「……は?」
「ガキみてえってバカにしてもいいよ。だってマジで怖いんだもん」
下宿のみんなには落ち着くまでは教えない方がいい。
幽霊の話を知ってるのは高耶と直江だけ。そうすると自然に頼れるのは直江だけになる。
「私はかまいませんけど……高耶さんはいいんですか?」
「なんで?」
うっかり「襲ってしまいそうだから」と言いそうになったが気が付いて口を閉じた。
「直江の仕事の邪魔になるのはわかってる。だけどお願いだから今夜だけは頼む!」
邪魔どころか嬉しい申し出だ。しかし襲わないように耐えるのが大変かもしれない。
「いいですよ。なんなら一晩見張りますよ」
「そこまでしなくていいって」
やっと高耶に笑顔が戻った。そしてまだ昼食を食べていなかったのだと気が付く。
「冷めちゃったな……あっため直すけど食う?」
「ええ、いただきます。なんだかすごくお腹が減ってますよ」
「オレはあんま食欲ねえけど、ちょっとは食っとかないとな」
高耶は怖さを誤魔化すため、直江は高耶への愛情から、いつもより多く話しながらゆっくり食べた。
高耶が夕飯を作るために食堂へ行くと、猫村さんが来ていた。どうやらあの札は妖怪には効かないらしい。
「大丈夫なのか?」
「何がですか?」
いつも丁寧に話す猫村さんはタヌキと違って高耶は癒されている。
どうやら口調が柔らかい人が好きなようだと納得した時、ふと直江の顔が思い浮かんだ。
(そっか。それで直江のこと好きなのか)
思ってから真っ赤になる。どうして直江を好きだなんて思ったのだろうか。
熱が出たんじゃないかと思うほど体が熱くなっている。
「どうしたんですか、高耶さん」
「あ、いや。なんでもない」
どうも猫村さんの話し方が直江に似ていて気になる。ただし猫村さんと直江では声がまるっきり違うが。
「それで大丈夫って何がです?」
「あのな、玄関に札を貼ったんだよ。えーと、厄除けに。そんでみんながここに居られなくなったらどうしようって思って」
「札ですか。私には関係ないみたいです。厄除けってことは、災厄に対してのものですから、私たちのような厄を運ばない妖怪には効き目はありません」
「あ、そっか」
なるほどな、とつぶやくと包丁を持つ手を動かし出した。
直江はさっきまで食堂にいたが、高耶が猫村さんと合流したのを見ると安心して部屋に戻り、仕事を再開した。
ずっと直江が高耶のそばに付いていた。
このところ直江と過ごす時間が増えて急速に親しくなった。そのせいか何もかも包み隠さず話せるし、いるだけで安心する。
逆にいないと寂く感じる。
タヌキが選んで直江をここに住まわせたのなら、高耶にとって何かいいこと、楽しいことを直江が持ってきたはずだ。
それについてはいくつも心当たりがある。
パソコンを始めてみたり、自分には難しい小説を読んでみたり、あまり接点のない大人の男と話してみたり。
しかし幽霊がやってきた。
まさか直江が連れてきたわけじゃないだろうが、そこがどうしても引っかかる。
直江と親しくなったと実感してすぐにやってきた幽霊は、もしかしたら直江の関係者かもしれない。
(もしかして……あいつの元恋人とかで、振られて自殺した女……だったりして?いや、直江もあいつの顔を見てるしな。違うな。じゃあ直江とは面識ない女で、直江に惚れてて、そんで病気で死んじゃった女とか?有り得るかも。あいつかっこいいしな)
心の中でつぶやいて、モヤモヤしはじめた気持ちが渦を巻く。自分で勝手に想像しておいて嫌な気分になるなんて。
「どうしたんですか、高耶さん。いつもと様子が違うみたいですけど」
「え?そんなこと……ないと思うけど。いや、そうなのかな〜?」
「なんです?」
「猫村さんにわかるかな?とある人がいて、その人の関係者らしい人がオレの前に現れる。んで、どうやらそいつはとある人に惚れてたらしい。そう思うとモヤモヤするんだ。なんでかな?」
「そんなの簡単じゃないですか。猫にだってわかりますよ」
「なに?」
「ヤキモチというものです」
ヤキモチ?
