夏の名残があるオフィス街を営業に回っていた。
汗をかきながら、照り返しのアスファルトを歩き、目的地から自社まで帰るために急ぎ足で歩く。
信号でネクタイを少しだけ緩めて待っていたときだった。
「高耶さん?」
後ろから声をかけられた。声だけなのに一瞬であの時の出来事を思い出して、相手が誰なのかすぐにわかる。
直江だ。
振り向いてそいつの姿を確認して、やっぱり当たってたな、と思って少しだけ笑った。
「ああ、やっぱり高耶さんだ」
「直江さん、どうしてこんなとこに?」
「会社から近いんですよ。駅の向こうにあるインテリジェントビル、ここから見えるでしょう?あそこです」
「ふーん、アレなんだ」
数年前に出来たばかりの新しい高層ビルの中に直江の会社があるらしい。
「取引先の銀行に行くところなんです。ネットバンクの広告を出してもらうので、そのお礼を言いに」
「ひとりで?一応社長なんだろ?」
「そうは言っても小さい会社ですから。私が行くことで今後の方針の役にも立ちますしね。兼業ってとこですか」
真面目なやつだ。
「高耶さんは?」
「営業の帰り」
「ここから近いんですか?」
「いや、少し歩くけど」
駅からは10分てとこだろうか。
「あの」
「ん?」
「今日、会社の連中に誘われて……その、合コンとやらに参加しなくてはいけないんですが……人数が急に足りなくなってしまって、もし良かったら、高耶さん、来てくれませんか?」
合コンだ?なんでそんなのに行くんだ?必要、なさそうなのに。
「なんでオレなんか誘ってんの?」
「……さあ?なんとなく、高耶さんがいてくれたら私も心強いな、と思って。合コンなんてしたことないですから」
「そーなの?」
「ええ。この歳ですからね」
そういやいくつなんだろう?見た目は32・3てとこだけど。
「何歳?」
「34歳です。オジサン相手じゃ若い女性もつまらないでしょうから、若い高耶さんがいてくれると助かるんですけど、どうですか?」
「う〜ん、いいよ。仕事はだいたい7時に終わるんだ。少し残業あると思うから。それでもいい?」
「8時に集合ですから、それで大丈夫です。待ち合わせは、さっきの信号で7時半ごろでどうですか?」
「うん、それでいい」
どうして直江と合コンなんか行こうなんて思ったのかわからないけど、きっと楽しいんじゃないかってことだけが頭にあった。
他のメンバーなんか期待してなくて、ただ直江と話したかったんだ。
仕事の話なんかじゃなくて、もっと、普通の、楽しい話を。
残業を少しだけやって、早々に仕事を切り上げた。
定時の6時を1時間回ってからタイムカードを切った。なんだかワクワクしてたのは、合コンで女の子と出会うからってだけじゃなくて、あの男ともっと知り合えるからだってわかってた。
待ち合わせの信号へ行ったらすでに直江が立っていた。まだ約束の時間の15分も前なのに。
「お待たせ」
「いえ、私もさっき来たところですから」
さっき来たのならそんなには待たせてないかな?良かった。待たせてイライラされたらたまんねえ。
「今から行ったら少し早いですね。軽くお茶でもしましょうか」
「いいけど、場所はどこなんだ?」
「駅前のダイニングバーだそうですよ。地図をもらってます」
東京駅八重洲口から徒歩3分、という地図を見せてもらった。ここからなら歩けば5分ぐらいだろう。
直江はそっちの方向に向かって歩き出した。駅へ行く途中の道にコーヒーショップを見つけてそこに入る。
「喫煙席でいいんだよな?」
「ええ。私が買っていきますから、高耶さんは席で待っててください」
「ん。じゃあオレはカフェオレで」
カフェオレの代金を直江に渡すとそれを握ってカウンターに並んだ。カウンターにいる客はカップル一組で、すぐに直江の番になる。
カウンターの中の女子店員は直江よりも15センチぐらい高い場所に立ってるのに、それでも直江の方が頭半分ほど高い。
改めて背の高い男なんだと思った。しかも男前だ。
そう思ったら今日の主役は直江になるんだろうなって思えてきて、悔しかった。
オレが主役になりたいわけじゃない。だって女の子はどっちかっていうと苦手で、一回しか付き合ったことがない。
何につけても詮索するし、オレが興味のない話を長々とするし、だけどオレの趣味には絶対に付き合わないし。すぐに好きじゃなくなって別れた。
だから合コンなんかに期待してないんだけど、もしかしたら趣味の合う女の子もいるかもしれない。その子を直江が掻っ攫って行くんじゃないかって、ちょっとだけ思った。いや、女の子たちが直江を掻っ攫いそうで、悔しくなったのかも。
それに他にも合コンが苦手な理由はあるんだ。
「どうしたんですか、難しい顔をして」
「え?いや、別に」
カフェオレとコーヒーを運んできた直江が二人用テーブルの正面に座った。
カフェオレに砂糖を入れてる間に、直江はタバコを取り出してブラックのコーヒーを飲んだ。
「大人、って感じ」
「何がです?」
「ブラックコーヒーとタバコがさ。似合うなって思ってさ」
「……そういえば……あなた、タバコ吸わなくてもいいんじゃないですか?」
「どうして?」
