驟雨

しゅうう


 
         
 

ある日の仕事帰り、駅で高耶さんを見かけた。彼は制服姿で一人で歩きながら携帯電話をいじっていた。
誰かにメールでもしているのだろうか。

「高耶さん」
「……直江」

直江。なぜか高耶さんは私だけを呼び捨てにする。

「今、学校の帰りですか?遅かったんですね」
「うん、補習だったんだ。オレ、成績悪いから」
「え?そうなんですか?」
「……前の学校では成績が悪くてもどうにかなってたから。野球してれば良かったし……。今はそうもいかなくて補習受けてる」
「あ、そうでしたね……」

無遠慮なことを聞いてしまった。病気のせいで辞めなくてはいけなかった野球と学校のことを思い出させてしまった。
きっと病気で勉強も遅れてしまったんだろう。
傷つけていなければいいが。

「直江って、たまに無神経だよな」
「あ……すみません……」
「別にいいよ。オレが自分で話したんだ」

気まずいまま並んで歩いた。高耶さんの家は私と同じ方向のようだ。

「今週の練習、オレ、行けないって色部さんに話しておいてくんない?」

いきなり口を開いたかと思ったら練習の欠席。もしかしたら。

「私が無神経なことを言ったからですか?それで練習に行きたくないとか……」
「違う。自意識も過剰だな。そんなことで欠席なんかしないよ」
「……ですよね……」

怒ってしまったのか、高耶さんは歩みを速めて先を行ってしまった。しばらくついて行くと私の住むマンションから7〜8分ほど手前の家に入った。
ここが彼の自宅らしい。毎日通る道なのに、表札に「仰木」と書いてあることに気付かなかった。

「ここオレんち。んじゃな」
「はあ……」

高耶さんは家に入っていった。温かそうな明かりが漏れる家だった。
小さな庭には花壇と芝生。軒下には木製のバットが置いてあった。甲子園を目指していたのなら金属バットだろうに、と思って気が付いた。高耶さんはプロを目指していたのだろう、と。

「それなのに草野球か……」

本人はそんな素振りは見せないが、きっと悔しくてたまらないのかもしれない。

「直江」
「え?」

高耶さんの家を後にした私に背後から声をかけてきた。いったん家に入ってすぐに出てきた感じだ。

「おまえのバッティングは決断力が欠けてるんだ。ピッチャーが投げたと同時に球種を判断しろ。間違ってもいいから決断して振る振らないを決めないとバッターの意味がない」
「……あ、ありがとう……ございます……」

彼が私に初めて野球に関して指導らしきものをした。今まで一度もなかったのに。

「練習ん時に出来てなかったら特訓するから」
「……はい」

これが彼なりの優しさなのかもしれない。さっき私を責めた代償か。

「ではまた」
「ああ」

少年らしい気の使い方だ。可愛いところもあるじゃないか。

 

 

 

高耶さんが来なかった練習の日も、亜沙子さんはやってきた。また差し入れを持って。
どうやら山縣さんが私と亜沙子さんをくっつけたがっているようだ。

「あら、今日は高耶くんはいないの?」
「今日は欠席です。何か用事があるようですよ。高校生なんだし、毎週おじさんに混ざって草野球ばかりしているのも変な話ですよ。たまには友達と出かけるんでしょう」
「ああ、そうね。そうよね」

私と亜沙子さんの会話を聞いていた色部さんがそれはどうかと言って入ってきた。

「どうかって、どういうことですか?」
「あの子がうちのチームに入ったいきさつなんだが……黙っていようと思ったが、気になることもあるから一応話しておくよ」
「……ええ」

高耶さんをチームに誘ったのは色部さんだ。確か色部さんは高耶さんのご両親と付き合いがあった。

「あの子の両親が半分無理矢理にチームに入れさせたんだ」
「え?どうして?」
「……友達がいないそうだよ」

友達が、いない?
じゃあこの前駅で会った時も携帯をいじっていたのはメールではなかったのだろうか?

