キズナ  〜カイナ2〜


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

千秋にくれぐれも由比子から目を離さないように、と直江が出かけ際に言った。

「でもあの子は直江にとっては邪魔なんじゃねえの?高耶の昔の女だぜ?」
「まあ、本音を言えば気に入らないが、高耶さんとはもうよりを戻すことはないだろうからどうでもいい」
「ふーん、そこらへんはハッキリしたんだ?」
「した」

高耶が直江に早くしろとマンションの玄関から呼んだ。千秋との話はそれで終わり、直江は仕事へ行くためにマンションを出た。
千秋にとっては高耶と直江の関係が安定することは自分にとっても有難かった。何かと言うと直江を詰る高耶は直江にも千秋にも不安材料でしかなかったし、高耶の機嫌次第で直江が振り回されることも気になっていた。
だがまだ油断はできない。
あの二人はうまくバランスを取らないとすぐにまたどこかが崩れる。修復できるのならかまわないが、本当に断裂してしまっては直江も高耶も共倒れになってしまう。

千秋にとって直江は恩人であり雇い主でもある。
今もこれからも直江が黒と言えば白い物を黒だと千秋は言うだろう。
しかし高耶には恩もなければ雇い主でもない。直江の情夫だ。直江と言う人間が接着剤になっているだけで、直江と高耶が別れれば高耶に対する感情もなくなるだろう。
しかし高耶は千秋の中にも入り込んでいて、たぶん一生忘れられない人間であることは確かだ。

直江が出て行ったドアを見つめながら千秋は小さく溜息をついた。

 

 

数日後、高耶は金を持って加藤との待ち合わせ場所へ行った。高田馬場駅前からすぐの喫茶店だ。
店内は午前10時という時間のせいか客はまばらだった。
分厚い封筒を高耶が出すと、加藤はテーブルに頭を擦り付けて礼を言った。

「まだ早い。白石がそれを受け取って完済になってからにしてくれ。でもたぶん、それで完済にはならない。ちょっと面倒なことになるかもしれないから、これを持って行ってくれ」

高耶は加藤にICレコーダーを持たせた。加藤と白石の間で何を話し合ったのか録音できる。決済されずにまた何かを要求してくればいざという時の証拠にもなる。

「録音ボタンは赤いやつだ。闇金の建物に入る前にその録音スイッチを押せ。レコーダーを出して録音ボタンを押すなんてマヌケなことはしないでくれよ。見つかったらその場で取り上げられて、オレがやってることがパーになる」
「わかった」
「それと、その金は由比子のためにオレが雇い主から借金したものだ。無利息だが返済はおまえと由比子で毎月してもらうからな」
「ああ」

これから加藤は1駅離れた大久保にある青木会の闇金事務所へ歩いて行き、帰りはタクシーでこの喫茶店に戻り、レコーダーを高耶に返すとともに、青木会の出方を報告する予定になっている。
今朝の由比子の様子では混乱はもうなくなったようだが、加藤の身に危険はないかと心配していた。
今日殺されることはないから安心しろと声をかけてから高耶は待ち合わせ場所に来た。

「由比子はどうしてる?」
「元気だよ。由比子はおまえよりは強いからな」
「……そうか……じゃあ行ってくる」

録音ボタンの場所を覚えてから加藤は喫茶店を出た。

 

 

加藤は青木会の闇金融で使われている雑居ビルの前に立った。
当然だがそこで闇金をやっていると堂々とした看板は出していない。ポストにも鉄製のドアにも表示はない。
録音ボタンを押して、ジャケットのポケットからは出さずに録音ランプがついているかを確認した。ちゃんと録音できているらしい。
事務所のドアをノックすると低くて横柄そうな声で「はーい」と返事があった。ドアの鍵がカチャリと鳴ってほんの少しだけ開き、スーツ姿で長い茶髪を後ろで束ねた若者の顔がのぞいた。一見ホストに見えるが、実際は青木会構成員だ。年齢は20代前半だろう。
彼も加藤の顔は知っているようで、確認できてからドアを大きく開けて加藤を招きいれた。

