「なあ、次の休みっていつ?」
そんなことを言われた私はデートの約束かと喜び勇んで
「火曜日です!」
と、言った。
「じゃあ朝から晩まで空けておいて。色々したいことがあるから」
「はい!!」
いったいどんなデートを企画してくれるのだろうかと楽しみにしていたのに、月曜の夜に泊まりに来た高耶さんにショックなことを言われた。
いや、ショックなわけではないが、思惑とは違っていたのでショックなだけで……。
「明日はおまえに家事を教えるから」
「家事?」
「そう。家事。同居になってから何も出来ませんじゃ話にならないだろ。オレが忙しい時は直江が家事やるの」
「……私が?」
「オレは一応完全週休二日制だから、土日に家事やるつもりではいる。けど洗濯や掃除が週イチなんてそんな男所帯丸出しな生活はしたくないわけ。だから、直江が出来る範囲の家事をやってもらうために明日は講習会だ」
「はあ……」
「なに、その返事。やりたくねえってか?全部オレにやらせる気だってのか?」
目が怖いです、高耶さん。
「いえ……やります。明日はよろしくお願いします」
「よし」
そんなわけで明日は講習会だ。
すでに春休みも同然な高耶さん。朝から晩まで講師をしてくれるのだからありがたいと思わねば。
「起きろー!!」
朝8時。高耶さんの怒鳴り声で目が覚めた。
昨夜はちょっと楽しんでから寝たので少しばかり睡眠不足だ。
「……もうですか……?」
「トーゼン!朝は忙しいんだぞ!ほら、まずは顔を洗いに行くぞ!」
高耶さんに背中を押されて洗面所へ。洗面台に向かおうとしたらパジャマを引っ張られて洗濯機の前に立たされた。
「先に洗濯物を洗うんだ。色物と白い物はカゴに分けてあるから、まずは白い物から。白系の方が多くて、色物が少ない時は色物は翌日に回してもいいからな」
籐のカゴに入っている白系の洗濯物を全自動洗濯機に入れた。これに触るのは……。
「これがスイッチ。押してみな」
人差し指で軽く押すとピッと音がして、ジャバジャバと水が入りだす。
「おお……」
「もしかして触ったこと一回もねえのか?」
「はい」
「……普通に返事すんなよ……」
どういう仕組みなのか知らないが、勝手に水がどんどんたまっていく。
全自動洗濯機を作った人は天才なんじゃないだろうか。
「洗剤はどのぐらい入れるか知ってるか?」
「……さあ?」
「洗剤についてる計量スプーンに1杯。これだけでいいから。やってみな」
高耶さんが薬局で買ってきた洗剤。この小さな箱に入っている計量スプーンを取り出し、1杯すくってみた。
それをパラパラと振り入れて完了、だそうだ。
こんな少量でたくさん洗えるとは、最近の洗剤は性能がいいな。
「入れたら蓋して。これでとりあえずは終わり」
「他にすることないんですか?」
「ま〜、そのうち柔軟剤だとか漂白剤だとか教えてやるけど、今日はいいや」
「本当にこれで終わりなんですか?」
「時間がきたらアラームで知らせてくれるから、そしたら取り出してあとは干すだけ」
「便利ですねえ……」
「アホか」
もう顔を洗っていいと言われて洗面台で顔を洗った。
この調子だったら一日で家事を習得できそうな気がする。
「次は朝飯。ほら、顔洗い終わったら行くぞ」
「ヒゲも剃りたいんですが……」
「じゃあとっとと剃ってキッチンに来い」
なんだかスパルタ教育だな。これも私のため。あの優しい高耶さんが心を鬼にして家事を教えてくれているのかと思うとつい涙ぐんでしまう。
ヒゲを剃ってキッチンに行くと、高耶さんが仁王立ちして待っていた。
「遅い!」
「すみません」
「これじゃ普段は遅刻するからもっとスピーディーに!」
「はいっ」
戸棚の前に立たされて、食パンが入っているのはどこかと聞かれた。
「さあ?」
「そのぐらい覚えておけ……前に何度か教えてるぞ……」
「そうでしたっけ……?」
イラッとした高耶さんが拳でテーブルを叩いた。とっても怖い。これでも真面目にやっているのに!
