牡丹燈籠
 


 
         
 

家老上杉某の長男、景虎は先年元服を迎えたが、生来の病弱のため家督を次男、譲に受け渡すこととなった。
本来ならば嫡子であるがゆえ、その自尊心を大きく傷つけられ、実家にいることが屈辱と感じ、療養のためと領地の山林にある別邸へ移ることとあいなった。

元服の際に父から家臣の直江信綱と安田長秀を譲り受け、家臣柿崎家の娘のお晴と供に別邸へ向かう。
安田とお晴は景虎の幼少期からの友人でもあり、直江は生まれたばかりの景虎の守役として付き従ってきた仲である。

山林の麓までは駕籠に揺られて来たものの、山道が険しくなると人が乗れぬほどの斜面になる。
歩けると踏んで駕籠から降り、山道を歩き出したはいいが、四半刻もせぬうちに高耶は息切れをおこした。
景虎の後ろに従っていた直江が肩で息する姿を見止めて、声をかけた。

「景虎様、お加減が悪いのでは?」
「いいや。大丈夫だ」
「お顔の色がすぐれません。私の背に負ぶさってくさだい」
「・・・すまんな」

直江の背に負ぶさり、山道を往く。赤ん坊の頃から今になっても直江の背は景虎にとって居心地の良い場所であった。

「直江」
「はい」
「景虎と呼ぶのはやめろ。昔のように高耶でいい」

幼名は高耶という。元服の際に父から賜った景虎の名前で直江から呼ばれるのを嫌っていた。

「ですが、今はあなたの家臣ですから」
「どうせ誰も聞いてないんだ。高耶と呼べ」
「はい。高耶さん」

先頭を行く安田の耳にもその会話は聞こえてきた。後ろを振り向き、

「そりゃそーだよな。うるせえ家臣どももいねーし、おっかねえご主君様もいねーし、気楽にやってこーぜ」
「長秀。いくらなんでも高耶さんにそんな口を利くな」
「いいじゃねーか、なあ、景虎よ」
「ああ。かまわん」

直江は高耶に対し、律儀すぎる一面もあるが、高耶にとっては兄のように慕い、親のように尊敬している存在である。
そして幼い頃から恋焦がれている相手であった。
直江の縁談はすべて高耶が相手を見定め、そして壊してきていた。一度、直江が本気で嫁に娶ろうとしたお船という女を我が家の
意向と称して破談にさせたことがる。
その後のお船の行方は知れない。
直江はというと高耶の我が侭ならば何でも聞いてやるというふうである。こちらも高耶が大事なのだ。

「ああ、屋敷が見えてきましたよ。もうすぐ着きますね。具合はどうです?落ち着きましたか?」
「まだだ」

ちょうど半刻で屋敷に着いた。簡素ではあるが瀟洒な屋敷の周りは、背丈ほどの竹垣で囲われていた。
茅葺の門を入ると正面に平屋建ての屋敷があった。庭には小さな竹林が整えられ、寂しい景観を和やかなものにしていた。
すでに高耶のためにすぐに暮らせるようになっていた手入れの行き届いた屋敷へ入り、高耶の寝所へ連れて行った直江。

「布団を敷きますから、少々お待ちください。後でお晴が薬湯を持ってきます」
「お晴から受け取っておまえが持ってこい」
「…はい」

布団を敷き、高耶を寝かせるとお晴が薬湯を作っている台所へ行った。

「薬湯はまだか?私に持ってこいとの仰せだ。早くしてくれ」
「相変わらず景虎様は直江がお気に入りってことなわけね」
「らしいな。まあ、こんな所へ来て心細いんだろう。守役の私がいれば安心なさると言うなら、いくらでも従うさ」
「あんたもお疲れ様ね。はい、できたわよ。持って行ってあげて。夕餉は何がいいか聞いておいてね」
「わかった」

薬湯を持って寝所へ向かう。風が入らないように障子を閉めてあるため、声をかけて入ろうとしてみたが返事がない。

「高耶さん?…失礼いたします」

何かあったのではないかと思い、返事を待たぬまま障子を開けた。するとまっさらな布団の中で高耶は安らかな寝息をたてていた。

「…眠ってるんですか・・・?しょうがない人ですね」

肩まで布団をかけ、枕元に薬湯を置いた。そして高耶の寝顔を見つめる。

あなたはいつの間にか大人になり、私から離れていくと思っていました。でもあなたは元服の際に私を家臣に譲り受けたいと申し出てくれた。いつまでもあなたのそばにいられるのなら、私はそれで本望です。石もいらない、名声もいらない。

大人になった高耶にいつの間にか惹かれていた直江であった。高耶にはそんな気配は微塵も見せては居ない。
高耶の懸想にも気付いていない。互いに密かに想うだけである。

「ごゆっくりおやすみください」

高耶の黒い髪を撫でて、愛おしそうに見つめる。赤く、柔らかそうな唇を触ってみたくなる。
その時高耶が小さく口を開いた。
直江の心の臓が大きく波打つ。

「なお…え」
「…はい、なんですか?」
「う…ん」

寝言だったようである。しかし高耶の色香は直江の体内へ入り、大きなうねりを起こしていた。

このままではいかんのではないか。このまま高耶さんとこの屋敷に住まうなど。いつか私が穢してしまうのではないのか。

直江は立ち上がり、高耶の寝所を後にした。

 

 

 

