そんでねーさんと3人で近所の喫茶店へ。ショボいけどあんまり混んでない店を選んで入った。
このポスターを横から見られたら良くないとかで。
3人分のコーヒーを頼んでそれが来てから封筒を開けて直江に見せた。さっきのオレみたく驚かないように先に香水のポスターだって話してから。
「……まあまあだな。強いて言えばCGが使われすぎているところが今ひとつだが」
「そうね。アタシもそう思ったんだけどね」
CG?どこが?オレには普通の写真にしか見えなかったんだけど。
「なあ、どこがCGなんだ?」
「……毎日私の体を見てるのに気が付かないんですか?」
「毎日は見てねーぞ!」
「そんな話、しないでよ!」
直江の野郎、言いたい放題だな。いくらねーさんが知ってるからって、こんな場所でもう!
「数箇所直してあるんですが……一番目立つのはライティングですね。こんなに暗い場所で撮影していなかったでしょう?」
「そーいえば」
写真は撮影の時よりも陰影が強調されてるかな。こんなに腹筋ボコボコに見えなかったもんな。
それにあとは肌質。直江が少しオイルを塗ってたのは覚えてるけど、こんなマネキンみたいな肌じゃなかった。
あと……。
「もしかして、直江の顔の輪郭が……細くなってるか?」
「ええ、輪郭もそうですが、シワが消されてますね。ちょっと若くされてしまったようで」
それからねーさんと直江で仕事の話だ。直江は意外に大きな決定権を持ってるらしくて、直江が気に入らないって言えばパリ側は変えないといけないらしい。
やっぱ自分の写真だから納得いかないとダメなんだって。
けど今回のクライアントにはお世話になってるし、面倒もかけたくないからってことで、マネキンみたいな肌だけを少し直してもらえればOKだそうだ。マネキンみたいだと逆に生々しいから。
「あ、あとこっちも」
話が終わったと思ったらもう一件あるそうで、今度はねーさんのバッグからファイルが出てきた。
しっかりした企画書になってる。
「ああ、これもあったか」
「こっちはざっと目を通してくれる?まだ構成段階だから決定ってわけじゃないのよ」
「わかった」
パラパラとページをめくって直江が読んでる。横からチラ見したら、どうやら雑誌の企画っぽい。
なんで直江に?
「うーん、これだとターゲット層が掴みにくいな。ハッキリとした年齢がわかるような企画を入れておかないと」
「そっか〜。何かいい案ある?」
「30代後半だと……余裕が出てきたところだが、人生設計も立てないといけない、ってところか。不動産絡みの企画か、高級車の企画か……」
「そういう線でならスポンサーもつくしいいかも」
オレにはさっぱりわからない話をしてる。直江がアホじゃないシーンてのを久しぶりに……いや、初めて見たかも。
こんなに真剣な顔してるのは大きなステージの時以外はないからな。ステージですらこんな顔しないか。
「高耶さんはどう思います?」
「話が全然見えないんだけど」
「話してませんでしたっけ?今度、私も企画に参加して雑誌が創刊されるんですよ。30代後半の情報誌のようなファッション誌です」
情報誌のようなファッション誌?なんだそりゃ。
「初めての試みなので出版社も試行錯誤だそうです。それで私がキャラクター採用になったのを利用して、私も企画に参加するってことになりました。」
「へー」
すげえ。直江ってけっこうすごい奴なのかも?企画なんかできるんだ?すげえ。
「働く30代後半男性が買いたくなるような雑誌にするんですが……ターゲット年齢へのアピール記事がどうもまとまらなくて」
「それで不動産と高級車か。ちょっと見ていい?」
企画書を見た感想は……まずセレブ男性向けかってほど高級品の紹介記事の企画が多かった。
直江を使う時点で高級志向にしたいんだろうなってのはわかるけど……。
「オレ、こんなセレブ感覚ねーからわかんねえよ」
「あら、アンタだってセレブでしょ?」
「オレは庶民だ」
