由比子が後ろを気にしながら雑居ビルから出てきた。目の前のガードレールに座って待っていたのは高耶だ。
直江と電話をしながら成り行きを聞いていたようで、由比子が出てきたのを確認して携帯を閉じた。
「まだ油断すんなよ。今は車に戻ろう。急げ」
走り出した高耶を追い駆けて由比子が車に戻ると、中では直江がイヤホンをして盗聴した音を聞いていた。
「どうだ?由比子が出た後なんかあったか?」
「千秋がまだ突っ込んで聞いていましたが、二言三言でやめました。白石の器を測っていたんでしょう」
「ねえ、高耶。どうやって加藤くんを助けるの?鍵や窓を壊したら千秋さんが疑われちゃうじゃない。殺されるかもしれないのに」
「どうにかするから心配すんな。直江、とりあえず由比子をマンションに帰そう」
「わかりました」
まだ千秋が事務所で雑談をしているのを直江が確認してから高耶が運転してマンションへ戻った。
なんとか危機を乗り越えたとはいえ由比子にはまだ保護が必要なため、もうしばらく直江のマンションで暮らさなくてはならない。由比子が本当に自由になるには加藤を救い出して、白石を潰すか抑えるしかない。
まだ顔色の悪さがわかるほど緊張している由比子に、高耶は部屋で休むようにと言った。
「高耶を疑うわけじゃないけど本当に大丈夫なの?」
「大丈夫とは言えないけど、まだやれることはある。それをやってからだ」
直江を連れて書斎に戻り、まだ事務所に残されている加藤をどうやって救い出すかを話し合った。
白石が由比子も加藤も諦めるようにどう仕向けるか、だ。
「千秋だけでは出来ないでしょうね」
「オレや直江が他人の力を借りないで白石を陥れるような方法しかないと思う」
「陥れる……ですか」
改めて直江は思う。どうして高耶が自分の手を汚してまで加藤や由比子を助けようとしているのか。
由比子に関してはトラブルに巻き込まれた気の毒な女性、しかも高耶の前の恋人なのだから助けたいのはわかるが、加藤は高耶にとってなんのメリットもない他人だ。
「高耶さんは……なぜここまでして彼らを助けたいんですか?」
「……オレみたいだろ?」
借金のために心を売った高耶と、身体を差し出されそうになった由比子と、殺されるかもしれない加藤。
状況はそれぞれ違うが、加藤と由比子は金のために人生を潰されそうになっている。高耶はすでに裏側でしか生きられなくなっている。
「加藤を助ければ、オレが救われるような気がしたんだ」
裏側にいなければならない覚悟をさせたのは直江であって、高耶本人ではなかった。高耶が蜘蛛の糸一本で表側にしがみついていたその糸を直江が切ったのだ。
「私が……あなたを苦しめているんですね……」
「そうだ。だから直江は……加藤を全力で助けてやってくれ」
「……はい」
高耶の苦しみは一生消えない。でも薄れさせることはできるかもしれない。それが加藤と由比子を救うということだ。
直江のせいで底なし沼に嵌まって抜けられなくなったのに、直江がいないと生きられない。断ち切れないループの中に高耶はいる。
いい案が浮かばないまま仕事の時間になった。直江と高耶がマンションで待機していても意味はなく、由比子もこのマンションにいれば安全であるため、もし高耶と直江以外の人間から電話なり訪問があっても絶対に出るなと注意をして店に向かった。
池袋から赤坂に移動するとカジノに以前高耶が雀荘の摘発で辛くも逃げ出した時の警察官がまた来ていた。今日はツイているらしく、チップが高く積まれていた。
「あの警官また来てんだな」
名前は松平と言うらしい。
レートの低い店には行かず、直江や柿崎が経営している高レートの裏カジノへしか通っていない。
高耶と直江で店の奥のマネージャールームへ入って監視カメラが映す店内の様子をモニターで見ていていると、高耶が何かを思いついたように直江を呼んだ。
「直江ッ」
「なんですか?」
「こいつを使おう」
高耶が指を差しているのはモニター内の松平警部だった。
「どうやって?」
「ここに白石を来させるんだ。白石はオレの顔を知らない。松平はオレをただの従業員だと思ってる。だから、白石にこいつの前でイカサマやらせるんだ」
もしも白石がイカサマをすれば、自分の儲けになるはずのチップが他人に回るのだから松平は黙っていないだろう。
必ず権力を嵩にして白石に報復をするはずだ。例えばそれは闇金融やスナッフの摘発、など。
