FOR LENT

4万ヒット記念リクエスト作品

カナヤン様からのリクエスト



 
   

私の働く橘不動産になぜか女性客が増えすぎたために兄である社長がアルバイトを入れた。
橘不動産は宇都宮に本社を構え、ここ東京は支店である。
私が出張している間に兄が采配を取っていて、その時にアルバイトの張り紙を見て応募してきた青年が好印象だったそうで採用したというのだ。

いくら社長でも支店長である私の留守中にアルバイトを決めてしまうなんてと怒ってみたが暖簾に腕押し。
小さい頃から迷惑ばかりをかけてきた私が逆らえる余地などなかった。
もしそのアルバイトが使えなかったらすぐにクビにしてやろうと思っていたのだが、私は彼を見た瞬間、そんなものは忘れて
しまった。

「今日からお世話になります、仰木高耶です。よろしくお願いします」

ハッキリした口調での挨拶にまず私も好印象を持った。
それから背筋の伸びた美しいプロポーション、真っ黒で光が当たると銀色に輝く髪、清潔な服装、そして黒曜石に似たなめらかな光を湛えた印象深い瞳。
私は一目で虜になった。まさか自分がそんな、同性愛嗜好などなかったはずなのに。清冽な彼のすべてにすべてを奪われた。

「あ、あの支店長の橘です」

それ以上声が出なかった。
黙って突っ立っていると目の前の青年が不安そうに私の目を覗き込み、小さく「あの」と言った。

「ああ、すいません。ええと、仰木高耶さん。じゃあまずはこちらへ」

店舗の入り口での挨拶もそこそこ、戸惑いでガチガチになった私は彼を…高耶さんを事務室へ連れて行った。
他の従業員はまだ出社していない。開店するまで簡単なオリエンテーションをしてから出社してきた社員たちに引き会わせよう。

「ええとですね、高耶さんにはパソコンの打ち込みと簡単な事務と、あとは役所や郵便局などへのお使いをしてもらいます。
たぶん忙しいとは思いますが、最初のうちは自分のペースで覚えていってもらってかまいませんから。とりあえず今日からしばらくは私について仕事の流れや処理の仕方を覚えてください」
「はい」

パソコンの表計算ソフトでの打ち込み方を教えていると、従業員が出社してきた。
全員と挨拶を済ませて開店準備に入った。看板を外に出す。物件の貼紙をチェックする。掃除をする。その他。
それを高耶さんに教えながら世間話も少しだけした。

「え?ウチで部屋を見つけたんですか?」
「うん。じゃなくて、はい。1年前だから覚えてないかもしれないですけど、さっきお会いした中川さんが担当してくれて、その時に……店長もいて店の奥の机に座って電話してたのを覚えてます」
「……そうだったんですか……」

もしその時に高耶さんの担当を私がしていれば、もっと出会いが早まったはずなのに。惜しいことをした。

「ここから5分ぐらいの上杉荘ってアパートなんだけど、もしかして履歴書、見てないんですか?」
「いえ、見ましたが…忙しくてちゃんと見てなかったんです。名前だけ覚えてたぐらいで…すいません」
「そんなに忙しいんですか、ここって」
「そのためのバイトさんですから。不動産屋っていうのは何かと外回りが多くて、事務処理をする時間がなかなかなくて。
だけど高耶さんが来てくれたから、これからは履歴書を見る時間がないなんてことはなくなりますよ」

良かった、と笑った顔が案外に色気があって驚いた。
確か弱冠19歳。夜間の法律専門学校に週2日通っている学生なのだ。
その真面目そうな一面の裏側にこんな色気があるなんて。

開店してから本来の仕事はすべて従業員に任せて私は高耶さんの教育をしていた。
仕事の飲み込みが早いのを嬉しいような、寂しいような思いで。
遅かったら困るが、遅ければもっと長く高耶さんと二人きりでいられるのに、と。

交代で取る休憩時間になり、私は高耶さんを誘って近所のカフェランチに誘った。
なんでも最近雑誌に載ったとかで12時から1時までは混雑しているのだが、私の休憩時間の2時すぎには空いて来る。
少しだけ静かになったカフェで私は高耶さんと向き合ってテーブルを囲んだ。

「どうですか?そんなに難しい作業ではないでしょう?」
「はい。店長の説明がわかりやすいから、自分でもビックリするぐらい覚えてるなって思います」

可愛らしい……。まだ幼さを残す話し方も、慣れない敬語も、コロコロ変わる表情も。そしてあの時々見せる色気も。
今まで遊んできた女どもとは格段の差だ。

「あれ?店長って独身なんですか?」
「え?ええ、そうですけど、どうしてです?」
「指輪してないなって思って。ええと、橘さんが面接の時に『弟の嫁が』って話をしてたんです。オレ、ミッション系の高校だったから、履歴書でそれを見た橘さんが『弟の嫁もミッション系の高校だった』って言ってて」

