何日が経ったのかわからない。ずっと檻の中で体を繋げた。
ようやく吹雪が終わって明るい陽が差し込んだ朝、オレは直江が眠るベッドを抜けてリビングに行った。
テレビをつけると見慣れた朝の番組が始まっていた。ただしテレビの中は門松やらお供え餅が飾られていたけど。
「1月3日か……」
アナウンサーが立ってるところに3日の表示が出ていた。直江の休みが今日で終わる。この熱も今日で終わる。
「高耶さん?」
オレがいなくなると直江はすぐに目覚める。今もそうだ。そしてオレを探して別荘の中をさまよう。
「1月3日だってさ」
「……このまま帰らないでここにいることは」
「無理だ」
戻ろう。冷静になろう。直江とは今日で別れる。
「なあ、腹減らないか?ちゃんとしたもの食って、そんで少し休んでから東京に戻ろう」
「いいえ。まだ猶予はあるでしょう。あなたはあと2日間ここにいられるんだから」
「おまえの仕事は」
「2日間ぐらいどうってことはありませんよ」
見えない縄がオレを縛ってる。アリアの歌詞のように、オレを縛る。
「そっか。じゃああと2日間」
直江をダイニングテーブルにつかせて、朝食を作った。昨日はいつ何を食べたんだろう。覚えてない。
「明け方までしてたから疲れてるだろ?食ったら寝て、温泉浸かって、雪かきしなきゃな」
「そうですね。ようやく晴れたから」
穏やかな空気を作った。必死で作った。
先に温泉に入ってから寝ると伝えて、直江を寝かせた。寝ている隙を見て、服も何もかもそのままにして、一枚のメモを置いてマーチに乗った。
『何もかもこのままにしておいていい。鍵もかけなくていい。もう会わない。愛してる』
2日間の猶予なんか、オレにもおまえにもないんだ。そんなものは幻だ。
起き出した直江がそのメモを発見したのはオレがいなくなってから1時間もしないころだったそうだ。
メモを見つけて直江は叫んだ。狂いだす寸前だったと聞いた。
着替えもせずにバスローブのまま裸足で外に飛び出して、マーチが轍だけを残してなくなっているのを見て、呆然とした。
いつ出て行ったのかもわからない。だからすぐに追いつけるかもしれないと、とりあえず服を着て何もかもそのままにして、メモだけを持ってレクサスに乗って轍を追った。
だけど直江は東京に着いてもオレを見つけることはできなかった。マンションにもオレはいない。実家に戻ったからだ。家族が海外に行ってるから、広い屋敷には誰もいなかった。
オレは自分の部屋に行き、暖房を付けてベッドに座っていた。もうこれでオレは直江の敵になる。戦争に加担する仰木高耶。
そんなオレを直江がいつまでも愛してくれるわけがない。
忘れなきゃ。楽しかったのは幻で、愛してたのは嘘で、オレは直江になんか出会ってなくて。
あと2日間ですっかり忘れて、仕事に戻って、新しい計画をどうにかしなきゃ。
オレは仰木高耶で、飛雀鉄鋼を背負って立たなきゃいけない。今までやってた仕事も結局は橋渡しなんかじゃなかったんだ。そうして色んな場所に出て、いつか社長って大役を果たすための布石だったんだ。甘えてラクしてる場合じゃなかったんだ。
仕事が始まって一人で営業に出かけた先で千秋に会った。千秋はオレが飛雀鉄鋼の息子だと直江に聞いてはいないようで、いつものように親しく声をかけてきた。
「なんだ?営業か?」
「あ、うん」
オレが行った先は鉄工所なんかに加工した鉄製品を卸す会社で、今回は新しく開発された強化金属の売り込みに来ていた。
千秋はシルバースターに使うステンレスの品質を確認するために来ていたらしい。直江の秘書みたいな仕事内容だって言ってたけどこんなこともするのかって聞いたら、最近すぐにステンレスが錆びるって苦情が多くなったんで視察に来たらしい。
ちょうど昼休みを取ろうと思ってたとこだったから、千秋に誘われるまま近くの喫茶店に入った。
「そう簡単にステンレスって錆びないんだけどな」
「俺もそう思ってさ。その苦情ってのがけっこう怪しくてな、何件も苦情が来てる割にはリアクションがないんだよ。製品を送り返してくるとかさ。で、一応調べるって格好をしとかなきゃ何かあった時に調書を出せないだろ?だから直江の代わりに来たんだ」
直江の代わりに、という言葉を聞いて驚いた。もしも本当に直江が来てたんだとしたらオレとバッティングしちまってるとこだった。
「そうか……それで、どうだった?」
「ああ、問題ナシだな。調べてもらったら以前から使ってるステンレスだった。たぶん嫌がらせの類だと思う」
「なら良かったけど……」
「おまえは?」
ここで新製品の鉄の売り込みだなんて言ったらオレの正体がバレる。だから「ただの製品の売り込み」って言ったら千秋は無関心そうに鼻を鳴らしただけだった。
「そーいやさ、最近直江と会ったりしてるか?」
「いや、全然会ってないけど」
「前に話したじゃん。本命ができたんじゃないかって。だけどすぐに別れたっぽくて、年末からずーっと塞ぎこんでるんだよ。あいつ、4日から仕事だったくせに休みやがって。5日に出てきたと思ったらむくんだ顔でさ。目なんか腫れぼったくて。しかも全然覇気がない上に、機嫌も最悪で仕事も溜めまくってさ」
「ふぅん……」
「直江らしくないんだよ。今日だって直江が来るはずだったんだけど体調まで悪くしてて、朝からずっと青い顔してトイレを往復。腹でも下してるのかと思ってトイレまで行ったら……吐いてたんだ」
「え?」
そんなになってるなんて……そばにいてやれない自分が憎かった。
「胃がおかしいって年末から言ってたんだけど、ありゃ違うな。うつ病かもしんねえな」
「うつ病?」
「そう。本人も自覚してるらしい。さっき病院に行かせた」
まさかオレと別れたのが原因で?それともオレと敵対しなきゃいけないから?
