驟雨

しゅうう


 
         
 

行為が終わった後、だるい体を引きずりながら高耶さんと風呂に入った。後始末の仕方を教えられ、その通りに始末をして、バスタオルを渡して体に巻いて二人でリビングで休んだ。
私がソファに座ると高耶さんは膝枕をして、いつもの彼らしくなく甘えた。

「夕飯までには帰るから、もう少しいていい?」
「いいですよ。帰りは送ります。またあの男が現れるかもしれないですから」
「ああ、そうだっけ……」

ペットボトルの水を半分ずつ飲んで、潤った唇でキスをして、心地いいだるさを味わっていたら、突然高耶さんが固い声で私に聞いた。

「オレが言えた義理じゃないんだけど……亜沙子さんはどうすんの?」
「え?」
「オレと二股かける?」

高耶さんはいわゆる「不倫」をしていたことがある。相手が男性なので「不倫」という言い方でいいのかわからないが、既婚男性と性的関係を持っていたのだから不倫と考えてもいいだろう。
その高耶さんが、彼女持ちの私とこうなってしまったということは、私は高耶さんを二股にかけていて、あの男と同じ目に遭わせているということになる。

「高耶さんはそれじゃ嫌ですか?」
「どっちでもいいよ」
「どっち?」
「……嫌だ」

問い詰めたら嫌悪を表してそう言った。以前のような苦しい立場になるのはつらいのだそうだ。

「二股ってことはオレはいつも二番手だ。男だし、子供だし。子供ってだけで将来があるんだからって言って好きな人を諦めないといけないのはおかしいだろ?なのにみんなそう言う。まだ将来があるんだから、これからを見つめて生きろなんて、そんなもの慰めにもならないんだよ。もし直江がオレを二番手のままにしておきたいならそれでいい。でもオレはそんな男は願い下げだ。今すぐ、オレか亜沙子さんか選べ」

強引な物言いで私を脅かす。そんなもの、答えは決まっているだろうに。

「高耶さんを選びますよ。亜沙子さんと別れて山縣さんに罵られたって、草野球チームを辞めたって、あなたがいれば別になんてことはありませんから」
「……ふうん……」
「他に、聞きたいことは?」
「亜沙子さんとは……その、セックスしてないの?さっき飲んだのがすごい濃かったからさ……」

そういえばそんな話をしたな。

「キスしかしてないですね。仕事が忙しくて……って、これはたぶん言い訳です。する気になれなかったんです。亜沙子さんは素敵な女性であることは確かで、一緒にいたら楽しいんですけど……」
「けど?」
「今みたいに猛烈に愛し合いたいと思う女性ではなくて……癒されはするんですが、すべてを投げ出して自分を捧げたいと思ったことは一度もなく……」

理想の女性であることは本当なのだが、私の欠けている何かを補う人ではない。温かいだけで、熱くなれない。
これが万民にわかる理由になるかと言えばそうではないが。

「オレには捧げられんの?」
「とっくに捧げたでしょう?」
「あのセックスがそうなんだ?やりたいだけじゃなく?」

一度ひどい目にあっているせいか高耶さんは疑り深い。
どういうものが自分を捧げる行為なのかは、その場になってみないとわからないと思う。が、私がしたセックスは高耶さんにすべてを捧げると誓う儀式とも言えるものだった。
決して性欲だけではない、心も体も捧げた行為だ。

「信じてくれませんか?」
「……亜沙子さんと別れてからなら信じてやるよ。帰る。服貸して」

やっと手に入れた獲物があっさり逃げて行ってしまった気がした。しかしそれも通らなければいけない関門なのなら甘んじて受けよう。

私は寝室から白いTシャツと、高耶さんには少し大きめの膝下丈のズボンを渡した。たまに土手をランニングする時の服だ。
あとは新品の下着も。

着替えた高耶さんを連れて家まで送る。その道のりでも私とのセックスの話題が出た。
小さい声で、誰もいない道で話しているから聞かれる心配はない。私も高耶さんもセックスに関しての話題なのに平然と、当然のように話した。

今度はもう少し余裕を持ってしようとか、泊まりに行くからずっとしようとか、次回までにローションを買っておこうとか。
もちろんそれは性欲処理をしたいからという意味ではない。もっと愛し合いたいと思ってのことだ。
この関係を良好のまま持続させたくて、だ。

