異教の詩
イキョウノウタ


 
         
 

いくらどんなに好きだって、諦めなければいけないものもある。
もがき苦しむぐらい焦がれたって、どんなに手を血で染めたって、絶対に手に入らないものがある。
人はそれをなんて呼ぶんだろう?
手の届かない場所にあるもの。
雲上の星。

 

 

そいつを初めて見たのは従姉妹の葉子姉さんの結婚式だった。
我が家は財閥系の『飛雀鉄鋼会社』の総裁を祖父に持つ、財界や鉄鋼業界では名の通った家柄で、今回の結婚式も招待客が何百人いるのかわからないほどの規模だった。
大きな披露宴会場でオレは末席に座り、祖父や社長である父親に挨拶をしに来るこわばった笑顔の人間を横目で見ていた。
結婚式なんかくだらない社交場でしかない。
どいつもこいつも祖父に顔を少しでも覚えてもらって、社から発生するおこぼれでも貰おうとしてるとしか思えなかった。

オレも大学を卒業して祖父の鉄鋼会社に入り、毎日毎日「総裁のお孫さん」「社長の息子さん」として扱われている。
だから仕事もたいしたことのないつまらないものばかりを寄越されて、難しい仕事から遠ざけられてる。
そうしないと「総裁の孫の仰木高耶は仕事が出来ない人間だとレッテルを貼られてしまう」とでも思っているんだろう。
もし難しい仕事を与えられてそれをこなせなかったら、無能な孫が跡を継ぐんだと、ライバル社やマスコミの耳に入り、社の命運が
危うい、我らも同列にされてしまう、と、そう思っているんだ。

入社したばかりのころは意気揚々と与えられた仕事をしてきたけど、最近になってわかってきた。
オレがやっているのはその場しのぎの、オレを無能に見えないようにするための仕事なんだって。

仰木のボンボンはお飾り。
そう言われてるようで仕事なんか面白くもないし、こうして祖父に挨拶に来るやつらにも興味はない。
どうせオレを無能扱いしてるに違いないんだ。ことなかれ、ってな。

つまらない『ご歓談』の時間をやりすごすために、会場の外へ出た。
都内でも有数の高級ホテルでの結婚式は、オレにとっては意味のない、ただの見栄を張っただけの宴会と同じだ。

トイレに向かって歩き出し、途中でタバコが吸える喫煙所をみつけた。そこの灰皿に近寄って、ポケットからタバコをだして吸った。
本当に吸うわけじゃない。オレの場合はふかすだけ。
会社でのヒマを潰すために、ふかすだけのタバコを持つようになった。

「すいません、火を貸してもらえますか?」

背後から声がかかった。紳士的な低い男らしい声。
振り向いてそいつを見ると、オレよりも一回りほど背が高くて、優しそうで品のいい顔を持った30歳すぎの男が立っていた。
黒いスーツに白いネクタイをしてる。結婚式の来賓だろうか。

「どうぞ」

祖父からもらったライターを渡して、そいつがタバコに火をつけるのを見ていた。

「デュポンのライターですか。お若いのに渋い趣味してますね」
「お古をもらったんだ」
「最近はタバコを吸うのもためらわれますね。そこの披露宴に来てるんですけど、同じテーブルの皆さんは吸わない方ばかりでつい遠慮してしまいました」

そいつが苦笑いしながらライターを返してきた。

「あなたもですか?」
「そんなとこ」

タバコ一本吸うのには3分程度。その間、そいつと話していた。

「今日はどちらの披露宴会場なんですか?」
「そこ、鶴の間」
「ああ、同じ会場ですね。私は新郎の友人で直江と申します。あなたは…?」

言いたくなかった。
総裁の無能の孫です、なんて。

「新婦の……親戚。遠い親戚」
「お名前は?」
「高耶」

名字を言えば素性がバレる。

「高耶さんですか。結婚式には慣れてないんですか?退屈そうですけど」
「何回か来たことはあるけど、退屈なのには変わりないな」

私もです、と直江は笑って同意した。

「新郎とは特に親しい友人というわけではないんですが、新婦さんが大きな会社のお孫さんということで、お客さんが多いでしょう?新郎側も人数を集めなくてはいけなくて、会社の上司やら親戚やら友人やら、とにかく声をかけまくってたらしいんです。そんなわけで私にもお鉢が回ってきましてね」
「そうなんだ?」

確かにそうかもしれない。
叔父さんが言うことには大々的な披露宴ができるほど相手方は裕福でもなく、大勢とのお付き合いがあるわけでもなく、普通の家庭の普通の長男だって話だ。
それが何をどう間違えたんだか、鉄鋼会社の総裁の孫娘(とはいえ跡継ぎとは何も関係ないけど)に惚れられて、腹を括って結婚までしてしまったわけだ。一番驚いてるのは本人だろう。

「あの人数には圧倒されますね。初めてです、こんな大きな披露宴は」

オレにはいつものことだったけど、それを言ったら遠い親戚ってのが嘘だとバレるから「オレも」と答えた。
直江はタバコを消すと内ポケットに手を突っ込んで名刺を出した。

「どうぞ受け取ってください。何かご縁があったらよろしくお願いします」
「はあ……あ、オレ、今日は名刺持ってないや」
「いいですよ。そのうちで」

そのうち、ってのは『二度とないかもしれないけど』っていう意味だと知ったのはつい最近だ。
受け取った名刺を見てみると、最近になってインターネットで知られてきたIT企業のロゴが入ってた。