あいつ、外見は完璧なビジネスマンのくせに中身は甘ったれの子供だから……。オレがそばにいないと不安でしょうがなくなってたような男だから、そうなってもおかしくない。
「もし直江に会う機会があったら元気付けてやってくれよ」
「うん……」
そばにいてやりたい。
その後、千秋は直江にオレと会ったと話したらしい。
直江は千秋に詳しくオレの様子を聞きだした。千秋から見たオレは仕事に精を出してるしっかり者に見えたらしくて、そっくりそのまま話したんだ。そしたら直江はますます疲れた顔をして、ガックリと項垂れたそうだ。
その時の直江のオフィスにはバッハのアリアがずっとかかってたって、あとから聞いた。
携帯電話を変えたオレに直江からの電話はかかってこない。だからなんだと思う。
引越しをするために荷物を整理しようと久しぶりにマンションに戻ったら、エントランスの郵便受けに直江からの手紙が何通も入ってた。切手が貼ってないものしかない。全部ここまで来て置いて帰ったんだ。
手紙はその場で書いたものが多くて、ただ手帳の中紙を折ってあるだけだったりした。
連絡が取りたいとか、どうしたら解決できるか考えようとか、愛してるとか、オレを気遣って書きたいことを書けないでいる様子が垣間見える内容のものばかりだ。
解決なんかできないよ。オレはおまえが一番憎んでる戦争に加担する。それは個人的な感情だけじゃなく、他の人間を多く巻き込んだ問題になるだろう。オレや社員がうまく隠し通せれば飛雀鉄鋼と米軍の関係なんかは漏れないようになってた。だけどもう直江に漏れたってことは、他のどこかにも漏れてる可能性がある。マスコミや、反戦活動家なんかには、特に。米軍からの圧力があるから国内では公にはならないだろうけど、もしも反米の国がこれをすっぱ抜いたらその国から発信されてしまう。
それなのにオレがおまえと会ってたりしたら、どっちも都合が悪いだろう?
だから解決なんか出来ない。
事は誰もが考えてるより深刻なんだ。
手紙を全部、簡易シュレッダーで細かくしてからゴミ袋に入れて捨てた。荷物もほとんどダンボールに入れて整理してある。あとは引越しの当日に立ち会って、大きな家具だの家電だのをどうするのか指示をして、引っ越すだけになってる。
そこで気が付いた。もしかしたら直江はオレが引っ越したのを知らずにまた来るかもしれない。
そして手紙を置いていくのかも知れない。
だとしたら大変だ。次に来る住人が表札を出さなかったら、直江はすべての話を手紙にして置いていくかもしれないんだ。
それは仕事でもプライベートでもまずい。
仕方なくハガキを出した。引っ越すのを知らせるために作った友人たちへのハガキのように、直江にも。
新しい住所は知らせないように、転居したことだけを書いて出した。
もうおまえとは終わらせたいんだ、という意味を込めて。
そのハガキを受け取った直江が絶望したのは言うまでもない。
玄関の郵便受けに入ってたそのハガキを見たとたん、その場に崩れた。警備員が驚いて駆け寄ったら心臓病の発作を起こした人のように胸をかきむしっていたそうだ。
もしもオレがその姿を見ていたら、抱きしめてやれたのに。でも、そうしたのはオレだ。
つづく
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