どうにも自分自身を納得させられないままダイニングに行ってお母さんにお兄さんのことを聞いた。
「すげーからかわれたんだけど!」
「まあ、そうなの?珍しいわね。あの子が初対面でねぇ」
「どうでもいいけどさ、どうしてあんな大人の息子だって言わなかったんだよ、もう」
「言わなかったかしら?お父さんには話してあったんだけど。私と十歳しか違わない息子だなんて、高耶くんも驚くわよね。ごめんなさいね」
「謝ることないけどさ……」
確かに連れ子って聞いた時点で何歳かくらいは聞いておくべきだったか。てっきりオレと変わらない年齢かと思ってた。
年齢のことはまあいいとして、なんでよりにもよって課長なんだよ〜。どうしていいかわかんなくなってきた。
「これから毎日、家でも会社でも課長と一緒だなんて憂鬱だよ〜」
「まあねえ……高耶くんには辛いわねえ」
「何が憂鬱なんですか?」
「げげ」
聞かれてたか!ああ、もう、すっげーやりづらい!
「いい加減にしなさい、義明。高耶くんが困ってるでしょう?」
良かった、常識のあるお母さんで!もしこれで息子ベッタリのお母さんだったらオレ、この家で居場所がなくなっちまうよ!
「おーい、帰ったぞー」
その時、親父が帰ってきた。オレのこの苦悩を作った張本人が。
「親父!」
「なんだ、高耶。血相かえて。お、義明くんか。どうも初めまして」
「はじめまして、お父さん。よろしくお願いします」
「いや〜、話には聞いてたがなかなかの色男じゃないか。これじゃ会社の女子社員が黙ってないだろうな」
「そんなことはないですよ」
そんなこと大有りだ!じゃなくって親父!
「高耶とはもう話したのかい?」
「ええ、もうすっかり仲良しです」
「違う!親父、聞いてくれよ!この人、オレの部署の課長なんだよ〜!」
「え?」
「か・ちょ・う!オレの!」
「はあ?そうなのか、義明くん」
「ええ。偶然て怖いですねえ」
どう見てもこいつは面白がってる。全然怖そうじゃないじゃんか!
オレのこの本気で嫌がってる気持ち、絶対にわかんねーだろーなー!
「会社で高耶がサボったら厳しく叱ってやってくれよ。頼んだぞ」
「はい、お父さん」
そんなわけでオレはお母さんしか味方がいないまま、恐怖の夕飯を過ごし、その後、親父とお兄さんに付き合わされて恐怖の晩酌を過ごし、どうしていいやらわからずに夜が更けた。
親父はお兄さんに酒を注がれるまま酔っ払って早々にお母さんに連れられて就寝だ。
残されたオレはこの課長であり、お兄さんである人を風呂場に案内して入れさせ、自分の部屋にこもって明日の目覚ましをセットした。
絶対に課長より早くに会社行かなくちゃ。一緒に出勤なんて冗談じゃねえ。
頭を抱えて明日からのこの『課長との同居』をどうしたもんかと考えてたらドアをノックされた。
「はい……」
どうせ課長だ。
「お風呂、出ましたよ。高耶さんどうぞ」
「はい、すいません」
下着とパジャマを持って部屋を出たら課長がまだ立ってた。
「なんすか」
「お風呂出るの待ってますから、あとで少し話しませんか?」
なんだろ……。怖いけど、笑顔だから心配ない話かもしれない。
「仕事の話じゃないならいいけど」
「そのことも含めて、私たちでちょっとした取り決めをしたいんですよ。両親のためにね」
そうゆうことか。
「いいよ。三十分ぐらいで出るから待ってて」
お兄さん兼、課長の人は今日宛がわれたばかりの自室に入って行った。
どうしてこんなことになっちまったんだかな〜。
風呂から出てバスタオルで頭を拭きながらお兄さんが待ってるであろうリビングに行った。
ついでにキッチンで二人分のビールを出した。
「そんで?何を話し合えばいいわけ?」
「まずは会社に関してですね。お互いに兄弟になったことは隠しておいた方がいいでしょう?」
「そりゃそうだ。課長とオレが兄弟なんてわかった日には何言われるかわかんねーからな」
お兄さんの分のビールをグラスに注ぎながら言った。ご丁寧にありがとうなんて返されちまった。
「それと家に会社のことを持ち込まないこと。例えば、あなたの仕事っぷりを私が気に入らないとします。そうすると険悪にならざるを得ない。それを家庭に持ち込んでしまっては両親も気まずくなりますから」
なんかナメられてねーか?
