驟雨

しゅうう


 
         
 

目まぐるしく変わる日々が自分をも変えるなんて思ってもいなかった。
だけど私は変わりたかったのかもしれない。

 

私がその草野球チームに入ったのは、マンション近くの小料理屋で1人で食事をしていた時だった。
家庭的な雰囲気の小料理屋で、一人で入って飲んでも違和感がなく、料理も安くてうまいのでよく使っていた。
カウンター席で隣りに座った男性に話しかけられ、最近になって引っ越してきたのだと言うと、おせっかいかもしれないが、このあたりは古い町で近所づきあいが重視されているから、もしよかったら町の草野球チームに入って顔を知ってもらうといいのではないか、と言われた。

確かにこのあたりは近所づきあいが密で、そのせいか私のような知らない顔をみかけると警戒されてしまい、何度か宇宙人を見るような目で見られたこともある。

いきなりの誘いで戸惑ってはいたが、練習に参加することは強制ではないし、単に地域に溶け込むための手段だと思って一回だけでも顔を出せばいいと言われて決めた。

「平均年齢は35歳だ。若いのも年寄りもいる。直江さんだったら体格いいし、期待できるなあ」
「野球は中学以来ですから期待されても困りますよ」

誘った男は色部と名乗った。私よりも15歳ぐらい年上で、町工場の経営者だった。
日焼けした顔はきっと草野球のおかげだろう。

それからは日曜ごとの練習にはなるべく参加し、練習試合にも出て、着々と交流を深めていった。
それと同時にチームがどの程度の実力であるかも知った。地域対抗の大会では下から数えた方が早いチームだった。
だがチームのメンバーも気にしない様子で、楽しんで野球をするスタンスが普段の仕事とはかけ離れていて楽しかった。
野球は成長痛のために中学で断念せざるを得なかったのだが、ここにきてまた楽しめるようになるとは。
人との出会いは不思議なものだと思っていた。

そんなある日、新メンバーだと紹介された少年が来た。

「仰木高耶くんだ。高校2年生。即戦力だぞ」
「……よろしく」

少し影のある少年は地元の高校生だった。1年生までは地方の野球が盛んな高校で寮生活をしていたが、病気をきっかけに野球も学校も辞めなくてはいけなくなり、地元へ戻って普通の高校に転校したそうだ。

練習が始まり、高耶さんは軟球の手触りを確かめてからキャッチボールを始めた。しかし元高校球児の球は素人草野球選手では重過ぎて捕れなかった。
とうとう40代後半の山縣さんが音を上げてしまった。

「誰か俺と交代してくれ」
「あ、じゃあ、私が」

中学までしか野球はしてこなかったが、それでも数年前に野球を始めたばかりの40代男性よりはまだどうにか捕れるだろうと思い、私が交代を申し出た。

「少し緩めに投げようか?」
「いえ、普通でいいですよ」
「そう?」

高耶さんの投げた球は私でもギリギリ捕れるかというほどの重さで、軽いキャッチボールですら手が痺れる。
しかしこの球威なら万年負けっぱなしのチームでも勝機が見えてくる。
でも。

「高耶さん、運動して大丈夫なんですか?病気で野球を辞めなくてはいけなかったんでしょう?」
「ああ、うん。もう治った。使ってた薬がドーピングにひっかかるから辞めなきゃいけなかっただけだし」
「だったら辞めなくても良かったんじゃないですか?」
「強豪校だったからライバル多くて。何ヶ月も休むことになったから辞めた」

高校野球がどれほど厳しいかは知らないが、高耶さんが諦めることが出来たのはそれほど執着心がなかったからかもしれない。
ところがその日、いつものように練習が終わってからメンバーで食事に行った時、高耶さんのことを色部さんから聞かされた。
彼は第一印象でも感じたとおり、あまり人と打ち解けるタイプではないらしく食事には参加せず帰った。

「中学のシニアリーグで目をつけられて、そのまま強豪校に推薦入学したんだ。1年でレギュラー入りするほどのバッティングだったらしい」
「そんなにすごい子なんですか?」
「2年目でも甲子園に行ってたらプロ入りも確実だったって話だ」

そんな少年が病気が元で好きな野球を辞めなくてはいけなくなった。
なのに当の本人は高校野球に未練もなく、地元の草野球チームでのんびりと練習している。
そのギャップに私は違和感を持った。

「詳しい話は知らないんですか?」
「別に知らなくてもいいことだと思ってな。野球よりも病気のことを話したがらないから、よっぽど重病だったんだろう。本人も家族も話したがらないから、聞くのは可哀想だよ」
「そうですね……」

彼を見ていても病気だったとは思えないほど健康的な肌をしている。体格は高校球児にしては細いから、もしかしたら病気で痩せてしまったのかもしれない。
あの少し無気力で影のある顔つきも、まだ病気が完治していないからだろうか。

「ともかくうちのチームが少し順位を上げられるかもしれないんだ。喜んでおこう。まあ、順位なんか上がらなくても関係ないけどな」
「ええ」
「そりゃそうだ」

ビールを飲んだメンバーが声を上げて笑った。細かいことを気にしないのはいい。しかし、私は拭い去れない違和感が気になっていた。

 

 

高耶さんが来てからのチームは順調に勝ちを上げていた。
彼はピッチャーのポジションと4番の打順を与えられ、私たちの期待通りに活躍をした。
そして驚いたことに、メンバーに指導もするようになった。基本を最初からやり直し、球の捕り方、バットの持ち方、振り方、サインの決定、そして体作りも。

「高耶くんの言うとおりにトレーニングしたら、いきなり体重が減ったよ。しかも出っ張ってた腹が見ろ、ほら、こんなに引っ込んだ」

メタボリックシンドロームと医者に診断されたメンバーが痩せ、細身で青白い顔をしていた男が逞しく日焼けし、ダラダラと動いていた野球下手が肝心な場面で活躍をし。
チームは生まれ変わったようだった。

