奥様は高耶さん |
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「オレ、先生のこと好きだ!」 修了式が終わって生徒が下校した後に、仰木くんが社会科準備室に入ってきてこう言った。 仰木くんに恋をしたこの1年間、二人でこっそりと歴史探訪をしたりもしたが、仰木くんはただ無邪気に外出を喜んでいるだけだと思っていた。私を好きだなんてそぶりを見せなかったから、この告白はいったい何事かとパニックになっていた。 仰木くんのがなり声が終わってハッと我に返ると、彼は下を向いて戸惑い出した。 そこで準備室のドアが開いたままだったことに気付いた。 そう思って急いでドアを閉めた。 「そういうことはドアを閉めてから言ってください」 例えば口うるさい教頭だったり、お喋りな門脇先生だったり、四角四面の山本先生だったり。 「すいません……」 このチャンスを逃すまいとした私の口調は思ったよりも厳しくなってしまったらしく、仰木くんはほろほろと涙を落としてしまった。 それから変に誤解をした仰木くんが私の前から逃げ出そうとしたのを捕まえて思いっきり抱きしめた。 泣いたり戸惑ったり驚いたり。まったく仰木くんは可愛い。 「先生、大好き!」 準備室で仰木くんをギューギュー抱きしめて、頭を撫でて、生徒と先生の関係ではなく恋愛なんだと確認しあって手を握って、仰木くんのお腹がグーと鳴るまで過ごしていた。
翌日からは春休みだ。教師の春休みは忙しいのだが、せっかく仰木くんとお付き合いをすることになったのだから出来るだけ会うことにした。 「先生さ、オレ、これからは歴史だけじゃなくていろんなとこ行きたい」 ちょっと警戒させてしまったらしい。改善という言葉が悪かったか。 「改善というか、まあ、私からのお願いなんですが」 なんでって……彼の天然なところはとっても可愛いと思うのだが……。理解力がちょっと……。 「好きな人から先生って呼ばれるのはイヤなんです」 おや、赤くなってしまった。ウブなところがまた愛らしい! 「じゃあ……じゃあ……義明さん……?」 くう!それはマズイ!呼ばれただけで鼻血が出そうだ! 「でもなんか変だな……それについうっかり漏らしたら先生のことだってバレちゃうかもしれないし」 惜しいが確かにそうだ。 「じゃあ直江な。そしたらオレも変える」 しばらく「高耶さん、高耶さん」とつぶやいていた仰木くんが、信号が青になった時「いいよ!」と元気いっぱいで言った。 「うひゃ〜、ホントに付き合ってる二人って感じ!恥ずかしいけど嬉しい!」 その日のドライブは二人とも名前を呼ぶたびに顔を赤くしていたような気がする。
春休みの間、高耶さんは毎日のように電話とメールをくれた。私も負けじと慣れない指で携帯メールを打った。 もちろん学校へ行かない日は出かけたりする。 「先生……じゃなくて、直江んち行きたい!」 高耶さんの家からマンションまで車で30分かかる。教師になってから実家暮らしもなんだと思って一人暮らしを始めたマンション。 「直江の実家ってどこなの?」 大人の事情で、なんて言えるわけもなく。 「遠くに住んでみたかったんです」 良かった……疑問は持ってないようだ……。 マンションに着くと高耶さんは緊張しはじめた。好きな人と二人きりの密室には慣れてないのか。 「適当にくつろいでください。コーヒーと紅茶と緑茶とどれがいいですか?」 キョロキョロと見回して興味深そうにしている。だが緊張のせいでソファにちんまり座って動かない。 「一人暮らしかあ……寂しくない?」 ボッと火がついたように真っ赤になった。目を逸らして文句をつける。 「そんな真剣な顔で言うな!」 今がチャンスだ!この甘い雰囲気を保ったままで、初キスを!!今日の目的を!! 「高耶さん……」 いい感じだと思っていたのに、高耶さんが目を逸らした先にあったものに気を取られてしまって失敗した。 「バットモービルだ!」 それは兄がレア物だから飾っておけと置いて帰ったバットマンの車。趣味で買い集めたものだったのだが、奥さんに「いい加減にしてよ!」と怒られ、売るのも捨てるのも惜しいとかで私に押し付けた。 「オレ、バットマンの映画が好きでさ!すげー!これってもう売ってないんだぞ。しかも買うとなるとメチャクチャ高いんだ」 それから高耶さんの気持ちをこちらに戻すまで1時間かかった。しかも戻ってきたのが「お腹がすいた」という一言だったのだから私の落胆振りもひとしおと言ったところなのは想像に難くない。 お昼ご飯を食べに近所のファミレスに行き、デザートまで食べた高耶さんは満足してまたマンションに向かった。 「何かDVD借りて帰りませんか?」 帰りがけにレンタルビデオショップに寄ってロマンチックな映画を探した。ハッピーエンドでほんわかしたものがいいだろう。そして高耶さんが飽きないもの。 