翌日の夜にはたった1行のブログなのにコメントが多く来ていた。ブログ読めて嬉しいです、頑張ってください、ずっと待っていました、など。
そんな一人一人のコメントがこんなに嬉しいものだとは思っていなかったと直江は思う。直接直江の目に入る文章をこれだけ多くの人が書いてくれたのは初めての経験だ。
全員に返事を書きたいぐらいだったが100人を超えるファンに返事をする時間はないし、もし返事を書いたとしてもその返答でまたやり取りするのは無理だ。
しかもそんな時間があったら高耶とイチャイチャしたい直江だった。
そして今日もリビングでノートPCを開けて高耶とくっつきながら見ている。
「すげー、コメント100件も来てるんだ。まだ始めたばっかりで知らない人もいるだろうからこれからはもっと増えるんだろうな」
「それよりも私がいつまで飽きずに続けられるかが問題ですよね」
「できるだけ頑張れよ」
「はい」
ブログの管理係を引き受けた綾子の言うことには世に言う『炎上』が起こらない限りは続けろ、だった。
悪質な書き込みは事務所のスタッフで削除することになっている。
削除されてもまた書き込むという執拗な嫌がらせが出たらコメント欄をなくす。応援してくれる人には申し訳ないがその時は仕方がない。
「毎日更新した方がいいんですかね?」
「アイドルじゃないんだから毎日しなくてもいいよ。週1ぐらいで」
「そうですか……でも高耶さんに送るメールは毎日でもいいんですよね?」
「返事の催促をしないんであればな」
高耶は付き合った当初からメールの返事はあまり出さない。毎日直江が送ってくる6〜7通のメールに対して2通という割合だ。
直江としては本当はもっとたくさん欲しいのだがそれはあまりにも贅沢なことだとわかっているので我慢している。
「千秋のも見てみようぜ」
「ええ」
高耶が操作をして千秋のブログを画面に出した。
内容は、モデル友達と同じ仕事場だったことで、仲良くツーショット写真を撮って載せている。
後は好きな酒の名前を書き連ねていた。直江がなぜ酒なんだろうと言ったら高耶は「誕生日やバレンタインにファンに送ってもらおうとか考えてるんだ」と答えた。
千秋のの考えそうなことだ。
「直江はこういうことすんなよ」
「しませんよ。ファンからもらったプレゼントを渋い顔で見る恋人がいるんですから」
「……わかってんならいい」
プレゼントの類は大抵持って帰ってから開けている。しかし中身が何であろうが高耶は機嫌を悪くする。
さらに手作りのものは高耶の命令で実家に送るか誰かにあげるかして直江が使うのを許さない。
既製品は使ってもいいと言っているが、それを直江が使っていると必ずじっと見つめてから目を逸らす。
顔に「嫌だな」と書いてあるも同然で。
そんな高耶が可愛くてわざと使ったりもする。そのあとでゴミ箱行きにするか実家行きにするか誰かにあげるかしている。
直江の人には言えない暗い趣味だ。
その後、直江は2週間で4回のブログを書いた。高耶に宛てたメールの一部だけではなく、ちゃんとファンに向けて感謝も書いた。
時間が空いた時に携帯電話でコメントを読むと、たまに知り合いからのコメントが入っていたり、長年のファンで名前を知っている人からもあり、中には英語でコメントを入れる海外の友達までも。本当に嬉しいと思っている。
評判はまあまあと言ったところだろう。
今日も百貨店のショーでの待機時間に携帯から読んでいると、千秋が楽屋に入ってきた。
たまに百貨店などの小規模なショーの仕事で千秋と一緒に出演することがある。
千秋も徐々に実力をつけてきていて、最近は若者向けだけでなく年齢層の少し高い服のショーにも出るようになった。
なので月に何度かは千秋と仕事場で顔を合わせる。
「おはよー直江!」
「ああ、おはよう。なんだ、やけに機嫌いいじゃないか」
「だってブログで超人気者なんだぜ!毎回コメント数70越え!直江のブログって地味そうだからあんまりコメントないんじゃないの〜?」
「一番初めの時で100、つい最近のは250だった」
「……ムカつく。本当に直江って嫌味で陰険だよな!」
事実を言ったのに嫌味で陰険だと返されると直江としては自分が悪いのか?と疑問になる。
それとも長秀が小さい男だということだろうか?
では長秀がムカつかないようにするにはどんな返事をすればいいのだろうか?