人間性とか、仕事とか。
オレそんなに仕事できないわけじゃねーぞ?って、こいつから見たらまだ甘いんだろうけど。
「家庭内に持ち込まないってのは賛成だ。だけどオレはそんな会社で嫌いになったからって家でも険悪になるようなねちっこい性格じゃねえぞ」
「見てればわかりますけど、一応ね」
ああ、そうですか。
「それと普段、家にいる時は普通に仲良くしましょう。お互いにわざと避けたりは絶対にしないこと。ですが仕事を持って帰った時は干渉し合わないこと」
「おっけい」
「あと一番大事なことを聞いてください。私たちがどういう感情を持つのであっても私はあなたの兄で、あなたは弟ですから両親を大切にしましょう。私はあなたのお父さんを自分の本当のお父さんだと思います。あなたも母をお願いします」
そんな覚悟はとっくに出来てる。いいお母さんだから大切にしようって思ってる。
「わかってるよ」
「だから私もあなたを大切にします」
「てことは、オレも課長、じゃなくってお兄さんを大切にしろってことだ?」
「ええ。飲み込みが早くて助かります。よろしくお願いしますね」
変なヤツ。
確かに仲良くする気はまったくない、て言われるよりは全然いいけど、大切にしましょう、だなんて。
「これで話は終わり?」
「あ、いえ。すいません、あとひとつ。会社では上下関係がありますが、家では私はあなたと出来るだけ対等な関係になりたいんです。我が物顔で、兄だ!って主張はしません。だからお兄さんて呼ぶの、やめてくれますか?」
「は?じゃあなんて?義明さん?そっちの方が他人行儀じゃねえの?」
「そうですか?」
そこでオレは考えた。アダナで呼ばれてたことがあったらそれを教えてくれって。
「アダナ、ですか。……直江、です」
「なおえ?」
「ええ、学生の頃、どういうわけかそう呼ばれてました」
たまにこういうヤツいるよな。オレの高校でもひとりいた。
小倉って名前なのに見た目が矢部っぽいからって矢部って呼ばれてるヤツが。
「高耶さんにはないんですか?」
あったけど教えたくない。高チンだなんて。
「ない」
「じゃあ私は高耶さんて呼びましょうか。いいですか?」
「いいけど、他人行儀じゃねえの?」
「大丈夫ですよ。敬愛を込めて呼ぶ感じでいいと思います」
おかしな兄弟が出来上がったわけだ。課長と部下で、直江と高耶さんだなんて。
ま、あんまり細かいこと気にしてもしょうがねえか。
「話は終わったな?じゃ、オレ寝るから。おやすみ」
「あ、私ももう寝ます」
リビングを出たオレを追いかけてお兄さん……直江は洗面所までついてきて、一緒に歯磨きして、一緒に二階に行って、部屋の前でまたおやすみなさいっつって別れた。
明日からオレ、どうゆう顔で会社や家で過ごしたらいいんだろう?マジ悩む。
いつもより一時間早く起きたオレは直江が起き出す前に顔を洗ってとっとと朝飯を食うつもりでいた。
ところがオレの新しいお兄さんはとっくに起きて着替えてダイニングテーブルで朝飯を食ってた。
「あ……」
「おはようございます。高耶さん」
「あら、高耶くん、いつもより早いわね」
親父はまだ寝てるらしい。遅番で出勤は朝十一時からだから。
「……おはよ」
「高耶くんのご飯もすぐ出せるから座っててね」
「うん……」
オレとお母さんの会話をニコニコしながら直江が見てる。
オレはお母さんが好きなんだよ。だから仲良く話すのは当然なんだよ。直江に見守られるようなこっちゃねえぞ。
「いつもはもう少し遅いんですか?」
「悪いかよ」
「いえ、遅刻しないのであればいいんじゃないですか?」
遅刻なんか一回もしたことねえよ。オレだって社会人の常識ぐらいはわきまえてるんだ。
「義明、そういう言い方はないでしょう。あなただって学生の頃は毎朝ギリギリまで寝てたくせに」
「お母さん……」
「お兄さんになったからってえばるんじゃないのよ。どうせ大阪でも独身寮暮らしだからって遅刻寸前まで寝てたんじゃないの?」
「ちゃんと起きてましたよ」
直江の弱点はお母さんか。なるほど。これは使えるかも。
「高耶くん、今日はね、義明ったらいい格好するために必死で起きたに違いないのよ。お父さんや高耶くんに気に入られようと思って。すぐいい子ぶるんだから」
さすがお母さん。息子のことは良くわかってるってか。
「はいはい、わかりましたよ、お母さん。今日は必死で起きました。これでいいんでしょう?」
「そうそう」
お母さんが言ってた通り、直江は母親思いのいい子のようだ。
普通の会話に聞こえるけど、直江がお母さんを大事にしてるってのが今ので伝わる。
「本当は早くお嫁さんを貰ってくれるといいんだけどねえ」
「そのうち見つけますよ。会うとすぐコレだから」
そういえば直江って結婚しないのかな?もう三十三歳なのに。
「ちゃんとお母さんが気に入るお嫁さんを貰いますから」
そっか。お母さんが心配で結婚しなかったのか。
自分が結婚したらお母さんがひとりぼっちになるから。
でもそのお母さんも再婚したんだし、そろそろってとこなのかな?
