異教の詩
イキョウノウタ


 
         
 

初めてキスしてからしばらくの間、オレも直江も忙しくてなかなか会えなかった。
あの日のキスが嘘のように思えるけど、オレの気持ちは全然変わらない。直江が好きだ。やっぱり好きだ。

そんな時、千秋と綾子さんから飲みに行こうって誘いが来た。金曜日で、ちょうど仕事が終わって帰る間際だったからOKの返事をして待ち合わせの居酒屋へ。直江は来てない。

「久しぶり〜。合コン以来じゃない?」
「うん。今日は3人で?」
「そうよ。あ、もしかして浅岡ちゃんが来るの期待してた?」
「まさか。浅岡さんにそーゆー気持ちはまったくないよ」

あるのは直江にだ。
この話の流れでいつの間にか直江の噂話になっていった。

「そーいや浅岡さんが直江に何度かメールしてるみたいだぜ。この前……2週間ぐらい前かな?直江と出かけたらしい」
「え?」
「どっちから誘ったのか知らないけど、美術館だか博物館だか行ったらしい。出かけた翌日に直江から聞いたんだ」

いつの間に……。2週間前って言ったら告白される直前だ。
もしかしてオレ、天秤に掛けられてた?浅岡さんと比べられてた?

「最近直江のヤローが妙に仕事に入れ込んでるんだよな。なんかこう……楽しげってのかな。やる気マンマンでさ」
「そうなの?じゃあ浅岡ちゃんと付き合ってるとか?」
「かもな。先週も会ってたみたいだし」

オレとは会えないくせに浅岡さんとは会ってたんだ。どうして?からかわれてるのか?

「あいつってさ、しょっちゅう女の噂とか立つじゃん。付き合ってもいないのにさ。今回もそうかもしれないから俺も口出ししてないけど、本命が出来たのは間違いないと思うんだよ。相手が浅岡さんかどうかは別として」

オレのはずなのに。だけど直江が浅岡さんと会ってたのは間違いなくて。わからない。

「あ!そーいやおまえともゴルフ行ったんだってな。なんで俺も誘ってくんねーんだよ」
「なに言ってんのよ。あんたゴルフなんか出来ないでしょうに」
「そうだった」

千秋にはけっこう色んなこと話してるんだな。オレには話してくれないのに。

「悪い。ちょっとオレ、帰るよ。気になってることがあるんだ」
「え?もう帰るの?」
「うん、ごめん。また今度誘って」

どうしても直江に本当のことを聞きたくて居酒屋を出て電話した。ひとりでオフィスにいるらしい。

『どうしたんですか、珍しいですね。こんな時間に電話なんて』
「今から会えるか?」
『え?ええ……そうですね……1時間後ぐらいなら大丈夫ですよ』
「じゃあ待ってる。どこに行けばいい?」

しばらく考えるような息遣いが聞こえてから、夜も遅いってことで直江が三宿まで来ることになった。オレのマンションまで。
着いたら部屋番号の302を押してくれって言っておいた。表札はオレの誘拐の可能性なんかも考えて出してないから、来る人にはいつも部屋番号を教えてる。

『わかりました。302ですね。11時ぐらいになりますけど大丈夫?』
「大丈夫。待ってる」

それから帰って部屋の中を少しだけ片付けて待ってたら10時半ぐらいに直江が来た。
オートロックの玄関で302を押した直江に開錠する。そして302号室に来た。

「入って」
「お邪魔します」

すっごく嬉しそうに入ってきた。高耶さんの部屋に初訪問記念日だとか言いながら。
コーヒーを出してやってから本題に入った。遠まわしに探るなんて今のオレにはできない。

「千秋と綾子さんとさっきまで一緒だったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。それで、千秋から直江が浅岡さんと会ってるって聞いたんだよ。先週も出かけたって」
「……ええ。会いましたよ」
「どうして?オレには忙しくて会えないって言ってたくせに」

