裏社会にいる人間は偏る。
片方で人間味のかけらもない非情な顔を持ちながら、もう片方で愛情を貪欲に求める。今の直江がそのいい例だった。
「どうかしてる……」
高耶が絶対に来ようとしないベッドの中で直江はひとりごちる。
いつの間にか自分が弱くなっている。怪我のせいではない。高耶のせいだ。
高耶がいなくては直江は狂い死にするだろう。
寂しいとか、悲しいとか、そういう感情ではなく、高耶がいなければどうにか保っている人間としてのギリギリのラインを超えてしまう。
もしいなくなってしまったら、きっと、妻を亡くした時から冷えた血が、さらにもっと冷えて凍結するだろう。
その時に自分がどんな人間になるのか考えもつかない。ヤクザ以上のひとでなしになるのはわかるが、それがどんな冷たさを持つものなのか予想もつかない。
ここまで高耶に依存するとは思っていなかった。二度と離せない。自分から去るのならば殺せとまで思う。
「たかがこれだけのことで傷つくなんてな」
胸が無性に痛い。それを忘れるようにベッドサイドのタバコを出して吸い、薄暗がりに光る赤い火をじっと見た。
高耶をそばに置くのはノラ猫をかまうのに似ていた。気まぐれでエサが欲しい時にだけひょっこりやってきてまとわりつく猫。
仕事ではいつもそばにいる番犬のようだが、私生活では直江を振り回すノラ猫だ。
「バカバカしい」
自分を嘲笑ってから火を消してベッドに横たわった。
翌日の昼すぎに高耶が上杉に電話をかけた。
内容は近々開かれる盆を手伝いに来ないか、というものだった。元々が博徒の高耶を見込んでの話だそうだ。
「壺なんか振れません」
言外にやりたくないと言ったつもりだったが、上杉にはそれが通じないのか、またはわざと無視したのか、高耶に合力を頼んできた。
合力というのは盆ゴザに置かれた賭け金代わりの札を勘定して、当てた者への配当を計算する役目である。
今回の盆は誰もが知っている丁半博打だ。競馬と同じで丁半では賭けた人数、金額によって配当が違ってくる。
さらに胴元に行くカスリと呼ばれる場所代は勝ち金の25%だ。
その計算を高耶にやって欲しいとの頼みだったようだ。
「そのぐらい会長の所に何人もいるんじゃないですか?どうしてオレなんか」
重ねて断ったつもりだったが、上杉は聞いていない。どうしても高耶にやらせるつもりらしい。
「……わかりました。引き受けます。それで、いつ?」
来週の水曜に上杉邸へ来いと言われた。まさか上杉邸で行われるわけではなかろうが、とにかく行かなければいけなくなってしまった。
電話を切って溜息をつきながらソファに腰を下ろす。
「やるんですか?」
「ああ、断れねえだろ、あの調子じゃ。それにオレたちを救った恩人だからな」
「すいません、高耶さんには迷惑をかけます」
「別に直江のせいじゃねえよ。オレが世話になったからだ」
直江はまた高耶の態度に軽く傷付く。
「そういうわけだから、水曜、行ってくる」
「……はい」
その日は千秋と直江で仕事に行くことになる。
「直江、そろそろ色部さんとこに行く時間だろ?」
「ああ、そうでした。行きましょうか」
「悪い。ちょっと用があるから、千秋と行ってくれ」
「用とは?」
「おまえには関係ない」
このところの高耶は直江に対して冷たくあたることがある。
常に冷たいわけではない。直江の世話もかいがいしくするし、昨夜のようにキスもする。
ただ直江には何も理解できなかった。
直江と千秋で色部のマンションへ行った。そこでモグリの医者をやっている色部は直江に尋ねた。
「今日は坊主は一緒じゃないのか?」
「坊主って、高耶さんのことですか?」
「ああ、今は景虎っていうらしいな。あいつ、俺が行ってた雀荘じゃ坊主って呼ばれてたんだ」
「そうですか」
直江が高耶の顔を思い出して寂しげに笑う。直江にこんな顔をさせているあの青年を色部は不思議に思う。
「高耶さんには振られました。今日はどうしても外せない用があるとかで」
「用?おまえを放っておいてか?」
「ええ……」
色部とはいつからの付き合いなのだろうと思って聞いてみたら、すでに2年以上は経過しているとのことだった。
また直江の心臓が締め付けられる。たかが雀荘で勝負をしていた間柄のふたりに嫉妬でもないだろうと自分を諌めてみるが、それでも自分の知らない高耶を知っている人間が目の前にいるだけで憎らしくなってくる。
神経に打つ注射を済ませてから腕の筋肉を触診した色部は今後のリハビリについて話した。
それから応接間で待っている千秋を呼んで現金を受け取る。
「たかがこんぐらいでよくも20万も取るよな」
