そろそろ直江も夏休みだな〜、なんて考えてたある日、不幸な事件が起きた。
オレたち夫婦にとっては生きるか死ぬかっつーほどの。
いつものように実家に子守に行って、それから午後は橘不動産のバイトに出た。
アパートの掃除をして、花壇の雑草をむしって、外装に壊れたところはないかチェックしてたらケータイが鳴った。
サブディスプレイには母さんの文字が。
どうせまた夕飯の買い物で買い忘れがあるから買って来て〜ってなもんだろう。
「なんだよ」
『大変よ!大変なの!』
「何が?」
『クイズです!』
「はあ?」
クイズ?何が?クイズ番組の懸賞に当たったとか?
『ジャジャン!お母さんはさっき衝撃的なことを聞きました。さあ、それはなんでしょう!』
「知るか!遊んでるだけなら切るぞ!」
『ああ、ダメ!切らないで!三択です!1、俊ちゃんが100メートル走で世界記録!2、お父さんがエスパーになってFBIで働くことになった!3、義明くんが怪我で入院した!さあ正解はどれ!』
「何をのんきにクイズ形式にしてやがんだよ!!3番しかねーだろーが!!直江に何があったか言え〜!!」
このババア!!旦那さんの一大事にクイズなんかすんな〜!!
『病院は私立病院よ!早く行ってあげなさい!』
「早く行かせたいんだったらクイズなんかにすんな!」
母さんの反応なんかおかまいなしにケータイを切ってタクシーに乗って私立病院へ。
話の通じない母さんに直江の状態を聞いてたら夜になっちまう!
病院の受け付けで直江の名前を出したら病室を教えてくれた。病院内は走らないでください!と何度も注意されながら病室に行ったら、直江がベッドで寝てた。顔に白い布がかかってる。
これって……これって……。
「な……なおえ……」
し、し、し……
「あ、高耶くん……遅かったわね」
「お、お義母さん!!義明さんが!!義明さんが〜!!」
個室の病室に入ってきたのは橘のお義母さんだった。遅かったって、アレか?
『一足遅かったようですね……旦那さんは先ほど……』って、ゆーアレなのか?!
「なおえ〜!!死んじゃヤダ〜!」
「なんです、この布」
「え?」
オレの目の前で顔にかかった布を取り払った旦那さん。もしかして、甦った?オレの呼びかけで甦った?
花畑と川のあるところから帰ってきた?
「高耶さん?どうしたんですか?」
「直江?本当に?どこから甦ったんだ?もしかして忍者の持ってる箱根の油が効いたとか?自分の死体に取り憑いて、か、か、換生とかゆーのしたとか?」
「なんのことですか。私は元気ですよ」
へ?元気?何が起きたんだ?
「……お母さんですね、こんな布を顔にかけてイタズラしたのは。私が昼寝したのをいいことに、高耶さんを驚かせるなんて悪趣味ですよ」
「ホホホホ」
「ど、どゆこと?」
最初から丁寧に教えてくれた旦那さん。
まず今日は授業が終わって職員室に向かうところを、いつものように女生徒数人に囲まれてくっつかれて、橘先生争奪戦になったのを仲裁に入った。
でも場所が悪かった。階段の踊り場だったんだ。
揉み合いに巻き込まれた直江はあれよあれよという間に階段から落ちた。
その姿は蒲田行進曲のヤスの階段落ち並みに凄かったという。
「そのまま気を失いまして、気が付いたら病院にいたんです」
救急車で運ばれた旦那さんは脳みその検査を受けて疲れたから昼寝してたんだそうだ。
「検査結果は?」
「レントゲンでは怪我も頭部の内出血もないということでしたよ。ただ経過を見るためと、精密検査の結果が出るまでは安静ってことで、2日間の入院を余儀なくされました」
「本当に大丈夫?」
「ええ、脳震盪と足を少し捻った程度です」
「……よかった……」
一気に力が抜けて直江のベッドに突っ伏した。たいした怪我じゃなくて本当に良かった。
てゆーか、お義母さんも母さん並みに人が悪いよ。
「保健室の先生に付き添ってもらったものですから、最初に高耶さんを呼べなくて寂しかったですよ」
「バカ〜」
保健の先生が病院から学校に連絡をして、それから教頭先生が直江の実家に連絡したそうだ。
そんでお義母さんはオレのケータイ番号を知らないから、母さんに連絡をして、それからオレのケータイに電話が来たという流れだ。
奥さんなのに最後に知るなんて不条理だ!いくら結婚が内緒だってゆったって〜!