「ふかしてるだけならやめた方がいいですよ。私はもうニコチン中毒ですから吸いますけど、ふかすだけなら本格的に吸い始める前にやめた方が健康にいいですから」
ふかしてるってバレないように吸ってたんだけどな。かっこつけてるだけ、みたいに思われるのが悔しいからうまく吸うふりをしたんだけど。退屈なのを誤魔化すために吸うふりをするんだったら、本当はいらないんだ。でも。
「今日でやめませんか?」
「……うん……」
「せっかくキレイな肺をしてるんだから、もったいないですよ」
「うん……そうだな……」
「じゃあ約束しましょう。もし本当にやめられたら何かご馳走してあげます。ダイニングバーなんかじゃなくて、豪華なやつを」
「わかった。やめてみる」
退屈な仕事から抜け出すために吸ってたのを、やめる。逃げるのをやめるってことだ。バリバリと自分から進んで働くってことだ。
しかも直江に豪華な食事をおごってもらえる。豪華な食事はたまに家族と食べてるけど、そうじゃなくて。
しばらく話してる間にシルバースターの携帯ストラップを買った話になった。
あの結婚式の翌日に近所のコンビニに出かけて買って帰った。今は携帯にちゃっかりついてる。
「買ったんですね。本当に。押し付けがましかったようでちょっと反省したんですよ」
「いいって、このぐらい。人として当たり前のことだろ?反戦なんてさ」
「ええ……世界中がそう思ってくれればいいんですけどね……あなたのように」
少し誉められた気がして嬉しかった。今までは誰もかもがオレを仰木の跡取りだと知って接してきてたから、こうして純粋に人間性を誉めてもらえることがなかった。
だから嬉しかった。
「そろそろ行きましょうか。今から出ればちょうどいい時間になりますね」
「うん」
オレが合コンを苦手に思ってる一番の理由は、自分が蝶番になった気がするからだ。
女の子と親しくなったかな、と思うとそれは大抵「あの人と話したい」って魂胆が女側にある。
大学での合コンに出席すると最初のうちは「あの会社の跡取り」っていう感じで女の子が寄ってくる。だけど話下手なオレは女の子を退屈させるから、そのうち顔が良くて頭が良くて話すのもうまい男が気になってくる。
そういった男とオレはほとんどの場合仲が良くて(男側にもオレってエサがあるから仲良くするんだが)それを知った女の子はそいつとの取り持ち役をオレにせがむ。
それに気付かずに1年以上も合コンに狩りだされて、蝶番にされていくうちに合コンが苦手になった。
今日も隣りの席の女の子は直江ばっかり見てる。
会場に着いた時は男しか揃ってなかった。紹介されたのは2人の男。千秋修平ってゆー直江CEOの右腕と、鮎川さんてゆう直江と一緒に会社を立ち上げた男。鮎川さんは渋い風体にいい意味での粗雑さを漂わせた色男で、千秋はお調子者の優男。
自己紹介をしようとしたら、すぐに女の子たちがやってきてせずに済んだ。仰木の名前は出したくない。
直江は適当に結婚式で知り合った友人だと、全員揃った前でオレを簡単に紹介した。
食事が始まってすぐに、女の子は直江派と千秋派に分かれた。オレは直江の向かい側に座って、隣の女の子が直江にソッコーで夢中になったのに気が付いた。直江もまんざらでもなさそうに話してる。
だけどすぐに「高耶さんはどうですか?」って話を振ってくるものだから、直江の隣りに座った女の人と4人で話す感じになった。
オレの隣りにいるのは浅岡さんてゆー新人OLで、直江の隣りにいるのは綾子さんてゆー千秋の知り合いのキャリアウーマンだ。
どうやら綾子さんは直江とは初対面ではないらしく、くだけた口調で話をしてる。オレにも話を振ってくれてて、年上の気の利くお姉さんて感じだ。
「高耶さん、グラスを」
「あ、うん」
オレのグラスが空になると真っ先に直江が注いでくれる。今までは手酌か、隣りの女の子がやってくれてたことを直江が。
「ワインよりビールの方がいいですか?」
「いや、ワインでいいよ」
「好きなものを頼んでくださいね」
「サンキュ」
そうやって直江は周りに気を使ってグラスにワインを注いでいく。もちろん女の子にも。
直江の携帯に電話が入って、すいませんと言いながら立ち上がって席を外した。その時に浅岡さんがオレにこっそりと耳打ちをした。
「直江さんのアドレス聞くタイミングを計って!お願い!」
「ああ、いいけど」
ほら。こうやってまた蝶番だ。
直江が戻ってきてからオレがメールの交換をしたいって浅岡さんに言うと、浅岡さんは心得たように「じゃあみんなに」と言ってそんな流れになった。
だからオレの携帯には直江と浅岡さんと綾子さんのメアドが入った。
「なんだ、メアドの交換してんのかよ。じゃ、俺も」
千秋がいつの間にか入ってきて、オレと浅岡さんに名刺を渡した。
「面倒だからオレのアドレスにメールしてよ。そしたら返事出すからさ」
「うん。わかった」
「はーい」
この出会いの中でオレが得るものは何もなさそうだと思った。浅岡さんも綾子さんも直江が目当てなんだろう。
やっぱり今日も蝶番だ。きっと、ずっと、そういう役割を与えられていくんだろうな。
つづく
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