仰木荘奇譚



 
         
 

東京下町、男の目の前には古めかしい木造の建築物があった。
木造にしては珍しい三階建て、玄関はガラスがはめ込まれた引き戸、前庭があって門には『住居者以外立ち入り禁止』と書いてあるプレートが取り付けられている。

門からは石畳で出来た細い道が低い庭木の間を縫って玄関まで続いている。その道を歩いて玄関へ行き、引き戸を開けながら声をかけた。

「ごめんください」

夏だというのに玄関は涼しかった。男は木造建築の通気性や湿度調整といったそんなことを考え微笑んだ。

「はーい?」

男の立った場所から向かって右側、受付のようになっている窓から声がした。
二週間前にここへ来た時に、管理人らしき老人から元々は旅館として使われていたのだと聞いている。その名残の受付のような窓から、端正な顔つきをした青年が覗き込んだ。

「なんですか?誰かの知り合い?」

上目遣いで覗かれて男は少しだけたじろいだ。驚くほど印象的な眼をしている。

「ええと、本日からここでお世話になる直江という者ですが」
「……は?」
「ですからこの下宿屋さんに住むことになった直江、という者です」
「……またか」

苦々しい顔をして窓から顔を引っ込め、部屋の中で何やら怒鳴り始めた。

「タヌキ!てめえ、また勝手にやりやがったな!」

タヌキ?
いったい彼は何を怒鳴っているのかと疑問に思っていると、声が廊下に響き出した。少しすると怒鳴り声が止み、男の前にさきほどの青年が現れた。

「直江さんだっけ?ここに入居って、どんないきさつだったわけ?」
「はい?」
「いいから、いきさつを教えてくれ。オレ、まったく関知してないんだよね」

管理人と、この留守番らしき青年の間で直江の入居のことは何も話されてなかったのだろうか。そう思いながらいきさつを話すことにした。

「先々週の月曜だったと思うんですが、この辺で住むところを探してたんです。その時にこちらの建物が目に入りまして。とても雰囲気のいい下宿屋さんだったので、この受付にいたお爺さんに入居の交渉をしてみたんです。そうしたら部屋が余ってるところだからいつでもどうぞ、と言われたんです」
「んで?」
「空いてる部屋を見せてもらって即決して、手付金を二万円ばかり払いまして、あとは引っ越してきてから家賃などの契約をすればいいですよ、と……」
「……あのヤロウ、そーとー気に入りやがったな」
「あの、どうしたらいいんでしょうか?」
「とりあえず上がれ。管理人室に来てくれないか?」

そう言って玄関に入るように促された。
直江は荷物を置いて靴を脱ぎ、出されたスリッパを履いて先程の窓がある管理人室へ通された。
そこは六畳ほどの茶の間になっていて、テレビや電話、四角いお膳などが置いてある。家具はどれも古いものばかりで昭和レトロと名づけるのが相応しかった。茶の間の隣りは襖で仕切られた奥の部屋もあるらしい。

「ここは、あの管理人のお爺さんのお部屋なんですね」
「いや、違う」
「じゃあお部屋は別にあるんですか?」
「そうじゃなくて、オレがここの管理人。この管理人室に住んでる張本人。アンタが話した爺さんはまったくの他人……他人ていう言い方でいいのかな……?とにかくこの下宿とは関係ないヤツなんだ」

この青年が管理人?それで私が話したのはアカの他人?

「どういうことなんでしょうか……?」
「まあ聞け。ウチは今、確かに空いてる部屋がある。そこにアンタが住みたいって言うなら今ここで契約できる。詳しく聞いてるかどうか知らないけど、下宿代は六畳四万、八畳五万、冷暖房ナシ。希望者には食堂で三食の食事が出て、一階に風呂とトイレと流し台、冷蔵庫、コンロは共同、洗濯機と乾燥機は有料でランドリールームがある。三食の食事は予約制で一食につき三百円だから、節約したいなら自炊で流し台を使ってメシ作るなり、店で買ってきて食うのもいい。下駄箱は一人に一個。ポストはないからこっちで仕分けしてから部屋まで届ける。新聞も同様だ。こんなところが一通りの説明なんだが」
「はあ、だいたいはお爺さんから聞きました」
「そんで、ここからが本題だ。アンタ、妖怪って信じるか?」
「妖怪?」

