悪かった。悪かった。私がすべて悪かったのだ。だから助けてくれまいか。この責め苦をすぐにやめてくれないだろうか。
間違っていたと告白するから、誰か逃がしてくれまいか。ああ、そこのおまえ。私を遠く連れ去ってくれ。すぐにこの場から離れたいのだ。
私は常に恐ろしくてしかたがなかった。自分が偽善者であることも、何も出来ないということも、すべて見透かされているような気がしていつも怯えていた。おまえたちが私を信頼するたびに、あれは偽物だとなぜ言い出せなかったのか悔恨しているのだ。
ただの偶然にすぎないことを、おまえたちはさもあったかのように吹聴し、私のすべてを塗り替えてしまったのだ。そうして私は嘘に嘘を塗り固めていくしかなくなった。いや、そうではない。私がそう望んだからおまえたちもそうしたのだろう。責めないからだから助けてはくれまいか。
私はただの凡夫だ。おまえたちよりも劣っている、野良犬よりも何も出来ない男だ。しかしそれを知られてはいけない。偉大な預言者
だと思われなくてはいけない。奇跡の男だと思われなくてはいけない。ああ、これも母が悪いのだ。あなたがおかしな夢を見たせい
だ。
だからじゃないか。そしてどこかの胡散臭い預言者の言葉を鵜呑みにして、厩で生まれた私を人々に見せたからではないのか。
私はあなたとヨセフの間の子供に間違いはないのに、あなたは私を神の御子だと信じて疑わなかった。ヨセフが本当にダビデの子孫であるなんて証拠は何一つありはしないではないか。だのにあなたがその血を疑わないから、私はユダヤの王と呼ばれてしまったのだ。ヨセフの血が流れていないのなら、私はユダヤの王ではないのに、あなたはうまく矛盾をかいくぐって私を王に仕立てたのではないのか。
父よ。大工の父よ。私はあなたに愛されていないと知っていた。あなたこそが本当の父であるのだから、私はあなたの関心を引こうと
した。幼少時、私が突然いなくなりあなたと母で私を探した。私はあなたたちに父の家にいたと言いました。おまえの父はここにいる、と叱られたとき、私はあなたではなく天の父の家だと言いました。どうしてあの時、それを否定してくださらなかったのですか。
おまえの父はこの私以外には有り得ないと、なぜ叱ってくださらなんだ。すみません。私はあなたたちを試したのです。しかし私の期待は裏切られた。私はあの時から私を捨てるしかなくなったのだ。すべてあなたがたのせいではないのか。いいや、違う。
違います、違います。すべては私の愚かさのせいです。だから許してください。助けてください。哀れな私を救ってください。
私は救い人と呼ばれてはいるが、自分自身ですら救えない大馬鹿者なのだ。本当の私はちっぽけで救いようのない阿呆なのだ。
ひとつしかないパンとワインを、大勢の人が食べられるだけに増やした奇跡の力などはありはしない。あれはパンとワインを細かく分けて与えただけのこと。それを、そのくだらない施しを、奇跡だと言って回るおまえたちを止めなかっただけのこと。
預言者の噂を聞けばその予言通りに行動しただけだ。今朝もみすぼらしい驢馬に乗るのを選んだだけのことだったのだ。
私は何も知らない。偶然が付いて回っただけなのだ。さもしい私はおまえたちの信頼を今更失くすのが恐ろしく、嘘つき呼ばわりされて石を投げられるのが怖かった。あいつはとんでもないペテン師だ。香具師だと言われたくなかった。仕掛けがある奇跡を起こし、モーゼを気取っておまえたちを罠にかけたのは認めよう。だが悪事を働くつもりがなかったのだから、許してはもらえまいか。
私が銀貨30枚で売られるであろうことは、噂で知っている。誰が私を売ろうとしているのかも噂で知ったのだ。見透かしたわけではない。神からの神託があったわけでもない。民衆からの噂をさも自分の能力で知ったかのように装っているだけだ。
だから私はおまえたちの足を洗ったではないか。許して欲しい心をそうして表したではないか。だがおまえたちはそれを贖罪とは認めずに、新たな枷を私に嵌めた。私はおまえたちに許されたかったのに。私も自尊心が頭をもたげたのがいけなかった。
おまえたちに疑われたくなくて、責められたくなくて、また嘘の上塗りをした。改悛するから助けておくれ。夜が明ければ私は囚われていずれ磔刑になるだろう。あの重い十字架を背負って、丘まで歩いて上るのだ。どんなに貧しい苦境でさえも耐えはしたが、死はやはり恐ろしいのだ。おまえたちもそうだろう。なあ、助けてはくれないのか。私を今すぐこの場から安全な場所に運んではくれないのか。朝日が昇るまでに誰かが私の居場所を突き止め、そして捕らえるのだよ。天にまします父が私を救わないのは知っている。彼は存在すらしないのだ。何も与えず、何もせず、誰も救わないのだ。私を救えるのはおまえたちだけなのだよ。私自身ですらないのだよ。おまえたちに教えたすべては偽りでしかなかったのだよ。だから救ってくれまいか。駄目ならそれでもかまわない。せめて、せめて、私の教えたすべてをこのまま封印してはくれないか。あれはすべてあの妄想狂の戯言だったと言い触れて回っておくれ。私のしてきたことでこの先何人もが惑うことにならないように。いや、本音はそんなことはどうでもいいのだ。他人など私には関係ない。私は私が可愛いだけだ。おい、助けてくれ。最後にパンを私に持たせ、どこへでも好きな場所へ案内すると一言言ってくれればそれで良いのだ。死にたくはない。死は消滅を意味する。私は復活などしない。人間にそんな真似ができるわけがない。復活なんて出来ないのだ。だから助けておくれ。母よ、すぐに自分の罪を認めなさい。父よ、ダビデの子孫ではないと告白しなさい。あの子は私と妻が交わって出来た子なのだと王に伝えてはくれないのか。そこまで己が可愛いのか。息子よりも保身が大切か。私があなたがたに育てられたことを悔やんでいると言ったらあなたがたはどうするつもりだ。こうして私が磔刑になるよりも、根も葉もない夢や伝説を信じると言うのか。おまえたちは親だろうに。私の親だろうに。
ああ、もう迎えが来てしまった。せめて最後に私の最愛の女に会いたかった。最後の一晩を過ごして温まりたかった。だがもう間もなくだ。私を捕らえる群集がやってきた。誰か助けておくれ。誰でもいいから助けておくれ。死にたくないのだ。恐ろしいのだ。
十字架を背負って丘に登るのは嫌だ。私を御子と信じていた者たちに三下り半を突きつけられたってかまわないから、誰か救ってくれ。
夜明けの雌鳥が鳴いてしまったではないか。助けてくれ、助けてくれ。いくらだって謝るから助けてくれ。私は御子などではないと今更言ったところであいつらは信じまい。愛など何の役にも立たないと、私も民衆も知っている。私は私が可愛いから愛を貰おうと必死だったのだ。父や母に愛されていないから、せめて他人の愛を掴み、手放したくなかった。それだけだったのに私を殺すなどお門違いじゃないのか。助けてくれ。助けてくれたら私はどんなことだってする。だからあいつらの歩哨を止めてくれ。
おのれ許さぬぞ、ユダよ。私を銀貨30枚で売った男よ。おまえも共に死ねばいい。私はおまえを許さぬぞ。
誰か私の叫びが聞こえるか。誰かに届かないのか。私はただの人間だ。名前だってちゃんとある。メシアなどではなく、本当の名前が。私はイエス。ベツレヘムで生まれた、ナザレのイエス。
END |