キズナ  〜カイナ2〜


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 


高耶には女がいた。
池袋から2駅ほどの寂れた商店街のはずれにあるスナックで働く由比子という女だ。
このスナックの近くに高耶がヒラで麻雀を打っていた雀荘があり、そこの常連に連れて行かれて知り合った。
バクチ打ちにはよくあることだが、高耶と由比子の関係は一般常識で言う恋愛関係とは違う。
付き合っているという確証がない。「愛している」という言葉もなければ感情も怪しい。
由比子は高耶を愛していたが、高耶は考えたことすらない。

金がなくなれば頭を下げて由比子から引っ張る。由比子は返してもらうつもりもなく貸す。
性欲が溜まれば由比子の店が引けた後に会う。由比子はそれを承知で抱かれる。

そんな関係だったから高耶の携帯には由比子の名前はタケダで入っているし、直江が身辺調査をした際も由比子が浮かび上がるはずもなかった。

その由比子に高耶が会いに行ったのは借金を返しに行くつもりでだったのだが、本音を言えば直江との毎日に鬱積した感情をぶつけようとしただけかもしれなかった。

見慣れたスナックのドアを開けると、由比子の声が聞こえた。

「……高耶」
「久しぶり」

カウンターに座ってビールを頼む。瓶ビールとグラスを出してきた由比子は密やかな声で高耶を詰った。

「今まで何してたの?連絡もつかなきゃ家も引き払って」
「悪かった。ちょっとヤバいことに巻き込まれてたんだ」
「それで何ヶ月も音沙汰なし?私のことも忘れて?」
「……そういうつもりじゃなかったんだ」

仕事をしながらの由比子に高耶は事情を説明しようと思ってやめた。
細かい話はすべきではないし、したところで信じてもらえるかもわからない。それに必要もない。

「今は……男いるのか?」
「いるわよ。当然でしょう?」
「そうか……」

男がいると聞かされて多少の嫉妬はあった。しかしそれは失くしてしまったものへ対しての執着なだけでどうしても手離せないものではないと高耶は思う。
由比子に男がいるならそれでいい。

「どんなやつ?」
「高耶に似てるわ。相変わらず私はバカな男に弱いみたい」
「そっか」

由比子に借りていた金は覚えているだけで100万近くある。昼間に直江の別のマンションに隠してあった自分の金を取りに行き、それを持ってここへ来ていた。
由比子に借金を返すことが今回の目的だった。返しておけるほどの金銭的余裕が出来てからずっとそう考えていた。

「おまえに返す。多少の色は付けてある。今まで済まなかった」

分厚い封筒を由比子に渡すと、由比子は目を丸くしてどうしたんだと無言で聞いてきた。

「働いてるんだ。まっとうとは言えないけど、ちゃんと働いて見合う金額を貰ってる。だから安心して受け取ってくれ」
「そうなの……。もう賭け事はしないの?」
「いや。必要だったらするし、どうやらそういう世界からは抜けられないらしい」
「相変わらずのバカね」

封筒を受け取ってカウンターの中に置いた。これで今日の目的は果たした。
帰ろうかと腰をあげた時にドアが開いた。

「いらっしゃい」
「おう、由比子。いたか」

入ってきたのは目つきの鋭い背の高い男だ。どことなく高耶に似ている。すぐに由比子の今の男だとわかった。
高耶からふたつ離れた椅子に座る。何も言わずとも由比子がボトルやグラスや氷を用意している。
常連らしいが高耶には見覚えがない。ということは最近になってからここへ来るようになったのか。

帰るタイミングを逃したせいで次にドアが開いて入ってきた客たちに声をかけられてしまった。

「……坊主じゃねえか!久しぶりだなぁ!」

雀荘で高耶とよく打っていた常連だった。

「どこで何やってたんだ?」
「しばらく見ねえ間にずいぶん引き締まったツラになったなあ」

そうして囲まれて一言二言話していると、由比子の男が高耶を見た。

「お、加藤くんもいたのか。こいつとは初めてだったな」

その加藤と呼ばれた男も雀荘の常連だそうだ。まだほんの2ヶ月前にフリーで雀荘に入ってきて仲間になったらしい。

「こっちこい、坊主。久しぶりに奢ってやらあ。どうせまた貧乏してんだろ?」

テーブル席に連れられてつき合わされて飲んだ。加藤という男はたまに高耶を振り返って見る。
そのうち常連たちの話に嫌気がさしてきた。昔だったら自分も楽しくいられたのかもしれない。
しかし今は取り残されているようで、話について行かれない。
数ヶ月の間に自分をとりまくすべてが変わったのだと自覚した。もう昔の自分には戻れない。
それが高耶をイラつかせた。