翌々日、朝から長秀とお晴は下男を伴って山を下り、数日分の食糧などを仕入れに出かけた。高耶と直江は屋敷で二人きりで残された。
庭に出て、野鳥の声を聞き、空の高さを思う。傍らに直江を侍らせ、高耶はそのぬくもりを追おうとした。
その時、門の外から若い男の声がした。

「ごめんくださいませ。上杉の若様をお訪ねに上がりました」

突然の来客に直江も高耶も身構える。高耶を部屋に戻し、直江が脇差に手をかけつつ門の外の訪問者に誰何の声をかける。

「どなたですか」
「山向こうの村の太助と申します。庄屋の息子でございます。こちらに上杉の若様がご逗留なさっておられると伺いまして、ぜひとも我らの村へご招待存知あげたく参上つかまつりました」

門に付いた覗き穴から見てみれば、正装をした若者が一人立っている。得物などは持っていないようだ。
用心しながら門を開けた。

「私は直江信綱と申す。景虎様の従者である。そなたの村に景虎様をお迎えされたしとのことだが、何ぞ用があってのことか?」
「いえいえ、とんでもございません。若様がご療養と聞き、退屈申し上げておられるようでしたら、ぜひ退屈しのぎにでもと。殿様には大変お世話になっております村でありますから、何かご恩をお返しできればと思いまして」
「そうか。では景虎様にお伺いを立ててから返事をいたす。そなたの村へ使いを寄越すゆえ、数日待たれい」
「ありがとうございます。それではこれにて失礼つかまつります」

若者が来た事情を高耶に話すと、高耶は加減の良い時であれば行きたいと言い出した。戻ってきた長秀たちも同意をし、翌日に下男を使いに出し返事をした。

「本当に赴かれるのですか、高耶さん」
「ああ。何か不都合があるのか?」
「いえ…ただあなたのお体が心配なだけです。ご無理をなさらぬよう」
「そんなものはしない。それに直江がそばにおれば心配などしなくてもいいだろう?」
「ええ。お守りいたします」

直江の笑顔の清廉さに高耶の目は釘付けになる。いつまでも守ってくれと言い出しそうなほど。

「ここに来てからなぜだか調子が良いのだ。山の清浄な気のおかげだな」
「顔色も良くなりましたね。あなたさえご健勝なら、私はそれでいいんです」
「…それは、家臣としてか?」
「え?」
「いや、いい。下がれ」

この問いは何なのだろうか?
直江の脳裏に疑念が掠めたが、そもそも気まぐれな高耶のこと。自分では思い巡らせるのも無駄なことだと思い直し、高耶の居室を後にした。

 

 

直江を伴い午の刻に屋敷を出、山向こうの村に着いたのは未の刻であった。高耶の持病も出ず、無事に村へたどり着くことが
できた。
村ではすでに簡素だが宴の用意が出来ていた。庄屋の屋敷へ向かい、少々の酒を振舞ってもらい、山菜が中心の食事をした。
夕刻になろうとする頃、村の娘たちが伝統の踊りを披露した。

「若様、気に入られた娘がおりましたら、ぜひともお連れになってくださいませ」
「連れに?」
「下女としてでも、妾としてでもご随意に」
「…何を申すかと思えば、くだらん。オレにそんなものはいらん。直江、不愉快だ。帰るぞ」

高耶はまだ女を知らない。知る好機ではあるが、庄屋の魂胆が見え見えであるのがわかり、すげなく断った。
直江はといえば、庄屋の言葉に高耶が乗ってしまわないようにと思っていただけに安堵をした。ここで高耶が娘に手をつけるのかと
思っただけで嫉妬で斬り殺してしまいそうな勢いだった。

「御意」

高耶としても好きでもない女を抱いて何が楽しいというのだ、という思いがあった。自分が交わりたいのは直江だけだ。
平に謝る庄屋や村人を無視し、夕暮れの山を提灯ひとつ持って家路についた。

ところが慣れない山道のうえ、夕闇に包まれた道で迷ってしまった。高耶も夜気にやられたのか、苦しそうに胸を押さえている。

「申し訳ございません、景虎様。私がついていながら、このようなことになってしまい…」
「景虎と呼ぶなと言っただろう」
「すいません…少し休みましょう。印籠に薬が入っております。座ってください」
「こんな湿った地面に腰を下ろせと言うのか」
「ああ…でしたら、私の膝に」

直江が笹をなぎ倒した地面に座り、高耶を膝に乗せる。印籠から薬を出し高耶に渡す。そして竹筒で作った水筒の水を口にあてがい水を飲ませる。

「すまない…だいぶ落ち着いてきた」
「いいえ。私のせいです」

寒さに震えるような素振りを見せた高耶に、羽織を脱いでかけてやった。

「なおえ…」
「これで寒くないですか?」
「…うん」

高耶が甘えるように直江の膝の上で寄り添う。このままいつまでも闇夜に包まれていたいと思う。直江も、同じく。

「高耶さん…」
「なお…」

高耶の目の前に直江の顔が寄ってくる。羽織ごと高耶を包む腕の中で、高耶は目を閉じた。
そのときである。
直江の目の端に、林の奥から近づいてくる明かりが見えた。

「あれは…」

徐々に近づいてくるその明かりは、二人の前で止まった。

「直江様ではありませんか?」

美しく、たおやかな声がした。牡丹の花を模った燈籠に浮かび上がったのは、

「お船どの!お船どのではありませんか!」

直江の知る顔であった。

 
         
   

2へススム