親父が突然言い出した。
「再婚しようと思うんだが」
ウチは親父とオレの二人家族だ。小さい頃に両親が離婚して、妹の美弥はオフクロに引き取られ、オレは親父に引き取られ。
もう十年以上前のことだからオフクロに対しての執着心だとか、そんなものはない。
「いいんじゃねえの?どんな人?」
「俺より二歳若くてけっこう美人だ」
そう言った親父はちょっとデレデレしててキモかったけど、ようやく再婚する気持ちになれたんならいいと思う。
ずっとオレを育ててきて、今年になってようやくオレが就職したから安心したんじゃないかな。
「いつから付き合ってたの?」
「実はもう二年になるんだ。向こうの旦那さんが亡くなってからウチのスーパーで働くようになって、いつの間にか付き合うようになって……」
親父はスーパーマーケットの店長をしてる。なかなか成績優秀でチェーン店の中ではダントツの売り上げだそうだ。
「後家さんか。その旦那さんが亡くなったのっていつ?」
「十年前だそうだ。だから付き合いだしたのは二年前だが、知り合ってからだったら十年になるんだ」
そんな人が親父の職場にいたわけか。
「向こうにも息子さんがいてな、今は大阪で働いてるそうだからひとりで寂しいってのもあるんだと思う」
「ふうん。オレは賛成だけど、その息子さんてのはどうなんだ?」
「一応賛成してくれたそうだ。だがまあ仕事が忙しいそうだから俺には会わずに結婚という運びにはなるんだろうってことだ」
大阪で忙しく働いてるってことは自立した大人なんだろうから反対もしなかったってことかな?
そんなこんなで新しいお母さんが翌月やってきた。結婚式はしないで近所の写真館で写真だけ撮って終わり。
親父が言うとおりけっこうな美人で、歳をとってもきれいな人はきれいなんだって思った。
「高耶くん、よろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ」
新しいお母さんが美人、てことでオレはちょっと嬉しかったりする。
しかも家庭的でご飯は美味いし、掃除は隅まで行き届いてるし、気遣いが出来るからオレの仕事やプライベートには一切口出ししないし、親父にはもったいないほどのいい奥さんだ。
「お母さん、息子さんの写真とかないの?」
親父が再婚してから二ヶ月後、ようやくオレは気になってた新しい兄弟のことを聞けた。なんとなく聞き出しにくくてさ。
「ごめんなさいね、ないのよ、それが」
「なんで?」
「昔から写真の嫌いな子でね。お父さんから聞いてないかしら?」
「何を?」
お母さんが言うことには、実はお母さんの実の息子じゃないらしい。
お母さんが初婚の時、亡くなった旦那さんてのが再婚で、連れ子がいたんだって。
それが今、大阪で働いてるオレの兄弟だそうだ。
「なかなか私に懐いてくれなくて、写真を撮ろうって言っても逃げられちゃってね。以前の写真は全部前の奥さんが持って行ってしまったそうで……だから息子の写真は本当に一枚もないの」
「じゃあ……もしかして、今でも仲が悪いとか?」
「それは大丈夫よ。大きくなってからは写真を撮る機会がなかっただけだから。今じゃ母親思いの優しい子だから大丈夫」
そーだったのか。まったく親父はこうゆうことをオレに言わないから誤解しちまうんだよ。いくつになっても変わらない親父だ。
そう言ったらお母さんは「そんな不器用なところが好きなのよ」なんて言った。お熱いことで。 そんなある日の夕飯のとき、お母さんがオレと親父の前で相談したいことがあるって言ってきた。
オレと親父は目を見合わせてなんだろう?って思ってたんだけど、そんなに深刻になることじゃなかった。
「息子が東京に戻ってくるらしいんだけど、独身寮はもう嫌だって、だからここに住みたいって言うの」
「俺はかまわないが」
「オレもいいよ」
我が家は普通の一軒家。広くもなく狭くもなく。だけど立地条件がメチャクチャいい。
親父の爺さんのころからずっとこの土地に住んでるわけだけど、オレが働いてる都内のビジネス街までドアツードアで三十分。
渋谷に行くにも池袋に行くにも新宿に行くにもだいたい四十分あれば間に合う。
そんな所だって聞いてた息子さんがここに住みたいって言うのは当然の成り行きだ。
「優しいんだけどちょっとドジって言うか、だらしないって言うか、そんな子なんだけどお願いしますね」
「はーい」
どんなヤツなんだろ?オレの兄弟は。
息子さんは本当に忙しくて引越しの日も本人がいない状態だった。
だからオレたちで全部済ませたんだけど、お母さんが申し訳なさそうに何度も謝るからこっちが逆に気を使った。
ま、たいして荷物も多くなかったからいいんだけどさ。
当の本人は明日の夜に到着するそうだ。そんなに忙しいなんてどんなヤツなんだか。
これじゃ同居したって顔を合わせることが少ないんじゃないかな? 翌日の朝、会社に着いたオレは同僚の千秋修平に兄弟の話を聞かれた。
もちろん話すことなんかない。だって会ってないんだもん。
「なんだ、そりゃ。そんなに忙しいヤツなのか?」
「みたいだな。まあオレはどうでもいいけど。オレが忙しくなるわけじゃないし」
「だな。ん?ありゃ誰だ?」
部長の後ろに知らないヤツが立ってた。
「みんな、ちょっといいか〜?」
なんだなんだとみんなが部長の方を見る。後ろにはでかい男が立っていた。しかもだいぶ男前だ。
「今日からここの課長として配属になった橘くんだ。よろしく頼むぞ」