嫉妬丸出しでみっともないって自覚をしながら、少しヒステリー気味になってしまう。どうしても納得いかなかったから。

「あなたが忙しそうだったからです。もし私が会いたいって言ったら、無理して時間を捻出するでしょう、あなたは。それが嫌だったから負担をかけまいとして忙しいって言ってたんです」
「そうだったのか……そんなのいいのに……でも浅岡さんと会ってたのはどうしてだ?恋愛感情なんか持てないって言ってただろ?」
「恋愛感情なんかありませんよ。一度出かけたらそのあとしつこく連絡がくるものですから、最後に会って、断るつもりだったんです。電話なんかでこっぴどく振るのは簡単ですけど、私の悪い噂で会社の信頼を落とすわけにはいきません。だからソフトな対応をしようと思って先週会いました。ちゃんと私にはもう恋人がいますって言いましたよ」
「恋人?誰?」
「あなたじゃないですか。今更違うなんて言わせませんよ?」

オレ?そうか、オレのことか。別に心配するようなことじゃなかったんだな。

「じゃあもう浅岡さんとは会わないんだな?」
「当たり前でしょう」
「本当にオレがおまえの恋人なんだよな?」
「そうですってば。まったく可愛い嫉妬をしてくれたもんですね。これじゃ迂闊に人に会えませんね」

直江は笑ってオレを抱きしめた。こんなふうに誰かに抱かれるのは初めてで、嬉しくて、切なくて、でもまだ勇気が出なくて、なかなか直江の背中に腕を回すことが出来ない。

「あなたは?」
「え?」
「私を好きでいてくれてますか?」
「うん……」
「じゃあ、背中を抱いて」
「うん……」

おずおずと出した腕を直江の背中に。触るか触らないか微妙な感じで。

「好きですよ。高耶さん」

そう言われたとたんにどうしてもこの男を独占したくなって、力一杯抱いた。絶対に離すもんかって思いながら抱いた。

「あなたしか、もういない」
「直江っ……」

キスをした。この前みたいな小さいやつじゃなくて、オレがしたこともない激しいのを。直江の舌は無遠慮で、厚かましくて、このまま二度と出て行かないんじゃないかって思うぐらい、オレの口の中を蹂躙する。
だけどそれが嬉しくて自分からも舌を絡めた。この男はオレを愛してる。オレもこの男を愛してる。
もうどうなってもいい。この男とだったら地の果てまででもかまわない。どんな場所でもふたりでいられるなら。
独占したい。

「いつかあなたを抱いてもいい?」
「え……」
「無理はしませんよ。あなたが体を許してくれるまで待てます。だけど覚えていて。私はあなたを抱きたがっている。犯して、自分のものにしなければ気が済まない。愛してるから自分のものにしたい」
「いいよ……今だっていい」
「高耶さん……」
「抱いてくれ。直江のものになりたい。直江をオレのものにしたい」

だけど直江はしなかった。知識もないのに急には無理だって。
だからお互いに手と口で。
何度も何度も射精して、体中がそれにまみれるまで出し尽くして、わからないほど飲み込んで、混ざり合った精液を舐めた口でキスをして。
そうしないとオレたちは不安だったのかもしれない。お互いの細胞を混ぜ合わせて、肌を擦り合わせて、体内に取り込んでしまわなければ不安でしょうがなかったかもしれない。

「いつか、犯して」
「ええ。すぐですよ。もうすぐ、年明けだ」

正月の旅行のことを言ってるんだろう。1ヶ月ほど先のことだけど、すぐだ。
ふたりで雪に埋まった別荘でずっと抱き合おう。誰も来ない。静かな雪の中でオレはおまえに抱かれる。一時も離れることなく抱かれて、犯されて、奪われて、そうしてようやくおまえのものになれる。何もかも。

「愛しています。あなたしかもういない」
「うん……オレも」

その夜、直江はオレのマンションで眠った。せまい部屋の、狭いベッドで抱き合いながら眠った。
もう絶対に、この男を手放すことはできない。オレの直江だ。離さない。

 