「だってあんな高級マンションに住んで、週に一度は直江とレストランディナーで、服だって全身モトハルで、職業がデザイナーなんでしょ?立派なセレブじゃないの」
な、なにそれ……いつの間にそんな話になってんだよ……
「オレは、給料の半分を実家に仕送りしてる貧乏サラリーマンなの」
「そうは見えないけど」
「マンションは直江のものだし、レストランは全然高級じゃないし、服は社販で安く買えるし、デザイナーってゆってもまだデザイン画一枚すら服になったことない下っ端で、毎日クタクタになって帰ってくるしがないサラリーマンだっつーの」
ねーさんは勘違いしてるんだ。オレは相変わらずの庶民だ。貯金する余裕すらねえっての。
給料の半分は美弥の学費だし、オレの専門学校に奨学金を返してるし、昼飯やら販売やる時の服だとかで小遣いが消えるほどの貧乏人だ。
「あら、直江ったら贅沢させてあげてないの?」
「高耶さんに拒否されてるからな。贅沢してもらいたいんだが、身の丈に合った生活がしたいんだそうだ。そう言われたら逆らえないだろう」
「逆らえばいいのに」
「おまえは高耶さんに逆らうってことがどんなに恐ろしいかわかってないんだ」
なんか……なにげに失礼なこと言われてないか?オレがいつ恐ろしいことしたんだよ。
別にたいしたことしないじゃんか。
一ヶ月エッチ禁止とか、3日間クチきかないとか、直江が携帯に保存してたオレの写真を消去するとか、そのぐらいのことしかしないのに。
「あーはいはい。もうノロケは結構よ。じゃあとりあえず直江の企画は来週水曜までに考えておいて。それからどういう方向にするか出版社に決めてもらえばいいわ」
「わかった」
「じゃあアタシはもう帰るわね。あとは二人でデートでも何でもしてちょうだい」
腕時計を見ながらねーさんが立ち上がって、喫茶店の支払いをして出て行った。経費で落とすってやつか。
こうやって経費でゴチしてもらった時って、直江が仕事してるんだな〜って実感する。
今日なんかレッスンも見たし、企画の話も聞かせてもらって、本当に直江って社会人てゆーか、まともに仕事が出来る大人なんだって思える。
「私たちもそろそろ出ますか?高耶さん、行きたいところあります?」
「うん、新作の服見て研究したい」
「じゃあ原宿なんかどうでしょう」
「いいよ」
んでオレと直江は原宿を歩き回って、暗くなってきてから洒落たレストランで直江と夕飯を食べて帰った。
その間も直江はチラチラ見られっぱなし、店に入れば店員が声をかけてきまくり、3人ぐらいから握手を求められたりして笑顔で応対、本当に有名人ぽい感じだった。
これじゃあのポスターが出たら……今よりずっと……
「高耶さん?どうしたんですか、ボーッとして」
「へ?別に……ちょっと歩きすぎでくたびれたな〜って思って」
「じゃあ明日はのんびりしましょうね」
「うん」
二人で山手線に乗って電車で帰宅。贅沢したくないから。
けどさっきから直江に視線が集まってる気がする。これじゃどこででも気が抜けないんじゃないか?
だったら贅沢させてタクシーで帰れば良かったかな。けど贅沢に慣れたらオレは絶対グータラになる。
自分の小遣いが少ないのにタクシーに乗る金銭感覚の鈍い人間になっちまう。
「あ、着きましたよ」
山手線は巣鴨に到着。マンションへは駒込の方が近いけど、明日の休みに見る映画をレンタルするために巣鴨だ。
このあたりは本当に庶民的なところで、直江のこと知らない人ばっかり。
若い人がたまに直江を見るけど、タチバナってバレてるわけでもない感じ。
だからわざわざ世田谷だの目黒だのの高級住宅街に住まないで、こっちに住んでるのかも。
「なんで目黒とかの芸能人が住んでそうなところにマンション買わなかったんだ?」
歩きながら聞いてみた。
「不便そうだったので」
「どこが?」
「スーパーは案外遠いし、ちょっと車で出ると渋滞に巻き込まれるし。ここならスーパーもコンビニもすぐで渋滞も短距離で済みますから。それにステータスも欲しかったんですよ」
「ステータス?」
こんな下町で?
