同じ世界で一緒に歩こう

2006年ホワイトデー

愛してるを聞かせて



 
   


直江信綱、一生の不覚であった。
すっかりホワイトデーを忘れていたのだ。

今年は特に高耶さんからの決まりごとがなかったので、旅行をプレゼントしようかと思っていたのだが、突発の仕事が数件入り、旅行のスケジュールが取れなくなってしまった。
では代わりに何か美味しいものを高級レストランで、と考えたのだが忙しさは私の予想以上で、毎日移動で引っ張り回され、海外にも行かされ、高耶さんは高耶さんで修了制作でなかなか会えないため、私は仕事が終わったら寝る、という生活になっていた。

カレンダーを見る余裕すらなかった私はすっかり、キレイさっぱり、忘れてしまっていたのだ。
思い出したのはホワイトデー当日。日本橋に新しく出来たビルのイベントでショーがあり、その帰りに高耶さんの好きなケーキと、私が読みたかった本を買おうと大手町のとあるビルに行った。
帰りにアパートに寄ってケーキの差し入れをしたかったのだ。あわよくばアパートでラブラブも。

大きな本屋が入っているそのビルに入ってケーキ屋を覗くとスーツ姿の男性でひしめいていたので、先に本を買ってからまたケーキ屋に戻った。
まだ男性がひしめいていたのだが、とりあえず高耶さんの大好きなカマンベールチーズケーキを買うために、スーツ軍団に混じってショーケースを覗き込んだ。

……ない。ケーキがほとんどない。
なんでだ?

そう思ったとき、会計をしている男性が店員に向かって「できればプレゼント用の包装を」と言っているのが聞こえた。

そうか!今日がホワイトデーだ!!
しまった!
高耶さんと約束すらしていない!

「お客様、ご注文は……?」

ショーケースを前に約2分固まっていた私に店員さんが声をかけてきた。

「あ、あの、まだ……」

目の前にあるのは小さなロゼ色のゼリーと、イチゴのショートケーキ。そして運よく残っていたカマンベールチーズケーキだ。
閉店間際ということもあり、それしか残っていない。あとはクッキーが数種。
沈んだ気分のままゼリーとケーキ2種の3品を買い、熱気漂うケーキ屋から寒気で身震いする屋外へ出てタクシーを拾った。

「根津の交差点まで」

運転手さんにそう告げて、シートに背を預けた。ケーキの箱が入った袋は大事に膝の上に。

「奥さんにホワイトデーの贈り物ですか?」
「え?……ええ、まあそんなところです」

タクシーの運転手に話しかけられる確率が高い私は、今日もまた話しかけられた。
大事に持っているこのケーキを目ざとく見つけたのが話のきっかけだったらしい。

「うちも何か買って帰らなきゃマズいんですよね。女房よりも娘がうるさいんですよ」
「そうなんですか」
「クルマ流してる間にどこかケーキ屋でもみつけて買わないと」
「娘さん、おいくつなんですか?」
「12歳です」

高耶さんは20歳だ。
このケーキを以ってホワイトデーで許してくれるのだろうか?
高耶さんに貰ったチョコレートは有名な店の高級チョコレートで、きっと少ないお小遣いから無理して買ってきてくれたものだろうに。

「はあ……」
「どうしたんですか?溜息なんかついて」
「いえその、ホワイトデーは3倍返しって言うじゃないですか。今回はすっかり忘れてたせいで3倍どころか半分返しになってしまったんです。たぶん許してはもらえますが……申し訳なくて」

そう言ったら運転手さんは感心したように「へえ」と言った。

「申し訳ないなんて、優しい旦那さんですね。奥さんはお幸せですねえ」
「そんなことは……」

高耶さんを幸せにしている、という自信は多少だがある。
しかしその何倍も私が幸せにしてもらっているのだ。
だから優しいかどうかは別として、なんだか自分が情けない。

「ホワイトデーだってこと忘れて約束すらしてなかったんですよ。たぶんちょっと怒られます」
「ああ、そうなんですかあ。そういう時はまた別で何かしてあげたらいいんじゃないですか?ウチなんかしょっちゅうソレですからね。結婚記念日なんか毎年忘れるもんだから、女房と娘にたかられ放題ですよ」

タクシーの運転手という時間が不安定な仕事をしているのだから仕方がないと笑っていたが、本当はちゃんとイベント事はしてやりたいのだそうだ。
それが相手に対する感謝の気持ちを表すのに一番ちょうどいい、と。