とっつきにくい印象だったのに、丁寧に色々と教える姿をしばしば見るようになった。しかしやはり、彼にも苦手なタイプというものがあるようで、色部さんにはたまに甘えているような表情を見せても、私には笑顔すら見せてくれないままだった。

「どうして高耶さんは私には冷たいんでしょうかね?」

いつものように、練習が終わってファミレスに行き、それから希望者だけで銭湯に。
銭湯帰りにはビールしかないだろう、との色部さんの提案で、私が最初にチームに誘われた小料理屋へ行った。
そこで高耶さんの話が出たので、常々疑問に思っていたことを口に出した。

「まだ高校生だからなあ。直江さんみたいに堅苦しい喋り方をする大人は苦手なんじゃないか?」
「……そんなに堅苦しいですか?」
「高耶くんに敬語で接してんのは直江さんだけだろ」
「それは……そうですが」

私はチームの誰に対しても敬語だ。ビジネスシーンで使い続けているとどうしてもこうなる。
それが悪いと思ったことがないし、最初から皆さんの後輩としてチームに参加したのだから当然の敬語であったのだが、高耶さんがそれを苦手と思っているなら直すべきだろうか。

「少しずつ慣れていくしかないですね」
「だな」

今度、高耶さんに会ったら「私」をやめて「俺」を使ってみようか。そして少しだけくだけた口調で話してみよう。

「あ、いたいた、お父さん!!」

私たちの座ったテーブルに、一人の女性がやってきた。年齢は25,6歳と言ったところか。
誰だろう?

「今日はお母さんがいないから買い物してって頼んであったでしょう!もう、何してんのよ〜」
「そうだった!すまん!」

彼女はチーム最年長の山縣さんのお嬢さんで、亜沙子さんという名前だった。
テーブルの私たちに向かってお辞儀をして挨拶をし、困った父親で申し訳ないと謝り、迷惑をかけていないか心配をする、感じの良いお嬢さんで、笑顔が明るく誰もが引き込まれる魅力を持っていた。

「じゃあ俺は帰るよ、うるさい娘に怒られないうちに」
「明るくていいお嬢さんじゃないですか」
「やかましいばっかりで嫁にも行かれないバカ娘だよ」

亜沙子さんはお父さんの背中を恥ずかしそうに叩いて彼を外に促した。
こんなところに可憐な花が咲いていたのかと、私は久しぶりにときめきを覚えた。

「なんだ、直江さん?亜沙子ちゃんを気に入ったのか?」
「え?」
「年齢的にもお似合いだなあ。うん、せっかくだ、アタックしてみろ」
「何を言ってるんですか、そんなこと出来るわけないじゃないですか、会ったばかりで相手の性格もわからないのに」

大笑いされてその話は終わった。しかし私の気持ちは少しずつ傾く。彼女に向かって。

 

 

翌週、野球の練習に亜沙子さんが来た。お父さんに言われて差し入れを持ってきてくれただけなのだが、それでも私は気持ちが高揚したし、恥ずかしい姿を見せられないと思って張り切った。
休憩の時間になり、亜沙子さんが持ってきてくれたペットボトルのお茶とおにぎりを貰った。

「いただきます」
「はい、遠慮なくどうぞ」

先週、小料理屋で見たよりも、太陽の下の彼女は美しかった。輝く髪と白い肌。明るい声。何を取っても私の好みに合っていた。

「彼は?」
「え?」

亜沙子さんに話しかけられ、何かと思ってグラウンドを見ると、高耶さんがひとりボールで遊んでいた。
ジャグリングをしているかのように器用にボールを3個使って。

「高耶さん!あなたもこっちで休憩しましょう!」

声を大きめにして呼んでみるとこちらを向いた。それに気が付いた色部さんも高耶さんを呼ぶと、彼はボール3個をグローブに入れてこちらへやってきた。

「山縣さんの娘さんで亜沙子ちゃんだ。初めて会うよな?」
「うん」
「よろしく、高耶くん」
「……うん、よろしく」

亜沙子さんからお茶を受け取り、それからおにぎりが入ったタッパーを差し出された。おにぎりに目印がついていて、どれが梅干で、どれが鮭で、と説明を受けていた彼が、申し訳なさそうに言った。

「オレ、おにぎり食えないんだ」
「え?ほんとに?」
「……人が握ったおにぎりって、ダメなんだ。コンビニとかの型押しで作ってあるやつなら平気なんだけど……ごめん」
「いいよ、気にしないで」

謝ってからお茶ありがとうと言って高耶さんはメンバーから少し離れた場所で一人で休憩を始めた。
仲間とは野球の話はするが、休憩などの時間はたいてい一人で過ごす。
地面や空や、景色を眺めながら一人で過ごす。

「高耶さんはまた一人か……」
「どうして?いつも一人なんですか?」
「ええ、たぶんほとんどのメンバーが10歳以上年上だから話が合わないんでしょうね」

高校生が中年親父の話についていけるわけがない。それなら一人で過ごしたいタイプなんだろう。
いくらメンバーと打ち解けてきたとはいえ、さすがに年齢の差は埋めがたいのではなかろうか。

「でも悪い子じゃないみたい」
「……そうですね、練習でも試合でも、高耶さんは活躍してくれてます」

確かに高耶さんは『悪い子』ではない。ただ少し人見知りをするだけで。特に私のような人間が苦手なようだ。
私のような堅苦しくて、周りに合わせて生きているような人間が好きではないようだ。

つづく

 
         
   

ジェットコースター並みに展開早いです。

   
         
   

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