奥様は高耶さん



番外


仰木くんと私

 
         
 

 

とある秋の日曜日、私はでかけるために服を選んでいた。

今年の4月から1年生の担任になり、自分で考えていたよりも順調にクラスはまとまっている。
その中に仰木高耶という生徒がいて、彼が入学してしばらくしたころに怪我をした。球技大会の練習での出来事だった。

彼は見た目はちょっと性格のきつそうなイメージなのだが、内面はとても可愛らしい純情な子だ。
口調も丁寧ではないし、態度もおとなしいとは言い難く、成績は……正直言ってひどい。
あまり先生受けするタイプではないが、彼の華やかな行動や美しい容姿や晴天のような性格のせいか生徒からの人気はそこそこある。

強くて頼りがいのある仰木くんがキャプテンを務める球技大会のバスケットボールチームでの練習で、仰木くんは怪我をした。
保健室に連れて行く時にあまりにも痛々しかったから、いい教師ぶって抱き上げたのが運の尽き。
彼の匂い、不満そうな視線、甘えた口調、滑らかな肌、形のいい足、私の直感が彼しかいないと叫んだ。
そう、私は恋に落ちたのだった。

怪我をした仰木くんを車で送って帰る際に、趣味の話をした。
仰木くんの趣味はマンガを読んだり、友達と喋ったり、買い食いしたり、ゲームをやったり、どこにでもいる高校生のようなものだった。

先生は?と聞かれて、日本史に関する史跡を回ったりしてドライブをするのが好きだと答えたら、彼は面白そうだなと言って笑った。

……ここは誘うしかあるまい。恋した相手が私の趣味に興味を持ったと思ったら誘って口説くしかあるまい。
そういうフラグが立っているとしか考える他あるまい。

という思考の元、仰木くんに「じゃあ今度一緒に行きますか?」と誘いをかけてみた。
私にとっては一世一代の大勝負。
生徒と個人的に出かけるのは固く禁じられている。それに仰木くんだってお世辞で面白そうと言ったのかもしれない。
しかし、彼は「行きたい!」とアッサリ承諾した。
それから私と仰木くんは月に1回ペースで、学校には内緒で出かけている。歴史探訪という名目ではあるが。

その歴史デートの予定は今月はない。先月は新撰組を偲ぶ会と銘打って都内を数箇所ドライブした。
次回はどこがいいかと考えていたのに仕事が忙しくなってしまって、仰木くんを誘えないまま今日になった。

今日は……たいした用事で出かけるわけではない。
昨日、同じ学年を受け持つ山本先生が「橘先生の見たいっておっしゃってた映画のチケットをもらったんですけど、良かったら一緒にいきませんか?」と誘ってきた。
見たい映画だったので普通に「いいですよ」と答えたので、今日は山本先生と映画鑑賞だ。

この映画だって本当だったら仰木くんと行きたいぐらいなのだが、生徒と歴史探訪するのと、生徒と映画に行くのでは意味合いがまったく違う。
仰木くんに「歴史関係ないなら行かない」と言われたらショックで寝込んでしまいそうだし、私の下心を知られてしまって嫌われたら学校を辞めるしかない。

仰木くんとは3年間、教師と生徒として歴史探訪を続けていくしかないのだ。

「……これでいいか」

適当に服を選んだ。出かける相手が仰木くんでないのなら、めかし込んでも仕方がない。
時間に間に合う程度に家を出る。仰木くんとの待ち合わせは10分前行動が原則だが、他の人間ならギリギリでかまわない。

待ち合わせの映画館前に行くと山本先生が立っていた。
山本先生は学校では真面目な服装をしているが、仕事以外では意外に派手なのだと知った。
胸元の開いたヒラヒラしたブラウスに、短めのスカート。こちらも裾がフレアになっていてヒラヒラ系だ。
靴はかかとの高いエナメルのハイヒール。バッグはルイ・ヴィトン。髪型は学校では絶対にしない縦ロール。
雰囲気が違うから最初は気付かなかったが、待ち合わせ風の人間が彼女しかいなかったのでわかった。

そういえば仰木くんは見違えるほど学校と普段では違わない。高校生らしい普通の格好だ。
なのに目映く見えるのはなぜだろう。彼という人間が持っている輝きなのだろうか。

「橘先生!」
「こんにちは、山本先生。今日はご厚意に甘えてしまって申し訳ありません」
「いいんですよ、さ、始まってしまいますから入りましょう」
「ええ」

映画館に入って席につくとすぐに映画は始まった。
なかなか見ごたえのある映画で、高校生ぐらいならこの程度の難しさにも耐えられるだろう。やっぱり仰木くんと来たかった。
しかし私も仰木くんも男だ。年齢も離れている。歴史探訪ならば年が離れていても男同士でも不思議はないが、映画鑑賞となったら話は別だろう。
つらい恋だな……。