「だけどそうやって私にたかるのが母子揃って楽しいらしくてね、いつも大笑いしてますよ」

とても温かい家庭を築いているのだろう。私も自然と笑みがこぼれる。

「旦那さんも忙しいんでしょう?話せばわかってもらえますよ。大丈夫ですって」

楽しい話で励ましてもらって私は少しだけ浮上した。

 

 

ドアをノックしたら用心深く「どなたですか?」と聞こえてきた。

「私です」
「直江?ちょっと待ってて。開けるから」

合鍵は持っているが、中に高耶さんがいるのをわかっている時に合鍵を使うのはためらわれる。
うちのマンションと違ってオートロックという第一関門がないアパートではいきなり鍵をガチャガチャされたら驚くに違いないから。

「急にどうしたんだ?」
「あの、差し入れを持ってきたんですが」
「マジ?!やった!お!ケーキじゃん!入って入って!」

箱を奪うようにして持つと、高耶さんは部屋の奥へ行った。
玄関から見えるテーブルにはミシンが置いてある。私が香港で買ってきた布がスカートの形になりかけていた。

「どうですか?終わりそう?」
「まだまだ。スカートと身頃をくっつけてから、次はジャケット作らなきゃ」
「そうですか……」

どうやら高耶さんもホワイトデーを忘れているみたいだ。
助かったと言っていいのか、それとも正直に申告すべきか。

「今、紅茶作るから座って待ってろ。一緒に食おう」
「はい」

小さな台所で鼻歌を歌いながら高耶さんがお湯を沸かす。
いつもこの部屋は学校の課題の服やデザイン画で散らかっているため、私の定位置はベッド脇の床だ。
片付けてある時はテーブルの前なのだが。

紅茶を100円ショップで買ったトレイに乗せて持って来た高耶さんは床にトレイを置いて私の隣りに座り、ケーキの箱を開け始めた。
開けながら言いにくそうに切り出す。

「あのさ……後から何か誤解があったらいけないから、先に話しておくけど、怒るなよ?」
「なんですか?」
「バレンタインにチョコ貰ったじゃん、オレ」
「ああ。同級生に貰ったってやつですね」

私の高耶さんにチョコレートを渡す不届き物の女がいた。その包みを発見してしまった私はその場で妄想に突入し、1時間かかって高耶さんに救出されたのだ。
後から憤慨したが、高耶さんは「オレが好きなのは直江だけだから」と何度も言ってくれたおかげで怒りがおさまった。
その憤慨した私を見ているだけに、高耶さんが話を切り出すのに「怒るなよ?」と付け加えるのは当然だろう。

「やっぱ貰いっぱなしって悪いから、簡単にお返ししたんだ。コンビニで売ってる飴をな。半分返しってぐらいで」

……半分返し……。
うう、耳が痛い……。

「だから怒るなよ?」
「は……はい……」
「どうした?」

高耶さんはしっかりと今日がホワイトデーだとわかっている。
だから私からのお返しが半分返しだと知った暁には……。殺されるかもしれない……。

「んで、直江は?」

来た!!とうとう来た!!

「すいません!明日でも明後日でもちゃんとしたお返しをしますから!」
「へ?」
「すっかり忘れてたんです!いえ、このケーキはただの差し入れですから!お返しは食事がいいですか?!それとも旅行がいいですか?!」
「……な、直江?」
「あなたに半分返しなんかしませんから!あなたは私の本命なんですから!」

そこまで言ってやっと理解したらしい。

「お返し、ないってことか」
「すいません……」
「いや、いいんだよ。オレが聞きたかったのは直江はそーゆー相手にちゃんとお返ししたのかってことで」
「は?そんなこと、ですか」

バレンタインはファンの人以外からも事務所などで貰うチョコレートがある。
綾子やマネージャー。これに関しては高耶さんは許してくれているのだ。
そのことを言っているのか。

「いえ、だからすっかり忘れてたので、今年は何もしてません」
「いつもお世話になってる人たちにはちゃんとお返ししろよ?」
「はい。明日にでも何か買っておきます」

ああ、優しい高耶さん!あなたが私の恋人で幸せです!!