「加藤です。白石さんはいらっしゃいますか?」
「あー、ちょっと待ってもらえますかー」

一応敬語を使っているのはヤクザの闇金だと一発でわからないよう常に気を配っているからだ。
同じく用心のためにドアを開けただけではそこがどんな場所か見えないようにしっかりとパーティションで仕切られている。その奥に若者は入って行き、しばらくするとが戻ってきて奥へ通された。

一番奥の応接セットまで通され、そこに白石が待っていた。

「おー、加藤さん!今日は何の用だ?答えによっては帰れなくなるかもしれないぜ」
「返済です」
「へえ。どっかから引っ張ってきたのか。数えるから座れよ」

加藤が座るとすぐに背後に先ほどの若者と、もう一人スーツの男が立った。
これは加藤が何かした時のための警戒である。

1万円札を数える白石の手を見て、加藤も何枚あるのか目だけで追って数えた。300枚あった。

「加藤さ〜ん、まだ9万ちょっと足りないんだけど」
「え、それは……」

高耶から前回借りた10万で端数を支払っていたから今回は300万きっちりを返済すればいいはずだった。
しかし白石はまだ足りないと言う。

「このまえ払ったのは端数でしょ?俺が足りないっつってんのは今日までの利息だよ、りーそーく!」
「利息……って……」
「前回から日割りで計算して9万ちょっとだろ?」
「そんなはずは!」

加藤が身を乗り出すと背後の二人が片腕ずつ取って制した。

「しっかりしてくれよなあ!加藤さんよ!利息があるってのを忘れたわけじゃねえだろ!」

白石は加藤の借用書と利息の計算表をおもむろに出して、加藤の目の前に突きつけた。
白石に食い下がってもなんの意味も持たないことを知っている加藤は、やっぱり高耶が言っていたことと同じだとすぐに諦めた。
例えその計算書がデタラメであっても。

「今日中に残金払ってくれたら終わるけど?」
「わかった……どうにか金策する……」

背後を取っていた二人に入り口ドアまで連れて行かれ、突き飛ばされて追い出された。
ドアは大きな音をたてて閉まり、後には自分の呼吸音しか聞こえなかった。
立ち上がってエレベーターを降り、目の前の道路を走っているタクシーを停めた。もし尾行されて高耶が裏にいるとなったらまず高耶が、次に由比子が被害に遭う。
そう思い、迂回して高田馬場へ行ってくれ、と運転手に告げた。

「もし後ろにつけてくる車があったら撒いてくれ」
「はあ」

そうしてようやく高田馬場に戻り、高耶が待つ喫茶店に入った。さっきと同じ席で高耶が待っていた。

「どうだった?」
「まだ利息があるから今日中に払えって……」

レコーダーを高耶に渡し、20分程度のやりとりを聞かせた。
10万ぐらいなら高耶の財布に入っている。急いでその金で完済しろと高耶に言われ、またレコーダーで録音しながら先程の事務所の前に立った。
しかし。
いくらノックしても誰も出ない。誰かがいる気配もない。電話をしてみても誰も出ない。

建物から出て高耶に電話を入れた。

『もういなくなってたか?』
「なんでわかるんだ?!」
『やっぱりな……いいから引き上げてこい。もう今日は誰も戻らない』

それで電話が切れた。今度はタクシーでまっすぐ戻った。
喫茶店に入ると高耶は誰かと電話をしていた。待て、と手で合図され、とりあえず座って待った。

「ああ、そうだ。直江が調べた根城と同じところだ。他にはないか調べられるか?頼む」

そう言って高耶が電話を終わらせ、加藤に向き直った。

「闇金や怪しい街金なんかでよくある手なんだよ。期日までに全額返せっつって一回追い出す。借り手がどうにかして金策して返しに行くと事務所は閉まってて、何日か後に『期日までに全額返さなかったから差し押さえする』って言われて、建物なり女なり金になるものを奪われるんだ」