いったい兄は面接で何の話をしているんだか……昔から無駄話が好きな人だとは思っていたが。

「それは真ん中の兄のことです。私は三男ですから」
「…三男……そうだったんですか」

休憩時間もそろそろ終わる時間になり、私たちは店舗に戻った。
だいぶ打ち解けてきたようで、たまに高耶さんは敬語を忘れてしまうようだった。それに気付くと慌てて訂正するものだから
なおさら可愛らしく見えてくる。
あまり気にしなくていいと言うと和らいだ表情で「はーい」と答えた。

 

 

それから一週間、ほとんど私が高耶さんを独占して仕事を教えたり、使いを頼んだりしてきたのだが、残念なことにとうとう
他の社員とも打ち解けてきてしまって『みんなの高耶さん』になってしまった。
仕事は迅速、完璧となれば誰だって高耶さんに頼みたくなるものだ。

高耶さんが入社してから一ヶ月経った金曜。
土曜の定休日を目前にした金曜、私は思い切って高耶さんを夕食に誘ってみた。水曜と木曜が彼の夜間学校の日なので2日間をガマンして見送ってから金曜、だ。

「帰りに行きませんか?」
「あ……でもオレ、苦学生だし」

照れ笑いをしながら暗に断ってきた。だからって引き下がるつもりはない。

「お金のことなら気にしなくて大丈夫ですよ。私からのご褒美だと思ってください」
「褒美?」
「ええ。期待以上に働いてくれてますから。実はまさかここまで仕事を任せられるとは思ってなかったんです。今日だって
あなたの助言がなかったらせっかくのお客さんを逃すところだったんですから」

それは私が担当したOLのアパート探しだった。キッチンに備え付けのガスコンロがある物件を希望していたのだが、金額や立地に見合わない物件しかなかった。
しかも最近のワンルームはどこも電気コンロだった。

別の不動産屋をあたってみる、と言いかけた彼女に高耶さんが「一件ありました!」と声をかけた。
それは昨日空いたばかりのワンルームだったのだが、備え付けのガスコンロがあったのだ。ただしバーナーは一口。
高耶さんは掃除や内装の修理をしてからになるけれどそこならコンロも風呂もガスで、家賃もお客さんの希望より5千円ほど
安く、しかも鉄骨で白壁の築3年というOLにはうってつけの物件を的確に説明して引きとめた。
昨日空いたのをすっかり忘れていた私に代わって高耶さんが提案してきたのだ。
その後、女性を伴って物件を見せに行ったら好評で、即決してくれたのだった。

「あそこの大家さんも女性が希望だったわけですからね。うまく話がまとまって感謝されましたよ。だから今回は私からのご褒美、受け取ってもらえませんか?」
「うーん、じゃあ、行こうかな」
「良かった。では仕事が終わったら一緒に行きましょう」

自分の仕事を必死で終わらせ、残業のないようにした。いつもの倍以上働いたのではないだろうか。
定時の7時にパソコンの電源を切り、残業のある従業員にいくつか指示を出してから高耶さんと肩を並べて外へ出た。

「ここから10分ぐらい行くと美味しいイタリアンの店があるんです。そこにしましょう」
「うん。けど高くない?」
「庶民的な店ですよ。心配しなくても大丈夫です。それに私の財布は先週から潤ってますから」

高耶さんは知らないだろうが不動産屋の支店長の給料はアルバイトの高耶さんには思いもつかないほど高給だ。
毎日そこで高耶さんと二人で食事をしたって一向に懐が寒くなるようなことにはならない。

10分歩いてその店を見た高耶さんは嬉しそうな笑顔を零した。今日の最高の笑顔だ。

「ここ!?マジで?!いっつも美味そうな匂いがするな〜って思ってたんだ!」
「そうだったんですか?じゃあ、ここでいいですね?入りましょう」

今まで入れなかった店に入った高耶さんはあちこちを見回すと嬉しそうにニコニコし、その笑顔のまま食事をして色々な話をした。
その中でも一番印象に残ったのはこの話だ。

「店長ってさ、直江ってゆー名字の親戚いない?」
「直江、ですか?」
「うん。小さい頃に同じ団地に住んでたお兄ちゃんでさ、店長にすごい似てる。雰囲気とか。よく遊んでもらってたんだ」
「さあ?」

懐かしいな〜と一人思い出に浸る高耶さんは子供のころに戻ったような目をした。またそれが可愛らしくて私はこう言っていた。

「そういえば高耶さんに似てる子がウチの近所にもいましたね。すごい腕白で可愛い子だったんですよ」

ただし女の子だが。私の初恋と言ってもいいかもしれない。

「そーなの?名前は?」
「あまりにも小さい頃のことなので忘れてしまいました」
「ふーん」
「ねえ、高耶さん」
「ん?」
「…私を直江って呼びませんか?」

しばらく沈黙があった。が、言葉を反芻したらしき彼は急に噴出して笑った。

「なんで?!どうして?!義明さんて変なの!」

大爆笑だ。何がそんなに可笑しいのかと思っていたのだが、ちょっと酔わせて、という下心があった私が飲ませたワインのせいらしい。
どうやら酒には弱くて、しかも笑い上戸みたいだ。
しかしちょっと失敗したらしい。今、初めて高耶さんから『義明さん』と呼ばれたのに、私とはまるで関係のない『直江』と呼んで欲しいなんて言ってしまった。
どうにか親密になろうとして焦って失敗したのかもしれない。