「山手線の内側は憧れだったんです。それに目黒や世田谷より、こっちの方が土地も家もマンションも高いんです。あとは……住んでる人ですね。世田谷や目黒のような山の手感覚の人より、下町っぽい方が親切な気がして」
「確かに親切な人は多いな」
オレが住んでたアパートの大家さんも、近所の頑固親父も、商店街のオバちゃんたちも、みんな親切だった。
要はお節介なんだけど、そのお節介に慣れると心地いい感じになってくる。
「まああんなマンションに住んでしまうと親切な人と出会うこともありませんでしたけどね」
「そうだよな、やっぱ。オレはアパートで良かった〜」
「後付で考えると高耶さんのアパートの近所っていうのが一番良かったところですね。もしこれで高耶さんが目黒に住んでいたら、食事に誘ったりしてもこんな仲になってなかったかもしれません」
「あー、それは確実だな。オレ、直江が近所じゃなかったら誘われても絶対に会ってないもん」
わざわざ電車に乗ってまで知り合い程度のヤツと会うような奇特な性格じゃないもんな。
「最初の頃は何度誘っても断られてましたからね。これで距離があったらあんなに粘ることは出来なかったでしょうね」
今思うとあの直江のメールや電話攻撃は必死で口説こうとしてたってのがわかる。当時は単に友達のいないモデルぐらいにしか思ってなかったな〜。
なんか……くすぐったい思い出だ。
帰り道の途中でレンタルショップに寄って、明日のビデオ鑑賞の映画を借りた。
新作ビデオで人気なヤツが残ってたからそれにして、コンビニ寄ったりしながら帰宅。
部屋に入ると直江はすぐにチューしてきた。
「二人きりだと落ち着きますね」
「外じゃいつも気ィ張ってるってこと?」
「そりゃ見られるのが商売ですからね。いつも……というわけではないですが、気は張ってますよ」
「疲れないか?」
「疲れます。だからこうして二人きりでいられる時間は貴重なんです」
そっか。直江がマンションで過ごす時間が好きなのも、レッスンで土曜日が割かれるのがイラついたのも、いつも気を張ってるからなんだ。
「二人でいる時はワガママ言ってもいいからな?贅沢も少しはしていい。あとたくさんベタベタしてもいいぞ」
「……ありがとうございます」
可愛いこと言ってくれた、なんて言いながらまたチューされた。
今夜はチュー攻撃で陥落しちゃいそうだ。
それから数週間後、直江のポスターが本当に出来上がった。
日本では「いくら宣伝ポスターとはいえ、オールヌードは倫理的にどうだろう?」ってメーカーの懸念から全身写真はヤバいということで、上半身だけのポスターになって、来週から全国各所に貼られる。
雑誌に掲載されるのも上半身だけだ。こっちも来週から宣伝解禁。
でも事務所にはヨーロッパ仕様の全身ポスターが送られてきて、当然直江の手元にも届いたわけで。
「…………」
「あの……か、感想は?」
そのポスターを持って帰ってきた直江。リビングで広げてオレに見せた。
Bゼロサイズのばかでかいポスターに、直江のオールヌードが堂々と写ってる。香水のビンが端っこに、商品名が直江の体に半透明で被る感じで、んでフランス語で何やらキャッチコピーが配置されてる。
感想は?と言われても、恥ずかしくて直視できない、ってのが感想だ。
「なんて読むの?」
「商品名はAmbre de l'Orient。東洋の琥珀って意味です。キャッチコピーは……世界一美しい男、現る……ですね」
「世界一美しい男って……」
怖い。なんなんだ、このクサイ世界は。それにこのオレの拒否反応は。
ヌードと商品名は許せる。でもこのキャッチコピーは……。
直江が世界一美しい男ってことか?
