奥様は高耶さん



番外


春休みと私

 
         
 

 

「オレ、先生のこと好きだ!」

修了式が終わって生徒が下校した後に、仰木くんが社会科準備室に入ってきてこう言った。
なにやら焦って色々と口走ってはいるが、その半分も私は聞いていなかった。
なぜならまるっきり信じられなかったからだ。

仰木くんに恋をしたこの1年間、二人でこっそりと歴史探訪をしたりもしたが、仰木くんはただ無邪気に外出を喜んでいるだけだと思っていた。私を好きだなんてそぶりを見せなかったから、この告白はいったい何事かとパニックになっていた。

仰木くんのがなり声が終わってハッと我に返ると、彼は下を向いて戸惑い出した。
言ったことを後悔しているのか、それとも恥ずかしいだけか。

そこで準備室のドアが開いたままだったことに気付いた。
もしも今の告白を誰かに聞かれていたら、教師と生徒がなんたることだとせっかくのチャンスをなくしてしまうかもしれない。

そう思って急いでドアを閉めた。

「そういうことはドアを閉めてから言ってください」
「へ?」
「誰もいなかったからいいようなものの…誰かに聞かれたらどうするんですか」

例えば口うるさい教頭だったり、お喋りな門脇先生だったり、四角四面の山本先生だったり。
いや、誰に聞かれてもマズイのだが。

「すいません……」
「仮にも私とあなたは教師と生徒なんですよ。おかしな噂でも立ったらどうするんです?」
「……う〜」

このチャンスを逃すまいとした私の口調は思ったよりも厳しくなってしまったらしく、仰木くんはほろほろと涙を落としてしまった。
まさか仰木くんが泣くなんて!あの気の強い子が!なんて可愛いんだ!

それから変に誤解をした仰木くんが私の前から逃げ出そうとしたのを捕まえて思いっきり抱きしめた。
二度と離すものか。このまま一生過ごしたってかまわないんだ。なんなら学校を辞めたって……イヤイヤ、それはいけないか。仰木くんと過ごす学校生活を大事にしなければ。
自分の気持ちをしっかり伝えて誤解を解き、恋愛としてお付き合いをすることになった。

泣いたり戸惑ったり驚いたり。まったく仰木くんは可愛い。

「先生、大好き!」
「私だって仰木くんが大好きですよ」
「せんせ〜」

準備室で仰木くんをギューギュー抱きしめて、頭を撫でて、生徒と先生の関係ではなく恋愛なんだと確認しあって手を握って、仰木くんのお腹がグーと鳴るまで過ごしていた。

 

 

 

翌日からは春休みだ。教師の春休みは忙しいのだが、せっかく仰木くんとお付き合いをすることになったのだから出来るだけ会うことにした。
さっそく初日から仰木くんとドライブに行った。

「先生さ、オレ、これからは歴史だけじゃなくていろんなとこ行きたい」
「例えば?」
「デートっぽく遊園地とか、ボーリングとか、動物園とか、ショッピングとか」
「そうですね。せっかくお付き合いしてるんですしね。その前に一個だけ改善しましょう」
「かいぜん?」

ちょっと警戒させてしまったらしい。改善という言葉が悪かったか。
仰木くんは何を言われるんだろうというような顔をして運転をしている私を見ている。

「改善というか、まあ、私からのお願いなんですが」
「なに?」
「先生って呼ぶの、二人きりの時はやめてくれませんか?」
「なんで?」

なんでって……彼の天然なところはとっても可愛いと思うのだが……。理解力がちょっと……。
せっかく恋人同士になったのだから特別な呼ばれ方をしたいじゃないか。

「好きな人から先生って呼ばれるのはイヤなんです」
「……す、好きな人って……」

おや、赤くなってしまった。ウブなところがまた愛らしい!

「じゃあ……じゃあ……義明さん……?」
「うッ」

くう!それはマズイ!呼ばれただけで鼻血が出そうだ!
赤信号を思わず無視しそうになったがギリギリで停止してことなきをえた。

「でもなんか変だな……それについうっかり漏らしたら先生のことだってバレちゃうかもしれないし」
「え、ええ……」

惜しいが確かにそうだ。
それで前に話していた私の旧姓、一家揃って橘になる前の「直江」になった。これなら学校関係者も知らないし、うっかり友達の前で口走っても女性の名前だと誤魔化しがきく。

「じゃあ直江な。そしたらオレも変える」
「……普段は『仰木くん』だから……高耶くんでどうでしょう?」
「子供っぽいからヤダ〜。呼び捨てでいいよ」
「呼び捨てするの、慣れてないんですよ。じゃあ……高耶さん、なら?」