「松平ってやつは直江の店には強請りをかけないよな?」
「ええ。高レートの店を強請ったら自分が博打をする場所を失くしますからね。ヤクザが直結でバックにいる店には怖くて強請れませんから、個人経営の雀荘や小さいカジノバーを主に強請ってます」
「じゃあうってつけだ」
モニターを見つめる高耶の表情は、これから大きな賭けにでるギャンブラーと同じだった。
直江が千秋に電話を入れて、あと1時間程度経ってから白石を連れて赤坂のカジノへ来いと命じた。
細かい内容は聞かされず、客として入って来てしばらく遊んでから松平と同じバカラテーブルに白石をつかせろ、ということだった。
直江は内線で店にいる従業員全員に、千秋が来ても客として接するようにと強く言い聞かせ、ディーラーには松平を勝たせておけと伝えた。
その直江の横で高耶がディーラーの制服に着替えている。
約1時間後、千秋がやってきた。連れているのは白石だけで、若い子分は帰ったようだった。従業員も直江の言いつけどおり、千秋を客として扱い、チップを現金と交換した。
千秋が白石の分のチップも買っていたので、うまく口車に乗せて連れて来たに違いない。
店のディーラーは千秋が連れてきた客だということで、勝たず負けずのゲームをした。ディーラーの手腕で松平を景気よく勝たせて帰れなくし、一方ブラックジャックのテーブルの白石には少しだけ勝たせて上機嫌にさせておく。
ブラックジャックでの勝ちで気をよくした白石を、千秋が松平のいるバカラテーブルに誘って一番端の席に座らせた。
そこに、ディーラーの服装をした高耶が出てきて、そのバカラテーブルののディーラーと交代した。
「よろしくお願いします」
丁寧に高耶が挨拶をする。白石はそれが景虎だとは気付かない。松平は単なる従業員と思って顔も見ない。
手馴れた仕草で高耶が新しく開けたカード数冊をカードシューターに入れてバカラを開始した。
高耶のゲームは勝たせつつ負けさせつつして、千秋がすべてのチップを失った時には、松平と白石のデッドヒートになっていた。千秋は戦線から離脱し、白石と松平のチップの差は約10万程度で松平が勝っている。
もちろんこの勝ちは高耶が巧みにカードを操って作った勝ちであり、千秋を破産させたのも高耶がイカサマをして負けさせた結果である。
白石と松平の前に置かれた山積みのチップも高耶がわざと勝たせただけで、二人がバカヅキしているわけではない。
松平の全身から強欲そうなオーラが出て、チップの山の半分を賭けた。そこで高耶が勝負に出た。ウェイターに目配せして、トレイの上に乗った灰皿やグラスを落とさせた。
その音でカードを配る高耶の手を一瞬だけ全員が見ていなかった。ほんの1秒。
その隙を狙って高耶がカードを飛ばして白石のジャケットの袖の中に滑り込ませた。
わざと端に座らせた千秋とのコンビネーションも手伝って、見事としか言いようのないカード捌きで、白石自身ですら袖に入ったことに気付いてない。
高耶は元々イカサマ師をしていたのだからこのぐらいの芸当は当然できる。
高耶が店内にいる屈強な従業員に目配せをして、白石の動きを観察させた。観察しているだけで、高耶が仕掛けたカードが白石から零れるはずだ。
白石の背後から従業員が近づき、袖からカードが出そうになった時に白石の腕を強く掴んだ。
「おい!なんだよ!!」
「お客様、当店はイカサマなしでお願いしております」
「イカサマだぁ?どこがだよ!!」
掴んでいた腕を下に下ろさせると、袖の中からハラリとトランプが1枚落ちた。
「カードを入れ替えるつもりだったようですけど、そんなイカサマはうちの店では出来ませんよ」
「だからやってねえよ!!」
落ちたカードを松平が拾うと、そのカードはドローで出せばぴったり『9』であがれるものだった。
カードを見た松平の怒りは激しく、白石の頭を掴んでバカラテーブルに押さえつけた。
「てめえ俺にサマ仕掛けやがったのか!!」
予想以上に松平の怒りは激しかった。それもそのはず、白石のカードがテーブルの上で開けられていたら松平が賭けたチップはすべて取られてしまうのだから。
押さえつけられた白石が千秋に助けを求めるが、千秋はもういなくなっている。面倒ごとが起きたら逃げるのが千秋の信条だったと思い出し、白石は味方を失って茫然自失だ。
自分の知らないこのカジノで、やってもいないイカサマで、青木会のシノギを持つこの俺が?