「いいよ!オレもさ、たまに『直江』って呼びそうになる時があったんだ」

諦めるしかないか。

「じゃあ、二人でいる時は直江で呼んでください。なんででしょうね、高耶さんと二人でいると全然気負わなくて済むんです。
店長の重圧だとか、兄からの重圧だとか、そういったものを忘れて楽しい気分になります。だから直江っていうアダナで呼んでもらえるともっと楽しいかもしれません」

これは本当の話で、高耶さんと二人でいるとどうしてか店長とアルバイトという位置関係を忘れる。恋だからと言ってしまえば
それで終わりだが、それだけではないような気もしている。

「うん。オレもさ、義明さん…直江といるとなんか安心するんだよな。昔から知ってるよーな、これからもずっと知ってるよーな…」
「じゃあ、店の外では友達ってことにしてください」
「うん!」

楽しい食事も閉店の夜11時で終わった。少しだけしか酔っていないと思っていた高耶さんは思ったより酔っていて、足元が
フラフラしている。

「直江、ひとりで帰れないかも」
「仕方ないですね…送りますよ」

上杉荘まで送り、今日はもうこれ以上の進展は望めないだろうと判断して、このまま帰ろうとした。
ところが。

「明日は休みなんだからさ、泊まってったら?」
「え?!」
「だって友達になったんじゃん。せっかくだから泊まってけってば」
「……じゃあ、お邪魔します」

下心はもちろんある。しかし嫌われてしまっては元も子もない。紳士的に振舞うつもりだ。
高耶さんの部屋は学生の一人暮らしらしく簡素な部屋だった。ベッドと小さな本棚とテレビにコンポ。部屋の真ん中には小さい折りたたみのテーブルが置かれていた。

「ええと、着替え、着替え…直江のはオレのパジャマぐらいしかサイズ合わないな」
「それでいいですよ」

受け取ったパジャマは高耶さんには少し大きかった。安売りで購入したのだがサイズが合わないからしまっていたのだと彼は言った。
風呂を借りてみてわかったのだが、上杉荘のユニットバスは男性には少し不便だ。用を足す際に立ってすると背中にドアノブが当たる。
次回から男性客にはこのことを伝えよう。

風呂を出て高耶さんのいる部屋に行くと高耶さんが私のスーツをハンガーにかけているところだった。

「あ、ごめん。勝手に触っちゃった」
「いえ、こちらこそすいません。図々しく泊めていただいて」
「いいってば。じゃあ、オレも風呂入ってくる」

………大好きな高耶さんが一つ屋根の下で風呂に入っている……そう思うと股間が危うくなってくる。
どうにか覗き魔にならずに済んだが、毎日高耶さんが眠っているベッドや、座っているクッション、使いかけのグラス。
そんなものに気を取られてしかたがない。
シャワーの音がしているのを確認して、枕に顔を埋めた。高耶さんの匂いはこれなのだろうか。甘くて少しだけ男臭い。
使いかけのグラスの縁をなぞってから、間接キスをしてみたりした。
愛しさがさらに倍増した。

ドアを開ける音がして慌てて居住まいを正す。先程まで妄想していたことを顔には出さないようにして。

「なんか、風呂入ったらますますクラクラしてきちゃった……」
「ぬるめのシャワーじゃないと酒がもっと回るんですよ。知らなかった?」
「知らなかったー」

ふらついて座り込んだ。上体がまだ揺れるらしく、私の肩におでこを乗せて寄りかかってくる。
何の気もない酔っ払いの行動だ。そう思おうとしたが体が反応してしまう。本能が理性を凌駕した。

「高耶さん……」
「ん…」

彼の唇にキスをした。

「なおえ?」
「ごめんなさい。あなたが好きです。下心もあります。だからここにいるんです」
「……今の、気持ち良かった」
「え?」
「キスってするの初めて。男同士でも直江とだったらしても平気みたいだ」
「あの、聞いてましたか?」
「なにを?」
「あなたが好きだって」
「……聞いてたよ……下心もあるんだろ?うん、いいよ。直江なら何しても平気みたい」

たぶんこれは告白を受け入れてくれたのではない。『直江』を思い出しているか、または酔った上での戯言か。

「もっと気持ちいいキスって、できる?どんなのか教えてよ」
「もう、知りませんからね」

そして私は高耶さんの唇を割って舌を滑り込ませて、絡めた。

「ん……」
「気持ちよかった?」
「うん……直江」

抱きつかれて背中を支えた。高耶さんは腕の中で目を閉じている。

「眠い」
「…じゃあちゃんとベッドに寝てくださいね。ほら、立って」
「直江も一緒に寝るのか?」
「床でかまいませんよ」
「ううん。直江もベッドに入れよ。寝よう?」

この「寝よう?」は「しよう?」なのだろうか。まさか有り得ない。キスはしてもセックスまでは許さないよな。

「おやすみ」
「…おやすみなさい」

やはりな……期待などしていなかったが。

 

 

2につづく