しばらく「高耶さん、高耶さん」とつぶやいていた仰木くんが、信号が青になった時「いいよ!」と元気いっぱいで言った。
大人っぽくてカッコイイと。

「うひゃ〜、ホントに付き合ってる二人って感じ!恥ずかしいけど嬉しい!」
「高耶さん」
「うー!」
「高耶さん」
「直江ッ!」

その日のドライブは二人とも名前を呼ぶたびに顔を赤くしていたような気がする。

 

 

 

春休みの間、高耶さんは毎日のように電話とメールをくれた。私も負けじと慣れない指で携帯メールを打った。
そして毎日のように会った。新学期の準備で学校へ行った日だって、帰りに高耶さんを車に乗せて少し遠くの町で喫茶店に入って話したりして。

もちろん学校へ行かない日は出かけたりする。
そんなある日、出かけるには向かない日があった。雨が降ってしまったのだ。
元々「どこかにいこう」という話しかしていなかったから、出かけるのはやめにしてマンションに呼ぶことにした。
迎えに行った仰木家の前で車に乗せてその話をしてみたら。

「先生……じゃなくて、直江んち行きたい!」
「じゃあそうしましょうね」

高耶さんの家からマンションまで車で30分かかる。教師になってから実家暮らしもなんだと思って一人暮らしを始めたマンション。
まあ、なんというか大人の事情というのもあって一人暮らしをしたんだが。

「直江の実家ってどこなの?」
「高耶さんの家から歩いて20分ぐらいのところですよ」
「じゃあ学校からも近いのに。なんでわざわざ遠くに住むんだ?」

大人の事情で、なんて言えるわけもなく。

「遠くに住んでみたかったんです」
「ふーん」

良かった……疑問は持ってないようだ……。
高耶さんが嫉妬する可愛い姿も見てはみたいが、せっかく恋人同士になれたというのに機嫌を損ねてはいけない。
それに私の目的も失敗する可能性が上がってしまう。

マンションに着くと高耶さんは緊張しはじめた。好きな人と二人きりの密室には慣れてないのか。

「適当にくつろいでください。コーヒーと紅茶と緑茶とどれがいいですか?」
「んーと、コーヒー。牛乳たくさんで」
「はい」

キョロキョロと見回して興味深そうにしている。だが緊張のせいでソファにちんまり座って動かない。
まるで猫だ。

「一人暮らしかあ……寂しくない?」
「快適ですよ。たまに寂しくもなりますけどね」
「実家がいいな〜って?」
「……好きな人と暮らせたらいいのに、って」

ボッと火がついたように真っ赤になった。目を逸らして文句をつける。

「そんな真剣な顔で言うな!」
「はい?」
「なんでオレを見ながらそんなふうに言うんだよ!」
「……ああ、そうですね。そうかもしれない。高耶さんと暮らせたら楽しいでしょうね」
「……うん、オレも、そう思う……」

今がチャンスだ!この甘い雰囲気を保ったままで、初キスを!!今日の目的を!!

「高耶さん……」
「……あれは!!」

いい感じだと思っていたのに、高耶さんが目を逸らした先にあったものに気を取られてしまって失敗した。

「バットモービルだ!」

それは兄がレア物だから飾っておけと置いて帰ったバットマンの車。趣味で買い集めたものだったのだが、奥さんに「いい加減にしてよ!」と怒られ、売るのも捨てるのも惜しいとかで私に押し付けた。
要は預かれということなのだ。

「オレ、バットマンの映画が好きでさ!すげー!これってもう売ってないんだぞ。しかも買うとなるとメチャクチャ高いんだ」
「……そうですか……」

それから高耶さんの気持ちをこちらに戻すまで1時間かかった。しかも戻ってきたのが「お腹がすいた」という一言だったのだから私の落胆振りもひとしおと言ったところなのは想像に難くない。

お昼ご飯を食べに近所のファミレスに行き、デザートまで食べた高耶さんは満足してまたマンションに向かった。
今度こそ私の目的を果たさねば。高耶さんとの初キスを!
そのためにはロマンチックな雰囲気にならないといけないな。だったら映画作戦に移るか。

「何かDVD借りて帰りませんか?」
「いいよ〜」

帰りがけにレンタルビデオショップに寄ってロマンチックな映画を探した。ハッピーエンドでほんわかしたものがいいだろう。そして高耶さんが飽きないもの。

「これなんかどうでしょう?」

まだ高校生だからと思ってアニメの「美女と野獣」を選んだのだが。

「これがいい!」

高耶さんが手に持っていたのは超ハードボイルド「男たちの挽歌2」。

「直江、見たことある?」
「いえ……」
「じゃあ男たちの挽歌1は?」
「あります……」
「オレも1は見たけど2はまだなんだ。一緒に見ようぜ!」
「はい……」

映画でロマンチック作戦失敗……。男たちの挽歌2でロマンチックになれるとは思わない。せいぜい男同士の友情を確かめるぐらいだろう。

「いや〜、今日は楽しいなあ!」
「そうですか。良かったですね」

良くない!!初キスはどうなるんだ!!

