仰木荘奇譚



 
         
 

夜九時過ぎ、高耶の部屋を直江が訪ねてきた。手には数枚のDVDソフトを持っている。

「こんなものしか持っていませんが」
「おう、サンキュー!入って入って」

高耶の部屋に上がり込むつもりはなかった直江だが、袖を引っ張られてしまうとそうもいかない。
パソコンがお膳の上にしっかりセットされていて、その前に座らされる。

「麦茶でいいか?」
「はい、すいません」

改めて部屋を見回し、冷房器具がないことに気付く。あるのは大昔の扇風機のみ。
開け放った窓辺に置いて涼しい風を入れている。部屋の中は扇風機のおかげか暑さを感じなかった。
高耶の部屋には小さな台所があって、そこに小さな冷蔵庫とコンロがあった。
食事を作るわけではないのだから小さくても構わない。そこの冷蔵庫から麦茶を出してグラスに入れて持ってきた。

「あとは漬物ぐらいしかないけど食う?」
「いただきます」

高耶が食事に出している漬物は近所の八百屋で漬けたもので、直江の実家で作ったような味がした。
それが懐かしくて食事のたびにもっと食べたいと思っている。

「この漬物、美味しいですよね」
「糠床作ってから七十年、毎日かき回してるって八百屋のおばさんが言ってたぜ。爺さんの代からずっとやってるって。だから味が深いんだよな〜。オレも大好き」

大好きと言った高耶の表情に見蕩れた。
それを自分に向けて言って欲しいとも思った。思ってすぐに困惑した。なぜ言って欲しいと思ったのだろうか。

「そんで?どーやってDVD見るの?」
「あ、ええと、脇にCD―ROMドライブがありますから、そこのボタンを押してください」

直江の言いつけ通りにパソコンの脇を見ながらボタンを押す。するとトレイが勢いよく飛び出てきた。

「おわ!」
「そこにセットしてください。そうするとメッセージが出ます」

画面に再生を始めるかのメッセージが出る。
慣れない手で直江の指示通りにマウスを動かすがうまくいかない。
焦れた直江は高耶の手の上に自分の手を置いてクリックした。

「…………」

直江も高耶も一瞬緊張した。手が重ねられている。

「こうですよ」

持ち直した直江が先に言葉を発し、重ねた手をそのままにしてクリックし、アプリケーションを立ち上げた。

「……おお〜。これで見るんだ〜」

画面が変わると高耶の緊張も解れ、そちらに夢中になる。
その反応を見て直江は胸を撫で下ろした。多少の気まずさはあるがいつもの高耶で、いつもの自分だ。

「再生ボタンがあるでしょう?そこをクリック」
「こう?」

今度は失敗せずに再生が始まった。
はしゃぎながら早送りはどれだとか、止めたい時はどこをクリックするんだとしつこく聞いてどうにか覚えた。

「では私はこれで」

隠せそうもない気まずさを放棄して部屋に帰りたかった。きっと高耶もその方がいいに違いない。

「え?一緒に見ようよ」
「……でも」
「でも?」

見上げてくる高耶の目に囚われた。夜気のせいでいくぶんか潤んでいるように見える。その瞳に吸い込まれそうになる。

「ひとりでゆっくり見たいでしょう?」

どうにか誤魔化して言い訳を作ってみたが、それでも高耶は引かなかった。

「やり方わかんなくなったら困るから。それに……」
「はい?」
「……もうちょっと一緒にいようよ」
「高耶さん……?」

この青年には誤魔化しや嘘や見栄などはないのだ。
本音で付き合っていくしかない。今もこんなに正直に目が物語っている。

「ダメ?」
「いいですよ……」

座り直して高耶の隣りを占領する。
このまま彼を抱きしめてしまいたい。俺はこの人に恋をしているんだ。直江は自分の気持ちを確信した。

パソコンの見づらい画面での上映会が終わったのは深夜0時を過ぎたあたり。
いつもは十一時には寝ているという高耶が欠伸のひとつもせずに目をキラキラさせて起きている。
さっき知ってしまった自分の気持ちをもてあましながらその目を見ているのは辛いものがあった。
つい手が伸びて髪や顔を触りたくなる。

