高耶さんは18歳


第4話 

加齢臭とオレ

 
         
 

オレの旦那さんはメチャクチャかっこよくて、優しくて、頭が良くて、運動も出来て、何一つ欠点がない人間だ。
唯一の欠点といえば少し変態なぐらい。
けどそれはオレに対してだけだから無いに等しいってことにしておく。

だけど最近ちょっとだけ「おや?」って思うことがある。
何かって?それは直江がオヤジ臭いってことだ。

主に朝、そー感じるわけだけど、たぶんみんなが思ってるようなことじゃない。
起きる時に「よっこいしょ」って言ったり、椅子に座ると「あ〜」って言ったり、肩にサロンパスを貼ってたり、靴下をクンクンやったり、そーゆーことじゃない。

オヤジ臭いんだ。加齢臭ってやつだ。

本人は気が付いてないらしいんだけど、確実に加齢臭がしてる。
一番わかりやすいのは枕。毎日洗濯したいぐらい。でも毎日は面倒だから1週間に2回しか洗わない。
オレの枕はシャンプーの匂いしかないのに、直江の枕は……オヤジの匂いだ。

それを母さんに話したら「そんなもんよ」って言われてオシマイだった。
そんなもんなのか〜?世の中の奥さんは旦那さんをそんなふうにあしらうのか〜?

ま、いいや。直江が臭くなればモテモテ先生じゃなくなるもんな。
女生徒にも女教師にもバスや商店街やジャスコで旦那さんに見蕩れるウザい女が減るって思えばいいのか。
だけどなんか納得いかないんだよな〜。

 

 

 

ちょっとだけゴホゴホやりながら、旦那さんが洗濯物を干してる。これは旦那さんである直江の日課だ。
オレが朝イチで洗濯機を動かしてから料理をするんだけど、洗濯が終わったら直江が干す。
それから学校だ。

「直江、朝飯できたぞ。洗濯物終わったら早く来い」
「はい」

季節の変わり目で体調を崩した直江のリクエストで今朝のご飯は中華粥だ。
鶏肉とタマゴが入ったゴマ油風味のお粥にザーサイやネギを好みで入れて食べる。

「喉痛い?」
「授業するぐらいなら大丈夫ですよ。熱もないし、体もだるいわけじゃありませんから」
「あんま無理すんなよ?」
「はい」

今日も直江の笑顔はとびきりかっこいい。
だけど今朝の枕もオヤジの匂いがした。29歳ってもう中年なのかな〜?

「……高耶さん?どうしたんですか?」
「え、いや。なんでもない」

加齢臭のことなんて本人に言ってもいいものか。やっぱプライドとかあるんだろーし。
考えてるうちに直江が学校に行く時間になった。
オレはもうちょっと後で出かけるから玄関でお見送り。

「チューは?」
「少し風邪気味ですから、おでこに」

おでこにチューされたって何だって、一緒の家に住んでるからすぐ感染ると思うんだけど。
ま、いいか。チューされなかったら寂しいもんな。

「いってきます」
「うん、いってらっしゃい」

チューしてきた直江はいつものトワレの匂いがした。加齢臭なんぞしなかった。
さてはトワレで誤魔化してるな。そういう日々の努力も中年には必要なのかな〜。
旦那様は中年かあ……。なんだかなあ。

 

 

 

 

授業が終わって部活に出て、商店街で夕飯の買い物をしてから家に帰った。
直江は今日、顧問をやってる歴史研究会の活動で遅くなるって言ってたからまだ帰ってなかった。

急いで夕飯の準備をしなきゃいけないから、制服を着替えてからすぐにキッチンへ。
今日のメニューは風邪気味の直江のために、栄養満点野菜たっぷりポトフと、弱った胃に優しい牛乳たっぷりオムレツと、耳を切った食パンだ。洋風食卓の完成。

ちょうど出来上がったところに直江が帰ってきたから、玄関までお出迎えしに行ってギューしてもらった。
…………加齢臭。
トワレはもう効果薄くなってて、首のとこから直江らしからぬ加齢臭が。

これ奥さんとして言わなきゃいけないよな?学校でもオヤジな匂いがしたら大変じゃん。

「なあ」
「はい」
「おまえ、くさい」

「臭い」と腕の中にいる奥さんに言われて、旦那さんは硬直した。
言い方考えれば良かったな〜!失敗しちゃったな〜!