課長。そうだった。以前までいた課長は仕事のストレスからうつ病になって別の部署に異動したんだっけ。
ずっと課長不在で忘れてた。そんでこいつが今度異動してきた課長ってことか。
「はじめまして。橘です。よろしくお願いします」
そいつは今までオレが見た中で一番背が高くて、一番男前だった。
茶色い髪の毛はブリーチとかじゃなくて本物なんだろう。蛍光灯の下で温かみのある光を放ってた。
「自己紹介しろ、みんな〜。じゃあ端っこから」
ちょっと広めのオフィスの中には二十人ぐらい社員がいる。
こんなにいっせいに自己紹介なんかしたって覚えられるわけがないのに。
「仰木高耶です。よろしくお願いします」
「……あ、よろしくお願いします」
なんだ、今の間は。
「こんなもんだな。じゃあ橘くん、オリエンテーションがあるからこっちへ来てくれ」
「はい」
物腰はあくまでスムーズ。笑顔が爽やかで優しそうで、優雅な仕草に女子社員は残らず魅了されたらしい。
橘課長がいなくなってから熱に浮かされたみたいにワキャワキャやってる。
オレが密かに狙ってた先輩社員の浅岡さんまでもだ。くそ。
その日の午後、橘課長はオフィスのひとりひとりに仕事の進捗を聞いて回った。
どうやらコミュニケーションのためのようだ。もちろんオレのところにも。 「仰木くんは新入社員なんですってね」
「はい。まだ買い付けとかは出来ないので、事務仕事がメインです」
「そうですか。もうそろそろ買い付けも覚えていい時期だと思いますから、来月から千秋くんのサポートでやってみましょうか」
「はい!」
ようやくオレにも日の目が当たるらしい。今までの課長にはさんざん文句言われてきたからな〜。
「期待してますよ」
そう言い残して課長は別の社員のところに行った。うん、いいヤツが来た! その日の帰り、浮かれたオレは話題のケーキ屋で四人分のケーキを買って帰宅した。
お母さんと今日から来る兄弟のためにもな。
帰ったらお母さんが夕飯の準備をしてた。
いいなあ、オレが夕飯作らなくていいなんて最高だ。
親父はまだ帰ってなくて、新しい兄弟もまだ来てなかったからオレだけ着替えて準備中の食卓についた。
「まだ息子さん来ないの?」
「さっき連絡が来たんだけど、道に迷ってるらしいのよ。説明したらわかったらしいから、そろそろ着くんじゃないかしら」
ちょっと緊張してきた。どんな人なんだろ?道に迷うぐらいだから見た目すっごい鈍臭そうなヤツかも。
そんなふうに色々予想してたら玄関の呼び鈴が鳴った。
「あら、来たみたいね。待っててね」
お母さんはいそいそと、嬉しそうに玄関まで迎えに出てった。
もしかしてオレも行かなきゃダメかな。そうだよな、せっかくの初対面だ。印象良くしておかないと!
お母さんに続いてオレも玄関までの廊下を進む。その時、お母さんが「はいはい」って言いながらドアを開けた。
……そこでオレが見たものは。
「……課長!なんで?!」
そこには今日からオレのオフィスに異動してきた橘課長がいた。
「ああ、やっぱりそうでしたか。仰木高耶さんて名前、どこかで聞いたことがあると思ったら」
「え?え?なんなの?」
それはオレのセリフだよ、お母さん!
「お母さんの息子って、課長だったの?!」
「え?課長?何のこと?」
「オレの会社の新しい課長なんだよ、この人!」
「まあ!」
ようやく事態が飲み込めたオレとお母さん。
親父よりも二歳年下のお母さんに、まさかこんなでかい、じゃなくて、年嵩の息子がいるなんて想像もしないに決まってるじゃんか!
「初めまして、じゃありませんね。こんばんは、高耶さん」
「……こんばんは……」
「これからよろしくお願いします」
「はあ……」
ええと、てことは?
課長がオレのお兄さんになるわけ?
「私の弟が高耶さんだなんて、面白いですね」
「面白がってていいんですか……課長」
「家で課長はやめてください。会社じゃないんですから。それ以外だったら好きに呼んでいいですから」
「……うーん……」
課長は朝の自己紹介でだいたいの予想がついてたらしい。
そりゃそうだ。仰木高耶なんてそのへんにゴロゴロいる名前じゃないもんな。
「あれ?課長……じゃなくて、お兄さんは前の名字のまんまなわけ?」
「仕事で使ってるわけですし、いい歳をして母親と一緒に改姓なんか出来ませんよ」
「そっか……」
「とにかく中に入って、二人とも」
「う、うん」
お母さんもオレもけっこうパニックだ。落ち着いてるのは課長だけ。しかもなんかクスクス笑ってやがる。
「私の部屋はどこですか?」
「あ、そうね。高耶くん、悪いんだけど教えてあげてくれる?私、夕飯の準備の途中だから」
「はーい」
課長、もといお兄さんを連れて二階に上がる。変な感じだ。
「えーと、お、お兄さんの部屋はここ。オレの隣りの部屋。で、突き当りが親父とお母さんの部屋」
「高耶さんと一緒じゃないんですか?」
「んなわけねーだろ!」
は!いかん!一応課長だ!言葉遣いに気をつけないと!
「ちょっとからかっただけじゃないですか。そんなに必死に否定しなくても」
今度は爆笑を堪えてるみたいに笑った。
ちくしょう!なんだってこんなヤツが新しいお兄さんで課長なんだよ!
「すいません。悪気はないんですよ。じゃあまたあとで、高耶さん」
部屋に入ったお兄さんはドアを閉めてから声を上げて笑ってた。聞こえてるぞ! 2へ
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