異教の詩 イキョウノウタ 1 |
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いくらどんなに好きだって、諦めなければいけないものもある。
そいつを初めて見たのは従姉妹の葉子姉さんの結婚式だった。 オレも大学を卒業して祖父の鉄鋼会社に入り、毎日毎日「総裁のお孫さん」「社長の息子さん」として扱われている。 入社したばかりのころは意気揚々と与えられた仕事をしてきたけど、最近になってわかってきた。 仰木のボンボンはお飾り。 つまらない『ご歓談』の時間をやりすごすために、会場の外へ出た。 トイレに向かって歩き出し、途中でタバコが吸える喫煙所をみつけた。そこの灰皿に近寄って、ポケットからタバコをだして吸った。 「すいません、火を貸してもらえますか?」 背後から声がかかった。紳士的な低い男らしい声。 「どうぞ」 祖父からもらったライターを渡して、そいつがタバコに火をつけるのを見ていた。 「デュポンのライターですか。お若いのに渋い趣味してますね」 そいつが苦笑いしながらライターを返してきた。 「あなたもですか?」 タバコ一本吸うのには3分程度。その間、そいつと話していた。 「今日はどちらの披露宴会場なんですか?」 言いたくなかった。 「新婦の……親戚。遠い親戚」 名字を言えば素性がバレる。 「高耶さんですか。結婚式には慣れてないんですか?退屈そうですけど」 私もです、と直江は笑って同意した。 「新郎とは特に親しい友人というわけではないんですが、新婦さんが大きな会社のお孫さんということで、お客さんが多いでしょう?新郎側も人数を集めなくてはいけなくて、会社の上司やら親戚やら友人やら、とにかく声をかけまくってたらしいんです。そんなわけで私にもお鉢が回ってきましてね」 確かにそうかもしれない。 「あの人数には圧倒されますね。初めてです、こんな大きな披露宴は」 オレにはいつものことだったけど、それを言ったら遠い親戚ってのが嘘だとバレるから「オレも」と答えた。 「どうぞ受け取ってください。何かご縁があったらよろしくお願いします」 そのうち、ってのは『二度とないかもしれないけど』っていう意味だと知ったのはつい最近だ。 「CEO……?あんた取締役なのか?」 たぶんこいつは30歳すぎぐらいだ。どこかのIT企業の社長みたいにメディアに出たがったり、意味のないマラソンをするような落ち着きのない人間とはちょっと違うみたいだ。 「ここってさ、アレだよな?ネットを通して反戦活動を支援してるってゆう、ええと、なんだっけ?」 シルバースターってゆうのは直江が取締役をやっている企業『ミツバネット』が、反戦活動をしてるNPO団体と合同で反対運動をしてるプロジェクトの名称だ。 「もし良かったらシルバースターのストラップでも買ってくださいね。あなたの一個のシルバースターが、誰かの命を救います」 ほら、と言って出した直江の携帯にもシルバースターがあった。 「では私は戻ります。あまり長く席を外してしまったら失礼にあたりますから。高耶さんもですよ?」 ぶっきらぼうに言ったオレに、直江は大人らしい静かな笑みを浮かべて去って行った。 披露宴会場は広すぎて、どこに直江が座っているのかもわからずに終わった。同じホテルの小会場で二次会が行われるらしくて、従姉妹からも声がかかったけど、どうせ「仰木のボンボン」をネタにした話や、仰木の名前だけで近寄ってくる女ばかりで面倒だと思って参加しなかった。 実家は大正時代からその土地にあった古い大きな屋敷で、場所は港区。23区内のほとんどの住所は町目、番地、号となってるけど、うちは番地までしかない。そのぐらいでかい土地に庭付き、部屋数は洋館と日本家屋、離れを合わせて15部屋という無駄にでかい家だ。 オレだけは「男子は社会人になったら一人暮らしを経験しろ」っていう家訓のおかげでこの辛気臭い家からは離れて世田谷のマンションに住んでる。家賃は少しだけ実家から援助してもらってるけど、それは理由があってのことだ。 オレは小さい頃からこの財閥系グループの跡取りとして多少は厳しく育てられたと思う。企業主はどうあるべきか、なんて家庭教師の授業もあったしな。 そんな同族会社で平社員のオレは社内で父さんやじいちゃんに会うことはまずない。会ったとしても他の社員同様、頭を下げて通り過ぎるのを待つだけだ。 ひとりでマンションに着いたオレはスーツを脱いでハンガーにかけ、いつも部屋で着てるスウェットに着替えて、思い出したようにスーツのポケットを探った。 「若いのに企業を興してCEOか」 下地は違うけどオレがいつかなる職位だ。長男だからなるしかない。嫌だろうが無能だろうが、なる職位だ。 「あいつはそーとー有能だったんだろうな」 雰囲気からして理知的でなるべくしてなった、という感じだ。 「まあ、今のオレにはこんなヤツ関係ないけどな」 でも『そうやって育てられてきた』という習慣で、明日になればキッチリと会社のデスクに入ってる名刺ファイルのページにこの名刺を入れるんだ。
そうやってオレは友人たちとはちょっと違う生活をしてきた。
つづく |
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とりあえず出会いまで。 |
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