「こっちだってボランティアでやってるわけじゃない。それに裏ルートで薬品を仕入れるのは金もかかるし難しいんだ」
「まあな。そりゃわかってるけどな」
高耶がいつもしているように千秋が直江の服を着せた。慣れないせいかモタつくが直江は何も言わない。
「あいつ、よくうまく出来るよな」
「慣れだろう」
「かもしれないけど、イラつかずに出来るってとこがすげえよ。感謝してやってるんだろうな?」
「してるさ。彼がいてくれて良かったと、いつも思う」
その言葉には色々な意味が込められているのは千秋にもわかった。
それから車でマンションに戻る途中、千秋は直江に聞いてみた。
「あのよ、これからもあいつとそーゆー関係、続けるわけ?」
「いけないか?」
「いけなかねーけど、なんつーか、不安定だからさ。特に高耶が、かな。直江にベッタリしてるかと思えば、まったく突き放す時もあるだろ?こう……自分がどうしていいかわからない、みたいな」
「ああ。それは仕方ないだろう。男同士だし、プライドも高い人だから」
「じゃなくてさあ……直江にはわかんねーのかな……?」
「ハッキリ言え」
「あいつの不安定さの根底は、もっと深いところから来てるんじゃねーかと思ってさ」
なぜ自分以外の人間がそういう高耶に気が付くのだろうか。
イカサマ師の高耶を当然のように知っている色部。
不安定な高耶の心理を深部にあると予想している千秋。
どうして一番高耶を知っているはずの自分が気付かないのだろうか。
また嫉妬が直江の胸に広がった。今度は確実に、誤魔化しようもなく。
仕事へ行く時間になっても高耶は帰らなかった。
仕方がないので千秋を連れて仕事場を回ったが、高耶がいない不安からか、直江の腕が痛み出した。
「やっぱ注射した日は痛いもんなのか?」
「毎回のことだ。神経に打つんだから痛くないわけがない」
早めに仕事を切り上げてマンションに戻ったが、それでも高耶はいなかった。
携帯に何度か電話をしてみたものの、圏外なのか電源を切っているのか繋がらない。
以前、高耶を駒として使っていた頃、高耶に渡しておいた携帯電話は電源が切られないようにしてあった。
GPSでどこに高耶がいるかも明瞭にわかる。それは今となっては無用だろうと、新しいトバシの携帯を渡してあるのだが、こちらはGPSもなければ電源だって持ち主の思い通りに切ることができる。
あの時の携帯をそのまま使わせておけば良かったと頭をかすめたが、今の高耶は直江の駒ではない。
そんな冒涜をしていいはずがない。愛する人に。
「まだあいつ戻ってねえのか。なんかヤバイことに巻き込まれてなきゃいいんだけど」
千秋の言うとおりだ。高耶の身を案ずる前に、勝手に嫉妬をして束縛しようとしている。
奥歯をギリと噛み締めて自分の拙さを悔いる。
そしてリビングのソファに身を沈めて千秋に酒を催促した。
「注射したんだから酒はナシだ。わかってんだろ」
「いいから出せ」
「直江……」
ドアが開く音がした。高耶が帰ってきた。
「ようやくのご帰還か。こんな深夜まで何をしてたんだか」
千秋が言い終わる前に直江が玄関へ走り出した。靴を脱いで廊下へあがった高耶を直江の右手が壁に押し付けた。
「こんな時間まで連絡も寄越さずにどこへ行ってたんですか!」
高耶の身を案じていたからの怒りではない。自分を放り出していなくなった高耶への怒りだった。
そんな直江を高耶は予想していたのか、驚くこともなく冷静に直江を睨みつけた。
「どこって、オレの勝手だろ」
「……酒の匂いがする」
「飲んできたんだから当然だ」
「どこで……。誰と!」
「聞きたいか?オレのプライベートまで知ってどうするんだ」
「あなたは私のものだ」
高耶は直江の腕を振り払って突き飛ばした。左腕がきかない直江はバランスを失ってよろけ、壁にぶつかった。
「そう思ってんのはおまえだけだ。オレはおまえのものじゃない。……現に、今日、会ってきたのは女だ」
「女……?」
「そうだよ。おまえに飼われる前から付き合ってた女だ。そこまでは調べなかったみたいだな」
高耶の身辺を調べた際は女の存在まではつかめていなかった。
高耶の携帯電話メモリにあった人間すべてを調査する時間がなかったのもあるが、携帯に入っている人物はすべて名字か名前のどちらかでしか表示されていなかったからだ。
ユズル、コウサカ、カダ、タケダ、ミヤ……。博打打ちにはこうして常に用心を怠らない部分があるらしい。
しかも高耶の行動範囲のどこにも女の存在などなかった。知り合いの誰にも女を会わせることなく過ごしていたのだろう。