「ふざけんなああああ!!!!」
懐にあるナイフを出そうと白石が体を捩って拘束から逃れようともがいた。
しかし屈強な従業員にとっては白石の身体などは木偶と同じで、押さえつけられたまま足だけをバタバタさせているに留まっている。
「やってねえもんはやってねえんだよ!!」
「やってただろうが!このカードが証拠だ!」
そこに直江が出てきた。直江は嫌味のない微笑で、松平に成り行きを教えて欲しいと言った。
「店長さん、こいつがサマしやがったんだよ!俺に負けたくないからってよ!!」
「そうですか……彼がしていたのを見たのは他にはいないのか?」
白石を押さえつけている男が見たと言い、そして高耶が。
「その方がなさっていたように見えました」
いかにも優秀なディーラーのような顔をして、無表情で小さく報告するだけだった。
直江はここまでの芝居で充分だと思ったか、お詫びとして松平に食事や酒を振舞い、相談があるのでもう少しだけ待ってもらえないかと頼んだ。
白石は従業員の手で直江の部屋へ連れて行かれ、ガムテープで拘束されて、財布から携帯まで一式を奪われた。
「白石さんですよね?」
「だからなんだよ」
「私の顔は忘れましたか?」
「…………直江の……叔父貴……」
白石が直江の顔を見上げ、自分がヘマをした相手が直江だと知ると、小さく震えた。
「ここが私の店という事は、バックには誰がいるかわかってますよね?」
「お、俺が直江叔父の店でイカサマしたなんて話が上杉会長の耳に入ったら……青木会は皆殺しだ……」
「皆殺し?上杉会長が?いくらなんでもそれはないでしょう。それにこんな小さなトラブルを私一人が処理できないとでも思ってるんですか?」
冷たく言い放った直江の目に禍々しい色が出ていたのに気付いた白石は、人生の終わりを告げられたように顔面を蒼白にした。
直江が今はヤクザでないことは白石も知っているが、だからといって直江がヤクザ並みの非道をしないとは限らない。
「でも残念なことにあなたを殺すことはできません。なぜか聞きたいですか?」
殺されることはないのかと安心したものの、次に出てくる直江の言葉に怯えた。
「あなたを殺せばすぐに私が殺したと警察にわかってしまうからです」
「なんで……」
「あなたが勝負をしていた松平さんは、警察官なんですよ。松平さんは私たちに守られてギャンブルをしています。私たちは松平さんに守られて経営が出来る。一番相手にしてはいけない人にイカサマをするなんて、本物の馬鹿ですね」
「俺はイカサマなんかしてねえ!!嵌められたんだ!!」
「嵌められた?誰にですか?あなたを嵌めて何になるんです?」
混乱し始めている白石が必死で自分を嵌めた相手を探そうとした。しかし誰も嵌めるような人間はいない。
一体自分が何をして、ここで嵌められたと思えるのかの根拠がない。
「ここはもう警察にお任せしましょうか」
「やってもいないイカサマでか?!俺を摘発するんだったら叔父貴の店だって潰れることになるんだぜ?!」
「別件逮捕って知ってます?」
「ああ?」
「奇しくも同じ賭場で白石と松平さんと私が揃っている。松平さんはあなたに対してご立腹で、個人的な恨みでも別件で逮捕することができる。どうせ闇金もやっているだろうし、そちらの方面で松平さんのごやっかいになった方が、最上組上層部に『直江の店でイカサマしました』なんて言われるのとどっちが安全かって話です」
白石は進退窮まってどうすることもできなくなってきた。
やってもいないイカサマを直江の店で打って警察官を怒らせている。
上杉会や最上組にこのことが知れたらエンコどころか片腕を持って行かれるかもしれない。
スナッフは見るもの、やるもの、売るものと考えていたのに、今は自分がスナッフの餌食になりそうで怯えている。
「助けて欲しいですか?」
「あ、ああ!」
「じゃあ先に警察に捕まりなさい。松平さんに闇金の情報を流して、あなたの事務所ややっていることを洗いざらい調査してもらって、刑務所に数年入ればいいだけですから。松平さんもそのお手柄をもらえるなら闇金の摘発ぐらいで勘弁してくれるかもしれませんよ?」
そこに松平を接待していた高耶が入ってきた。
「松平さんに白石の情報を引っ張れって言われたんだけど」
直江が白石のシノギで犯罪性のあるものを吐かせた。闇金だけだと白石は言うが、直江も高耶も当然本気にはしない。
「とりあえず闇金情報を教えてあげてください」
「わかった」
高耶が白石の情報を松平に教えると、見返りに別の高レートの店を一軒と、個人経営の雀荘をいくつか紹介しろと言われた。
その程度ならばなんてこともなく教えられる。
協定が済んで、松平はこの店の話は出さずに闇金の方で白石を引っ張るそうだ。その流れで加藤が救われるにちがいない。
「じゃあ今から白石の事務所へ行きましょうか。そこに闇金の証拠があるはずですから」
「松平さんもだろ?」
「ええ。タクシーを呼びましょう」
数分後にタクシーがやってきて、そこに白石、松平、高耶、直江が乗った。
つづく
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