「明日は帰れますから心配しなくていいですからね?」
「でも〜」
じゃあ奥さんとして色々やってやろうと周りを見回したら、スリッパもあるし、新しい下着の替えもあるし、コップだとか歯ブラシなんかも揃ってた。
オレがやることなのにお義母さんがやっちまったんだな。くっそ〜。
「なんかやって欲しいことない?」
「そうですねえ……特には……」
「うう〜」
「あ、嘘ですあります!時間になるまで病室にいてください!あと、ええと、とにかくここにいてください!」
「そんだけでいいの?」
「高耶さんがいてくれるだけで癒されますから」
そっか。オレがいるだけでいいんだ?それで旦那さんが良くなってくれるならオレも嬉しいぞ。
「お母さん、あとは高耶さんにやってもらいますからもう帰っていいですよ」
「あら。私がいたら迷惑みたいな言い方ねえ」
「迷惑って……」
「高耶くんは?私は迷惑?」
これって嫁イビリだよな?相変わらずお義母さんは香ばしいマネしてくれる。
オレがいつまでも黙って大人しく従う嫁じゃねーってのをそろそろ教えてやっか。
「オレは迷惑じゃないですけど。でも旦那さんがチューしたいみたいだし」
どうだ!これで帰るだろ!
息子夫婦のチューしてるとこなんか見たくないだろってんだ!
「そうなの?義明?」
「え」
「そうだよな?」
「……とりあえず、お母さんは帰ってください。高耶さんは母が帰るまで喋らないように」
「なんで!」
「どうしてかしら?」
「私は軽いとはいえ怪我人です。もし血圧が上がって損傷したかもしれない部分から脳出血なんてことにならないためにも、奥さんと母親のケンカは防ぎたいわけです。わかりましたか?」
「…………」
なんか……直江が怒ってる……もう血圧上がってんじゃねえのか?
「わかったんですか?二人とも、返事は?」
「わかったわ、帰りますよ。恩知らずな子ね」
「高耶さんは?」
「はーい」
そんでお母さんは「恩知らずな子ね」を5回繰り返して帰って行った。
ババア……じゃなくて、年寄りってのはみんなこんななのかな?だとしたらオレ、老人にはなりたくねえな。
でも直江のお父さんは超いい人だし、うちのじーちゃんばーちゃんだって優しいし。
これは姑って生き物がこうゆうもんなんだと思った方がいいな。
「高耶さん、チューしてくれるんじゃないんですか?」
「あ、する!」
お義母さんがいなくなったら怒りが収まったのか、オレの手を引いてチューしてきた。
個室ってのはいいもんだ。
「でもホントに死んじゃったかと思った」
「今は高耶さんを残して死ねませんよ。こんなに可愛い奥さんが未亡人になって、どこかの野獣のような男に狙われたりしたらたまりません。それに、私の高耶さんですからね。他の人間にみすみすチャンスを与えるわけにもいきません」
「もう絶対に怪我しないでくれよ?」
「気をつけます」
手を繋いでゴロゴロ喉を鳴らして甘えてたら、直江がとんでもないことを言った。
「でも、本心は別として、現実を考えると……私が死んだら高耶さんは好きにしてください」
「え?」
「あの家も貯金も、高耶さんに全部行くようにしてありますから。勉強して進学してもいいし、女の人と結婚して住んでもいいし、売り払って実家に戻ってもかまいません。いつまでも私に囚われる必要もないんですよ?」
「…………なんでそんなことゆうんだ」
「こうして怪我をして入院したら、たまには深刻に考えないといけないなって思っただけです。大丈夫ですよ、私はまだ……」
「バカ!!」
なんでそんなことゆーんだよ!
いっつも「高耶さんは私だけのものです」って言ってるくせに!あれは嘘だったのか!
「高耶さん?!」
「バカバカバカバカ!!うわーん!!」
「あああ、泣かないで!どうして泣くんですか!高耶さん!」
「オレはいつまでだって直江のものなのに〜!!」
「ですから!」
直江が死んじゃうなんて絶対イヤだ!オレは直江がいないと生きていけないの知ってるくせに!
絶対何があっても2人は一緒って決まってんのに〜!!
「落ち着いて!」
「あーん!」
走って病室を飛び出した。なんでかって?パニック起こしてたんだよ!
気が付いたら知らない場所に来てた。こんなとこ初めて来たし、どうやって家に帰ればいいかわかんない。
タクシーに乗るにも住宅街でそんなものは見当たらないし……。
って、オレ、カバン忘れてきたじゃん!財布も携帯も家の鍵もカバンの中だ!
病院に戻ろうにも道がわからない!どーしよ!!