「しばらく連絡とってなかったからな。そろそろ会っておかないとと思ったんだ」
「あなたは……」
直江は高耶を愛して以来、すべての女と切れた。最初から本気で付き合っているわけではなかったから別れるも何もあったものではなかったが。
それなのに高耶には女がいる。自分と、女を、天秤にかけているのだろうか。いや、天秤ならまだマシだ。
最近の高耶の冷たい態度はこのせいだったのか。
「よくもそんな真似を……」
「うるせえ。旦那ヅラすんな」
直江の怒りが頂点に達した。嫉妬。愛憎。
「あなたは!俺のものだ!」
去ろうとした高耶を右腕だけで引き寄せ、首を掴んで体を使って壁に押し付ける。そして唇を奪う。
「離せよっ!」
「俺を裏切るつもりですか!女ですって?!冗談じゃない!」
乱暴に高耶の体を抱えて、自室に連れ込んだ。ベッドの上に放り出してネクタイを緩める。
「なんのつもりだ」
「俺なしでは生きていけないようにしてあげますよ」
「……くだらねえ……」
「女ですって?あなたが女じゃないですか。俺に抱かれてヒィヒィ泣いてたじゃないですか」
「てめえ……」
「片腕しか動かない男だからって、何も出来ないわけじゃない。あなたを泣かせるぐらい雑作もありませんよ」
のしかかって高耶の股間を強く掴んだ。痛いと悲鳴をあげたがおかまいなしに掴んで、揉みしだく。
「ほら、大きくなってきた。あなたの体は正直だ」
「やめ……」
「女なんかつまらないでしょう?別れてしまいなさい。あなたは俺だけのものでいればいい」
「ふざけんな!」
その瞬間、直江の左腕に激痛が走った。腹から大声を出して蹲る。痛みはなかなか引かない。
それもそのはずで、高耶は直江の傷跡を殴ったのだから。
「あああああ!」
直江が動けなくなったのを確認して部屋から出ようとした。そこへ千秋がやってきた。
「なんだ?!直江?!」
左腕付け根の傷跡を手で覆って直江がベッドに倒れて蹲っている。千秋を押しのけて出て行こうとする高耶がいる。
この状況で判断できる真実はひとつしかなかった。
「何やってんだよ!高耶!」
「あいつがしつこくセックスさせろって言うからだ。オレは女なんかじゃねえ」
「だけどやっていいことと悪いことがあるだろう!」
「ヤクザのくせに何言ってんだ?オレが知るか」
「直江の腕が動かなくなったらどうするんだ!!」
ビクリと高耶の体が強張った。
「腕が……」
「やっと指先が動くようになったってのに、全部無駄になっちまうんだぞ!おまえは直江の腕を壊すつもりか!」
「……そんなの……」
「……もういい。てめえの部屋に行け」
「でも」
「行けよ!このバカガキが!」
「でも!」
いつまでも引かない高耶を連れて高耶の部屋に入れ、ドアを閉めた。直江に聞かれないように。
「直江はおまえのオモチャじゃねえんだよ!気分いい時ゃゴロゴロなついて、悪くなったら腕もげるほど殴るのか?!そんな関係だったらとっとと出てけ!あいつを好きなんだろ?!直江がやりてえつったら大人しく股広げりゃいいんだよ!それが直江にとって一番いいならセックスだろうがフェラチオだろうがしてやれよ!」
千秋の言っていることは比喩であって実際にそうすべきではないが、直江の愛人という立場にある高耶には一理あることでもある。
「おまえが何に不安がってるかは知らないが、俺は直江のためだったらおまえのことだって助ける。落ち着いたら話せ」
「直江を……」
「今はやめとけ。あいつもおまえもどうかなってんだから……。明日にでも謝っておけよ」
「……わかった……」
千秋は部屋を出て直江の元へ行った。だいぶ落ち着いて体の力を抜いてベッドに横たわっていた。
「もういいのか?」
「ああ、もう痛みは引いてきた……」
「どうせ直江のことだから、乱暴に迫ったんだろ?」
「まあ、そんなとこだな。彼に悪いことをしてしまった……」
どっちもどっちだと思いながら、千秋は直江の着替えを手伝った。
「高耶さんの様子はどうだった?怒っていたか?」
「いや、おまえを心配してた。自分でやったくせに、な」
「そうか……」
「やっぱさ、無理なんじゃねえの?あいつを囲うのも、愛すんのも」
「無理かもしれない。だが、あの人がいないのはもっと無理なんだ」
「何が」
「俺が彼なしで生きていくことが……」
とことん泥沼にはまっていると思うが、それはきっと直江も高耶も承知なのだ。
ふたりが出会ったこと自体がすでに間違いだったと、最初から誰もがわかっている。
つづく
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