清正心残り |
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宿毛砦から数キロの山奥に廃旅館を利用した赤鯨衆の演習合宿所があった。 今日はここに高耶の隊と、それを視察に来ていた嘉田がいた。
演習は午前と午後の二部構成で、午前中は指揮を取っていた高耶も午後は隊員と一緒になって山を走り回っていた。 「大丈夫か、仰木。おんし、顔色悪いぜよ」 嘉田の部屋から出て、廊下ですれ違った若い隊員に泥だらけの上着を洗濯しておいてくれ、と言って渡し、そのまま食堂に向かった。 あの図体のでかい男が隊員に給仕をしていた。 「黒い神官が平隊員に冷たい表情で給仕……か」 疲れ果てた高耶はその給仕の列に並ぶ気すら起きず、食堂の隅のテーブルについた。 「お疲れ様です、仰木隊長」 ともすれば眠ってしまいそうな自分を内心叱咤しながら、ひとつめに手をつける。 「おまえは?食ったのか?」 見られながら食べるのはなんとなく恥ずかしい。直江の視線を感じないように意識しながら、少し早めに全部を食べた。 「じゃあ、食器を片付けてきます。少し話があるので、ここで待っていてください」 直江が食器を持って厨房の方へ行く時、誰かの視線を感じた。 「……清正……」 嘉田にこれからの方針について話があったのだろう。昼過ぎ、遠くにヘリの音がしていたが、それが清正だったらしい。 横目で一瞥してから、おまえには用はないとばかりに直江は高耶の元に向かった。 「……隊長?」 高耶は満腹になったせいで眠ってしまっていた。 「風邪引きますよ?」 半袖のシャツと紺色のアーミーパンツだけの格好では、この山奥では寒いぐらいだ。 寝顔を見つめていようか、それとも今のうちに自分も食事を済ませてしまおうか、迷っていると清正が来た。 「なお……橘」 清正も直江も今のこの食堂の喧騒の中ではそう目立たない。おかしな組み合わせだとは誰にも思われずに外へ出ることができた。 旅館の外へ出て、人気の無い丘へ登った。 「……おまえが景虎に握り飯を渡すのを見て、大事なことを思い出した」 清正は幼名を虎之助と言う。 「まだなんの功績もあげられなかった頃、わしはああして握り飯を手渡されたことがある。死ぬんじゃないよ、生きて戻るんだよ。あんたがいなくなったら、あたしは泣くからね、と言われながらな」 清正はほんの少し目を潤ませていた。それが夕日のせいなのか、思い出のせいなのかは直江にはわからなかった。 「誰にだ?」 おねね様とは、秀吉の正室で北政所、のちに高台院と呼ばれた女性だ。秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていたころからの糟糠の妻だ。 「優しい人だった。わしにとっては母も同然。いつもわしに大きな握り飯を作って、出陣前に食わせてくれた。少しでもわしが無理をすると叱ってくれて、だがとても温かく、愛に溢れた人だった」 清正には自分がそのおねね様と同じく、高耶にぬくもりを注いでいるように見えたのだろうか。 「どうしてわしは、それで、それだけで良かったのだと気が付かなかったのだろう」 直江には意味がわからない。清正の言わんとしているのは一体。 「おねね様が自ら釜で飯を炊いてくれた。苦労をしてきた小さな手で、わしのために大きな握り飯を握ってくれた。……今になって、わしは大事なものを知った……。どうしてそれだけで良いと、思えなかったのだろう……」 夕日のせいではない。清正はまっすぐに雲を纏った消え行く夕日を見つめながら、涙を零した。 「……つまらん話をしてしまったな。直江。おまえは」 途中で言葉を切り、やがてすぐに繋いだ。 「景虎に、後悔だけはさせるな」 とても悲しい声だった。とても、とても、とても。 俺はあの人に、それだけで良かったのだと、思わせることが出来るのだろうか。
高耶が寒さで目覚めると、肩に見覚えのあるジャケットがかかっていた。あの男の匂いがする。 黒いジャケットを着ながら隊員たちのそばへ寄り、声をかけた。 「橘、知らないか?」 一歩、食堂を出るとそこに探すつもりだった直江と、意外な人物、清正がいた。 「よう、景虎」 それだけ言い残して清正は嘉田のいる部屋に続く廊下を歩き出した。 「なんだ?あいつ……」 不思議そうにして清正の背中を見つめている高耶と、眉を寄せながら見つめている直江。 「話があるんだろ?なんだ?」 直江のジャケットを着た高耶の背中を押して、直江はしんとした廊下を歩き出した。
END |
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なんとなく書きたくなった |
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