「CEO……?あんた取締役なのか?」
「ええ。友人と私で発足させた会社なんです。まだ規模は小さいんですけど、ようやく軌道に乗り始めて、どうにか社員にも満足な給料を出せるようになってきました」
「ふうん」

たぶんこいつは30歳すぎぐらいだ。どこかのIT企業の社長みたいにメディアに出たがったり、意味のないマラソンをするような落ち着きのない人間とはちょっと違うみたいだ。

「ここってさ、アレだよな?ネットを通して反戦活動を支援してるってゆう、ええと、なんだっけ?」
「シルバースター、です」
「そう、それ」

シルバースターってゆうのは直江が取締役をやっている企業『ミツバネット』が、反戦活動をしてるNPO団体と合同で反対運動をしてるプロジェクトの名称だ。
活動範囲は大きく、地雷除去だとか、戦争難民の受け入れ支援だとか、政府に自衛隊派遣反対を呼びかける運動をしたりとか、ミツバネットのポータルサイトを使って世界中に向けて戦争の悲惨さを訴えたり、戦争写真の公開をしたり、反戦のための活動をしてる。
最近になってこのプロジェクトが世間一般に知られるようになって、ステンレスで作られた銀色の星の携帯ストラップやブレスレットなんかを全国のコンビニや雑貨屋で売って、その利益を反戦活動や難民支援に使ってる。
まだ知らない人の方が多いけど、確実に世界中から応援されてて、ミツバネット自体も評判がいい。

「もし良かったらシルバースターのストラップでも買ってくださいね。あなたの一個のシルバースターが、誰かの命を救います」
「……うん」

ほら、と言って出した直江の携帯にもシルバースターがあった。
どこかで何度も見てはいたし、知ってはいたけど、買わなかったストラップだ。

「では私は戻ります。あまり長く席を外してしまったら失礼にあたりますから。高耶さんもですよ?」
「わかってるよ」

ぶっきらぼうに言ったオレに、直江は大人らしい静かな笑みを浮かべて去って行った。
この時のオレは、直江との間に高くて分厚い壁があるなんて、知らなかった。

披露宴会場は広すぎて、どこに直江が座っているのかもわからずに終わった。同じホテルの小会場で二次会が行われるらしくて、従姉妹からも声がかかったけど、どうせ「仰木のボンボン」をネタにした話や、仰木の名前だけで近寄ってくる女ばかりで面倒だと思って参加しなかった。
祖父と父親、母親、妹の美弥とホテルの出口まで一緒に行って、ひとりで電車に乗って帰った。

実家は大正時代からその土地にあった古い大きな屋敷で、場所は港区。23区内のほとんどの住所は町目、番地、号となってるけど、うちは番地までしかない。そのぐらいでかい土地に庭付き、部屋数は洋館と日本家屋、離れを合わせて15部屋という無駄にでかい家だ。
今はその家には祖父、オレの両親と妹で住んでる。お手伝いさんは70歳のカズコさんを筆頭に4人、祖父の執事が1人、秘書が1人住み込みでいる。

オレだけは「男子は社会人になったら一人暮らしを経験しろ」っていう家訓のおかげでこの辛気臭い家からは離れて世田谷のマンションに住んでる。家賃は少しだけ実家から援助してもらってるけど、それは理由があってのことだ。

オレは小さい頃からこの財閥系グループの跡取りとして多少は厳しく育てられたと思う。企業主はどうあるべきか、なんて家庭教師の授業もあったしな。
ちょっとだけ他の家より金があって、家が広くて。だから自然と忙しい家族とは一緒にいることが少なくなって、妹の美弥以外は家族といえどもあんまり親近感が湧かない。

そんな同族会社で平社員のオレは社内で父さんやじいちゃんに会うことはまずない。会ったとしても他の社員同様、頭を下げて通り過ぎるのを待つだけだ。

ひとりでマンションに着いたオレはスーツを脱いでハンガーにかけ、いつも部屋で着てるスウェットに着替えて、思い出したようにスーツのポケットを探った。
財布とタバコとハンカチとライターと名刺をテーブルに置いて、灰皿を引き寄せてタバコの箱を振り1本出して、火をつけた。
目の端っこに名刺がある。あの喫煙所で会った男の名刺だ。

「若いのに企業を興してCEOか」

下地は違うけどオレがいつかなる職位だ。長男だからなるしかない。嫌だろうが無能だろうが、なる職位だ。
別段それに執着もないけど、そうやって育てられてきたから嫌なわけでもない。どっちかって言うとやってみたいと思う。

「あいつはそーとー有能だったんだろうな」

雰囲気からして理知的でなるべくしてなった、という感じだ。

「まあ、今のオレにはこんなヤツ関係ないけどな」

でも『そうやって育てられてきた』という習慣で、明日になればキッチリと会社のデスクに入ってる名刺ファイルのページにこの名刺を入れるんだ。

 

そうやってオレは友人たちとはちょっと違う生活をしてきた。
それから何の疑いもなく、いつかは会社のトップになるためっていう名目のつまらない仕事もしてきた。
なのに、それが分厚い障害になってたなんて、思わなかった。

 

 

 

 

つづく

 
         
   

とりあえず出会いまで。

   
         
   

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