「……くさい……ですか……」
「ええと……その……なんつーか……オヤジの匂いっつーか……」
「……う!」

直江はオレをドンと突き飛ばして泣きそうになりながら走って階段を上った。そんで寝室に。
マジ?!そんなにショックだったわけ?!
そりゃオレも言い方悪かったとは思うけど!だけど事実なんだからしょうがないじゃん!
高校生のオレに中年に気を使った物言いをしろって方が無理なんだ!

とりあえず追いかけて寝室のドアを開けると、直江は服を剥ぎ取るようにして着替えてた。
そんで。

「クリーニングに出しておいてください!」

そう言いながらスーツとワイシャツを床に投げつけた。
拾おうとしたら「やっぱり自分で出します!」と叫んで服を抱え込んだ。

「これからはもう洗濯物も高耶さんのものとは別になるんでしょうか?!」
「は?」
「思春期の女子がお父さんの靴下や下着と分けて洗ってくれって母親に言うように、あなたも私の洗濯物と自分の洗濯物を分けるんでしょう?!そしてそのうち私の下着や靴下をワリバシでつまんで洗濯機に入れるようになるんでしょう?!年齢が憎いです〜!」

……オレ、そこまで言ってないんだけど。

「そりゃ高耶さんの服はいつもいい匂いがします!一般の思春期男子高校生の制服のようなアノ匂いはしませんよ!いつもいつも抱きしめると爽やかな太陽と風の匂いがしますよ!そんなあなたと服と私のオヤジ臭のする服と一緒に洗いたくないって気持ちはわかりますが!でも夫婦じゃないですか!」

だからそこまで言ってないっての。

「私のぱんつと高耶さんのぱんつが絡まりあって洗濯機の中でダンシングなのに!」
「落ち着け!!オレはそんな話してねえ!」

混乱中の直江はオレに怒鳴られて大人しくなった。そんで目をウルウルさせた。

「……服は一緒に洗う。ぱんつも一緒に洗う。ワリバシでつまんだりしない。オレが言ってるのは直江の首筋から立ち上る……ええと、その……か、か、加齢……臭のことを言ってるわけで……」

加齢臭、と言われた直江はそれがトドメだったみたいに白目を剥いてベッドに倒れた。

「……中年ですから……ええ、私はオッサンですから……仕方ありませんよ……不可抗力ですよ……」
「……だからな、それって仕方ないんだろ?だったらさ、ほら、薬局とかで売ってる匂い消しだとか、デオドラントナントカだとか、そーゆーので消して、それからいつものトワレを付けたらいいんじゃないかってことで……。職員室にもそーゆーの用意しておいて、トワレも小瓶に入れて持ち歩けばさ……なあ?」
「すいません……中年の旦那さんで……私が中年なばっかりに……」

ダメだ。落ち込んじまった。

「あのさ!直江が中年だろうが加齢臭だろうがオレは愛してるから!離婚も絶対しないから!大丈夫だから落ち込むな!」
「はい……それはわかりましたが……」
「んと、とりあえずメシ食おう!腹が減ってるから暗く考えちゃうんだよ!な?!」
「はい……」
「いつまでもぱんつ一丁でいたら風邪がひどくなるから着替えろって」

直江に部屋着の長袖シャツを着せて、ネル生地の深緑チェックの部屋用ズボンを穿かせて、手を繋いでダイニングへ。
背後で項垂れる直江が可哀想ではあったけど、学校で「橘先生ってオヤジの匂い」とか言われるよりいいだろ。

「ああ、オムレツが冷めちゃった……チンしようか?」
「はあ……」

せっかく中身をトロトロに作ったってのに、チンしたら固くなっちゃうな。
でも中身のクリームチーズはあったかいまま食った方が美味いし、仕方ないや。

そんなオレの美味しいオムレツも、ポトフも、直江は残さず食べたけどずっと暗いままだった。
なんかすっごい可哀想になってきたから、リビングで歴史番組を見ながら溜息をついてる直江にバニラアイスを持って行って、一緒に食った。

