仰木荘奇譚



 
         
 

翌日、誰もいなくなった下宿に鍵をかける前に、高耶が大きな声で「よろしくな!」と言った。
それは奇異な行動で、誰に言ったのかを聞いてみたらコケオドシにだと答えた。

「ああ、そうですよね。前にそんな話してましたね」
「無料ホームセキュリティだ」

秋葉原へと歩きながらコケオドシが今までどれだけ役に立ってくれたのかを高耶が話す。

「前にこんな感じで千秋と出かけたことがあったんだ」
「……はい」

突然直江の胸に言いようのない澱みが生まれた。しかし何がそうさせているのかがわからない。高耶の話は進んでいく。

「オレが管理人やりはじめてすぐだったかな。昼飯食って二時間ぐらいしてから戻ったら、玄関入った廊下で怪しいヤツが倒れてて」
「怪しいヤツ?」
「結局は泥棒だったんだけど。とりあえず千秋が縛ろうって言うからガムテープで縛ったんだ。んで警察に電話してる間にそいつが目覚まして。なんかすっげー怯えてんだよ。ナマハゲが出たとか言って」

どうやらそれがコケオドシだったらしい。
大きなナマハゲのような顔をして驚かせ、逃げようとする泥棒を大声で怒鳴って追い討ちをかけた。というのが泥棒の話からわかった。

「警察は幻覚でも見たんじゃないかって薬物の検査もしたんだけど、そんなわけないんだよな。だってコケオドシが本当に出たんだもん」

明るくケラケラと笑って下宿の安全を確保しているコケオドシを誉める。
他にも綾子だけで居残っている時に来た訪問販売、いわゆる押し売りを追い出した。その時は対応している綾子の姿をどんどん老けさせて、最後には白骨にしてしまうという幻覚を見せたそうだ。
知らずにそんな幻覚を自分に施された綾子は、失礼しちゃうわね!と怒ったそうだが、後からちゃんとお礼と称して羊羹を三階の三号室前に供えたそうだ。
一時間後に皿を取りに行ったらキレイになくなっていて、しかも皿の上に「ごめんなさい」と書かれた半紙の短冊が置いてあった。

それからというもの、綾子は銭湯帰りの道で痴漢に遭いそうになったところを守ってもらったりと、下宿の中以外でも世話になっている。

「紳士的ですねぇ」
「きっと心の優しい鬼みたいな感じなんだろうなあ」
「見たことはないんですか?」
「うん、ない。ねーさんでも見てないんだって。知らないうちに出てきて守ってくれてるらしい」

姿が見えるタヌキたちと違って、姿を現さない方が効果的なんじゃないかと高耶は分析した。

「それかよっぽどの恥ずかしがりなのかも」
「だとしたら可愛いですね」
「うん。そう思ったらさ、それまで妖怪なんて冗談じゃないって思ってたのに、親近感が湧いてきて。そんで話したり一緒にいたりできるようになったんだ」

そんな話をしているうちに秋葉原へ到着し、目当てのパソコンを各店見て回る。
一番値段の安い店と、ポイントカードの利率が良い店のどちらにするかを昼食がてら入ったファミレスで検討する。
直江の提案としてはアフターケアがしっかりしていそうなポイントカードがある店が良い。そのポイントで付属品も買えるはずだろうと。
対して高耶は支払を安くしてその余った現金で付属品を買おうと言う。

「じゃあ計算してみましょう」

携帯電話の計算機能を使ってはじき出すと、直江の見立てた店の方が5%ほど得ができることがわかった。

「……おまえ、アタマいいんだな」
「これでも経理やってましたから」

経験していることが高耶とは差がある。そんなところを大人だと思った。

「昨日も思ったけど、直江って大人でかっこいいな」
「……照れますね」
「照れなくていいよ。本当のことだからさ。小説も少し読んだけど、知識とかいっぱいあるし、文章もきれいで、話もいい話で。そんでサラリーマンとして経理もやってきてるし、外見も文句ないじゃん?かっこいい大人ってこーゆーのを言うんだろうな」
「あまり誉めないでください。恥ずかしいです」
「恥ずかしがることないのに……これじゃ彼女も自慢だろうな」

高耶の口から出た言葉にまた澱みが生まれた。それは確実に『彼女』という言葉に対してだ。

「彼女なんかいませんけど?」
「え?マジで?」
「ええ。ここ二年ほどはいませんね。小説家でデビューしてからは作る暇もなかったような……」
「忙しくて?」
「それもありますけど、文章を書いてるのが好きで、女性と付き合うのを忘れてしまった感じです」

二年の歳月を思い出すとそういう表現しかできなかった。
忙しくて会社が終わると家に直行してはいた。しかし恋人を作るチャンスは何度かあった。
それでも付き合わなかったのは書いているとそのチャンスすら忘れて没頭してしまうからだった。

「もったいないな」
「いいんですよ。そのぶん、人との出会いは多かったですから。出版社の人や、著名な作家さんや、取材で会った人たちとか。それに仰木荘のみなさんも……特に妖怪のみなさんと、高耶さんですね」
「オレ?」
「あなたです。毎日を楽しんで過ごしているあなたは私が出会った中でも一番の……とても純粋な人ですよ」

