パジャマのまま新聞を玄関まで取りに行って、リビングで読んだ。
新聞は毎朝管理人が各部屋まで届けにくるそうだ。徹底して部外者を入れないマンションだからプライバシーがここから漏れることもない。
ゴミなんかもマンションの敷地の中に保管しておいて、ゴミを出す日に管理人がそこから時間を見計らって出して、回収車が来て袋を車に入れるところまでを見守る。
それに毎月盗聴や盗撮のチェックも業者に頼んであるそうだ。そのぶんだいぶ家賃がかさむって直江は言ってた。
浴室から出てきた直江はパイル地の黒いバスローブを着てリビングまで来た。
顔色がだいぶ良くなってるけど、目の下のクマはそのままだ。
「何か朝飯作ろうか?」
「作れるんですか?」
「そりゃ一人暮らししてるんだからな。簡単なものでいいなら」
「じゃあ、お願いします」
ロールパンと冷凍のチョリソーとツナ缶、卵、それにトマトジュースがあったから、ツナロールサンドと卵とチョリソー入りのトマトスープを作った。
野菜が足りないけどこの部屋にはそんなものないから仕方がない。
「こんなふうに出来るんですね」
「この材料、単品でしか食ったことなかっただろ」
「ええ」
こうして直江と朝食を食ってると、親友って気持ちになる。誰にもわからない友情で結ばれているような。
年上で、オレとは正反対で実力もあるこの男が、こんなオレの親友だなんて直江は思ってないだろうけど。
朝食を食ってから直江をもう一度寝かせることにした。目の下のクマを取らせないと。
「でも高耶さん……私が寝たら帰るでしょう?」
「そりゃな。部屋の主が寝てるのにオレがいられるわけないだろ?」
「じゃあ寝ません」
「なんで!」
「気を使ってもらうのは嫌いなんです。あなたがここにいるのなら寝ますけど、帰るというなら起きてます」
「オレだって気ィ使ってもらうのは嫌いだ。だから寝ろ。オレは帰る」
睨み合いが始まって直江もオレも無言になった。直江は子供みたいに拗ねて見えた。数秒睨み合ってからバカバカしい気の使い合いだってことがわかって、どちらからともなく笑ってしまった。
そうだな。親友なんだから気を使うことはない。
「じゃあここにいるよ。寝てる間さ、退屈だからDVDとか見てていい?」
「ええ、そうしてください。4時間ぐらいで起こしてもらえますか?DVD2本分。それから一緒にこの近所の探索をしてください」
「うん。少し歩けば運動にもなるしな」
「面白いところに連れて行ってあげますね」
「…?うん」
直江がベッドに入ったのを確認してから、リビングの棚にあったDVDを選んだ。昔の名作が好きらしくていくつも並んでる。
オレが選んだのはタイトルは知ってても食わず嫌いをしてた名作2本だった。直江が好きな映画を知っておきたくて。
オードリー・ヘップバーンのローマの休日と、オリビア・ハッセーのロミオとジュリエット。
どっちも恋愛映画が苦手なオレがわざと避けてきたものだ。
自分の恋愛経験といえば大学時代に真面目で地味な女の子と付き合ったら、実はオレが社長の息子だってのが目当てな計算高い女ぐらい。
その女が構内のカフェテリアでそんな話を自慢げにしてたのを友達の彼女が聞いてて、それで深い仲になる前に別れた。
この経験がトラウマになっててあれ以来は恋愛どころか、合コンでも自分の家のことは言わないようにしてた。
だから恋愛は苦手だ。
そう思って恋愛映画も避けてたんだけど、ローマの休日は軽快で、オードリーが可愛くて、笑えて、楽しかった。
こんな天然ボケの彼女だったら作ってもいいかもしれない。
ロミオとジュリエットは原作のあらすじを何かで読んでたか聞いてたかして知ってたんだけど、思ったよりも根が深い対立を主人公たちの親がしてたり、当時の家柄の尊重だとか宗教に対する考えだとかが興味を引いた。
だけどやっぱり悲しかったのは、どっちの映画も最終的にはハッピーエンドじゃなかったってことだ。
ローマの休日があんな終わり方をしてたなんて知らなかった。
ロミオとジュリエットがあんなに報われないんだとは思わなかった。
だけどフィクションに感情移入が出来ないオレは映画を2本見た後の爽快感があって、伸びをしてから直江を普通に起こしに行った。
「起きろよ。4時間経った」
揺さぶると直江は目をシバシバさせてむっくり起き上がった。
「少しはスッキリしたか?」
「ええ。だいぶ」
目の下のクマもほとんど消えてる。明日の日曜は仕事だって言ってたからオレのせいでクマなんか残されたらかなわない。
「コーヒー淹れてやるから飲めば?」
「はい。お願いします」
先に寝室を出てキッチンでコーヒーを作った。豆はモカ。よくモカっていうとチョコレートが入ってる印象があるけど、モカってのは豆の名前だ。
いい匂いがキッチンに立ち込めてドリップされる。ガラスのポットに溜まったコーヒーを棚にあった白いコーヒーカップに注いで直江の分はそのまま、オレのは牛乳と砂糖を入れて持って行く。
「少し濃くしてみた。それでサッパリさせて出かけよう」
「ええ。あ、ビスケットがありますよ」
今度は直江が立ち上がってキッチンからビスケットを出してきた。紙箱のそれはよくコンビニなんかでも売ってるような有名なやつで、直江んちにあるのが不自然で……。
「また夜中にスーパー行ったんだ?」
「は?あ、ええ。よくわかりましたね」