何度考えても直江にはわからない。
「純粋な疑問なんだが。事実を言ってもおまえがムカつかないようにするにはどう答えたらいいんだ?」
「はあ?」
「何を言ってもおまえが嫌味だ陰険だというから、どうしたら嫌味にならずに答えられるようになるのかを教えてくれ」
「……ねえよ、そんなもん。俺にはな、直江が何を言おうが何をしようが嫌味で陰険にしか見えないんだよッ。わかるか、この大きな劣等感が!今回のショーだってメインは直江だ!俺は直江のオマケだ!」
「いや、おまえはオマケじゃないぞ。よく考えろ。もし俺とのバーター(束ごと売るという意味)だったとしたらもっと売れてないモデルを当てるに決まってるじゃないか。鮎川も綾子も言ってたが、今年はおまえを大々的に売りたいって考えなんだ。そこに俺が参加することで、俺のネームバリューを使って長秀って名前を覚えてもらおうってことなんじゃないか」
「その理論のどこに俺がオマケじゃないことを証明するポイントがあるっつーんだよ!」
そんなふうに怒る千秋を見て、まだ大人の事情がわからない子供なのかと思った。
分かりやすく教えないとダメだと思い、何かいい例えはないかと周りを見回したらいいものがあった。
「だからな、ここにハンバーグ弁当があるだろう」
今日の昼ご飯にと百貨店が用意したデパ地下のハンバーグ弁当を開けて見せた。
「この中身はそれぞれ大事な役割がある。メインのハンバーグが俺だ。ハンバーグでご飯を食べるとうまいだろ?それでこっちだ。揚げポテト。これにハンバーグのソースがつくとご飯もいける。さらにニンジンのグラッセ。これは単体だけでもうまいが、ソースがつくと刺激的な美味さだ。ご飯も食べられるかもしれない。そしてこの横の漬物。油の濃い食べ物の後に食べるとサッパリする。弁当にはこんな感じでそれぞれ役割がある。わかるな?」
「ぜーんぜんわかりません!!」
なぜだ、わかりやすいじゃないか。
私が困っていると高耶さんはこうして教えてくれるのに。
「結論を言えよ」
「だから、ハンバーグが俺で、そのソースをつけたジャガイモがおまえだ」
「やっぱオマケじゃないか!!」
「いや、違う。そのジャガイモでご飯が食べられるか、というのが問題なんだ」
「食べられたらどうなんだ!!」
「ジャガイモで食べたら美味しくて気に入った、と言う人が必ずいる。その人たちは長秀をオマケとしてなんて見ないだろう。その人にとってはおまえが一番なんだ。オマケでもバーターでもなく長秀を見てくれてるんだ。そこが大事なんだ」
いつもこんな感じで高耶に慰められている。それを千秋にするのはもったいないが、いつまでも陰険で嫌味だと言われ続けるよりはいい。
「わかったか?」
「例えが悪いけどなんとなくは」
「ブログのコメント数なんかで人間は決まらないんだ。その先を大事にしろ」
「……うーん」
千秋の渋い顔を見た直江は多少はわかっただろうと思い、肩を叩いて「頑張れ」と言った。
睨まれているのに気付かないまま、また携帯に目を戻した。
直江の親心は千秋には届かなかったようだ。
コメントを読み終えた直江は今日のブログを更新した。
この日は起きた時に空が青くて爽やかだったから、バルコニーに出て携帯のカメラ機能で景色を撮った。
その写真を添えて「突き抜ける青さって、この空のことなのかもしれないですね。こんな青空だったら仕事するのも
楽しみになってきます。今日も一日頑張ります」と書いた。
夜になってから自宅のパソコンでコメントを読んでいると、毎回書いてくれている人の名前があった。
文面からはとても純粋な人なのだろうと思える優しいコメントばかりで、世の中の女性が全員彼女のようなら男女間の問題も起こらなくなるだろうな、と考えた。
例えば。
『きれいな空って心の中の不安や悲しいことを清めてくれるみたいで好きなんです。タチバナさんもお疲れでしょうからたくさん青空を見てくださいね』
こんなことを書いてくれる。
他の人も同じような感じで書いてくれているのだが、言葉の選び方や心遣いなどの細かい点が非常に直江の好みだった。言葉は少ないのに、ホッとするような言葉を使ってくれる。
きっと優しいお嬢さんなのだろう。
でもたぶん、高耶と出会っていなかったら彼女の言葉は心に響かなかったかもしれない。