「なおえ、あーんして?」
「……はあ……」

パクリ。冷や冷や。

「オレにもあーんやって?」
「……はい、あーんしてください……」

ノリ悪!!
いつもの甘甘旦那さんじゃないみたいだ。いつもだったらあーんしたついでにチューもするのに。

「……なあ、本当に直江のこと好きだから、そんなに落ち込まないでくれよ〜」
「でもくさいんでしょう?」
「でも好きなんだってば」
「……今までと変わらずに?」
「うん」
「どのぐらい?」
「そーだなー。ちょー好き」
「ちょーってどのぐらいなんですか?」

どのぐらいって……どのぐらいなんだろう?
ボキャブラリーねえからな、オレ。

「あ、そうだ。直江が歴史好きなぐらい好き」
「……私は歴史よりも高耶さんの方が好きですよ」

しまった!また間違えちゃった!

「んーと!んーと!それよりもっと好き!直江だったら中年だろうが老人だろうが亡霊だろうが、もうどうにでもして〜♪って感じぐらい好き!」
「……もうどうにでも……して?ぐらい?」
「そう!」
「高耶さん、キスしてください」
「んっ」

ようやく機嫌が直った旦那さんはチューしてから一緒にお風呂に入りましょうって言った。
そんで石鹸のいい匂いの旦那さんにもっとたくさんチューしてくださいってさ。
可愛いとこあるじゃんか。

 

 

 

数日後、直江に風邪をうつされた。あれだけチューしてたら当然か。
かかりつけの病院に行って風邪薬をもらって帰ってきて、とりあえず寝てなさいって直江に言われてベッドに入った。
そしたら。
直江の枕が全然匂わなかったんだ。むしろいい匂いがしてた。

「……直江のオヤジ臭がしない……」

そーいえばここんところ気にならなかったな。鼻が慣れたんだとばかり思ってたけど。

「直江、ちょっとこっち来て」

ゆたぽんを用意してた直江をベッドサイドに呼んで、首に抱きついた。

「なんですか、そんなに甘えて」

嬉しそうにクスクス笑ってるけど、オレがしてるのは甘えてるわけじゃない。
匂いを嗅いでるんだ。

「……くさくない……直江、いい匂いする」
「え?」
「洗濯物のいい匂いがする。太陽と風の」
「……加齢臭しないんですか?」
「うん」
「それならいいんで…………。高耶さん……くさいですよ……」
「え?!」
「真夏の制服男子高校生の集団みたいな匂いが……」

ま、真夏の制服男子高校生集団みたいな?!って、アレか?!アノ匂いか?!
洗って干さなかった雑巾みたいな?!

「直江!オレがくさくても好きだよな?!ちょー好きだよな?!歴史よりも好きだよな?!」
「え……ええ。も、もちろん大好きですよ」
「その間は何だ?!」
「好きですってば!」

なんでこんなことに?!風呂は昨日ちゃんと入ったからそんな匂いはしないはずなのに!
パジャマだって洗いたてだし、ぱんつだって今朝替えたばっかりだし!

「ヤダー!くさいオレなんかオレじゃないー!!」
「あ、もしかして」
「何?!なんか思い当たったのか?!」
「……風邪薬のせいじゃないでしょうか?」

かぜぐすり……?

「薬を飲んでると体臭が変わるって言いますから。私は加齢臭、高耶さんは……その、真夏の制服男子高校生の集団臭に似た体臭になったんじゃないですかね?」

そうかも。
直江をくさいって初めて思ったのは、風邪薬を飲み始めたあたりからだった。
なーんだ。そんなことか〜。

「バカバカしいですね」
「だな」
「じゃあ、安心したところで温かくして寝てください。あとで私も一緒に寝てあげますから」
「真夏の制服男子高校生集団臭でも?」
「それでも高耶さんの匂いですからね。どんな高耶さんだって愛してますよ」
「直江、ちょー好きぃ!」

んでオレはその夜、あったかい直江の体に包まれて眠った。
直江はいい匂いで、安心して眠れた。
ああ、いい旦那さんだな〜。結婚して良かった〜。

 

 

「……眠れん……」

 

 

END

 

 
   

あとがき

まさか直江に加齢臭なんて!
と、いう勝手な思い込みを
かなぐり捨てて書いて
みましたが。

   
         
   
   
         
   
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