「……そのへんの人に病院に行く道を聞くか……いやでも、今戻ったらパニクってたの直江にバレるし」
可愛い奥さんがそんなみっともない姿を晒したなんて問題だ。嫌われたりしてないかな。
それに泣いて走ってたの、病院中の人が見てるんだよな〜。困ったな。
「おい、高耶」
「ん?」
振り向いたら千秋がいた。
「なんだ?なんで泣いてんだ?」
「……泣いてないもん」
「泣いてんだろが。まあいいや。こんなとこで何してんだよ」
「……別に。千秋こそ何してんだよ」
「ああ、ここ実家なんだよ」
目の前に聳える洋風のお屋敷の表札に『千秋』って書いてあった。ここが実家?超ボンボンじゃん!
「寄ってくか?」
「麦茶ある?」
「あるんじゃないか?」
「じゃあ寄る」
でかい門をくぐって、でかい庭を通って、でかい玄関ドアを開けたら、でかい広間みたいのがあった。
玄関にはでかい花瓶にでかい花束が飾ってあって、でかい油絵もあって、でかい犬も出てきた。
「こいつポチ。大人しいから大丈夫だぞ」
「へ〜」
ポチって感じの犬じゃなかった。どう考えてもアレキサンダーとかシーザーとか、そういう名前だ。100歩譲ってもジョンとかアンソニーとかだと思う。
千秋の家って変だ。
「誰もいないからリビングでくつろげ」
「うん」
うちのリビングとは大違いの大理石の床。床暖房のスイッチもちゃんとあった。
それにモサモサ感がたっぷりのペルシャ絨毯、金色のゴテゴテがついたテーブルと椅子と、見たこともないぐらいでっかい革張りのソファ。すっげーな。
「ほれ、麦茶。で?こんなとこで何を泣いてたんだ?」
「…………直江が入院して」
「ああ、そうだってな。大事無いみたいで良かったじゃねえか。泣くようなことじゃねえだろ?」
「…………そしたら直江が、現実的なこと考えたって。もし自分が死んだら好きなことしなさいって」
「普通の旦那さんだったらそう言うだろうな。それで?」
「それだけ」
「?」
なんで千秋もわからないんだ!!これだから男って!!って、オレも男だけどさ!
「それ、何か泣くようなところがあったか?」
「あるじゃん!直江が死んだらなんて考えらんない!オレの旦那さんのくせにそんなこと言うなんてひどい!」
「いや、全然ひどくない。いいか?大人ってのは、そうやって色んなこと考えてだな」
「だって直江のやつ、奥さんのこと心配してないじゃんか!」
「してるだろ?」
うがー!!どーしてわからないんだー!!
「ああ、わかった。つまりこういうことか。おまえは橘先生に『私がいなくなってもいつまでも好きでいてください』って言って欲しかったわけか。それと幽霊になってでもそばにいろ、と」
「……うん」
「なるほどな。要は橘先生に愛情が足りないって思ったわけだな?そんで病院飛び出して泣いてたってとこか」
「そうそう、それ!そんな感じ!」
千秋はしばらく下を向いて考え込んでた。オレと直江のこと、考えてくれてるんだな〜。
一緒に病院に戻ってもらおうかな……。
「千秋、あのさ、病院に……」
「ブハハハハハ!!なんじゃそら!おまえ、相変わらず乙女なことやってんだな〜!橘先生も橘先生だよ!おまえがそんな現実的で普通なこと理解できるわけねーってどうして気が付かないんだよ!!アッハッハ!!」
ひどい……さっきの思いやりがありそうな千秋は嘘だったのか。
オレは超真面目に話してんのに。乙女とか茶化したりして。
「……う〜」
「泣くな、泣くな。俺様が橘先生にわかりやすいように話してやっから。な?」
「オレのこと笑ったくせに〜」
「悪かったよ。プッ。もう笑わないから。プププッ。んじゃ一緒に病院行くか?」
「うん」
笑われたけど、病院に連れてってくれんなら我慢しよう。どうせ病院に戻らないとケータイも家の鍵もないんだから。
直江には千秋からうまく話してもらえるんならいいや。
そんなわけで千秋と歩いて病院へ。
直江の病室はドアが閉まっててちょっと入りにくかった。天岩戸……だっけ?違うか。
「俺が説明してやっから、高耶は黙ってろよ?」
「わかった」
「じゃあとりあえず手でも繋ぐか」
「手?なんで?」
「その方が説明しやすいんだよ」
手を繋ぐ意味がわからないけど、直江に伝わりやすいならかまわない。
滑らせる感じでドアを開けると、旦那さんはベッドの上からオレたちを思いっきり凝視してきた。
「な、何をしてるんです……」
「橘先生、ごめんな?俺と高耶、こーゆーことになったから。安心して死んでいいぞ」
へ?こーゆーことって?なんで直江が安心して死んでいいんだ?