映画は2時間で終わり、私と山本先生は外へ出た。時間はまだ午後5時半。
もう帰ってしまおうかと思ったが、山本先生の目が何かを求めているようだ。
もしかしたらお腹が空いているのかもしれない。

「少しお茶してから夕飯でも行きましょうか。映画のお礼にご馳走しますよ」
「……本当ですか?!」
「ええ。時間、大丈夫ですか?」
「はい!」

そういえば仰木くんはクリームソーダが好きで、探訪の休憩に喫茶店に入ると必ず注文していたな。
それに何か食べようと言うとカレーにラーメンにスパゲッティに牛丼と言い出す。
子供の味覚なのかもしれない。そんなところもとても可愛い。

目の前に運ばれてきたコーヒー2つを見ながらそんなことを考えていたら、山本先生が今日の映画について話してきた。
さすが教師なだけにうまく感想を話す。聞いていてわかりやすい。

仰木くんと今日の歴史探訪についての話をすると、たいがいうまく感想を言えずに終わる。
でも楽しかったと殺人級の笑顔を見せるから、毎回私の胸は締め付けられてどんどん小さくなっていって、最後には超新星爆発するんじゃないかと思うほどだ。

「そろそろお腹も減りましたね。夕飯にしましょう」

映画についての論評も飽きたのでとっとと夕飯を済ませて帰ってしまおう。
それがいい。面倒は早めに終わらせるのが私の方針だ。

「ええと、このへんで美味しいカレーかラーメンか、スパゲッティというと……」
「カレー、ですか?」

あ、そうだった。今日は仰木くんと一緒ではないのだからカレーやラーメンでなくてもいいのか。
女性というのはお返しは倍と決まっているらしいから、映画のお返しだと約4000円の食事ということになるのか。
だったら目の前にある家庭料理風のイタリアンでいいか。

「あ、じゃあ、ここにしましょうか」
「どこでもいいですよ♪」

どこでもいいんだったらあっちの回転寿司でも良かったか。そういえば仰木くんも回転寿司が好きらしいな。
まだ一度も一緒に入ったことはないから、今度誘ってみるか。

「橘先生、お酒は少し飲みます?」
「いえ、今日は結構です」

帰ったら仰木くんとの歴史探訪のための調べ物をしたいしな。酒が入ったら綿密なスケジュールが立てられない。
しっかりと決めて電話で誘ってみるか。

女性の好きそうなメニューを注文して、学校での話題や教育方針について少し話して、あとはなぜか質問をされた。

「橘先生はご結婚なさらないんですか?」
「はあ、相手が……なかなかいないもので」

仰木くんと結婚できたらそれこそ楽しいだろうに。毎日あの笑顔と軽快なトークで私を癒してくれるに違いない。
それにきっと可愛らしい一面もたくさん見られる。
料理に失敗して上目遣いで私に許しを請うところ。甘えてキスをねだるところ。せんせ〜なんて甘えた口調で仕事中の私の邪魔をするところ。
考えただけで心がポカポカする。
しかし仰木くんだってきっと好きな女の子がいるに違いない。そしてその子と楽しい青春を想像しているんだろう。
ああ、どうして私が教師で男なのか。せめて女教師だったら仰木くんと結婚できるチャンスもあるだろうに。

「橘先生でしたら結婚相手なんてすぐに見つかりますよ。案外近くにいる人かもしれませんよ?」

案外近くに……。

「ああ、そうだったらいいですねえ」

仰木くんだったらどんなにいいか。絶対に幸せにするし、絶対に幸せになる自信がある。
どんな障害にだって仰木くんのためなら耐える。仰木くんを泣かせるようなことは断じて私が許さない。
結婚など仰木くん以外考えられない。

「もし結婚なさるとしたら今のマンションにそのままですか?」
「いえ、今は賃貸ですから、一戸建てを買うと思いますよ。つつましい家でいいから、安住の場所を与えてあげたいじゃないですか」

仰木くんの家は一戸建てだからな。いきなりマンションなんて慣れない住まいはイヤだろう。
それにせっかくだから彼のための家を建ててやりたい。背の高い彼だから女性用のキッチンは使いにくいだろうし、夏生まれで冬が苦手だと言っていたから床暖房も完備だ。