「そろそろ帰るよ」
「まだいいじゃねえか」
「いや、あんまり遅くなると雇い主に怒られるんだ」
「雇い主とか言って、本当は女なんじゃねえのか?」

からかわれて笑われる。いつもの彼らの冗談に少し和んだが、これ以上ここにいたら元の生活に戻りたくなる。
しかし戻れば歯車が狂う。

「本当に雇い主だよ。居候してるからさ、そいつが戻る前に帰らないとうるせえんだよ」

ごちそうさん、と手を振って席を立ち、由比子にも二度と会わないという意味で「じゃあな」と言った。

「高耶」
「あ?」
「あんまり無茶しないでよね」
「わかってる」

加藤が高耶を見る。向こうも由比子の元男だと気付いたらしい。ニヤッと笑って手を振ってきた。

 

 

直江がまだ寝ているうちに由比子の話を千秋にした。

「女と切れたとかそういう話を聞きたいわけじゃねえ。なんでおまえがそんなにイライラしてるかだ」
「どう……して、だって?そんなのわかり切ってるじゃねえか。もう昔の自分に戻れないからだ。オレはこの手で人を殺してる。ふたりも。そんなオレが昔の仲間と笑って話してる。自分で虫酸が走ったぜ。罪悪感なんてもんはもうねえけど、やっぱどっかで自分を許せてないんだ」
「そーゆーことか。だから直江に対してイライラしてんのか。おまえに人殺しさせたのは直江だもんな」
「直江がいなきゃこの先やってけねえってのはわかってんだけどな。それにあいつの腕の代わりに細々動いてるのにもイラつくんだ。あいつがオレに頼りきりなのがムカつくんだよ」

なるほど、と千秋は思う。
自分と高耶では直江に対する感情が違う。千秋のそれは直江への恩だ。自分の命さえ危ないところを直江が出してくれた条件で小指も取られず、金を出してどうにかしてくれた恩。

対して高耶は直江には恩のひとつもない。立場は直江と同等どころか高耶の方が上と言ってもおかしくない。
その直江が独占欲丸出しで高耶を拘束しようとする。しかしそんな男が高耶の生活を支えている。
それが許せない。

「直江にも言ったのか?女のこと」
「言った」
「そりゃまずいな。あいつ嫉妬深いだろ。たぶん今以上におまえを縛るぞ」
「だからちゃんと話すよ。別れたって」
「ならいいけど」

だからと言って直江が高耶を縛るのは止まらないだろう。それがまた高耶の苛立ちを誘うのは間違いない。

「そろそろ直江が起きてくる。メシ作っておくからふたりでゆっくり話しながら食えよ」
「千秋は?」
「俺は修羅場に付き合わされるのなんかたまんねーからな」
「サンキュ」

千秋なりの気遣いが嬉しかった。直江と話すのは億劫だが、それでも直江を愛しているのには変わりない。
だからふたりで落ち着いて話すべきだろう。

千秋が朝食を作り終えると直江がリビングに出てきた。

「高耶さん……」
「おはよう。昨夜は悪かった」
「いえ……私こそ」
「メシ食いながら話そう」

千秋が用意したコーヒーを注ぎながらどう切り出そうかと考えていると、直江が先に口を開いた。

「昨夜、あなたとのことを考えたんです。無理があると、思いました。高耶さんがここを出たいならいつでも出て行ってかまいませんよ」
「……どういう意味だ」
「ここにいるのが辛いなら」
「辛いなら?何が?」
「私の世話だの、嫉妬だの、です」