やはり高耶が直江の世界を作っているのだと改めて思う。
「直江、コーヒーできた」
「あ、ありがとうございます」
テーブルに置かれたマグカップのコーヒーがいい香りだった。直江にとっては高耶に淹れてもらったコーヒーはいつもうまい。愛があればこそだ。
「そういえば前から聞きたかったんだけど」
「なんでしょう?」
「芸能人て結婚したり婚約したりするとマスコミに発表するだろ?モデルはどうなわけ?」
「モデルの種類によって違いますね。メインがショーだと知名度が低いですから発表しても意味ないでしょう?テレビ出演や若者向けのメジャーな雑誌がメインのモデルは芸能人と同じ扱いですから注目されますし」
「ふーん。じゃあさあ……直江はどうしてんの?」
「私ですか?」
確かに結婚はしていないから世間一般では独身だ。しかし現在は高耶と結婚同然の生活をしている。そう考えると既婚者という括りになるのだろうか。
「聞かれない限りは答えないようにしているので……どうなんでしょうね。プライベートなことですから公表するつもりはありませんけど……」
「そうか〜。確かにタチバナが既婚者で毎日嫁さんにデレデレしてる図ってのは想像したくねーもんな」
「結婚しているからって毎日デレデレするとは限らないじゃないですか」
「でも直江は実際にデレデレしてるじゃんか」
それを言われたらぐうの音も出ない。
同居するようになってからは1日たりともデレデレしなかった日はない。
「千秋みたいにプライベートでも仕事でも裏表がないやつは結構自由なブログ書けるけど、直江の場合は裏表がありすぎるからすごい気をつけなきゃいけないよな」
「裏表ではなくて仕事と私生活をきっちり分けてるって言ってくださいよ」
「どっちでもいいよ、どうせ同じ意味なんだから」
違うと言いたいところだったが考えれば考えるほど高耶の言う通りな気がしてくる。高耶で世界が構成されている直江なのだから当たり前だ。
気を取り直してまたパソコンに目を移し、高耶にさっきの女性のコメントを読んでもらった。
「他の人とはちょっと違って私が欲しい言葉をくれるんですよ」
「……へ〜」
高耶がちょっとだけ読んで目を逸らしたのでまた嫉妬しているのかと思い顔を見た。
口を尖らせているからたぶんそうだろう。
その姿が可愛らしくてたまらずに抱きしめた。
「なんだよッ」
「やっぱり高耶さんが一番可愛いです!」
「なにそれいきなり!」
押し返されたがそれこそ嫉妬している証拠なのだから離すまいと直江の腕に力がこもる。
「妬いてくれたんでしょう?」
「妬いてないよ、バカ!いいから離せ!」
しかし直江は絶対に離さない。隙を狙ってキスをしたら今度は顔を真っ赤にして照れている。
「愛してます、高耶さん!」
「う〜!」
その一言が高耶を陥落させた。直江に身を任せてあとはなすがままに。
やっと直江がブログに慣れて色々なことを書き始めた。主に仕事場でのエピソードやその時々の感じたことを短めに書くだけだが、それがちょうど読みやすいことと、タチバナの外見とは違って素朴なイメージが受けているらしく、日が経つにつれ読者が多くなっていった。
その日は休みで家にずっといるつもりだった。その家で一番落ち着く場所ということでリビングの写真を撮った。全体を撮るのは抵抗があったので、テーブルに高耶が作ったコーヒーを真ん中に置いて、向かい側のソファや棚などが写るように狭い範囲を撮った。
先日の高耶から聞かれたことを思い出して、タチバナには恋人がいるという証明になるようなものをファインダーに入れた。コーヒーのマグカップを2個。
これでタチバナは誰かと二人暮らしだという小さな主張ができる。
「お、うまく撮れました」
「どれ?あー、なんかオシャレに撮れてる」
「これアップしてもいいですか?」
「いいよ」
『今日は休みの日です。自宅でくつろいでいます。好きな音楽をかけて、美味しいコーヒーを飲んで、窓から青空を見て。至福のひとときです』
直江の携帯を覗き込んでそれを読んだ高耶が提案した。
「この文章だったら写真には青空入れたらいいんじゃないか?テーブルとカップと空。アングルはこんな感じで……」
高耶が直江の携帯を持って床に寝転んだ。