「まあな」
「つい先日に深夜のスーパーへ行ってまた漬物を買ったんですよ。高耶さんが好きかもしれないって思って、店の中で一番売れてるのを選びました」
チョコレートチップが入ったビスケットはオレも良く買ってた。直江に自分の好みがわかってもらえてて、なんだか嬉しくなった。
箱の半分をオレと直江で食ってから、着替えて出かける。
昨日のスーツで出かけるわけにはいかないから、直江の服を借りることにした。一番最初にゴルフの打ちっぱなしに行った時のポロシャツとウィンドブレーカー、それと丈が5〜6センチ長いジーンズを。
「あなたの方が似合いますね……なんだか悔しいです」
「そりゃな。スーツが直江に似合うぶんの相殺だろ」
靴も借りた。ナイキのコルテッツを。買ってはみたもののサイズが合わなくて、そのまま靴箱の奥にしまわれてたものだ。
だけどこれって70年代のデッドストックだ。ロゴが斜体じゃない。
「これって、いつ買った?」
「10年ぐらい前ですね。友人が……この前の結婚式の男ですが、あいつが古着好きで、こういったものを集めてたんです。でも大学を卒業してから生活するのに思ったよりも金がかかりすぎるってことで、高価な古着を友人に売りまくって。その時に同情心から買ったんですが……履くだけだったらいいんですけど、長く歩くと靴擦れができるので靴箱の肥やしになったんです。もし良かったら差し上げますよ。サイズは少し大きいけど大丈夫でしょう?」
「でもこれ、今買ったら何万もするんだぞ?」
「そうなんですか?」
「ネットオークションとかで売ればいいのに」
「そんなヒマありませんよ。高耶さんに差し上げます。その方が有効です」
悪いな、と思ったけど、直江からしたら数万なんてはした金なんだろう。オレの実家でもはした金だけど、オレ自身にはそうじゃない。
それにこのデザインと配色が気に入った。水色の地に黄色のナイキのマーク。
「じゃあもらう。サンキュー」
「どういたしまして」
その靴で歩いて目黒通りまで出た。直江が言ってた「面白いところ」へ行くために。1時間もしないうちに目的地へ到着。
「ここです。一回入ってみたかったんですけど、どうしても一人じゃ入れなくて、だからってデートで来るにも変な所ですし」
「……だろーな……デートはちょっとな」
そこは目黒寄生虫館だった。寄生虫を展示してある無料の小さい展示室みたいな所。
「友達とだったら冷やかしとして入れるでしょう?」
「だからって……」
「嫌いですか?こういうの」
「嫌いってより、怖いもの見たさの方が強いかな」
「じゃあ入りましょう」
直江はオレが思ってたよりも少年みたいで、しっかりしてる割にはたまにボケてて、深夜のスーパーが好きな変わり者で。
しかも寄生虫館なんてものに興味を持つ好奇心たっぷりの楽しいやつで。
寄生虫館はオレが想像してたよりキレイな内装だったんだけど、展示してるものは想像よりもはるかに不気味だった。
寄生虫じたいはホルマリンに浸けてある白い帯みたいで気持ち悪くはなかったんだけど、寄生されてる人の写真が気の毒でならなかった。歩行もままならないほど大きくなったアレだとか、な。
「もしコレに寄生されたらどうする?」
「……これは困りますね……」
「オレも……ソッコーで医者だな。子種なくなってもいいから切り取るよな」
「もし私がこんなになっても友達やめないでくださいね」
「これはちょっと…やめるかも……」
「そんな…」
「冗談だ。だけど気をつけような!」
男二人でゾクゾクしながらそこを出た。
直江はそれすら楽しそうで、本当に少年みたいに笑って、すごくいい顔をしてた。もしこいつがあのミツバの社長だって知ったらみんな驚くだろうな。
「他に楽しいとこある?」
「アンティークショップなんかはどうです?このあたりは少し歩けばたくさんありますよ」
「じゃ、今度はそこだな」
散歩しながらいろんな店を回って、オレは携帯でたくさん写真を撮りながら歩いた。もちろん直江の写真もパパラッチした。
こういう休日もいいな。
男同士で笑いながら散歩。しかも相手は少年みたいな直江。
もしかしたら直江もオレを親友って思ってくれるかもしれない。
「なあ」
「はい?」
「直江には親友っている?オレは譲ってのがいるけど」
「ええ、いますよ。鮎川がそうですね。千秋も綾子もそうかもしれないけれど、向こうがどう思ってるかはわかりません。こんなこと確認しませんしね」
「そっか……。じゃあオレは?」
聞いたとたんに後悔した。なんで直江にこんなこと確認してるんだ?どうして確認したかったんだ?
「高耶さんは……親友とは少し違いますけど、大事な人なのは確かですよ。あなたといると鮎川とも違った楽しさがあって新鮮で小さな発見が嬉しくなることがたくさんある。だからって千秋や綾子のような弟みたいな存在とも違います。これからもずっと付き合っていきたいって思ってます」
親友じゃないんだな。やっぱり。楽しいけど、親友だとは思ってくれてないのか。
だけどこの先も付き合うつもりではあるんだ。
「そっか。オレもそうかも」
「良かった」
良くないのに。直江の親友になりたいのに。
結局オレはまた蝶番になるかもしれないのかな。
つづく
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