あの男に遭遇することもなく高耶さんの自宅に着いた。
一応、親御さんに私からあの男が来たことを教えた方がいいと思い、高耶さんの承諾を得て玄関先にお邪魔した。
高耶さんは私が事情を知らないことにして欲しいと言うので「不審な男が高耶さんと私を追いかけてきた。だから逃げて私の家に落ち着くまでいました」とだけ伝えた。

母親は高耶さんを部屋に追いやり、私にその男の姿形を教えて欲しいと言ったので覚えている限りのことを教えるとみるみる青ざめた。

「すみません、たぶん高耶の知り合いです……その人には近寄らせたくないんです」
「はあ」
「ご迷惑かも知れませんが、もしまた見かけたらご連絡をください」
「ええ、もちろんです」

深々と頭を下げて仰木家から出て、もうすっかり暗くなった夜の道を歩いた。
あの家族はコーチの男だけしか警戒していないのだろうか?私が彼を抱いたことなど疑いもしないのだろうか?
私もあの男と同じ轍を踏むかもしれないのに。

帰ってから高耶さんのユニフォームを返していないことに気付いた。
ユニフォームは全自動の洗濯機に入れて回してあったから、脱水までしかしていないため濡れたままだ。
自分のユニフォームと一緒に乾燥機に放り込み、タイマーをかけて乾かした。

彼の諦めた野球。そのユニフォーム。
今、高耶さんはどんな気持ちでいるのだろう。

そう考えていたら携帯電話が鳴った。高耶さんだ。

『適当に誤魔化してくれた?』
「ええ。信じてもらえましたよ」
『ならいいや。あいつまた来ると思う?』
「……来ると思います」

高耶さんに怒鳴られて、私に連れ去られたとしても諦めないだろう。あの男は家族を失い、それを高耶さんのためだったと言った。正気を失っているとしか思えない。
だとしたら来るだろう。また。

「とりあえず登下校は身辺に気をつけて。もし見かけたら周りの人に助けてもらうんですよ」
『直江は?』
「一緒にいる時は助けます。でも四六時中というわけにはいかないですからね。ああ、そうだ。ユニフォームを忘れて行ったでしょう」
『あ、うん。ええと……明日、行ってもいいか?』

明日は平日だ。このところ毎日深夜に帰ってくる生活をしている。
高耶さんが寝ているだろう時間に帰宅するから無理だと言うと、電話の向こうで彼が強張った様子がした。

「朝、届けに行きますから、駅まで一緒に行きますか?」
『わかった』

私からの拒否が許せないのか声がすぐに強張る。
高耶さんの要望はサラリーマンの私には全部叶えられないが、できるだけ叶えるから我慢してほしいと告げると、ようやく強張りも解けたようだった。

「早くに帰れそうな日はメールしますから、そうしたら家に来てくださいね」
『うん』

区切りがいいところで会話を終わらせ電話を切った。
できるだけ彼といたい。彼の力になりたい。私が守れるのならすべてから守ってあげたい。
温かな気持ちを大事に胸にしまっていたら、また電話が鳴った。今度は亜沙子さんからだった。

『今日は試合後にお父さんに帰されちゃって……お話できなくてごめんなさい』

亜沙子さんは試合を見に来ていたが、帰りのファミレスでの反省会は部外者お断りだと山縣さんが言って亜沙子さんを帰してしまった。
それはきっと色部さんが無理矢理参加させた高耶さんへの気遣いだったのだろう。高耶さんはただですら人見知りなのにファミレス反省会などにメンバー以外の人間が参加するとなったら絶対に帰ると言い張る。
功労者なのに亜沙子さんがいるせいで帰ってしまったら、色部さんも山縣さんも抱いている「高耶さんを元気づける」ためのチームでもある意味がなくなってしまう。

「いえ、あれから夕立が来て大変でしたから……早めに帰って正解でしたよ」
『それで、あの、今度はいつ会えるかと思って……』

今度、か。今度会う時は別れてくださいと言う日だ。
高耶さんの名前を出すつもりはないし、他に好きな人が出来たからなんて詮索されかねない理由は言えない。
単に「そういう相手ではなかった」と言うしかない。
これで亜沙子さんや山縣さんが怒っても、こう言うしかないのだ。チームを辞めても。

「明日……明日はたぶん夜中に帰りますけど……大事な話があるので家に来てください」
『は、はい……』

トーンが少し落ちた私の声を、亜沙子さんは吉と取ったか凶と取ったかはわからない。
察してくれればいいのだが。

つづく

 
   

ひどい男だ・・・

   
         
   

7へススム

   
         
   
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