それが辛いのはオレよりもおまえだろう、と高耶は静かに言った。

「世話は……辛くない。オレの雇い主でもあるんだ。やって当たり前だろ。嫉妬も別にいい」

ただ自分に頼りきりになるな、と言いたかったが、辛さがわかるぶん言えなかった。

「でも」
「前に言った。オレはおまえがいなきゃ生きていけない。生活とかそういうんじゃなくて」
「……でも、あなたには女がいるんでしょう?俺なんかよりも女の方があなたには必要なんでしょう?」
「違う」
「どこが違うんですか」
「女は……もうとっくに別れてる……つーか、元々付き合ってたわけじゃない。おまえならわかるだろ?」

直江が顔を上げて高耶を見た。今日、初めて目を合わせた。

「昨日は借りてた金を返しに行っただけだ」
「そうだったんですか……」
「行って、よくわかった。昔の仲間にも会って、益々な。もうオレはあそこには戻れないんだって。そんでそれが……悲しくて……。だからイライラしておまえに八つ当たりして、傷跡を殴って……本当に済まなかった」

高耶が立ち上がって直江のそばに行き、テーブルの下にあった左手を取った。

「指、動くか?」
「……動きません……」
「ごめん……」
「いえ、そもそも私があなたに乱暴な真似をしたからです。大丈夫。また動くようになりますから」

その確証は誰にもない。医者にすらわからない。
これが直江の優しさなのだと、高耶は思い出した。
大丈夫だと言って高耶を守ろうとする直江の。

「ごめんな……」
「いいんですよ。謝らないでください。それよりも、キスして……くれませんか?」
「ん」

冷えた直江の左手を包みながら、高耶はゆっくりとキスをした。

「愛してるよ……直江」
「高耶さん……」

たとえそれがどんなに辛くても。

 

 

ふたりの仲が落ち着いてからの水曜日。高耶が上杉邸へ出かけた。
今回の盆は郊外の旅館を借り切って開くらしく、黒塗りの車に上杉と同乗して出かけた。
旅館の大座敷が盆のために準備され、高耶は宿泊部屋の一室で他の組員と供に着替えさせられた。

「合力も和服なのか?」
「ええ。景虎さんにも会長が準備してますから」

古い絣の着物に着替え、上杉の待つ特別室へ赴くとその場にいた誰もが感嘆の溜息をついた。
高耶を快く思っていない者までも。

「おめえ、そうやってると任侠みてえだな」
「会長もいい趣味してんすね。ホントにこれじゃ仁侠映画だ」
「たまにゃあヤクザも懐古趣味に浸りてえんだよ」
「盆なんか開いて、マジで懐古趣味ですね」
「俺は古いしきたりなんかも律儀に守るタイプなんでな」

この盆に呼ばれているのは上杉会の関係だけではない。他の組のヤクザもやってくれば、紹介で一般人も来る。
今回の盆での場代が上杉会の資金になる。
殺しやシャブの売買よりゃマシか、と思ってそれ以上は言わなかった。

「合力のやり方は知ってるな?」
「ああ、前に見ただけだけどな」

たまに直江のような人間が闇賭博を開く。主にマンションの一室で丁半や花札ホンビキが開かれていたのに参加したことがある。そこで合力の仕事を見ている。

「最初はウチの者が合力をやるからおまえは見てろ。それを見て細かいところを覚えりゃいい」
「そうする」

丁半はサイコロの偶然の目で決まる勝負で、麻雀などの頭脳戦や、競馬などの研究戦とは違う。
確率と勘と運の勝負だ。
サイコロにイカサマがされていなければ初心者にも勝つチャンスはある。ただしあるのはチャンスだけで、その他は己の胆力だ。運を引き寄せるには経験も必要になる。

盆の開かれている座敷へ行く途中、廊下で髪を結い上げた女と出くわした。着物姿で迫力のある、どうみても真っ当な女ではない。
こんなところで珍しいと思ってつい顔を見てしまうと、向こうも気付いて高耶の顔を横目で見た。

「……あんたが景虎?」
「え?はい……姐さんは……?」
「今夜の壺振りよ。二番手控えだけどね。綾子で通ってるわ」

つづく

 
         
 

綾子さん登場。極妻っぽい。

 
         
 

ヒラで麻雀を打つ ・・・イカサマをしないで普通に打つこと

 
         
   

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