ああ、やっぱ怖い。背筋が寒くなった。こんな怖いキャッチコピーをつける超高級ブランドっていったい……。って、オレもそういう世界に身を置いてるんだっけ……。
「自分でもどうかと思いますよ。でもメーカーの考えなんですから仕方ないですよ……」
「そうだけど……」
「これで生活費を稼いでいるんだと思えば何でも出来ます。と、思うことにしてます……」
「うん……」
背筋の寒いポスターは直江の手で丸められて、筒に入れられて保管だ。たぶん二度とこのマンションで見ることはないだろう。いや、あるかもしれないけど今から数年間は絶対に見ない。
「ターミナル駅とかさ、ファッションビルだとかさ、雑誌だとかさ……そういうところでこれからしばらく強制的に見なきゃいけないんだよな?」
「ええ……半強制的に……」
「…………感想は?」
「穴を掘ってそこに隠れたいです……」
もしこれで直江が「とても素晴らしい出来でしょう?」なんて言った日にゃ、ソッコーでナルシスト決定で同居の解消もしてたかもしれない。
けど直江も恥ずかしいって言うならマトモな思考の男だってことだ。
「でもさ、オレ、直江のことすっごい自慢に思ってるんだよ?」
「どうしてですか?そんなに自慢できるような男ではありませんよ?家事は出来ない、だからって仕事熱心ていうほどでもない、強いて言えば少しギャラが高いぐらいで、人間性は褒められるものでは……」
うん、オレもそう思ってるけど。人間性はちょっとどうかと思うけど。
「モデルの他にも企画やってたりして、仕事の出来る男って感じじゃん」
「……それなりに経験はありますから……高耶さんだってもう少しすれば企画立てて仕事したりするんでしょう?スタート地点が違うから今は差はありますけど、私が高耶さんの年頃のころは言われるままに渋々モデルをやってただけですよ。バイト感覚で遊ぶ金が欲しいってだけで、頑張って仕事してたわけじゃありません。その点、高耶さんは目標を持って勉強して就職して、今は一日のほとんどを会社で過ごして頑張ってる。高耶さんの10年後はきっと今の私よりもずっと重要な仕事をしてるんじゃないですかね」
そんなこと考えたことなかったな。仕事始めたら毎日のことをこなすだけで頭が一杯で余裕もなくて、10年後のビジョンなんか考えてなかった。
そっか。オレがいつも感じてる直江への不安は、時間だったんだ。
頑張って目標に向けて努力すれば、直江と並んでも遜色ないポジションまで行けるってことか。
「なあ、オレ、頑張るから、それまで待っててくんない?」
「え?ええ、何を待つのかわかりませんが、待てと言うなら一生でも待ってますよ」
「ははは」
そうそう、これが直江って男だ。
オレが待てって言えばいくらだって待てる男。
それが例え無駄に終わっても、待ってたことを後悔しない優しい彼氏なんだっけ。
1人でニヤニヤ笑ってたら直江が怪訝な顔をして覗き込んできた。
「なんですか、その笑い」
「いや、別に。うん、別になんでもない」
「もしかしてあのポスターを思い出して笑ってるんじゃないでしょうね?冷静になったら突然笑い出したくなるようなポスターだったとかで」
「違うって」
「じゃあなんですか」
もしここで本音を言ったらどうなるだろう?直江がオレを好きでいてくれるのが嬉しいって言ったら。
言ったら……たぶん、オレの名前を叫んでギューギューに抱きしめて、私もですとか愛してますとかって襲い掛かってくるんだろうな。
「高耶さんてば」
「なんでもないって言ってんだろ。しつこいとヨーロッパ仕様のポスター窓から投げるぞ」
「それだけは!」
ポスターの入った筒を掴んでバルコニーに行こうとしたオレを背後から抱きしめて、行かせまいと阻止する。
半泣きでお願いだからやめてください、すみませんでしたって止めるから、腕の中で振り返ってチューした。
「高耶さん……?」
「今日は何する?」
「ええと……」
突然チューされたことに驚いて、直江が固まってしまった。相変わらずバカだな。
でも仕事できるしかっこいいし、こいつが自分のものだっていうのが嬉しくてたまらない。
「直江にしたいことがないならオレが決める」
「ええ、高耶さんのしたいことなら……」
「今日はおまえを独占するのに一日費やす」
「…………よろしくお願いします」
もう一回ちゃんとチューして、好きだよって言って、しっかり直江の体を抱きしめた。
「一日中こうしてるのもいいですね」
「マジでそう思う?どこにも行かなくていい?」
「ええ」
「寝室にも?」
オレからのお誘いに敏感に反応した。抱いてた体がピクってなって。
それからはソッコーだ。
無言でオレを抱き上げて、急ぎ足で寝室に向かった。こういうところをタチバナのファンに知られたら幻滅されそうだけど、オレにとってはコレも自慢のひとつ。
オレを愛してくれてるんだなって思えるから。
「どこにいても何をしてても、おまえはオレのものだからな」
「当然ですよ」
今ここにいる直江も、裸のポスターの直江も、雑誌の企画してる直江も、レッスンしてる直江も、いつだってオレのものだ。
今日だけじゃなくていつも独占してやるからそのつもりでいろよな。
あとで逃げたいって言っても逃がさないからな。
その日の夕方。
「もう勘弁してくださいよ!これ以上は無理です!」
「逃がさないって言っただろ!」
寝室からだって逃がさねえぞ!
おわり