泣いてくれ小説
   
 
僕の死



 
         
 

 

あまり長く話したくはない。
とりあえず、僕は今日、病院へ行った。

最近、咳が止まらなくなることがあって近所の病院へ行った。そこで気管支炎の診断をされて薬を貰って帰ってきたのだが、何度か通院してもいっこうに良くならない。
医者が精密検査を受けるように言ってきたので紹介状を貰い、有給休暇を使って大学病院へ行った。
その結果を、今日、聞いてきたんだ。

「大変残念なんですが……食道ガンですね」

あまり残念そうに見えない医師から出た言葉は僕の脳に浸透するまでに少しの時間がかかった。
そして浸透してしまうと、そこはもう別世界だった。

「手術が必要になりますから、入院してください」

医者が説明したところによると、ガンに侵されている食道の部分を切り取り、胃を伸ばして喉と直結させるという人体改造のような方法だった。
そして手術が終わった後は抗がん剤を二種類使っての化学治療だ。

言われるままに家族と会社に連絡を取ると、どちらも狼狽していた。僕よりもしていたんじゃないだろうか。
会社には長期の休暇の申請をしたが、たぶんこのままクビになるだろう。
退職金が全部ガン治療に消えるのだと軽く計算できた。
離れて暮らす家族は、今から新幹線を使って両親が来るらしい。

そしてもう一件、僕には連絡をしなくてはいけない人がいる。
結婚を前提としてはいるが、もう新鮮さも失っている恋人の彩加だ。
彩加に電話を入れた。もちろん彼女は仕事中で、携帯電話からは留守番サービスのアナウンスが流れるだけだった。

「啓一だけど。話があるんだ。今夜、空いてたら電話をしてくれ」

週明けからの入院に備え、僕はアパートに戻って生活用品の荷造りをした。
一人暮らしの僕には病院に通って洗濯物を取りに来てくれる家族はいないから、寝間着はレンタルになるだろう。
下着ぐらいは自分でなんとか洗えるかもしれない。
いつも使っている歯ブラシやスリッパ、石鹸、シェーバーなんかをカバンに入れていると、両親がやってきた。

両親に通帳を預け、毎月の病院の支払をここから出してくれと頼んだ。
母はそんなこと心配しなくてもいいと言い、父は詳しく病状を話せと言ってきた。
アパートも引き払った方がいいのかと思ったが、長期で入院と言っても1ヶ月もあれば出てこられるのでやめた。
外泊許可ももらえるはずだ。

両親と今後のことを話し合い、入院までは東京にいてもらうことにした。
これからは週に一回か二回、母が通ってくれるそうだ。

「今夜、付き合ってる女性に会うんだ。父さんたちはホテルに泊まってくれないか?」

そう言って送り出し、部屋の中を片付けた。
母が来た時に、必要なものを持ってきてもらうよう、わかりやすく整理した。

午後6時を回ってすぐ、彼女から電話があった。

「今から来られるか?え?うん、家にいるから」

1時間後ぐらいに彼女は到着するだろう。
僕は、とっくに覚悟を決めていた。

彼女が家に来た。いつものようにスーパーの袋をぶら下げて。

「どうしたの、急に。話があるなんて」
「食事の用意はしなくていいよ。とにかく座ってくれないか?」

狭い1DKのアパートの部屋、彼女は僕と向かい合って座った。

「別れて欲しいんだけど」

予想通り、彼女は驚いた。そして泣いた。
昨日まで僕たちはうまくやっていた。先月の彼女の誕生日には指輪を贈った。
まだお互いに若くて結婚の時期ではないから、その指輪は婚約指輪ではなかったけれど。

「どうして?」
「言いたくない」

たいして魅力もない僕と付き合ってくれた彼女。放っておけないからと言っていた。
だからそんな僕が彼女に迷惑をかけさせるわけに行かない。
僕の病気なんかで苦労をかけたくない。

「わけを聞かせてもらわないと納得できないじゃない」
「うん。わかってる。だけど言いたくないんだ。ごめん」

彼女はずっと泣いていた。だけど僕は怖くて言えなかった。
何度も謝って、気持ちが変わることはないと何度も言って、終電前に彼女を無理矢理帰らせた。
彼女にもプライドはあるから、いつまでもしつこく食い下がることはなかった。

そして週明け、僕は入院した。
両親の付き添いで病院で手続きをし、説明を受け、病室に入った。
こうして僕の入院生活が始まった。

検査ばかりの数日間を過ごしている間、見舞いに来たのは会社の同僚と、友達と、両親だった。
こうなってみると僕がどれだけ彩加を愛していたのかがわかる。とても寂しかったから。
あの笑顔を3日として見なかったことはなかったから。

手術をした翌日、病室で両親と一緒に医者からの説明を受けた。
手術をしたばかりで起き上がれない僕は点滴をつけたままそれを聞いた。

「残念なんですが……転移が激しく……」

それだけでわかった。
僕はもう手術をしても、抗がん剤治療をしても助からないのだ。
それで僕も両親も、ホスピスへ行くことを決めた。無駄な治療は労力と金と感情の無駄遣いだ。
死にたくはないけど、人間、しょうがないことだらけなのだ。

そして実家の近くのホスピスへ転院の手続きを取ってもらっている時だ。
彩加が病室に現れた。

「……どうしてここがわかったんだ?」
「アパートへ行ったら、あなたのお母さんがいたの」
「そうか」

彼女がまだ僕を好きでいてくれたのが嬉しかった。それだけで良かった。

「母さんに色々聞いた?」
「うん。詳しく聞いた。だから別れたんだなって、わかった」
「ごめんな」

しばらく無言で彼女は僕を見ていた。数日間の間でやせ細った腕を、こけた頬を。

「将来のない俺に君を縛り付けたくなかったんだ」
「わかってる」
「君に迷惑をかけたくなかったんだ」
「うん。だと思った」

彼女は僕が死んでいくのをもう理解しているのだろうか。彼女にとって死とは身近なものには成り得たのだろうか。

「だけどね、私はやっぱり啓一が好きだから、迷惑だなんて思わなかったよ?」
「でもさ」

彼女はガマンしていた涙を目から溢れさせ、泣き笑いでこう言った。

「悲しい思いをさせてください」

なんのことだか、わからなかった。

「私にも悲しい思いをさせて。私はあなたを好きなんだから、悲しい思いをしたいの。何も知らないままあなたを忘れるなんて嫌だから、あなたに悲しい思いをさせられたんだって思って、一生、忘れないでいたいの」

僕は、彼女を愛している。

「あなたをずっと忘れたくないから、私を悲しませて」

死とは、そう悪いもんじゃない。
僕はこれから毎日、彼女を愛していくだろう。死ぬ日までずっと愛していくだろう。
今までよりもずっと深く、愛していく。
この先にあるほんのちょっとの短い時間、僕は何百年分もかけて彼女を愛する。

「ありがとう。悲しい思いをしてください」

平凡でつまらない僕の人生。ありがちで中途半端な死。
だけどそれも悪くはない。

 

 

END

 
         
   

セリフを急に思いついて
作ったものです。
オリジナルは
こういう雰囲気が多いのです。
読んでくださり
ありがとうございます。