マンションに戻ってからさっそくDVDをセットした高耶さん。ウキウキしている。私の気も知らないで……。
映画を見ながらドキドキワクワク、終盤では男の友情に涙をし、終わってからは放心状態だった。

「やっぱかっこいいな〜、チョウ・ユンファ」

私とチョウ・ユンファに共通しているところと言えば身長ぐらいか。顔はまったく似ていないし、二丁拳銃だって持っていない。
ユンファから初キスまで持ち込むのは限りなく無理だ。

「オヤツある?」
「ケーキがあります」
「食べよう!」

映画が終わるとすぐお腹か。今までの経験でこんなことはないから戸惑った。
しかし愛する高耶さんは何をしていても可愛いしステキだ。戸惑いも楽しい……かもしれない。
ケーキを出して話しながら食べていると、高耶さんの頬に白い生クリームがついた。これはチャンスだ。
ケーキ、グッジョブだ!

「ほっぺにクリームがついてますよ」
「え?どこ?」
「ここに……」

手を伸ばして頭ごと引き寄せて、頬にキスをしてから唇に。
そういう予定が狂った。高耶さんは自分でクリームを取ってしまった。

「………………」
「あ、取れた。サンキュ、先生」
「………………」
「先生?じゃなくって、直江?」
「それ食べ終わったらお家に帰りましょうね?」
「……なんで?」
「夕飯の時間に間に合うように」

もう初キスは諦めた。だからもういいです。また再チャレンジします。
今日はついてなかったってことで納得します。時間はまだあるんだ。春休み中にどうにかがんばろう。

「送っていきますから」

無理して笑顔を作って言ってみた。
高耶さんはキョトンとして俺を見上げる。ああ、やっぱり可愛い!大好きです!

「なんか直江、変じゃね?」
「そうですか?」
「泣きそうな顔で笑ってたら変だろ?」
「……そんな顔してますか?」
「うん。何か心配あるのか?オレと付き合ってるの不安になったりとか?学校にバレないかって心配してるのか?」

多少は不安や心配はあるがそんなことではないのだ。初キスを狙っているんだと言ったらどうなってしまうのだろう。

「そんな心配はしてません」
「じゃあ何?オレは直江の彼氏なんだから何でも話していいんだぞ?」

大人ぶった態度が半端で私の胸をズキュンと撃つ。何度もコレをやられたら悶えて死にそうだ。

「オレ直江のことちょー好きだから。たくさん何でも言って?」
「……き……」
「き?」
「キスしてもいいですか?」
「へあ?!」

とうとう言ってしまった!!マヌケな驚き方だって片手に持ったフォークだって、何をしててもどんな姿でも可愛いと思ってしまうのだから仕方ないじゃないですか!
キスしたくなっても当たり前ですよ、高耶さん!!

「きっ、きす?!って、チューのこと?!」
「はいッ」
「先生とオレが?!」
「そうです!」
「うわわわっ」

混乱してしまった。さっきまで心配そうに詰め寄っていたのに、今は私から遠ざかろうと腰を引いている。
その動揺ぶりに私の心はちょっぴり痛んだ。キスはしたくない、そう言われている気がして。

「…………やっぱり……いいです。キスは我慢します……」
「我慢て……」
「性急すぎましたね」

たぶんさっきよりも泣きそうな顔をしているだろう。情けない。大の大人がキスを失敗したぐらいで何を落胆しているんだと思われてしまったな。

「せんせぇ……?」
「かっこ悪いですね、私は。チョウ・ユンファにはなれそうにありません」
「チョウ・ユンファと先生……直江は関係ないだろ?」
「私がチョウ・ユンファだったら高耶さんだってキスを嫌がらなかったのかな、と……」

こんなに自分は卑屈で情けなかったのかと、人生で初めて思った。それほど落胆は大きかったのだ。
しかし。

「直江はユンファよりかっこいいよ!」
「え?」

高耶さんは顔を真っ赤にしながらも目を逸らさず私を見てくれた。

「直江はかっこいいし、優しいし、楽しいし、オレはチョウ・ユンファより直江が好きだ!」
「…………高耶さん……」
「チョウ・ユンファとチューしたいとは思わないけど!直江だったらチューしたいと……!」

そこまで言って口を噤んでしまった。もう一回聞かないと私の脳はついていけないのに。

「したいと……?思うんですか?」
「お、お、思う!」
「高耶さん!」

今までになく強く抱いた。ギューギュー抱いて愛しさを伝えた。

「痛い〜」
「高耶さんっ」
「離せ〜」
「離したくありません!」
「離さないと……チュー……できないだろ〜」

そうか!ギューギューしたままではキスは出来ないな!
って、してもいいのか?!今?!ここで?!
…………バンザイ!!

