私の送り迎え券なんてどうですか?」
「なにそれ」
「高耶さんの帰りが遅くなった時に絶対に迎えに行くって約束の券です。100枚つづりで渡しますよ」
……なんで?なんで送り迎え?
それにどうして100枚もつづってくれちゃうの?多すぎない?
「い、いいよ、そんな面倒なこと」
「でも私は高耶さんのナイトですから」
「研究所に泊り込みの日は?」
「抜け出します」
「直江が寝てたら?」
「高耶さんの電話に出なかったことが一度でもありますか?」
そーいえばないな。電話には絶対出る。
「けどいいって。迷惑かけるもん」
「私の気が済みませんから!」
「いいよ!」
「よくないですよ!」
しつこい!!
「そんなら成績アップのお祝いはケーキでいい!なんちゃらゆう有名なケーキ屋の一番高いケーキがいい!」
「…………そうですか……私のお迎えよりもケーキの方が……」
「あ……」
直江のお迎えの方がいいけど、仕事中に抜け出してまで来て欲しくないもん。
疲れて寝てるのに起こしたくないもん。
「そろそろ本格的にナイトを引退すべきなんでしょうね……高耶さんも大人になっているのだし……」
「ちが……そうじゃなくて……直江のナイトは……」
直江がいなくなったら困る。家庭教師なんかじゃなくて、直江が守ってくれなきゃ寂しいから困る。
オレ、幼稚園の頃とまったく変わらないんだな。
「じゃあケーキ、明日買ってきますね」
「え……ケーキ……ちがくて……いらないから」
「でも」
どうしよう!直江がいなくなっちゃう!ナイトじゃなくなっちゃう!
「あ!そうだ!ケーキじゃなくて欲しいものあった!」
「なんですか?」
「券……直江の一生ナイト券が欲しい!!」
うわ!オレってバカじゃん!そんなの直江にもっと迷惑かけるかもしれないのに!
直江が結婚しちゃった暁には券だって自動的に無効になるかもしれないのに!!
「一生の……ナイト券?」
「う……」
「一生?」
「うう……」
オレのバカ〜!!そんなのダメに決まってるのに〜!!顔上げられないよ〜!
「高耶さん!」
道端で急に抱きしめられた。夜だから誰もいなくて大丈夫だ。
ん?大丈夫?って?何が?
「一生、あなたのナイトでいさせてください!」
「う、うん。え?一生?いいの?」
「はい!!」
「そりゃやりたいなら……」
「高耶さん!」
昔みたいにオデコにチューされた。まだ子供扱いなのかもしれないけど、嫌じゃないし嬉しい。
直江のナイトは健在ってことだもんな。
「高耶さんを守るのは私の生き甲斐ですから。これからもよろしくお願いします」
「うん!」
「さ、帰りましょうか」
嬉しそうにウキウキして手を繋がれた。久しぶりに直江と手を繋いだな。
いつの間にかオレの手も大きくなってて、幼稚園の頃と違ってる。昔は直江の手の中にスッポリ入ったのに。
背だって直江の腰ぐらいしかなかったのに今じゃ10センチぐらいしか違わないし。
でも直江がナイトでいたいって言うなら甘えておこうっと。
次の日、夜遅くに直江からケータイに電話が来た。
『窓開けてください』
「ん?」
窓を開けると直江がベランダに出てテニスラケットを持ってた。
これはおじさんが脳アメくれたシチュエーションに似てるんだけど……。
「どしたの?」
「これ、受け取ってください」
ラケットに乗ってこっちの窓に届いたのは一枚の封筒。
「開けてみて」
「うん」
だいたい予想はついてる。ほら、やっぱりナイト券だ。
「マジで作ったんだ?」
「ええ、証拠の品が必要でしょう?」
「必要じゃないっての。別に口約束だけでいいのに」
「そうはいきません。証文ですから大事に持っていてくださいね。いつだって有効ですからね」
オレは直江がナイトでいてくれるなら何でもいいんだ。オレのピンチになったら来てくれたり電話で話を聞いてくれたりするだけでも。
けどこういうのは形も大事なのかもな。
「ありがとな」
「どういたしまして」
「じゃあ明日、さっそく使う。明日は友達とまたカラオケの約束だから、帰りに迎えに来て。電話する」
「はい」
きっとたいしたピンチなんかオレには来ないだろうけど、直江がずっとオレのナイトだ。
一生券だから一生ナイトだ。
ずっとずっと独り占めするんだ。
「直江、大好き!じゃあおやすみ!」
「え?高耶さん?高耶さん?!」
窓閉めて聞こえないふり。オレの告白が直江にちゃんと理解されたかわからないけど、今はこれでいいや。
直江が今ので寝不足になったかは明日のお迎えで確認しよっと。
王子様はナイトを独り占めだから覚悟しとけよ!
END |