高耶から説明されて加藤は頭を抱えた。加藤には担保になる物件もないから差し押さえられるのは間違いなく由比子だ。

「じゃあどうしたらいいんだよ!!」
「オレに怒鳴っても仕方ないだろう。他に白石の情報調べてるから落ち着け」
「……由比子は、どうなる」
「オレが匿ってる間は安全だ」

白石の手口からすると由比子を引き渡さない限りは借金も終わらないだろう。どうして白石が加藤ではなく由比子に執着しているのかも気になる。
それも含めて白石を探らなければならない。

「おまえ、由比子のこと本気で好きなんだな」
「今更当たり前のこと言うな」
「いや、そうじゃなくてさ。オレも何人か見てるけど、女を差し出して失踪するヤツがいるから」

以前、高耶が直江に脅されていた時は妹の美弥が人質のようなものだった。もしあの時、美弥ではなく由比子が人質になっていたら高耶も失踪していたかもしれない。
そう思うと加藤がどれだけ本気で由比子と付き合っているのかがわかる。

「俺はそんな真似はしない」

高耶は昔の自分を思い出して加藤とダブらせた。闇金で金を借りるということは大事なものを奪われる可能性がほぼ100%ということだ。

「オレも他人のこと言えた義理じゃないけど、闇金使う時点ででおまえは由比子を差し出したのと同じだ」
「う…………」

この件が解決して加藤が博打をやめて堅気になって由比子を幸せにすることができれば高耶も救われる。
あの時の自分と同じような人間が、今の自分のように抜けられない世界に身を置くことをしなくて済むのなら。
そういう気持ちで高耶は言った。

「おまえがどんな気持ちでいるか一番わかるのはオレかもしれない。由比子のために金を貸したけど、結局はオレ自身のためなんだろうな」

それだけ言って立ち上がり、会計のためにレジへ行った。
その背中を加藤は追うことが出来なかった。

 

 

タクシーに乗ってマンションに戻った高耶が直江を書斎に呼んで、ICレコーダーに録音した内容を思い出しながらさっきまでの出来事を詳しく話した。
直江も今の白石と同じように高耶を脅して使っていたことがあるため、おおよその行動は予想していた。

「ここにいる限り由比子は危険じゃないと思うけど、そうすると加藤が何をされるかわかんないよな……」
「殺されはしないと思いますが、まあそれなりのことはされるでしょうね」
「でさ、思ったんだけど、なんで由比子を狙ってるんだ?」
「女のスナッフの方が売れるからですよ」

単純なことだと直江は言った。
スナッフビデオの購入者はほとんどが男性で、残虐行為で性欲を掻き立てられる者が大半だろう、と。
そういうビデオに対しての金離れの良さや罪悪感の少なさは女性とは比べ物にならない。

「そんなものですよ、人間なんて」

由比子への執着はそれだけではないと高耶は思う。由比子は誰から見ても美人でスタイルもいい。
白石がスナッフビデオを扱っているのなら、本人も嗜虐趣味があるに違いない。直江の言う残虐行為で性欲を掻き立てられる人間が白石であることは間違いないだろう。

「じゃあ青木会の方は金さえ取れれば加藤や由比子が今後どうなろうと知ったこっちゃねえって感じだよな。白石が執着してるだけで」
「まあ、推測ではそうなりますね」
「……千秋を使おう」
「は?!」

高耶が立ち上がって部屋から出ようとしたのを直江が腕を掴んで止めた。

「もし白石に寝返ったらどうするんですか?」
「寝返らないように使うんだよ。それに……たぶん千秋は直江を裏切らない」

力強い目で訴えられたら直江は納得するしかない。こんな時の高耶は計算を間違えたりしない。

「じゃあ私には話してください。千秋をどうやって使うのか、全部」
「まだ話せない」
「……いつなら?」
「千秋が裏切らないって確信が持てたら」

腕を掴んでいる直江の手を大事そうに包み込んでゆっくり離した。それだけで直江は高耶を信じた。

つづく

 
         
 

話としては深くないのでそのへん気にしないように。

 
         
 


 
         
   

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