高耶さんが就職して半月。
週の3日は店舗勤務、あとの2日は本社勤務、店舗勤務の日も午後5時でいったん本社に行き、所属部門の仕事をするそうなので忙しいらしく、毎晩午前1時ぐらいに帰宅する。
覚えることが多い上、新規部門なだけに充分な下準備をして開設されたわけではないから細かい仕事が多く、さらに自分のデザインノルマというものがあって、それを翌日まで持ち越さないように仕事をすると終電の時間までかかってしまうのだそうだ。
今日も、高耶さんはまだ帰ってこない。
「ただいま」
「ああ、お帰りなさい」
音をさせないように気をつけながら帰ってきた。リビングでボーッとテレビを見ながら待っていた私は彼が入ってくるまで気が付かなかった。
「もう1時なのに寝なかったのか?」
「ええ、なんとなく」
「……なんとなくって、毎日そうやって起きてるじゃんか。オレのこと待ってないで早く寝ろ」
実は毎日待っている。
せっかく同じ屋根の下に住んでいるのに話したりして過ごす時間は毎日1時間もない。
朝起きる時間も私が不規則な出勤をしているのでなかなか同じにならないし、高耶さんが帰ってきたってお風呂に入ってすぐに寝てしまうことも間々あるので、目を覚ましている高耶さんと過ごす時間は本当に少ない。
幸い、完全週休二日制だから私がスケジュールを都合すれば土日はどうにか一緒にいられるが、そんなに都合よく毎週休めるわけでもない。
だから、こう考える。
別々に住んでいて週に3回会っていた以前と、一緒に住んでいて毎日1時間しか話せない今とではどちらがマシか、と。
「じゃあ、先に寝ます」
「おう。明日は何時に起きるんだ?」
「高耶さんと同じです」
家を出るのは高耶さんよりも1時間遅いが、それでも夜に話せないのなら朝しかないだろう。
「んじゃ起こすから。おやすみ」
「おやすみなさい」
ずいぶんと寂しい同居だと私は思う。
翌朝、高耶さんと一緒に起きて朝食を作って食べた。話せた時間は30分。しかも食事をしながらだ。
深夜1時に帰ってきて、それから風呂に入って少し休んで、ベッドに入ったのは3時近くだったそうだ。
それで7時に起きているのだから睡眠時間が極端に短い。
これでは体を壊してしまうのではないかと心配だ。
「たまには早く帰って来られないんですか?」
「ちょっと無理だな。しばらくはこんな感じだと思う。6月ぐらいになったらメドがつくらしいから、それまでこんなだな」
新設の部門というのはこういうものなのだろう。なんとなく想像がつく。
「早く帰って来れたらそうするからさ」
「そうですか……」
ここで私が何を言っても仕事なのだからどうしようもない。学生だった頃とは勝手が違う。
「土日はゆっくり休めるから大丈夫だよ」
「あまり無理はしないでくださいね」
「うん」
そして私が見送りをする間もなく、慌てて出勤してしまった。今日は本社に出勤する日だ。
そういえば最近はおかえりのキスも、行ってきますのキスもしていない。
習慣化していたから当然だと思っていたのに、やはり脇目も振らずに仕事をしている男子の高耶さんとしては忘れてしまうのだろうか。
きっとまともな社会人をやっていない私にはわからない世界なのだろう。
使った食器を重ねてキッチンに持って行き、洗ってから出かける支度をした。
上げ膳据え膳のモデルと、一番の下っ端として忙しく働く社会人1年生。
どうしても埋まることのない溝というのがあるとしたら、社会経験なのかもしれない。
努力でどうにでもするつもりはあるが、時間がかかりそうだ。
金曜、珍しく高耶さんが私よりも先に帰ってきていた。食事の用意もしてある。
玄関に入ったらキスもしてくれた。
「どうしたんですか?今日も遅くなる予定じゃなかったんですか?」
「だったんだけど、主任がぶっ倒れたんだ。オレたち下っ端だけじゃどうしょもなくて、戸惑ってたら部門長が来て今日はみんな帰りなさいって」
「そうだったんですか」
ぶっ倒れるなんてどのぐらい働いていたのやら。体長を崩していたのかもしれないな。
着替えるために寝室に向かっているところで携帯電話が鳴った。
ディスプレイを見たらモトハルからだった。
「はい」
『直江、今どこだ?』
「家にいるが」
『今から飲みに行かないか?急に仕事がなくなったんだ』