どうしてそんなことが入居の話と関係があるのだろうか。直江には疑問符ばかりなのだが、そんなことは気に留めていない青年は続けて話した。

「あ、いや、妖怪っつーかオバケっつーか……」
「……実家が寺なので鬼火ぐらいなら見たことはありますが」
「そーゆーのが出る。この下宿」
「はあぁぁ?」

からかわれているのかと思ったが、そうでもないらしく青年は真剣な表情で直江を窺っている。

「それでもいいなら入居してくれ」
「冗談でしょう?」
「いいや。冗談なんかじゃねえよ。実際、アンタを案内して部屋を見せたのはここに住み着いてる古狸の妖怪だ」
「え?」

必死で頭の中を整理しようとする直江に、青年はさらに付け加えた。

「オレがいない隙を見てあいつが毎回毎回勝手に入居者を決めちまうんだ。しかも手付金とか言っていくらか取って、それを使ってパチンコ屋に行きやがる。こっちはそのぶん保証金が取れなくなるってのに」

直江の背中にじんわりと汗が浮かぶ。
この青年の頭のネジが一個なくなっているのか、それともこの青年はまともで自分の耳がおかしいのか、それとも。

「まあ悪質な悪戯をしないだけマシなんだけどな。そうゆう環境だけど、どうする?」
「え……ええと」

実家で鬼火を見た時のことを思い出した。
その話を父親にしたら「それはあって当たり前のことなんだよ。幽霊もいるし、妖怪もいるんだ。そう考えた方が人生豊かになるぞ」と言われた。
それと同じことだろうか?

そこまで考えて現実にぶつかった。会社を辞めた今、直江の貯金は心もとない金額になっている。しかも住んでいた賃貸マンションは引き払ってしまった。次に住む所を探すまでホテル暮らしなどと贅沢は言えない。

オバケが出ようが妖怪が出ようが、出ない確率の方が高そうだし、もしかしたら入居を断るための青年の画策かもしれないと思い当たった。住んでみて気に入らなかったら安アパートでも探して出て行けばいいだけのことだ。

「住みます。契約をお願いします」
「……物好きだな」

言って青年は受付の机の引き出しから契約書を出してきた。

「今は八畳しか残ってないけどいいか?」
「八畳でいいです」
「そーすっと……ええと、二階の玄関上、三号室だな。冷暖房はないから自分で扇風機だのストーブだの持ち込んでくれ。ガス代、水道料金は家賃に含まれてるけど、電気代はオレが管理して徴収してるから月末に請求する。電話は玄関の公衆電話。でも携帯持ってるか。じゃ、そーゆーことで。わかんないことあったらいつでも聞いて」

矢継ぎ早に話されたがどうにか頭に叩き込み、契約書に目を通してからサインをして印鑑を押した。
保証人はいらないらしい。

「いいんですか?家賃を踏み倒して出て行ったりしたら大変なんじゃないですか?」
「ああ、それは大丈夫。家賃踏み倒して出てったやつを探すのが得意なカラス天狗もいるから」

聞かなかったことにして契約書を渡した。

「あ、自己紹介してなかったっけ。オレは仰木高耶。ここの管理人を任されてる。持ち主はオレの本物の爺さんなんだけど、今は楽隠居して千葉県の老人ホームでブイブイ言わせてる。よろしくな。直江サン」
「はい。よろしくお願いします、高耶さん」

おかしなところに引っ越してきたものだが、それほど悪い気分ではない直江だった。この高耶という青年の開けっぴろげな性格がそう思わせるのだろう。
二階の自室に案内されて鍵を渡され、荷物を置くと家具を載せた引越センターのトラックがやってきた。

 

 

つづく

 
   

これの続編を出すために
サイトにアップしました。
オフになるかサイト上で
続編にするかは
まだ決まってませんが。

   
   

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