「そのとある人が高耶さんの男友達だった場合は遊び仲間がいなくなるっていう意味でヤキモチです。でも高耶さんの好きな人だった場合は完全に嫉妬です。好きな人ができたんですか?」
「え?いや、どうだろう。好きは好きだけど、恋愛じゃなさそうで……うーん、どうなんだろう?好きなんだけどなあ」
直江のことは好きだと思う。
しかしそれは千秋や綾子や高坂に対してと同じく友情な気がする。
だけど彼らとは違った意味で直江に接しているところもある。甘えていいんだとも思う。
それは直江が大人で、頼りがいがあって、優しいからだ。それは友情とは違うかもしれない。
「その人と二人きりでいたいと思ったことは?」
「ある。二人でいると穏やかでラクチンだ」
「会話を邪魔されて嫌な気分になったことは?」
「あ、ある……」
「その時どうしたんですか?」
「取り返した」
「見蕩れたことは?」
「……ある……」
「どんな気分でしたか?」
「触りたいと思った……」
「それは完璧に恋です」
猫にもわかる完全な嫉妬だった。
人間ではない猫村さんだが、普通の猫だったころに恋をしたことはある。
ジロベエさんの家にいたタマに恋をして、毎日通っていたそうだ。しかしジロベエさんの反対で夫婦にはなれず、泣く泣く諦めたが、それでもまだタマが忘れられず長生きしているうちに妖怪になってしまったのだ。
「高耶さんは私みたいに妖怪にはならないでくださいね」
「……ならないと思うけど」
夕飯が出来上がる前に千秋と綾子が食堂にやってきた。これで猫村さんが帰っても高耶ひとりで残ることはない。
「さあ完成ですね。じゃあ私は帰ります。高耶さん」
「ん?」
「好きだったら好きって言ってしまった方がいいですよ」
「……だからまだ好きかどうかわかんないってば」
猫村さんがカツオブシパックと作った夕飯を少しだけ持参の小さな重箱に詰めて持ち帰った。
どこで食べているのかは誰も知らない。
出来上がった夕飯を皿に盛ってカウンターに出すとまず千秋と綾子が取りに来た。それから高坂がやってきて取り、綾子の隣りに座って食べ始める。
それからその日の夕飯を申し込んでいた蘭丸が来た。織田はバイトが遅番のため夕飯はいらないらしい。寂しそうにしながら千秋の隣りに座った。
「織田は?」
「バイトだって」
「ふうん」
寂しそうな蘭丸を見て高耶も思う。
もし直江が外出で夕飯はいりませんと申告してきたら自分も寂しいかもしれない。
特に昼食を断られたら何をしに出かけるのかを聞きたくなる。
「おや、もう揃ってるんですね」
猫村さんではない丁寧な口調の男が食堂へやってきた。さっきまでずっと一緒だった直江だ。トクリと脈拍が上がる。
「今日もおいしそうだ」
ニッコリと高耶に笑顔を向けてからトレイを持って蘭丸の隣りに座った。
そして高耶に向けたのと同じ笑顔で蘭丸に話しかけ、蘭丸が今日の授業で習ったわからない古語を直江に聞く。
時代小説を書く直江はそれについてわかりやすく教えている。
(……やっぱ嫉妬かも……)
仲良さげに話す二人を見ているとモヤモヤする。
いつもああしてパソコンや小説に出てくる語句を聞いているのは自分なのに、優しい笑顔で蘭丸を見ているなんて。
全員が夕飯を食べ始めてから高耶も食べる。
六人掛けのテーブル、直江の隣りは蘭丸が独占している。
それを見て今度はモヤモヤの温度が冷える。寂しいのだとわかった。
仕方なくもうひとつのテーブルについて自分が作った夕飯を食べた。
なんとなく美味しくない。いつもだったら自作のくせに最高だと思えるほど美味しいのに。
「直江さん、夕飯終わったらちょっとでいいから国語教えてくれない?」
「あ、その」
蘭丸が直江に言っているのが聞こえた。耳がやけに反応する。
「直江さんの部屋に行くから」
ダメだと言って欲しいと心の底から願った。
直江の部屋に蘭丸が行く。蘭丸は可愛いから直江だって好きになってしまうかもしれない。
いくら織田という恋人がいても、だ。
それに今日は昼からずっと幽霊騒ぎで高耶のそばにいた男が、高耶を放って蘭丸と過ごすなど、高耶を見捨てるも同然ではないか。
「今夜は高耶さんと約束してるんです。下宿の管理のためにパソコンを教えるって約束なんですよ。古語は明日教えてあげますから」
「そうなんだ〜。明日は僕、織田さんと約束してるんだよね。じゃあ今度お願いしたときに教えてね」
「はい」
心の中でガッツポーズをして喜んだ。
まるで天国から来た天使が高耶の周りでラッパを吹き鳴らしているかのように嬉しかった。
そして確信する。直江に恋をしているんだ、と。
つづく |