たぶん高耶さんの主任が倒れたのに関係しているのだろう。偶然が重なる可能性はそうはない。
「いや、今日はもうダメなんだ。恋人が食事を用意しているから」
『そりゃ残念だな……そうだ、じゃあ食事が終わったら2人でウチに来いよ。紹介してくれ』
モトハルに高耶さんを紹介?そんなこと高耶さんが許すわけがない。
「悪いが最近すれ違い生活だったものだから、今日ぐらいはゆっくりしたいんだ。また今度誘ってくれ」
そう言って切った。モトハルにはいつかバレるだろうが、その時まで秘密にしていたって怒られはしないだろう。
「電話、誰から?」
高耶さんに正直に話すべきだと思った。バレた時にひどく動揺しないように防止策として。
「モトハルです。今から恋人を連れて自宅に来い、と」
「マジで?なんかそれってヤバくない?」
「ヤバいでしょうね。だからちゃんと断りましたが、いつかはバレるって思っておかないともっとヤバいと思います」
「うーん、複雑な気分……。なあなあ、そーいや直江ってモトハルさんの自宅に行ったことある?」
「ありますよ」
「どんな家?会社じゃ超豪邸って噂なんだけど」
モトハルの自宅は数回行った。最初は出会ってから3年ほど経った時、仕事の話をした後で何人かで招かれた。
それからモトハルの趣味の渓流釣りに誘われて、初めて釣りをした後。次はゴルフの帰り。食事の帰り。
モトハルのホームパーティー。単に休日の暇つぶし。そんな感じで数回。
自宅は横浜方面の高級住宅街。丘の上に建つ大豪邸だ。
200坪はある敷地に大きな白亜の建物、庭は広々としていてプールつき。ガレージには3台の外車。
家の玄関は大理石が敷いてあって、6畳もある。リビングは吹き抜けの20畳。その他部屋がいくつあるのかわからないほどの大豪邸だ。
「ものすごい豪邸でしたよ」
「うわ〜、行ってみてえ!」
「そのうちバレたらお呼ばれしましょう」
「それはそれで怖いな」
久しぶりに高耶さんとのんびり過ごした。手料理とお酌までしてもらった食事、暗くして2人で入ったバスタイム、ぴったり寄り添って見たレンタルDVDでのホラー映画。
眠ろうかという時間になって遠慮がちにしたキスに、高耶さんは笑って応えてくれた。
「今夜は直江のものだから」
「…………無理しないで眠かったら寝ていいんですよ?」
「うん、眠かったら寝る。でも今は眠くないから。直江が心配そうな顔やめるまで眠くならないから」
「……じゃあ、寝室に行きましょうか」
「うん」
久しぶりに高耶さんの可愛くて色っぽい姿を堪能して、愛を確かめ合い、疲れて眠そうな瞼にキスをして寝かせた。
明日の土曜も、明後日の日曜も、高耶さんがしたいことをやらせてあげよう。
もしも眠いのなら私も一緒にベッドで過ごし、美味しいものを食べに行きたいのなら店を厳選してご馳走を食べさせ、体を動かしたいなら散歩だってジムだってランニングだって付き合おう。
多少甘やかしたって大事な恋人のためなら全部アリだ。
「愛してますよ、高耶さん」
返事は聞けなかったけれど、安心しきった寝顔が答えだ。
「毎日毎日お疲れ様です」
小さく身じろぎして甘えるみたいに私の胸に鼻を擦り付ける。
こんなに疲れて頑張って、それなのにこうやって私といる時間を作ってくれる。
なんだか小さなことなのに、やけに感動して涙が出てきた。
「う……」
グスッと鼻を啜ったら高耶さんが目を覚ました。
「……ん?ん〜?直江?なに泣いてんの……?」
「嬉しくて……」
「嬉しくて?そんで泣いてんの?……バカみたい」
細いのにしっかりと筋肉がついた腕が伸びてきて、私を抱き寄せた。
そっと包んで髪を撫でながらキスしてくれた。
「寝ろ」
「はい……」
「おまえはいい子だな」
いつもと立場が逆転しているけれど、それも私にとっては嬉しいだけで。
忙しくたってどうしてたって、私には高耶さんしかいなくて、高耶さんにも私しかいなくて、そうやってこれからも暮らしていくんだと思った静かな夜。
モトハルみたいな豪邸はプレゼントできないけれど、この部屋があなたのお城になってくれているのならいい。
明日は何して過ごしますか?
そんなことさえ涙声になってしまうから言えないけれど、きっと伝わっているだろう。
私を選んでくれてありがとう。高耶さん。
END
あとがき
最終話とか言って舌の根も
乾かないうちに続きが(笑)
次回は未定です。