「オレがいなかったり、朝飯作れなかったりした日は自分でやるんだからな!しっかりしろよ!」
なんだと?オレがいなかったり、と言ったか?
「ちょっと待ってください!」
「なんだ?」
「高耶さんがいなかったりってどういうことですか?!どこかに泊まったりするってことですか?!それとも別居も考えてるってことですか〜!!」
取り乱した私に高耶さんは一発のパンチを入れた。今日はストマックブローだった。痛い……。
「出張したり!展示会で泊まり込んだり!朝早くから出て行ったり!そーゆー話をしてるんだ!!」
「うう……」
「おまえは余計な想像ばっかりする癖を直せ!!」
そして私は半泣きで食パンの在り処を教えてもらった。
「パンを焼いてる間に卵で何か作るぞ。今日は直江でも出来る簡単なやつ。まずは戸棚からアルミカップを出す!」
「はい!」
「そこに卵を割って入れる!」
「はい!あっ!」
「卵すら割れないのか、おまえは〜!」
テーブルに無残に落ちた卵の中身。黄身が割れて収拾がつかなくなってしまった。
片付けろと怒鳴られて、雑巾を出したらまた怒鳴られた。布巾かキッチンペーパーで掃除をしろ、と。
黄身を潰してしまったがどうにかアルミカップに卵を割り入れることが出来た。
失敗卵は3個。2個目からは皿の上でやったのでそれは取っておいて夕飯で使うそうだ。
優秀なお嫁さんのような高耶さんに感心してしまう。
「これを食パンと一緒にオーブントースターに入れる。で、まずは3分の目盛に回して」
高耶さんの指導のまま、ダイヤルを回してみた。3分でまずトーストが出来る。
それからさらに5分のダイヤルを回すと、マーブル模様の卵焼きの完成だった。
「おお〜」
「な?直江でも出来ただろ?そのうちフライパンで卵焼き作るの教えるから」
あとは前に教えてもらったトマトジュースでスープを作る電子レンジ技で一品。
これで3品の朝食が出来上がった。
「さすが高耶さん!これで私の朝食は完璧なものになりましたね!」
「…………まあいいや……。直江一人の朝飯だったらこんなもんか。面倒だったら喫茶店とかでモーニング食えよ」
「とんでもない!これから高耶さんのいない日は全部これでいきます!」
「あ、そう。でも卵割るの失敗したら罰金だからな」
「練習しておきます……」
初めて自分で作った朝食を食べて、幸せな気分に浸っていた。高耶さん伝授の朝食か……。
なんて恵まれているんだろう、私は。
「食い終わるぐらいに洗濯が終わるから。そしたら今度は干し方を教える」
「はいっ!」
ウキウキした気分で朝食を済ませ、食後のコーヒーをコーヒーメーカーで作って飲んでいると
洗濯機のアラームが鳴った。
「できたみたいだな。行くぞ」
可愛いお尻を見ながらついて行き、洗濯物をカゴに入れた。
なかなか重いものなんだな。こんな重いものを高耶さんに持たせてしまっていたのか、私は。
なんてひどい男だろう!キッチリ覚えて私が洗濯マエストロにならなければ!
