マリオネット


信乃の章
   
         
 

僕の名前は信乃という。
女みたいな名前で好きじゃない。
家族は祖父、祖母、父と母、それに妹が一人だ。
父は日本軍の研究員をしていて、現在は日露戦争で使用する薬品の研究を行っている。
他に僕には許婚がいて、名前をアキと言う。

アキは小さいころから僕の家と親しくしている旧家の娘で、婚約は先月正式にした。
実のところ、アキが僕を好きなのかはわからないが、僕はアキが好きだった。
小さいころから好きだった。

僕は子供のころに足の病気を患って、運動はほとんど出来ない。
歩くのが精一杯だ。大きくなるに連れて足は悪化の一途を辿っている。
それでも大学に入りたくて、学校へは毎日通うように頑張っていたが、最近では立ち上がることすらできなくなってしまった。
そんな僕にいつも優しくしてくれたアキを好きになっていた。

「信乃さん、アキさんがお見えですよ」

母の優しい声音で目が覚めた。

「あらまあ、信乃さん。お昼寝なんかしていたら夜に眠れなくなりますよ」

さっきまでは本を読んでいたのに、いつのまにか寝てしまったらしい。
退屈で仕方がないから、父の書斎の化学の本を借りて読んではいるが難しくてすぐに眠くなってしまう。
アキは障子を静かに開けて部屋に入ってきた。
今日は小さな風呂敷きを持って来ている。

「こんにちは。今日はお見舞いを持ってきました」
「なに?」
「草餅です。もう春ですからよもぎがたくさん河原に生えてたんですよ。それで作ってみたんですけど」

アキは家庭的で僕に菓子やら浴衣だのを作っては持ってきてくれる。
祖母はそんなアキを気に入って是非にうちの嫁にしたいとアキの御両親に申し出た。
我が家は代々の武家で、江戸のころには将軍に仕える人間も多数排出していたそうだ。
それがアキの家族には受けがいいようで、あっさりと承諾してくれた。
アキが開いた包みにはよもぎの香りをさせた餅が重箱に並べてあり、一個一個にあんこがはみ出るぐらい入っていた。
箸でそれを頂いてみると、爽やかな香りとともにあんこの香ばしさが口の中に広がった。

「うまいよ」
「おばあさまと作ったんです。私はお手伝い程度で」
「それでもアキが作ったんだから、僕にはアキの味なんだ」
「そうですか?」

可愛らしい桃色の頬でアキは笑う。

「お散歩は出来ますか?」
「今日は天気がいいから足の具合も悪くはないんだ。庭でも出ようか」

松葉杖を使って庭に出る。膝のあたりが一番痛み、毎日骨がギシギシと音を立てて固まっていくように思える。
それでも数年前よりはマシになってきたところだ。
数年前に突然激痛が走り、松葉杖を使っても歩けなかった時期があった。
それに比べたら今は悪化しているとはいえ、痛みが薄いだけいい。

「信乃さんの足はいつになったら治るのですか?」
「原因がわからないから治しようもないと医師は頭を抱えていたんだ。アキこそイヤだっただろう?かたわの嫁になるなんて」
「あら、本気でおっしゃってるんですか?わたしは小さいころから信乃さんのお嫁さんになるって決めていたんですよ」
「そうなのか?それは失礼したね。嬉しいよ」

僕の体を支えながらアキは庭を一周散歩してくれた。

その日の夜から、僕の膝は前にも増して痛むようになってきた。
深夜などは痛みに耐え兼ねて唸り声を発してしまい、母が起き出して来て僕の床にしばらくいてれた。
医者に貰った痛み止めはあまり効かない。それがわかっているから飲みたくないだけなんだが、こうなってしまったら飲むしかない。
母に水を持って来てもらい、薬を飲んだ。
数時間で痛みはすっかり消え、母もそんな僕を見て安心したのか自分の部屋に戻った。

翌日もアキが家にやってきた。
だが僕の部屋にではなく、父の書斎に入って行った。
少しでも歩いておかないと、膝の関節が固まってしまいそうで怖かったから家の中を歩いている時に、アキが書斎に入って行った。

何か婚約のことでも話しているのだろう、と思って部屋の前までゆっくり歩いて行った。
そこで僕が入って、一緒に話すのが一番良いのではないかと考えたんだ。
ところが書斎の前に立ってみると、二人の会話はなぜかとても事務的だった。

「足の方はどこまで進んでらっしゃいますか?」
「もうすぐだ」

僕の足のことで何か不具合でもあったのだろうか?

「とりあえずはこのままお続けになります?」
「いや、たぶんもう今日あたりに効果は出るはずだ」

まるでわからない二人の会話だ。

「では完成ですわね?」

そこでよろけてしまって大きな音を出した。
勢い良くドアが開いて、父が飛び出してきた。

「信乃!」

僕を抱きかかえてアキと二人で寝間に連れて行ってくれた。膝が痛くてたまらない。
さっきぶつけたのかもしれないが、いつもより痛い気がする。
布団に寝かせてもらったが、痛くて耐え切れなくなり、痛み止めを飲もうと枕元の盆に手を伸ばした。
それを父が払った。

「お父さん!」
「もう飲まなくていいんだよ、信乃」
「どうしてですか!」

その時、アキが僕の父と接吻をした。僕の婚約者なのにだ。

「アキ!!」
「怒ってくださいな、信乃さん」

どういうことだ!
そう言おうとしたが、叶わなかった。
僕の足は急激に痛み、ひどい痙攣を起こした。
もう座る姿勢も取っていられないほどだった。
足の他にも体の関節という関節すべてが痛み出した。
呼吸が出来ないほどに。

「完成ですわね」
「そうだな」

もう二人の声も聞こえない。

「ああああああ!」

ブチンと何かが破裂する音が耳の中で聞こえた。
首が勝手に動いて、視界に赤いものが見えた。
それは僕の膝だった。膝から出ている血と、骨。
骨が皮膚を突き破っている。

「ああ!」

布団に体を押しつけるようにして仰臥の姿勢になる。
肘だ。今度は肘から骨が飛び出している。
朦朧とする意識の中で聞いた。

「新薬の完成ですね。これで今度の戦争も勝てますわよ」

戦争、新薬。父の仕事。アキの実家の仕事。
そうか、体が弱い僕をみんなで人体実験に使ったのか。

「怒りで出る脳の分泌液が骨の急激な成長を起こすなんて、これを敵国の食物に入れればどうなるか。面白いですわね」
「そうだろう?これを申請すれば日本は買ったも同然だ」

指も、背中も、首も、どこの関節もギシギシと音をたてて皮膚から飛び出そうとしている。神経が押し潰されて激痛がする。

「信乃さん、お国のお役に立てて嬉しいでしょう?」

狂ってる。こいつら全員狂ってる。

僕は悲しいマリオネット。

 

END


 
 

あとがき

これは中学生の時に書いたものをリメイクしました。
当時の作品はなくしてしまったので、記憶を辿ったのですが
だいたい正確に出来ています。
文芸部にいたのでこんなものを書いていたのですが
今更出すとは…
シリーズだったのですが、信乃以外はほぼ覚えていません。