 

翌土曜日、直江は仕事が残ってるからって午後から会社に行った。本当は直江も忙しかったんだ。
仕事が終わったらまたこのマンションに来るから、明日の日曜はふたりで過ごそうってことになってる。
明日はここでふたりきり。
だとしたら直江は自分の家には帰らずに泊まるんだろう。パジャマだとか食器だとかを用意しておかなきゃ。

自転車で三軒茶屋駅前まで行って、商店街で直江のパジャマと下着と食器を買った。スーパーにも寄って食材も買った。それから一緒に映画でも見ようと思って直江の好きそうな名作をツタヤで借りた。昔の名作はたぶん全部って言っていいほど見てるかもしれないけど一本。ジェームス・ディーンのジャイアンツ。内容は知らないけどジャケットの写真がかっこよくて決めた。
それともう一本は一昔前ぐらいに名作って言われてたものを探して、それに。シラノ・ド・ベルジュラック。元々はオペラだ。
直江のマンションにオペラのDVDがあったのを覚えてて、だったらこれは好きかもしれないって思ったんだ。内容関係なく。

一回家に帰ってから、他にも買わないといけないものがあったのに気付いてコンビニに行った。歯ブラシや靴下。
オレが直江んちに泊まった時になくて不便だと思ったのがこのふたつだったから。

少しだけ手の込んだ夕飯を作ってると直江が帰ってきた。午後6時過ぎ。

「おかえり」
「……いいですね、こういうの」
「ん?」
「ただいま」

頬にキスをされて驚いた。そうか、こういうの、オレ初めてでわかんなかったけど、いいもんだな。
直江にオレの服の中でもサイズのでかいのを渡して、スーツがシワにならないようにハンガーにかけておけって言って着替えさせた。
オレの服を着た直江は無理して若作りをしてるラッパーみたいな格好になってた。それが可笑しくて声を殺して笑ったんだけどバレて、仏頂面でリビング兼ダイニングの狭い部屋の安物ソファに座っていじけてた。

「そんなに変ですか?」
「ごめん、渡した服が悪かったんだな。くく。でかいサイズってゆーとさ、そーゆーBボーイ系のしかなくってさ」
「こういうのがBボーイって言うんですか。色々あるんですね」
「その格好でコンビニ行ってみる?」
「嫌です」

オレの手作りの夕飯を食べて、深夜まで一緒に映画を見て、キスをしてたら直江の瞼が重くなってきた。

「疲れてるのか?」

額に下ろした直江の前髪を指先でいじりながら聞いた。

「少しだけ」
「寝ていいよ」
「高耶さんは?」
「一緒に寝るから」

直江が歯磨きをしてる間に本棚や服が置いてある一応寝室と呼ばれる部屋のベッドに直江のパジャマを出しておいた。
オレが交代して歯を磨いたりしてる間にそれに着替えたらしくて、紺色のパジャマ姿の直江がカーテンを閉めてるところに遭遇した。

「ありがとうございます」
「ん?何が?」
「新しいパジャマ。ここに置いておいてくださいね」
「うん、元からそのつもり」

窓際にいた直江に近付いて抱きついた。このまま一緒にずっといたい。

「外から見たら抱き合ってるの、シルエットでバレますね」
「いいよ。見せてやれ」
「キスしてるところも見せますか?」
「……うん」

長いキスをされて、うっとりして、しがみつくような形でもたれかかった。気持ちいい。このまま眠りたい。

「じゃあ、少し短いですけど」

横抱きに抱き上げられて、ベッドへ。オレだってそんなに体重は軽くないのに、直江は軽々と持ち上げた。

「こういうのもやってみたかったんです」
「オレもやってみたかったけど、直江は重そうだからオレには無理だな」
「ええ。私は重いですよ。だからいつも、あなたを抱き上げてあげます」

部屋の明かりを消して、ふたりで眠った。

 

 

つづく

 
         
   

この話の中で唯一ラブラブな部分。

   
         
   

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