清正心残り




 
         
 

宿毛砦から数キロの山奥に廃旅館を利用した赤鯨衆の演習合宿所があった。
ぶっつけ本番の戦闘ではなく、何度も作戦を練ってから入りたい戦闘の場合は地形を利用して作った演習場と、合宿所を使って数隊が演習をする。

今日はここに高耶の隊と、それを視察に来ていた嘉田がいた。
それと、嘉田に用事があって来ていた直江も。

 

演習は午前と午後の二部構成で、午前中は指揮を取っていた高耶も午後は隊員と一緒になって山を走り回っていた。
それが3日間続く。
3日目の午後の演習が終わり、隊員たちは風呂へ入ったり、宛がわれた部屋に戻って眠ったりと、夕飯前のひと時を過ごしていたが、高耶は泥だらけの戦闘服のまま嘉田の元へ行き、今回の演習の穴や作戦の修正を話し合っていた。

「大丈夫か、仰木。おんし、顔色悪いぜよ」
「走り回って疲れただけだ。少し休めばどうにでもなる」
「それならええが……ちょうど夕飯時じゃの。わしはもうちくとやることあるけ、先に行っちょってくれ」
「ああ」

嘉田の部屋から出て、廊下ですれ違った若い隊員に泥だらけの上着を洗濯しておいてくれ、と言って渡し、そのまま食堂に向かった。
疲れたせいかとても眠い。
食べながら寝て、また周りにからかわれるかもしれないのを気重に感じながら、空腹を満たそうと食堂へ向かうと、直江の姿が目に入った。

あの図体のでかい男が隊員に給仕をしていた。
合宿所ということで簡単な食事しか用意されていないが、味噌汁や握り飯を配る直江が高耶には滑稽に見えた。

「黒い神官が平隊員に冷たい表情で給仕……か」

疲れ果てた高耶はその給仕の列に並ぶ気すら起きず、食堂の隅のテーブルについた。
大きな溜息をついてテーブルに突っ伏して、目だけで直江を追う。
すると男は当たり前のように高耶の視線に気付いて、トレイに味噌汁と握り飯と小さな皿の煮物を乗せると周りが驚くほどらしくない笑顔でそれを高耶の元に持って行った。

「お疲れ様です、仰木隊長」
「おう」
「まだ温かいですから、どうぞ」

ともすれば眠ってしまいそうな自分を内心叱咤しながら、ひとつめに手をつける。
隣りの椅子では直江がその姿を親鳥のように見つめていた。

「おまえは?食ったのか?」
「いえ、最後に頂きます」
「そうか」

見られながら食べるのはなんとなく恥ずかしい。直江の視線を感じないように意識しながら、少し早めに全部を食べた。

「じゃあ、食器を片付けてきます。少し話があるので、ここで待っていてください」
「ああ、わかった」

直江が食器を持って厨房の方へ行く時、誰かの視線を感じた。
誰だろう?確かに自分は目立つかもしれないが、ここでは一介の隊員で、注目を集めるほどの人間ではないのに。
食器を置いたらその視線を主を確かめてやろうと思い、洗剤水のたまったステンレスのシンクに放り込むと、さきほど視線を感じた方向にその人物を探した。

「……清正……」

嘉田にこれからの方針について話があったのだろう。昼過ぎ、遠くにヘリの音がしていたが、それが清正だったらしい。
今日の清正は学生服姿ではなく、山奥に来るためのアウトドア仕様だった。
黒いパーカーで隊員たちと変わらない姿だが、やはり醸し出す雰囲気が違う。王者のそれだ。

横目で一瞥してから、おまえには用はないとばかりに直江は高耶の元に向かった。
しかし。

「……隊長?」

高耶は満腹になったせいで眠ってしまっていた。

「風邪引きますよ?」

半袖のシャツと紺色のアーミーパンツだけの格好では、この山奥では寒いぐらいだ。
高耶の上着を探したがどこにもなかった。たぶん泥だらけになったから洗濯にでも出したのだろうと予想をつけた。
直江は自分の黒いコンバットスーツのジャケットを脱ぎ、高耶の肩にかけた。
しばらくこのまま寝かせておいた方がいいだろう、と。
15分ほどしたら起こして、部屋まで連れて行って布団で寝かせればいい。

寝顔を見つめていようか、それとも今のうちに自分も食事を済ませてしまおうか、迷っていると清正が来た。

「なお……橘」
「……清正、珍しいな、こんなところにまで」
「嘉田に筋を通しておきたいことがあってな。しかし、こいつは相変わらず苦労してるようだ」
「しばらく寝かせてやってくれ。……外へ、出るか」