「いい旦那様になれそうですね……橘先生って……」
「そうですか?」

山本先生は結婚願望が強いのか、何かを想像しながらうっとりとしていた。きっとまだ顔も知らない結婚相手を想像しているのだろう。

「ところで山本先生はどんな男性が好みなんですか?」
「え?私ですか?私は……背が高くて」

仰木くんは確か176センチだったな。まだ伸びるのだろうか。(2センチ伸びます)

「穏やかな話し方で」

穏やかな話し方を仰木くんが出来るのはきっと30歳を過ぎてからだろうな。

「知的で」

ああ、そうだ。成績に関して一言言わなければいけなかったか。数学だけはどうしても苦手らしいから。

「ちょっと年下で」

私の場合は大幅に年下だな。これも障害のひとつだが、もし彼がうんと言ってくれるのなら年の差だって怖くはない。

「同じ仕事をしていたらいいなあと思います」
「そうですか。いたらいいですね、そんな人が」
「……え、ええ……」

そこで時計を見たら午後8時すぎ。少々予定よりも過ぎてしまった。
そろそろ帰るか。次のデートの調べ物のために。

「もう出ましょうか」
「あ、はい」

会計を済ませて外へ出た。映画館があるような繁華街なのでネオンが瞬いている。
こんな場所に一度でいいから仰木くんと来てみたいものだ。

「じゃあ」
「はい……」

別れ際、山本先生は物足りないような顔をしていた。さっきレストランで酒がどうこう言っていたからもしかして酒が飲みたい気分だったのかもしれない。
まあ、そんなものにまで付き合う必要はないか。とっとと帰ろう。

 

 

それから一週間後、私は仰木くんと歴史探訪デートに出ていた。今日は横浜で明治維新の話だ。
久しぶりだったから歴史の話のほかにも色々と最近の出来事を話した。

「先週、映画に行きましたよ」
「へ〜、なんて映画?」

タイトルを言うと仰木くんはまったく知らなかったようで、どんなストーリーかを聞いてきた。
細かく話すと「オレも見ようかな」と言って興味を示した。こんなことなら誘えばよかったか。
いやしかし、私と仰木くんで映画なんて教師と生徒にあるまじきこと。……悲しいが。

「誰と行ったの?」
「…………」

ここで山本先生だと言ってしまえば私と山本先生が付き合っているのかと思われる。
そうなったら優しい彼のことだからこの歴史デートだって「次からは山本先生と行けば?」と言われてしまうかもしれない。
たったひとつの私の楽しみがなくなってしまうかも……。

「デート……?」
「いえ、そういうものでは……」
「でも女の人だろ?」
「あ……まあ、女性と言えば女性ですが」
「ふーん……」

それからしばらく会話が続かなかった。私は誤解されたのかとドキドキしっぱなし。
仰木くんはなんだか沈んだ様子だ。
有り得はしないが……これが嫉妬だったらどんなにか嬉しいことだろう。

「先生さ、もしオレと歴史探訪するのイヤだったらもう誘わなくていいから」
「え?」
「せっかくの休みなんだろ?だったら彼女とか、好きな人とか、そーゆーのとデートしなよ」
「……仰木くんはイヤなんですか?」
「ううん。楽しい」
「じゃあこれからも出かけましょう。歴史って楽しいでしょう?」
「うん」
「成績も上がってきてますしね。せっかくだから続けましょう」

はにかみながら「うん」と返事をした仰木くんはとても可愛かった。たとえこれが成績のためだとしても、私は彼と出かけられるなら文句はない。
彼は笑ったまま停泊中の船を見ていた。

「……もうちょっとだけ夢見させてください」
「ん?なんか言った?」
「いいえ」

私の小さな声は船の汽笛にかき消されて仰木くんの耳には届かなかった。届かなくてもいい。
あなたに嫌われてしまうなら届かなくていい。

「今日は回転寿司に行きましょうか」
「うん!」

あと2年半、私はあなたとこうして歴史探訪をする。
それで終わりだ。
それだけの関係だったとしても、あなたの笑顔を忘れない。

きっと最後の恋だから、大事にしておこう。
高耶さん。私はあなたに恋をしています。

 

END

 

 
   

あとがき

ずっと気になってた山本先生と直江のデート。
これで山本先生が「橘先生は上の空だった」と
言っていたのが解明されました。
まさかマヌケな結婚生活が待っているとは
思っていない直江は切ない気持ちで
いるのでした。合掌。


   
   
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