驟雨 しゅうう 1 |
||||
目まぐるしく変わる日々が自分をも変えるなんて思ってもいなかった。
私がその草野球チームに入ったのは、マンション近くの小料理屋で1人で食事をしていた時だった。 確かにこのあたりは近所づきあいが密で、そのせいか私のような知らない顔をみかけると警戒されてしまい、何度か宇宙人を見るような目で見られたこともある。 いきなりの誘いで戸惑ってはいたが、練習に参加することは強制ではないし、単に地域に溶け込むための手段だと思って一回だけでも顔を出せばいいと言われて決めた。 「平均年齢は35歳だ。若いのも年寄りもいる。直江さんだったら体格いいし、期待できるなあ」 誘った男は色部と名乗った。私よりも15歳ぐらい年上で、町工場の経営者だった。 それからは日曜ごとの練習にはなるべく参加し、練習試合にも出て、着々と交流を深めていった。 そんなある日、新メンバーだと紹介された少年が来た。 「仰木高耶くんだ。高校2年生。即戦力だぞ」 少し影のある少年は地元の高校生だった。1年生までは地方の野球が盛んな高校で寮生活をしていたが、病気をきっかけに野球も学校も辞めなくてはいけなくなり、地元へ戻って普通の高校に転校したそうだ。 練習が始まり、高耶さんは軟球の手触りを確かめてからキャッチボールを始めた。しかし元高校球児の球は素人草野球選手では重過ぎて捕れなかった。 「誰か俺と交代してくれ」 中学までしか野球はしてこなかったが、それでも数年前に野球を始めたばかりの40代男性よりはまだどうにか捕れるだろうと思い、私が交代を申し出た。 「少し緩めに投げようか?」 高耶さんの投げた球は私でもギリギリ捕れるかというほどの重さで、軽いキャッチボールですら手が痺れる。 「高耶さん、運動して大丈夫なんですか?病気で野球を辞めなくてはいけなかったんでしょう?」 高校野球がどれほど厳しいかは知らないが、高耶さんが諦めることが出来たのはそれほど執着心がなかったからかもしれない。 「中学のシニアリーグで目をつけられて、そのまま強豪校に推薦入学したんだ。1年でレギュラー入りするほどのバッティングだったらしい」 そんな少年が病気が元で好きな野球を辞めなくてはいけなくなった。 「詳しい話は知らないんですか?」 彼を見ていても病気だったとは思えないほど健康的な肌をしている。体格は高校球児にしては細いから、もしかしたら病気で痩せてしまったのかもしれない。 「ともかくうちのチームが少し順位を上げられるかもしれないんだ。喜んでおこう。まあ、順位なんか上がらなくても関係ないけどな」 ビールを飲んだメンバーが声を上げて笑った。細かいことを気にしないのはいい。しかし、私は拭い去れない違和感が気になっていた。
高耶さんが来てからのチームは順調に勝ちを上げていた。 「高耶くんの言うとおりにトレーニングしたら、いきなり体重が減ったよ。しかも出っ張ってた腹が見ろ、ほら、こんなに引っ込んだ」 メタボリックシンドロームと医者に診断されたメンバーが痩せ、細身で青白い顔をしていた男が逞しく日焼けし、ダラダラと動いていた野球下手が肝心な場面で活躍をし。 とっつきにくい印象だったのに、丁寧に色々と教える姿をしばしば見るようになった。しかしやはり、彼にも苦手なタイプというものがあるようで、色部さんにはたまに甘えているような表情を見せても、私には笑顔すら見せてくれないままだった。 「どうして高耶さんは私には冷たいんでしょうかね?」 いつものように、練習が終わってファミレスに行き、それから希望者だけで銭湯に。 「まだ高校生だからなあ。直江さんみたいに堅苦しい喋り方をする大人は苦手なんじゃないか?」 私はチームの誰に対しても敬語だ。ビジネスシーンで使い続けているとどうしてもこうなる。 「少しずつ慣れていくしかないですね」 今度、高耶さんに会ったら「私」をやめて「俺」を使ってみようか。そして少しだけくだけた口調で話してみよう。 「あ、いたいた、お父さん!!」 私たちの座ったテーブルに、一人の女性がやってきた。年齢は25,6歳と言ったところか。 「今日はお母さんがいないから買い物してって頼んであったでしょう!もう、何してんのよ〜」 彼女はチーム最年長の山縣さんのお嬢さんで、亜沙子さんという名前だった。 「じゃあ俺は帰るよ、うるさい娘に怒られないうちに」 亜沙子さんはお父さんの背中を恥ずかしそうに叩いて彼を外に促した。 「なんだ、直江さん?亜沙子ちゃんを気に入ったのか?」 大笑いされてその話は終わった。しかし私の気持ちは少しずつ傾く。彼女に向かって。
翌週、野球の練習に亜沙子さんが来た。お父さんに言われて差し入れを持ってきてくれただけなのだが、それでも私は気持ちが高揚したし、恥ずかしい姿を見せられないと思って張り切った。 「いただきます」 先週、小料理屋で見たよりも、太陽の下の彼女は美しかった。輝く髪と白い肌。明るい声。何を取っても私の好みに合っていた。 「彼は?」 亜沙子さんに話しかけられ、何かと思ってグラウンドを見ると、高耶さんがひとりボールで遊んでいた。 「高耶さん!あなたもこっちで休憩しましょう!」 声を大きめにして呼んでみるとこちらを向いた。それに気が付いた色部さんも高耶さんを呼ぶと、彼はボール3個をグローブに入れてこちらへやってきた。 「山縣さんの娘さんで亜沙子ちゃんだ。初めて会うよな?」 亜沙子さんからお茶を受け取り、それからおにぎりが入ったタッパーを差し出された。おにぎりに目印がついていて、どれが梅干で、どれが鮭で、と説明を受けていた彼が、申し訳なさそうに言った。 「オレ、おにぎり食えないんだ」 謝ってからお茶ありがとうと言って高耶さんはメンバーから少し離れた場所で一人で休憩を始めた。 「高耶さんはまた一人か……」 高校生が中年親父の話についていけるわけがない。それなら一人で過ごしたいタイプなんだろう。 「でも悪い子じゃないみたい」 確かに高耶さんは『悪い子』ではない。ただ少し人見知りをするだけで。特に私のような人間が苦手なようだ。 つづく |
||||
ジェットコースター並みに展開早いです。 |
||||