「これなんかどうでしょう?」 まだ高校生だからと思ってアニメの「美女と野獣」を選んだのだが。 「これがいい!」 高耶さんが手に持っていたのは超ハードボイルド「男たちの挽歌2」。 「直江、見たことある?」 映画でロマンチック作戦失敗……。男たちの挽歌2でロマンチックになれるとは思わない。せいぜい男同士の友情を確かめるぐらいだろう。 「いや〜、今日は楽しいなあ!」 良くない!!初キスはどうなるんだ!! マンションに戻ってからさっそくDVDをセットした高耶さん。ウキウキしている。私の気も知らないで……。 「やっぱかっこいいな〜、チョウ・ユンファ」 私とチョウ・ユンファに共通しているところと言えば身長ぐらいか。顔はまったく似ていないし、二丁拳銃だって持っていない。 「オヤツある?」 映画が終わるとすぐお腹か。今までの経験でこんなことはないから戸惑った。 「ほっぺにクリームがついてますよ」 手を伸ばして頭ごと引き寄せて、頬にキスをしてから唇に。 「………………」 もう初キスは諦めた。だからもういいです。また再チャレンジします。 「送っていきますから」 無理して笑顔を作って言ってみた。 「なんか直江、変じゃね?」 多少は不安や心配はあるがそんなことではないのだ。初キスを狙っているんだと言ったらどうなってしまうのだろう。 「そんな心配はしてません」 大人ぶった態度が半端で私の胸をズキュンと撃つ。何度もコレをやられたら悶えて死にそうだ。 「オレ直江のことちょー好きだから。たくさん何でも言って?」 とうとう言ってしまった!!マヌケな驚き方だって片手に持ったフォークだって、何をしててもどんな姿でも可愛いと思ってしまうのだから仕方ないじゃないですか! 「きっ、きす?!って、チューのこと?!」 混乱してしまった。さっきまで心配そうに詰め寄っていたのに、今は私から遠ざかろうと腰を引いている。 「…………やっぱり……いいです。キスは我慢します……」 たぶんさっきよりも泣きそうな顔をしているだろう。情けない。大の大人がキスを失敗したぐらいで何を落胆しているんだと思われてしまったな。 「せんせぇ……?」 こんなに自分は卑屈で情けなかったのかと、人生で初めて思った。それほど落胆は大きかったのだ。 「直江はユンファよりかっこいいよ!」 高耶さんは顔を真っ赤にしながらも目を逸らさず私を見てくれた。 「直江はかっこいいし、優しいし、楽しいし、オレはチョウ・ユンファより直江が好きだ!」 そこまで言って口を噤んでしまった。もう一回聞かないと私の脳はついていけないのに。 「したいと……?思うんですか?」 今までになく強く抱いた。ギューギュー抱いて愛しさを伝えた。 「痛い〜」 そうか!ギューギューしたままではキスは出来ないな! すかさずキスした。初めて触れ合う彼の唇は柔らかくて温かかった。そして甘い。甘いのはケーキのせいかもしれないが、とにかくこんなに甘いキスはしたことがない。 「…………うわ、マジでチューしちゃった……」 触れ合うキスだけでも満足だと思っていたのに私の欲はとどまらなかった。 「んん!ん〜!」 抗議のつもりか肩を押しやられているが気にしない。もっとしないとおかしくなる! 「せっ……先生っ……!」 さらに激しくキスをして舌だろうが歯だろうがおかまいないしに貪った。何分ぐらいそうしていたかわからないがクタリと力が抜けた彼の体を支えるようになるまでキスし続けた。 「はあ……なに、今の……」 初めてこんなキスをしたのだろうか。ぐったりと私に寄りかかって溜息ばかりついている。 「イヤでしたか?」 夕飯に間に合うように送る、そうさっき言ったくせに、私と高耶さんは何時間もキスして寄り添っていた。 「オレ、先生……、直江ともっとこうしてたい」 高校を卒業したら生徒と教師ではなくなるから、そうしたら一緒に住むのも悪くない。いや、住みたい。 「先生と離れたくない〜」 抱きついてスリスリしてくる彼をギュッと抱いてから離した。これ以上一緒にいたら独占してしまいそうになる。 「もっかいチューして?」 家に送り届けるために玄関へ出てキスをして、車のエンジンをかける前にキスをして、それから高耶さんの家の前でもして。 「明日な。また明日……直江んちに行くから、迎えに来て」 彼が名残惜しそうに家に入るまでを見守ってから車を出した。 春休みの今のうちに高耶さんを独占してキスをしまくって。 ……それにしても可愛かったなあ……目を閉じただけで色っぽい顔が浮かんでくる。 一緒に住める日が待ち遠しい。あと2年間、じっくり待つとするか。
END
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あとがき |
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