完結一周年企画
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今からお花見をしたい、と高耶さんが言い出した。
新学期になる不安なのか、アルバイトがなかなかみつからない金銭的な不安なのか、とにかく私の目にはいつもの高耶さんには見えないほど沈んでいた。 夕飯を頂いて、風呂に入り、特に何かを話すわけでもなく二人一緒にのんびりと過ごし、そろそろ寝るかという時間になってから高耶さんは思い立ったというか、やっと言えたというか、そんな感じで花見に誘ってきた。 「今からですか?…そろそろ日付が変わりますけど…」 それで高耶さんの気分が癒されるならと、パジャマに着替えていたのを再度着替え、風が少し吹いているから上着も忘れずに羽織った。 「このへんでいいとこってある?賑やかなとこはイヤだな」 暖かい夜の中を並んでゆっくり歩き、交通量が多い通りから、少なめの通りへと変わる。 ノロノロ歩いていたら50分近くかかったようで、播磨坂に着いたのは深夜1時を過ぎていた。 「ここ?本当だ、桜並木になってるんだな」 桜はすでに散り始めている。満開は昨日だったが、春一番が吹いてだいぶ散っていた。それでもこの桜並木は少しもその景観を崩すことなく咲き誇っているように見えた。 坂の下、遊歩道に入ろうとした私を制して片側の歩道を歩こうと高耶さんが言った。その方が桜を近くで見られるからと。 「では坂を上って、また帰りには反対側を下りましょう」 この辺の治安は悪くはない。しかしやはり深夜1時になれば人通りはない。車も少ない。上りの間に見かけたのはレストランを閉めて帰る若者が一人という閑散とした道だった。 高耶さんはまだ沈んだ様子で私の半歩前を歩いている。どうしたのかと聞くのはたやすいが、彼が言い出してくれるのを待った方が良さそうだった。複雑な心境を持っている場合の彼は心の整理がつくまで待ってやる余裕が必要だ。 坂の上まで上り、少し休もうかと高耶さんが言った。近くに自販機があったのでそこでコーヒーを買って、遊歩道のベンチに 「なんか、東京の桜って白いよな。ピンクじゃないのな」 小さな缶のコーヒーはもうなくなっていた。最後の一口を飲むと少し離れた大きな桜の木を寂しそうに見つめた。 「もう下りますか?」 ゴミ箱に缶を捨てて、今度は反対側の歩道に渡った。とても静かな都会の道路、信号機は音もなく赤から青に変わった。 「今日さ、陽気に誘われてっていうか、天気がいいからチャリで柄にもなく近所の史跡めぐりをしようって思い立ったんだ」 下り坂を並んで歩いているとようやくポツポツと、たどたどしく、心の中を言葉にして表し出した。彼の精一杯の表現で。 「ええ、さっき言ってましたね。文豪の史跡を回ったって」 あまり真剣には見てなかったのだろう。なんとなく気持ちのいい春の日に散歩したという感覚だろうか。 「んでな、金魚屋とか見て、菊坂を下りてって、狭い道をチャリ押しながら行ったらお寺があってさ」 知り合いの葬式だったのだろうか。どうしようもないほど眉が下がる。 「全然知らない人の葬式だったんだけど、女の人が喪服で骨壷が入った木箱を持っててな」 私と目を合わせずに何かを胸の前で抱える仕草をする。 「両手が塞がってるだろ?だから涙がポロポロ落ちるんだ。それでも晴れた青空に映える桜を見上げてるんだよ」 返事ができず、話に耳を傾けているだけしかできない。 「誰が亡くなったのかはわからないけど、家族なんだろうな。どんな気持ちで見てたかもわかんないけど、オレ、葬式でそう まだ彼が何を言いたいのかわからない。その人に同情したのだろうか?それだけでここまで沈むものだろうか? 「あの女の人は、桜を見るたびに死んだ人を思い出すのかな、って思って」 ようやくわかった。たぶん高耶さんは同情しているわけではなく、思い出を大事にする方法を探っているのだろう。 「普通の春の日とかに死んだんだったら、桜を見ても泣かないような気がしたんだ。でも、満開の桜の下で、ああして葬式したのは忘れないよな。オレの中では可哀想ってゆー感じじゃないんだけど、切ないってゆーか…なんてゆーか」 その女の人にシンクロしてしまったのだろう。感受性の高い彼は一瞬の場面で他人の気持ちに同調できるから。 「きっと」 私が思ったままを言おう。飾らない言葉で。 「きっと、彼女はそれでいいと思ってますよ。善かれ悪しかれ、満開の桜を見ながら悲しんだことは忘れないでしょう。その人が満開の日に天に行った。咲き誇る桜の中を大事な人が笑いながら上って行く。寂しいと思いながらも、そう考えることは出来たと思います。だから下を向かず、桜を見て涙をこぼしていたんでしょうね」 高耶さんは夜桜を見上げながら、少しだけ笑顔になった。 「そっか。そーゆーことか」 そっと私の手を取って、目を見て笑ってくれた。 「不幸だなって思ってたらイヤだったんだ。桜を見ながら『どうして?』って恨み言を言ってたら悲しいなって」 手を繋いで坂道を下った。誰もいない深夜2時。誰かがいたとしても、この手は離さない。 「直江の幸せはオレが作ってやるって思ってたけど、直江が作るものなんだ。オレはその手助けをするだけでさ。でもこれって一緒に作ってくってことだよな?」 満開の桜に負けないほど、笑顔を綻ばせて彼は笑う。
彼が桜を見るたびに。
END |
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