「うん、これいい!!直江、横から顔出してコーヒーを手に持って!そうそううまい!」
高耶が床に寝そべって、テーブルのガラスの天板の下からマグカップの底を写す。その上に直江がカップを持って飲んでいる、直江の背後にはガラス越しとはいえ雲ひとつない広い青空だ。
下からのアングルは空の青さが引き立つ上、逆光になってしまうが直江の存在感が出る。ガラステーブル越しだから
直江の顔もはっきり見え、さらには髪が輝いて見える。
「これいい!撮るよ!超いい写真だよ!直江笑って!いつもオレに笑いかけるみたく!」
何枚か撮ったその写真はまさに高耶を愛している直江の顔だった。
カメラの画面で見てみると、ガラスの乱反射や奥行きがちょうどいい配置で本当にうまく撮れている。
青空の下の直江は誰もが見ても最高の笑顔をしているだろう。
「これをブログでだせ!」
「はい!今からすぐに!」
それを使ってブログにした。今日は休みだからリアルタイムでコメントが読める楽しみがある。
アップさせて10分もするといつもコメントをくれる女性たちが連続で書いていた。
「ふえ〜、すごいな今日は。タチバナの家ってだけでこんなに熱くなれちゃうんだな〜」
「どんな住まいか気になってたんでしょうね。今度は100円ショップで買ったものとか並べてみましょうか」
「ダメだよ。タチバナのイメージ崩れる」
コメントをひとつひとつ読んでいたらまたあの女性からコメントが来た。ハンドルネームは『館』さん。
『タチバナさんのお気に入りのリラックス場所には青空があるんですね。タチバナさんには青空が似合います。私の勝手な想像ですが、タチバナさんは恋人を太陽のような人って思っているんだと思います。きっととても仲がいいんだろうなって思って憧れます』
なんだかどこかで聞いたような話じゃないか……
彼女はエスパーなのだろうか。それとも知っているのか。知人のような感じはしないんだが。
そこで直江は高耶がいないことに気がついた。トイレにでも行ってるのか携帯電話を置きっぱなしで。
フラップを開けたままだったのが気になってちょっとだけ覗いてみた。
その画面には。
「ん?『送信しました』?『10時12分』……?」
見てはいけないと思えば思うほど高耶の携帯を見たくなる。基本的に高耶は隠し事をしないから携帯を見られても全然平気、と常に豪語しているのだ。見ても怒られないだろう。
『送信しました』の画面がパッと切り替わると直江のブログの投稿欄の画面だ。
高耶がイタズラで送ったのかと思ったが、10時12分の投稿はあのステキな女性『館』さんだ。
ちょっとだけ考えて気がついた。
「……館さんて…………高耶さんだったのか!!!」
高耶を反対から読めば『やかた』だ。
道理で直江が喜ぶ言葉ばかりを使ってくるわけだ。匿名でブログにコメントするなんて可愛いことをする。
それを知った直江はもう天国にも昇る心地だ。
トイレから戻った高耶は何も気付かずに携帯を閉じてテーブルに置いた。
このちょっとクールを装っている恋人はどう思っているのだろうか。
直江のブログを心配したり喜んだりしているのだろうか。
きっと一番楽しみにしていたのは高耶で、直江を毎日見ているから優しい言葉で応援してくれたのだ。
先日、直江が『館さん』のコメントを高耶に読ませてみたら目を逸らしたのは、嫉妬ではなくてただ恥ずかしかっただけのようだ。
高耶に気付かれたら二度とコメントはもらえないと思って見ていないことにした。
これから毎回『館さん』からのコメントを読んで、高耶が普段言わないことを知ることができる。
たくさんの人の中で知らず知らずに高耶を選んでしまった。これは偶然ではないと直江は信じる。
お互いの姿が見えなくても手を握っただけで高耶だとわかる自信がある。
どんなに混雑している人ごみでも高耶をすぐに見つけることも出来る。絶対に。
「高耶さん」
「ん〜?」
「ブログやってみて良かったです」
「そっか」
直江以上に嬉しそうな笑顔で答えた高耶を見て、思わず手が伸びた。そっと背中に手を回して引き寄せてキスした。
「なんだ急に」
「高耶さんのいい笑顔が見られたから」
「じゃあもっとしろ」
冬の抜けるような青空を背にして直江は高耶にキスをする。
そんな直江を知っているのは世界で唯一高耶だけ。
おわり