「半分は干して、半分は乾燥機。今日でどっちも覚えるからな。でも雨続きの時以外は乾燥機は使うな。もったいないから」
「はい♪」
乾燥機に半分洗濯物を入れて、また自動ボタンを押した。これで終わりらしい。
あとの半分はバルコニーに持って行き、背の低い物干し竿があるので、そこに干す。
今日はシャツやタオルぐらいしかないのでハンガーを使っての講習だ。
「ああ!そんなシワシワのまんま干すな!」
「アイロンをかけるんじゃないんですか?」
「タオルにアイロンかけるバカがどこにいる!」
タオルはアイロンをかけないものなのか?そうか、知らなかった……。
手で叩いたり勢い良くパンパンと広げてシワを伸ばしてから干すんだと教わってやってみたらなかなか楽しかった。
「ちょっと勢い良くパンパンしすぎだけど、まあいいや。直江に贅沢言っても仕方ねえな」
「洗濯マエストロ目指して頑張ります!」
「……なんでもいいや……」
なんだか高耶さんの機嫌がどんどん悪くなっていく。
私はこんなに一生懸命やっているのに。おかしいな。
「次は掃除だ!」
掃除は今まで手伝いぐらいはしてきたが、本格的にやったことはない。
高耶さんと付き合う前は一蔵やら女やらダス●ンホームヘルパーだのに……。
「今日はおまえが全部やれ」
「全部?!」
「そう、全部。オレは座って指示だけ出すから、拭き掃除と掃除機かけるぐらいはやってみせろ」
「やれるだけ……やってみます」
「やれるだけじゃなくて、全部やり切れ。文句あるか?」
「ありません……」
まずは拭き掃除をしろと命令が下った。
雑巾とバケツと洗剤は洗面所の棚の中。そう言われて持ち出すと、洗剤を間違えて持ってきたとかでまた怒鳴られてしまった。
「風呂用って書いてあるだろ、ここに!オレが言ってるのは家具とか床だとか書いてあるやつだ!」
「すみませんっ」
「字も読めねえのか、おまえは〜!」
急いで洗剤を取りに行って、ソファに寝転がって掃除指示をする高耶さんの指導のもとに拭き掃除をした。
スプレー式の洗剤を家具に吹き付けて雑巾でキュッキュしてみたら、汚れていないと思っていたところでも案外汚れているのがわかった。
こんなことを高耶さんはいつもやってくれていたのか……。手も荒れるだろうに……。
やっぱり私が掃除もマエストロにならなければいけない!!
「がんばるぞ〜!」
「……はいはい、がんばって」
午前中でだいたいの家事は終わった。こんな充足感は久しぶりに味わった。
それもこれも高耶さんの家事講習のおかげだ。なんて素晴らしい人なんだろうか!!
次は買い物らしいが、しばし休憩。
陽の当たるリビングの床に座り込んで、お茶を飲みながらインテリア雑誌を眺める。
高耶さんが部屋をどんなふうにレイアウトするか参考にしたいらしい。我が家にある雑誌はだいたい私がモデルをやった時のものだ。
それを見ながら高耶さんは無言で渋い顔をした。
「なんです?」
「いや、いまだに実感なくてさ。直江がこうやって雑誌に出てるのが不思議で」
「なぜ……?」
「生活能力がないのに、どうしてここまで生きてこれたんだろうな〜、みたいな」
失礼なことを言われた気がするが、ポジティブに考えよう。
きっと高耶さんが言いたかったのは「生活臭のない良いモデル」という意味なのだろう。
「メシ作れない、洗濯できない、掃除は最近覚えたばっか、よくそんなんで薄汚くならなかったな」
「薄汚くって…………」
「普通、そんなだったら部屋の中はグッチャグチャの、栄養偏って肥満になったり肌がガサガサになったり、超臭い服着て電車の中で迷惑がられたりするよーになるんじゃないかと思うんだけど」
「そ、そうと決まったわけじゃないでしょう……」
「なんでだろうな〜?」
なんでもなにも、私がしっかり自己管理をしてきた証だと思えないわけですか?
「あ、そうか!わかった!!」
「なにが、ですか」
「周りの人に恵まれてたんだな!綾子ねーさんとか、一蔵さんとか…………女とか」
最後の一言を言ったとたん、高耶さんの目が据わった。色々と妄想してるような……?