どうして男の子なんかに恋をしてしまったのかも、いつそんな気持ちになったのかもわからない。
しかし昼間、自分の心に生まれた澱みは嫉妬や不安なのだと確信できた。ではいつから好きになったのだろうか。
無表情で考えている直江を振り向いて、高耶はなんの意図も無く頼みごとをした。とても美しい笑顔で。

「電話回線の工事の時も来てよ。詳しいこと言われてもオレじゃわかんなさそうだから」
「……じゃあ工事の人が来たら呼んでください」
「やった!」

それから高耶にDVDの取り出し方を教えてから部屋を出た。
パタンと背後で閉まったドア。背中がこんなに寂しいと思ったことはない。
暗い廊下を歩き、階段を上りながら考える。彼を好きになったのはいつなのだろう。

「……一目惚れか」

きっとこの下宿に引っ越してきたあの時からだ。
印象的な眼差しだと思った。何も隠せないあの性格を快いと思った。そして誰のことも信じていると物語る彼の心を愛しいと思った。

「これでいいんだな」

なぜか少しも疑問を感じない。きっとこれが自分に与えられた恋なのだろう。

「高耶さん、か」

しばらくぶりに浮かべる愛しそうな微笑のまま、直江は自室へ入っていった。

「引っ越してきて良かったな」

楽しい出来事が起こりそうな予感がする。恋も成就しそうな気がする。
自分が選ばれてここへ下宿したのだと手に取るようにわかる。
運命とはこういうものだ。




翌日の電話回線工事に付き合ってから、さらに高耶にインターネットの講座を開いた。
接続からアドレスの取得、インターネットを便利に使う方法まで。
高耶はしじゅう「おお!」と感動し、それを見る直江は高耶が目を輝かせるたびに恋心を募らせる。

直江が普段暇つぶしに使っているゲームサイトや便利な検索サイトで見たいホームページを出して楽しんでいると、管理人室の受付窓がコンコンと叩かれた。
振り向くとそこに若い女性が立って覗き込んでいた。

「はい?」

高耶が受付の窓を開けると女性はか細い声で部屋は開いているか、と聞いてきた。

「あ〜……今は満室なんですけど」
「でも三階の三号室に名札がありませんが……?」

靴箱を指差し、女性が訪ねる。
そこは妖怪部屋と直結の細い階段があるあの部屋だ。さすがに妖怪が出入りする部屋に若い女性を入居させるのは無理だ。
正直者の高耶が答えにまごついていると、直江が受付まで行って助け舟を出した。

「三階の三号室は入居予定者がいるんですよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。ね?高耶さん」
「あ、そうそう!そうなんだ!」

諦めきれない表情で女性が食い下がる。

「いつからの入居予定なんでしょうか?」
「い、いつって……ええと、ら、来週、かな?」
「わかりました。ではまた……機会があったら参ります」

女性が去ってから窓を閉め、ふたりともパソコン台と化しているお膳の前に腰を下ろした。

「機会があったら、だって。そんなに住みたくなる下宿かな〜?ただのオンボロだと思うんだけど」
「人によっては風情があって住みたくなるんですよ。私もそうでしたからね」
「そうかもしれないけど、あんな若くてきれいなお姉さんが何も好き好んで男ばっかの下宿なんかに来なくても」

それを言っては綾子も「若くてきれいなお姉さん」なのだが、性格がほとんど男なうえ、タヌキに気に入られて入居した人間なのだから下宿にいても当たり前、といったところだ。

「だけど変ですね。普通は入居予定者がいたら『機会が会ったらまた』なんて言わないと思いますよ?」
「社交辞令だろ。気にすんな。なあ、直江。もっと面白いホームページとか教えてよ」
「ああ、はい」

どうにも拭えない違和感を抱えながら、直江はその日一日を高耶の部屋で過ごした。

 

 

つづく

 
   

ちょっと展開に変化が。

   
   

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