「そっか〜……オレにもないのか〜……」
「……ちょっと根に持ってますね……?」
「別に?だって何か食わせてくれるんだろ?」

いつもの小悪魔の笑みを浮かべて高耶さんはキスをしてきた。

「ブラジル料理って食ったことないな〜」
「いいですよ。ブラジル料理ですね」
「いい店探しておけよ?」
「はい」

箱の中を見て甘さ控えめのチーズケーキを取り出し、甘い物があまり得意ではない私にと差し出した。

「でもこれ、高耶さんが好きなケーキでしょう?食べていいんですよ」
「じゃあ半分こな」

小さな皿にフォークで半分に切って乗せて渡された。

「ホントはこれでもいいんだけど」
「え?」
「直江がオレを思い出してケーキ買ってきて、アパートに寄ってくれただけで、それだけでもいいんだよ」

ケーキを頬張りながら少し顔を赤くして言ってくれた。

「だけどそれじゃ直江は気が済まないんだよな?」
「ええ……そうですね。気が済みません」

ホワイトデーは告白された相手に気持ちを告げる日だ。
バレンタインの日に私に気持ちを告げた高耶さんに贈る言葉を言わないといけないな。

「高耶さん」
「ん?」
「私も、愛してますよ」

ゴクンと口の中のケーキを飲み込んでから、高耶さんは私に背を向けて寄りかかり、さらに体重をかけてきた。
ちょっとだけ重かった。

「オレを幸せにするんだろ?」
「はい」
「じゃあ、もっと言え」
「愛してます。あなたが好きです。何よりも大事にします。あなたにもっともっと幸せになって欲しいから、もっともっと愛します。……高耶さん?」
「ん」
「ありがとう」

寄りかかっていた態勢からズルズルと体を私の膝の上に乗せていって、膝枕をしている状態になった。
そして寝転がって仰のいた顔をしっかりと私に向けて、どことなく色っぽい表情をしながら手のひらを私の頬に当てた。

「ケーキより、ブラジル料理より、直江が好きって言ってくれる方がずっと嬉しい。ありがと。最高のホワイトデーだ」
「……高耶さん……」
「チューして」
「はい……」

背中を丸めて顔を交差させる形でキスをした。

「大好き、直江」
「……もっとキスしていいですか?」
「好きにしていいよ……」

膝枕で甘える高耶さんは普段よりもずっと子供っぽいくせに、やけに色気があってキレイだった。

「直江。今日、ずっとここにいろ」
「はい」
「ホワイトデーだから、オレをたくさん愛してくれなきゃダメだ。帰っちゃダメ」
「はい」
「そんでもっと甘えさせろ」
「はい」
「はい、ばっか言ってんじゃねえよ。違うだろ」
「愛してます」
「そう、それ」

欲張る子供みたいに急いで起き上がって、私の目を覗き込み、またキスをねだられる。

「もっとだ」
「愛してます」
「一晩中、言えるか?」
「言えますとも」

太陽みたいな笑顔を零して、高耶さんは私を抱きしめた。

「今日はホワイトデーだからバレンタインのお返しにずっと愛してるを聞かせてくれ」
「ええ。高耶さん、愛してます」

課題もケーキもほったらかして、あなたは私の『愛してる』を求める。

「なおえ〜」
「はいはい、愛してますよ」

明日はお互い早起きだけど、たまにはこういうのもいいんじゃないか。
寝不足で大変かもしれないけど、せっかくのホワイトデーだから。
好きな人にたくさん愛を告げることのできる日だから。

 

翌朝。
高耶さんのアパートから出勤する私に向かって行ってらっしゃいのキスをしてくれた高耶さん。
しかし。

「来年は忘れないよーに!」
「はいッ!すみませんでした!」

やっぱり少し気にしてるんじゃないですか……。

「来年は愛してるだけじゃ許さないかもしれないぞ」
「気をつけます」
「そーしろ。たぶん来年の今頃は、おまえにもっともっと愛されてて、もっともっと愛してると思うから、言うだけじゃ許さないかもしれないからな!」
「……はいッ!絶対に忘れません!!」

最後に軽くキスをして、幸せいっぱいなまま出かけた。
やはり私は高耶さんに幸せにしてもらっている。
きっとたぶん、明日も明後日も来週も来月も来年も、愛してもらって、幸せにしてもらえるんだろう。

だから私はいつまでも告げます。
あなたを愛している、と。


 

 

END

 

あとがき

遅れましてすいませんでした。
5日遅れでやっとできました。
不可抗力です。
パソコン壊れたからです。
ごめんなさい。

   
         
   


   
   

 

 

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