いつもより少しだけのんびりと朝飯を食って、支度してから家を出ようとした。んだけど。
「高耶さん、一緒に行きましょう」
「え!」
「ダメなんですか?」
「いや、その。誰かに見られたら」
「いいじゃないですか。近所だって言っておけば」
「……いいけどさ」
そんなこんなでオレは一番避けたかった『一緒に通勤』を初日にしてしまった。
これが悪かったみたいだ。その後、直江は毎日オレと一緒に通勤し始めた。
特に会社では何事もなく一週間が過ぎて土曜になった。
金曜の夜は直江の歓迎会で、オレは早めに帰ったけど直江は女子社員たちに拉致られて終電逃すほど遅かったらしい。
オレが朝飯を食って洗濯をして新聞を読んでネットで見たい映画の検索をしてから、昼飯の準備に取り掛かろうとしたところでようやく起きてきた。
「おはようございます……」
「おはよー。もう昼だぞ」
「ちょっと二日酔いで……」
いったい何時まで飲んでたんだって聞いたら午前一時過ぎだって。
色々と経歴だとか住んでるとこだとかの質問攻めにあったそうだ。
女ども、直江に気に入られようと必死だったもんな〜。
「昼飯食う?」
「……高耶さんが作るんですか?母はどこに?」
「今日は月に二回の恒例のデートなんだよ。朝早くにサンドイッチ持って日帰りバスツアーに出かけた」
「そうなんですか。そんなことを」
新婚だからな。デートぐらいしたいよな。
「先月はふたりで観劇とショッピング。目標はふたりでディズニーランドなんだってさ」
「ディズニーランド?」
「デートの定番を全部やるんだって張り切ってるよ」
あの母が……って直江は呆れてたけど、若い頃にだいぶ年上の旦那さんと結婚して、その連れ子の直江が反抗期で大変で、だから夫婦でデートをしたことがほとんどなかったって、ついこの前聞いた。
だからオレもお母さんを応援してやりたいんだよな。
「で、昼飯は?」
「何を作る予定なんですか?メニューによっては胃が受け付けないかもしれないので……」
「オムライス」
「う」
「ダメか。んじゃ卵焼きとご飯と焼き魚かなんかでいい?」
「ええ、それなら」
このパジャマ姿で頭ボサボサの直江って、オフィスで見る課長とはほど遠い。
お兄さんて感じでもない。
やっぱお母さんが言ってた通り、最初はお兄さんぶりたかったのかな?口じゃ対等に、なんて言っておきながら。
「風呂入って酒抜いてきたら?」
「そうします」
直江が風呂に入ってる間におかずと味噌汁を作って、ご飯を炊いておこう。
食ったらオレは映画を見に行くんだから。そのために朝からインターネットと新聞で調べてたんだもん。
昼飯が出来上がった直後に直江が風呂から出てきた。すこしだけサッパリしたらしい。
「課長さんも大変だな」
「ええ。あんなに元気のいい女子社員は初めてです」
「あれがウチのメンバーだから、要領良く逃げ出さないと毎回付き合わされるぞ」
「先に教えておいてくださいよ」
ザマアミロと笑ってやって直江の前に真っ白い炊き立てのご飯と味噌汁を置いた。
「……いいものですね」
「ん?何が?」
「こうして誰かに温かいご飯を用意してもらうってことが」
「じゃあ早く結婚しろよ」
「せっかくですからもう少し家族でいさせてください」
その時の直江の顔がすっごい幸せそうだった。
「小さい頃はずっと両親が毎日ケンカをしてて、いつの間にか離婚して、団欒というものに縁遠かったんです。反抗期のころに新しい母が来たんですけど、しばらくは馴染めなくて……やっと仲良くなってきたころに父が他界して。その後は転勤続きで寮暮らしでしょう?ようやく一家団欒てものを取り戻したんです。だから今、とても楽しいんですよ」
そう言われてみれば。オレもお母さんが来てからすっごく楽しくなった。
家族っていいもんだな〜って思うようになったのはお母さんが来たからだ。
「高耶さんもそうでしょう?」
「まあ、な」
「だから兄弟を楽しみましょう。私には初めて出来た兄弟なんですから」
オレは美弥とよく会ってるから兄妹ってのはわかる。でも直江は一人っ子だったんだよな。
「しょうがねえな。付き合ってやっか」
「ありがとうございます」
相手は課長だけど、そう悪くはないか。
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