夕飯を終えると直江が高耶を手伝って食器洗いをした。
できるだけ高耶のそばにいるつもりの男は、高耶の気持ちを知らずに肩が触れるほどそばに立って食器を洗う。
「これ終わったらパソコンと布団を運ぶのを手伝ってくださいね」
「あ、うん」
直江の仕事は順調だった。
順調だからこそやりかけている所を終わらせてしまいたくて、パソコンを高耶の部屋に運んでキリの良いところまで書くことにしていた。
「少しは怖くなくなりましたか?」
「怖いってよりも……」
あの女幽霊が本当に直江の関係者かもしれない、という嫉妬心の方が大きくなってしまった。
好きになった自覚をしたとたん、こんなヤキモチを焼いて怖さが薄れるなどゲンキンなものだ。
「よりも?」
「なんでもない!」
本音を言いそうになってワタワタ慌てる。洗った皿を落としそうになって直江が素早くそれをキャッチした。
「やっぱり怖い?」
「……違うって」
少し笑われてしまった。なんだか子ども扱いで面白くない。口を尖らせて皿を洗い終えた。
「運ぶぞ」
「はい」
それだけ言って直江の部屋に行く。
すでに布団が入り口付近に用意されていてそれを直江が持った。高耶には机の上のノートパソコンを持たせる。
先に高耶が下り、少し間を空けて続いて直江が。
管理人室の奥の部屋が高耶の寝室になっているので、そこへ直江の布団を置いた。
「……これは……」
恋をする直江にとってはいささか厳しい。
風通しは良いはずなのに、この部屋は高耶の匂いで充満している。
そばに寄るといつも香ってくる瑞々しい体臭と同じ匂いだ。
「どうした?」
「いいえ、なんでもありません」
居間に戻って高耶と向かい合わせに座る。
今夜のお膳の上には直江のパソコンがある。高耶と同じメーカーの、同じ色のパソコンだ。
「仕事するんだろ?お茶入れるからやってていいよ」
「すいません」
高耶は退屈しのぎにテレビをつけて見始める。
その後ろ姿とパソコン画面を同時に見ながら直江はキーをカタカタ叩いた。
現在書いている小説はこの下宿をモデルにした妖怪と人間の時代ヒューマンドラマだ。主役はもちろん自分と高耶。
その高耶がそばにいると想像が掻き立てられて、今まで書いてきた文章に肉付きを与えたくなって手直しの作業を中心にした。
一時間ほどそうして過ごし、直江はノートパソコンを閉じた。
「あれ?もう終わった?」
「終わりました」
高耶が直江をじーっと見ている。不思議に思ってどうしたのかを聞いても「なんでもない」としか答えない。
いい加減じれた直江がきつい口調で再度聞くと、高耶は驚いてようやく白状した。
「あの幽霊、知り合いとかじゃなかった?」
「私のですか?いいえ、まったく知らない顔でしたが」
「なんか心当たりもないのか?」
「ありませんね。……もしかして私が連れてきたと思ってるんですか?」
「うーん、そういうわけじゃないけど、タイミングがさ」
なるほどそういわれれば。
「でも本当に心当たりありませんよ」
「そうか〜」
ようやく高耶の顔から疑わしげな表情が消えた。
その後、一緒に風呂に入ったはいいが、他の住人がいないせいもあってお互いに恥ずかしくてたまらない。
直江も高耶も無言で、視線をできるだけお互いに向けないようにしている。
(ヤバイ、ヤバイ。見たら顔真っ赤になる!)
(高耶さんを見たら絶対に欲情する!抑えろ!)
気まずい入浴タイムを済ませて部屋に戻る。
それからずっと気まずいままになってしまったが、お互いに相手の気持ちに気付いていないのだから気まずいと思っているのは自分だけ、と両人思っていた。
「あの」
「えっと」
同時に口に出してまた黙る。どうぞと直江が言っても高耶もそっちからと促す。
「ええと、ですね。私が考えたのは、あの幽霊は人間ではなく建物に執着があるような気がするんです。二回も部屋は空いてないのかって来たでしょう?」
「ああ、うん」
「だから恨みではなく、心残りがあるんじゃないでしょうか。例えばここが旅館だったころのお客さん、とかで」
「そうかな……?だけど泊まりたいんじゃなくて住みたいわけだろ?だとしたら下宿だよな。じいさんが知ってるかも」
「明日になったら電話してみてください」
「そーする」
会話が出来たことで緊張が解れた高耶は冷蔵庫から麦茶を出してきた。
直江にグラスを渡してから扇風機の風が当たるところに寝転んだ。
「涼しい……」
「風に当たりすぎると喉を壊しますよ?」
「ん〜、なんか顔が火照ってさ……」
直江がそばにいるせいなのは高耶にはよくわかっている。
どうして泊まって欲しいなんて言ってしまったのだろうか。
これでは幽霊が怖くて眠れないどころか恥ずかしくて眠れない。
「高耶さん」
浴衣姿の直江が高耶のそばに来て扇風機を止めようとした。上から見ているその姿勢がやけに直江を男らしく見せた。
「パジャマはお腹が冷えないようにズボンに入れた方がいいですよ?」
からかわれているのがわかる。そんな子供じゃあるまいし、パジャマの裾をズボンに入れるなんてかっこ悪い。
「直江だって目が覚めたら浴衣はだけてんじゃねえの?」
「まあ、たまには」
「嘘つけ。本当は毎日だったりするんだろ?」
「朝になればわかりますよ。そろそろ寝ますか?」
「……うん」
どうにもこの男と同じ部屋で寝るのが恥ずかしくなってしまった。
しかし今更帰ってくれとは言えない。気付かれてしまうか、不快にさせてしまうかだ。
二人分の布団を敷いて蛍光灯を消す。暗闇に街灯の光が入って部屋の中が青かった。
「なあ、直江」
「はい」
「……変なこと聞いてもいいか?」
「どんなことですか?質問によっては答えられませんよ?」
またからかわれているように思った。だけど怒ったりむくれたりするような感じではなく、どちらかと言えば心地いい。
「好きな人っている?」
直江の息が少しだけ止まったようだ。息を飲んだ、というやつだろう。
「……いますよ」
「そっか……」
誰なのだろうか。高耶の胸が切なく締め付けられる。
「高耶さんは?」
「いる……」
今度は直江の胸が。どちらも自分のことだとはわからない。
しかしそこは直江が先に立ち直った。以前、高耶に恋をしたと自覚した時、この恋は成就するという予感がしたのだ。
だからきっと高耶に好きな人がいたって叶うはずだ。
「どんな人ですか?」
願いを込めて聞いてみた。
「優しい人。一緒にいると安心する」
「……それは貴重な存在ですね。あなたがそう思える相手なら、きっとその恋は叶いますよ」
「そうかな?」
「きっとね」
青い部屋の中で高耶の目を見た。
その目はとても不安に揺れていたが、直江は温かく見守った。高耶もそれで安心して直江に笑顔を返した。
「……うん、叶うかもしれない」
「さあ、もう寝ますよ。明日も早起きして朝食作りでしょう?」
「ん。おやすみ」
「おやすみなさい」
高耶の心にも、直江の心にも、小さな小さな希望の光が灯った夜だった。
つづく |