「だよな……そうなんだよ……直江はバカで使えない男だけど、見た目だけはいいんだ。見た目だけは」
「中身は考慮に入れてもらえないんですか?」
「中身?あのな、よく考えろ。オレだってもうわかってるぞ。おまえは外面いいだけで、中身はただのバカでワガママで身勝手な男なんだぞ?」
そんな評価なんですか!私は!高耶さんは恋人でしょう!
と、言いたかったが、まだ目が据わっているので黙っていた。
「外面だけで付き合ってた女ってのばっかりだったじゃねえか。中身をガッツリ見せたのはオレにだけだろ」
「はあ……まあ、そうかもしれませんが」
「直江が優しくしてる相手ってオレだけじゃん。だから掃除とかしてくれた女は要は騙されてたってことで……見た目がいいと得すんだな〜」
高耶さんこそこんなに可愛くてキレイで美人で足が長くてスタイル良くて肌はきめ細かくて唇が色っぽくて全身から醸し出してるフェロモン全開なステキな男性じゃないですか。
言うと怒るから言えませんけど。
「しかも職業がモデルときたら、女はそりゃ放っておかないよな。中身がバカでも見ないようにしちゃうよな。マジ直江って得だよな〜」
さっきから気になる単語がいっぱい出てきますね……。
私は高耶さんにだけは寛容ですからツッコミはしませんが、そこまでダメな男じゃないはずです。
「その歳まで生きてこれたことに感謝しろよ?」
「…………はい」
からかったり嫌味で言っているわけでは無い高耶さんが凄すぎです。
その後、私はメモを持って一人で買い物に出かけ、昼食の材料を買って帰ってきた。
持たされたのはウサギの財布。レジでおかしな目で見られたが、二人の生活費が入っている財布の何が悪い。
ウサギの形をしていたっていいじゃないか!
昼食は手伝いながらカレーうどんを作った。包丁を持たされてネギを切ったのだが、以外に包丁は怖い。
こんな恐ろしいものを持って高耶さんが料理をしているだなんて!
指を切ったらどうするつもりですか!
「あっ!」
指を切った。私が。
「切ったか?ああ、このぐらいならほっとけば血なんかそのうち止まるから大丈夫」
「……ジワジワと出続けてるんですが……」
「大丈夫だっつってんだろ。いいからネギ切ってろ」
炊事とは大変なものなんだなあ。料理マエストロにもなりたいが、こればっかりは高耶さんを追い越せる自信がないな。
「すみません、私が不甲斐ないばっかりに……」
「いいから手を動かせ」
「はい……」
こんな感じで一日が終わった。
夕飯は疲れただろうからと外食にしてくれて、家庭料理の店に入って味付けを研究しながら食べた。
ここでも少し講習会だったのは言うまでもない。
「どうやら直江はもっと練習しないと掃除も洗濯も料理もダメっぽいな。これから毎日ちょっとずつやってけよ?サボったらケツキックな」
「がんばります」
「仕事だけは完璧にこなすくせにな〜。案外不器用なんだな〜」
「器用な方だと思ってたんですけどねえ」
「自信過剰だ」
そしてねぎらいの夜。
いつものようにソファでイチャイチャしてから寝室へ。しっかりと愛を育んでから腕の中に高耶さんを収めて甘いトークの時間だ。
「……エッチだけは器用だな」
「これだけは自信があります。仕事よりも」
「アホか……」
一日家事をやってみて、もらえたのはエロマエストロの称号のみ。
まあ、なんというか、そんなものだろう。
「直江はバカで仕えなくてワガママで身勝手だけど、努力だけは認めるからこれから家事がんばってくれ。そんでオレを楽させてくれ」
「はい。ついでにエッチの腕も磨いておきますね」
「磨かなくていい!!」
家事も出来て仕事も出来て、エッチも上手なタチバナヨシアキになって高耶さんを楽させてあげますよ。
楽しみに待っててくださいね♪
END
あとがき
同居に際して高耶さんが
気がかりだったこと。
うまくいくとは思えない
直江の家事。