「貴様!!」
「いや、だってさあ、アレだろ?今から奥さんの希望通りの男がいた方がいいだろ?なあ、高耶。橘先生が死んだらおまえの好きなよーにしていいって言われたんだよな?だったら今のうちに次の候補を見つけておけばいいじゃん」
んーと……これのどこが説明なんだろう?
「高耶さんから離れろ!私の奥さんなんだぞ!おまえなんかに誰が渡すか!!死んだって渡さない!!」
「な……なおえ……」
「たとえ死んだとしても、地獄から這いずり出てでも高耶さんを魔手から守るんだ!!」
……ああ、オレが言ったこと、わかってくれたんだ……。
「なおえ〜!!」
叫んで千秋を突き飛ばして、旦那さんにすがりついた。
「高耶さん?!何をされたんですか?!無理矢理手篭めにされたんじゃ……!!」
「ひーん!直江、大好きだー!!」
「高耶さんてば!大丈夫なんですか?!襲われたりしてないんですか?!」
「なおえ〜!」
大泣きしてるオレをギューして千秋を睨みつけた旦那さん。怖いけどかっこいいな。
「高耶さんに何をした」
「なんもしてねーよ、バカバカしい。橘先生が高耶の気持ちだとか知能だとかを理解してないのが悪いんだろ。わざわざ高耶のために病院までついてきて、高耶の欲しい言葉を橘先生から引き出してやった俺様に感謝の一言でも言えっつーんだよ」
「……なんのことだ?」
「だから、高耶は橘先生が死のうが幽霊になろうが、橘先生しかいないってこと。他のヤツなんか誰一人受け入れるつもりはないんだって。それを橘先生がわかってなかったのが気に入らなくて泣いたわけよ。んで、橘先生に『高耶さんは誰にも渡さない』って言って欲しかったんだよ。わかった?」
そうそう、直江にわかって欲しかったのはそこらへん。
オレは頭悪いからちゃんと話せなくてパニックになっちゃったけど、そうゆうわけだ。
千秋ってばいつもはテキトー人間だけど、やるときゃやるな。さすが教師だ。
「そうなんですか?高耶さん?」
「うん」
「じゃあ千秋には何もされてないんですね?」
「されてないよ。麦茶をもらっただけ」
「良かった……はあ、あなたが千秋に何かされていたとしたら、私はこいつを階段から突き落とすつもりでしたよ」
物騒なこと言うなあ……でもホントにオレが誰かに襲われたらマジで突き落として欲しいな。
オレ、こんなに愛されてて幸せ者〜。
「で?感謝の言葉はないのかね?」
「千秋、ありがとー♪」
「どういたしまして。橘先生は?」
「……感謝はしているが、勝手に高耶さんと手を繋いだことは許せない。だから言えないな」
「じゃーこれからもガンガン高耶と手を繋いじゃおうかな〜」
「……ありがとう」
仲直りもできたし、千秋も満足そうだし、直江はちょっと不満そうだけどギューしてくれてるし、これで一件落着かな。
やっぱ旦那さんには永遠の愛を誓ってもらわないと。そうじゃなきゃ奥さんになった意味ないもん。
「んじゃ俺は帰るから。今回の手数料は来月の家賃割引ってことで〜」
直江の返事も待たずに病室から出てった千秋。いつも意地悪ばっかりするけど、本当はすっごいいいヤツなんだなって直江に言ったら、千秋をそんなに褒めるなんてずるいってヤキモチやかれた。
まさか千秋を好きだなんて言うんじゃないでしょうねって。
「千秋は千秋。直江は旦那さん。全然違うってば」
「……本当に誰にも渡しませんから。私が死んでもずっと私のものでいてください」
「うん!!」
病室だったけどチューをたくさんして、イチャイチャして、直江にくっついてた。
看護婦さんが来ても関係ないね!オレは直江の奥さんなんだもん!
「あ、そういえば高耶さん」
「ん?」
「1泊入院の予定が2泊になりました」
「なんで?!」
「あなたが泣いて飛び出したのを追いかけて、捻った足をさらに捻ってひどい捻挫になったんです」
えーと、オレのせい、かな?
「ごめん……」
「じゃあちょっと浮気防止対策を」
どっちの浮気なのかわかんないけど、病院のベッドだってゆーのにエロいことされた。
病院て場所が悪いよな。いろいろ意地悪も言われたしさ。
「んー、直江のエッチ〜」
「あなたとエッチするためなら、地獄からでも戻ってきます」
「うん、そーしろ!」
オレと直江は永遠に仲良し夫婦なのだ!!
END |