「一人も?」
「転校してから友達を作ろうとしないそうだ。前の学校の友達とも今は付き合いはないんだと。転校してから様子が変わったらしくて、お母さんが先生に頼んで高耶くんの学校生活を見てもらったら、同級生たちとまったく交流を持とうとしないと報告を受けたんだ。部活もしないし、友達も作らないし、先生ともほとんど話さない。授業を受けて帰ってくるだけだ。だから何かさせないと心配になるからって、ご両親は野球を薦めたんだ」
「……それで草野球チームですか」
「最初は嫌がっていたらしいんだが、お父さんが試しにって練習を見させたらちょっとやる気になったから、本人の気が変わらないうちに入ることになったんだ」

私たちの練習風景を遠くから見ていたらしい。野球への郷愁か、それともこの楽しそうな雰囲気が気に入ったのか、高耶さんはチームに入った。

「たぶん、今日も友達と遊ぶんじゃないだろうな。何か用事があるだけだろう」
「そうでしたか……」

何が彼をそうさせているのか。病気のせいですべてから心を閉ざしたのだろうか。
病気で野球を断念したことが、彼のすべてを変えてしまったとしたら。

「気の毒ですね……」
「気の毒?そうかな?こういうのは、可哀想って言うんじゃないのか?」

かわいそう。そうか、可哀想、か。同情してしかるに値することか。

「だからさ、直江さんも亜沙子ちゃんも、高耶くんが楽しいと思えるようなチーム作りに協力して欲しいんだ。この弱小チームでも、少年の明るさを取り戻せるなら存在意義はあると思うしね」
「そういうことなら、喜んで協力しますよ」
「わたしも」

色部さんが白い歯を見せて笑い、私と亜沙子さんも目を合わせて笑った。
高耶さんに何かしてあげられることがあるなら、惜しみなく協力しよう。

 

 

その日は帰りに色部さんたちと食事には行かずまっすぐ家に帰った。
そしてシャワーを浴びて着替えて、また外へ出た。亜沙子さんと食事の約束をしているからだ。
女性が好きそうな清潔で少し高価なカジュアル服を選んで家を出た。駅前で待ち合わせて電車に乗って繁華街へ出る予定になっている。

急ぎ足で駅前に向かう途中、高耶さんを見かけた。可愛らしい女の子と腕を組んで歩いていた。
友達はいないけれど、彼女はいるのだろうか。だとしたらご両親の心配は早とちりなのではないか。

「あ、直江」

声をかけずに通り過ぎようとしたのに、高耶さんの方が気が付いた。
大丈夫なのか?私に見られても。

「高耶さん……ええと、デートですか?」
「は?ああ、これ?妹だよ、妹。今日はこいつの予備校に教材を取りに行ったんだ。テキストとか重いから持ってくれって。オヤジは仕事でいかれないからってさ」
「妹さんですか……すみません、勘違いして」

よく見れば高耶さんによく似ている。黒い髪と瞳。顔つきは似ていないがふっくらした唇はまるで同じだ。

「お兄ちゃん、誰さん?」
「ああ、直江さん。草野球チームで一緒の人」
「ふうん。背がすごい高いんですね。プロ野球の人みたい」
「背だけはそうですね。実力はお兄さんとは桁違いに弱いですけど」

クスクス笑って可愛い仕草をする。そんな妹に高耶さんはちょっと困った顔をする。
とても大事にしているんだろう。それが伝わってくる。

「直江は?どこか行く……」
「直江さん!」

駅前に向かう途中だったからか、亜沙子さんが私を見つけて駆け寄ってきた。そして私と高耶さんの前に立った。

「あ、高耶くん。お買い物?」
「う、うん。ええと……亜沙子さんは……直江と待ち合わせ?」
「そう。これから食事に行くの。直江さんがよく行く焼き鳥屋さんに連れてってくれるからって」
「そっか、焼き鳥か……美弥、オレたちも肉屋さんで買って帰ろうか」
「うん!」

なぜか、私は、高耶さんに亜沙子さんと食事に行くことがバレたのに気まずさを感じた。
どうしてだ?高耶さんに友達がいないという話を聞いたからか?それでなぜ気まずいと思うのだ?

「じゃあまた。行こう、美弥」
「うん。直江さん、亜沙子さん、さようなら」
「ええ、また」

亜沙子さんと駅に向かって歩き出しながら、さっきの気まずさを感じたことを話した。
すると小さく笑ってこう言った。

「きっと直江さんは高耶くんの友達になろうと思ってたんじゃないですか?だからわたしたちと一緒に焼き鳥屋さんに行こうって誘えなかったのを気にしてるだけでしょう?」
「ああ、そういうことですね。確かにそうだ。友達になろうと思ってたのに、初日から誘えないなんて情けないですね」
「でもこれがファミレスなら誘えたかも。焼き鳥屋さんじゃ誘うに誘えないから、気にしなくていいんじゃないですか?」
「……そう、ですね」

今度は高耶さんをファミレスに誘ってみよう。何度か断られるのは目に見えているが、それでも根気良く誘えばいつかは折れてくれるだろう。

つづく

 
   

直江の行く焼き鳥屋はオシャレな所です

   
   

3へススム

   
         
   
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