清正も直江も今のこの食堂の喧騒の中ではそう目立たない。おかしな組み合わせだとは誰にも思われずに外へ出ることができた。

旅館の外へ出て、人気の無い丘へ登った。
ここならば誰からも話を聞かれずに済むし、旅館からはこの丘の上は見えない。
夕日が山の合間に落ちようとしていて、その空に山鳥が飛んでいる。巣に帰る帰路なのだろうか。

「……おまえが景虎に握り飯を渡すのを見て、大事なことを思い出した」
「握り飯で、か?」
「ああ……わしが秀吉様と出陣する前のことをな」

清正は幼名を虎之助と言う。
秀吉の親戚関係にあたることで、清正と名乗る前から秀吉の陣にいた。

「まだなんの功績もあげられなかった頃、わしはああして握り飯を手渡されたことがある。死ぬんじゃないよ、生きて戻るんだよ。あんたがいなくなったら、あたしは泣くからね、と言われながらな」

清正はほんの少し目を潤ませていた。それが夕日のせいなのか、思い出のせいなのかは直江にはわからなかった。
黙り込んだ清正に、直江は話の続きを促した。

「誰にだ?」
「おねね様に、な」

おねね様とは、秀吉の正室で北政所、のちに高台院と呼ばれた女性だ。秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていたころからの糟糠の妻だ。

「優しい人だった。わしにとっては母も同然。いつもわしに大きな握り飯を作って、出陣前に食わせてくれた。少しでもわしが無理をすると叱ってくれて、だがとても温かく、愛に溢れた人だった」

清正には自分がそのおねね様と同じく、高耶にぬくもりを注いでいるように見えたのだろうか。
意外にも切ない思い出を持つ清正は、今までに見たこともない柔らかい表情で夕日を見つめる。

「どうしてわしは、それで、それだけで良かったのだと気が付かなかったのだろう」
「?」
「おねね様のあの握り飯だけで良かったのに、どうしてわしは……今、こうして生きているのだろう。そう、思ったんだ」

直江には意味がわからない。清正の言わんとしているのは一体。

「おねね様が自ら釜で飯を炊いてくれた。苦労をしてきた小さな手で、わしのために大きな握り飯を握ってくれた。……今になって、わしは大事なものを知った……。どうしてそれだけで良いと、思えなかったのだろう……」

夕日のせいではない。清正はまっすぐに雲を纏った消え行く夕日を見つめながら、涙を零した。
その声に、後悔の色をはせて。

「……つまらん話をしてしまったな。直江。おまえは」

途中で言葉を切り、やがてすぐに繋いだ。

「景虎に、後悔だけはさせるな」

とても悲しい声だった。とても、とても、とても。
直江の胸が締め付けられる。

俺はあの人に、それだけで良かったのだと、思わせることが出来るのだろうか。

 

 

高耶が寒さで目覚めると、肩に見覚えのあるジャケットがかかっていた。あの男の匂いがする。
すでに食堂には食事係の隊員が最後の食事を摂っている。その中に直江の姿はない。

黒いジャケットを着ながら隊員たちのそばへ寄り、声をかけた。

「橘、知らないか?」
「橘ですか?さあ?どこか行ったみたいですよ。ここにはもうわしらしかおりません」
「そうか。探してみる」

一歩、食堂を出るとそこに探すつもりだった直江と、意外な人物、清正がいた。

「よう、景虎」
「清正。おまえ、どうしてここに」
「別に。そうだな。握り飯を食いに来たってとこか」
「握り飯?」
「ああ、大事な握り飯を、な」

それだけ言い残して清正は嘉田のいる部屋に続く廊下を歩き出した。

「なんだ?あいつ……」

不思議そうにして清正の背中を見つめている高耶と、眉を寄せながら見つめている直江。
清正の姿が廊下の曲がり角で消えると、高耶は直江に向き直った。

「話があるんだろ?なんだ?」
「……俺は、あなたのそばにいるだけで、いいんです……」
「そんなことか。くだらないこと言ってるんじゃねえよ。行くぞ」
「……はい」

直江のジャケットを着た高耶の背中を押して、直江はしんとした廊下を歩き出した。


 

END

 
         
   

なんとなく書きたくなった
清正の話。
私にしては珍しい原作寄り。
ギャグなし。
なんかイマイチだから
そのうち手を加えたいと
思っています。