すかさずキスした。初めて触れ合う彼の唇は柔らかくて温かかった。そして甘い。甘いのはケーキのせいかもしれないが、とにかくこんなに甘いキスはしたことがない。

「…………うわ、マジでチューしちゃった……」
「もっとしていいですか?」
「え、ちょ、待っ……ん〜!」

触れ合うキスだけでも満足だと思っていたのに私の欲はとどまらなかった。
もっとキスしたい。触れるだけじゃなく貪りたい!!

「んん!ん〜!」

抗議のつもりか肩を押しやられているが気にしない。もっとしないとおかしくなる!
唇で唇をこじ開けて舌を押し込んだ。愛らしくふっくらした仰木くんのあの唇が今私のものに!

「せっ……先生っ……!」
「ダメです。まだ」

さらに激しくキスをして舌だろうが歯だろうがおかまいないしに貪った。何分ぐらいそうしていたかわからないがクタリと力が抜けた彼の体を支えるようになるまでキスし続けた。

「はあ……なに、今の……」
「キスですよ。大人のキス。あんまりにもあなたが可愛いから、抑え切れませんでした」
「……ふは〜」

初めてこんなキスをしたのだろうか。ぐったりと私に寄りかかって溜息ばかりついている。
きっとまだ経験がないに違いない。そうだ、童貞くんだ。きっとそうだ。そう望む。強く望む。

「イヤでしたか?」
「ううん。全然イヤじゃないけど……驚いちった」
「ねえ……もっと、しませんか?」
「……いいよ……」

夕飯に間に合うように送る、そうさっき言ったくせに、私と高耶さんは何時間もキスして寄り添っていた。
高校生でまだ16歳。そんな子供っぽい彼なのに、キスしている顔はとんでもなく色っぽくて、ヘソの下が何度も疼いてバレたらまずいことになっていた。
かろうじてバレなかったがあと一歩踏み込んだらどうなっていたかわからない。

「オレ、先生……、直江ともっとこうしてたい」
「今日はもうダメですよ。夕飯の時間を過ぎてしまったことだし、帰りましょうね」
「む〜」
「また明日」
「ずっと一緒にいられたらいいのに〜」
「そのうちね」

高校を卒業したら生徒と教師ではなくなるから、そうしたら一緒に住むのも悪くない。いや、住みたい。
まだまだ先になるだろうが私はいつまでも高耶さんに夢中でいられる自信がある。
だから高耶さんにもずっとそう思ってもらえる彼氏でいよう。

「先生と離れたくない〜」
「私もです」

抱きついてスリスリしてくる彼をギュッと抱いてから離した。これ以上一緒にいたら独占してしまいそうになる。

「もっかいチューして?」
「甘えん坊さんですね。いいですよ。キスしましょう?」

家に送り届けるために玄関へ出てキスをして、車のエンジンをかける前にキスをして、それから高耶さんの家の前でもして。

「明日な。また明日……直江んちに行くから、迎えに来て」
「はい」
「明日はもっとチューしような?絶対だからな」
「ええ、約束します」

彼が名残惜しそうに家に入るまでを見守ってから車を出した。
明日もまた昼前に迎えに来よう。そしてずっと家の中でキスしていられるように昼食も準備して、ケーキも用意しておこう。

春休みの今のうちに高耶さんを独占してキスをしまくって。
卒業までは一緒に住むことはできないけれど、ほんの少しでもいいから一緒にいられる時間を多く作ろう。

……それにしても可愛かったなあ……目を閉じただけで色っぽい顔が浮かんでくる。
高耶さんを好きになって大正解じゃないか。あんなに可愛い恋人はいないぞ。
帰ったら下半身の疼きをどうにかしなくては。これから毎日右手が大活躍決定だな。

一緒に住める日が待ち遠しい。あと2年間、じっくり待つとするか。

 

 

END

 

 
   

あとがき

じっくり待つことなく、この日から
数日後には結婚が決まります。
そして半年を待たずに結婚です。
橘先生はまともな先生です。
仰木家がおかしくしました。


   
   
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