純粋と言われて男のプライドが傷付くかと思ったが、高耶はまったくそんな気配すら見せずにキョトンとした。
理解不能に陥ったとも見える。

「ええと、純粋というか、素直というか、あけっぴろげというか、今までここまで何でも楽しそうにやる人を見たことがなかったので」

嬉しい時は嬉しいと全身で喜び、ちょっと腹を立てたら体裁気にせずに膨れっ面をするし、妖怪に関しても「いい奴ばっかりだから」と言えるほど相手も自分も信じている。
そんな人間は直江の周りに今までいなかった。
もちろん心を許せる友人や恋人もいたけれど、高耶は誰に対しても心を開いているように見えた。

「だって楽しくなきゃ生まれてきた意味がないじゃん。てのがオレの持論。こっちから心を開けば相手の心も少しは開くだろ?そしたらもっと楽しくなるじゃん」

子供っぽい笑顔の青年が言うただの戯言だと、以前の直江だったら思っていたはずだ。
しかし自分の夢を叶えたいと小説家を目指した瞬間から直江は少しずつ変わった。
例えば今の高耶の言葉を肯定的に受け入れることができる。

「……そうですよね。楽しくないと実のない人生になりますよね」
「だろ〜?オレ、いいこと言うな〜」

わざとらしく自画自賛をしている高耶は少しだけ照れているけれど、きっとそれが本音なのだろう。
理解者が増えたとばかりに親しげな笑顔を直江に送る。

「直江が引っ越してきてくれて良かった。下宿のみんなさ、オレがこういうこと言うとバカにすんだよな。ガキがいっちょまえに、って。蘭丸ですらだぜ?ひどくねえ?」
「大丈夫ですよ。みなさん、本当はそんなふうに思ってませんから。そうじゃなきゃあんなにワイワイと仰木荘にいるはずがないでしょう?」
「そっかな?」
「そうですよ」

それは高耶にもわかっていたことで、実際にけなされてもみんなの本音はそうではないと感じている。
ただ直江に言ってもらえたのが嬉しくて確認したまでだ。

「へへへ。なあ、そろそろ買いに行こうぜ。ポイントカードの店に決定でいいよ」
「じゃあ行きましょうか」

付き合ってくれたお礼に、と高耶が会計をした。
二人合わせても二千円しない昼食だが、今までにない充足感を感じた直江だった。
レジで小銭を一枚一枚出している高耶を見ながら、ずっと笑顔を見ていたいと思った。




パソコンを箱で持ち帰ってすぐに直江が設定した。
電話回線の工事は明日の昼間だそうで、それ以降にまた直江がメールやネットの設定をする約束になった。
その話をウキウキと下宿人の揃った食堂で大きな声でしている。

「そしたら俺にも使わせろ!」
「あたしも!」
「一分十円で貸してやる」

そこらへんはしっかりしている高耶。パソコンだって回線だってタダじゃないんだとしっかりと釘を刺した。

「直江みたいに自分のを持ってるなら回線だけはタダで使わせてやるよ」
「……ほお、直江ね……」
「……ははあ、そういうことね」

千秋と綾子が言いながらニヤニヤする。
脇で高坂が直江にどうやって高耶に回線を使えるようにさせたのかを聞いている。

「仕事で不便を感じるのではないかと気遣ってくれて」
「そうか。なるほど」

それぞれ意味深な言葉を吐いてから顔を見合わせて合点がいったようにニヤリと笑った。

「どうりでいつもより嬉しそうな顔してるわけだ」
「なんだよ、それ」
「別にぃ」

わけがわからないので三人を無視して直江にパソコンで何ができるのかを聞く。丁寧に教えてくれる直江の目を覗き込みながらあれやこれやと質問をしていた。
そこに織田と蘭丸も入ってきて興味深そうに聞いている。

「直江、パソコンで作曲もできるんだろう?」
「できますよ」
「僕は学校で習ってるんだけど、たまにわからないことあったら教えてください」
「ええ。私でよければ」

まだそれほど親しくない二人にも直江は愛想よく返事をする。高耶は自分が話していたんだと言ってまた直江との会話を続けようとした。

「パソコンでゲームとかもしたいからまた一緒に秋葉原に買いに行こう」
「はい。その時は前もって言ってください。時間を空けますから」
「うん!」

その姿を見て織田が高坂に目配せをした。お互いに頷きあってニヤリと笑う。
そして会話が弾んでいる高耶と直江を横目に住人同士でヒソヒソと会話を始めた。高耶たちは気付いていない。

「どうやらタヌキはあいつの彼氏を選んだみたいだな」
「そうね。今までのあたしたちは直江の布石ってとこかしら?妖怪との会話が出来るようにさせたり」
「ホモに偏見をなくさせたり?」
「新しいものを好きにさせたりね」
「ふん。これからの展開が楽しみだ。あのタヌキのことだ。面白いネタであの二人がくっつくように仕向けるだろうな」

チラリと二人を見ればまるでカップルのように楽しそうに話している。直江に至っては今にも手を握りそうだ。

「もうそろそろお互いに気付いてるんじゃないかしら?」
「自分の気持ちをか?」
「だってそうでしょう?あの子、織田たちが直江との会話を邪魔したらむくれてたじゃない」
「だな。直江は直江でいつも高耶を見る目が違ってたもんな」

二人よりも住人が先に気付くのも、普段から妖怪に接して鍛えている勘の良さからかもしれない。

「あとで私の持っているDVDを貸してあげますよ。パソコンで見てみたらどうですか?」
「うん!」

住人が思っているよりも順調に二人の距離は縮まっている。


つづく

 
   

う〜!
じれったいのう!

   
   

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