驟雨

しゅうう


 
         
 

どうしたんだとこちらを見るメンバーの視線を気にしながら練習を抜け、高耶さんの家に走った。
出てきた母親に話をするとパニックを起こしてしまい家を飛び出そうとした。
普通の母親だったらこれぐらい大袈裟なパニックになってしまうのは当然なのだろうか。少しいきすぎではないか。
しかし高耶さんの過去を考えれば大袈裟になっても仕方がないのか。

「私が探してきます。お母さんは家で待っていてください。高耶さんが帰ってくるかもしれませんから」
「お願いします」

高耶さんが消えたあたりを隈なく探し、近所中を走った。
ユニフォーム姿だから目立つはずだと、通行人に手当たり次第に話しかけて聞くと、川を渡る橋のそばで見かけたと言われた。
その橋に向かって走り、渡ろうとしたところで思いついて橋の下の土手を覗いたら二人がいた。

何やら言い争いをしているようで、どちらも刺激してはいけないので静かに下へ行き、様子を伺った。

「だから、あれはチームメイトでオレとは別に関係ないって何度も言ってるだろ」
「関係ないのに肩を抱くのか?おまえを俺から奪うようにか?」
「あんたが危ない人間に見えたからだってば」
「本当はどうなんだ!」

これは高耶さんがまだあの男を好きだから言っている言い訳なのか。私は騙されていたのか。
疑念が浮かんだが、今はそんな場合ではない。
あの男を高耶さんに近づけてはいけないのは社会的な真実で、私の願望だ。

「高耶さん!」
「なお……」
「高耶!!」

殴ってでも高耶さんから引き離そうとしたら、高耶さんが男を庇った。

「来るな」
「どうして!危ないですから早くこちらへ!」
「……オレは……コーチとやり直すから」

やり直す?この男と?高耶さんを捨てた男と?
何が本当で何が嘘なのかわからなくなってきた。
でも高耶さんを家に帰さないといけない。お母さんがパニックを起こした姿を見てしまっているのだから。
考えるのは後でいい。今は高耶さんを保護しなくては。

「帰りましょう。お母さんが心配してますから」
「ほっとけよ!」
「そちらの方も。これ以上高耶さんに関わるのなら、それなりの処罰があるとわかっているんですか?わかっているなら高耶さんをこちらに返してください」

男はためらっているようだった。まだ社会人としてまともな思考があるのだろう。単なるストーカーとは違う。

「高耶」

男が諦めたように高耶さんの名を呼び、そして彼の背中を強く押して私の方へ寄越した。

「コーチ!」
「今は帰った方がいい」
「なんで!オレを連れて駆け落ちすんじゃねえのかよ!」
「見つかったからにはどうしようもないだろう」

二人の会話は私にとって大きなショックだった。私は高耶さんに遊ばれていたのか、この男の代わりにされていたのか。
そんな考えが頭の中を駆け巡っていた。

「おまえを絶対に迎えに来るから、それまで待っててくれ」
「……前に裏切ったくせに」
「今度こそは本当に」
「……期待しないで待ってる」

高耶さんがこちらへ歩み寄ってきたので肩を抱いて守ろうとした。
ところが肩にかけた私の手を高耶さんは思い切り振り払った。

「いい。一人で帰る」

日陰の橋の下から、明るい土手へ出て、高耶さんは振り返りもせずに走って行ってしまった。
背後で男が帰ろうとして足を踏み出した音がした。このまま行かせてはいけない。

「待ってください」
「なんだ?」
「あなたの話は高耶さんから聞きました。高耶さんとの関係がバレて二人とも学校を辞めたことも」
「……そうか」
「一度は高耶さんを捨てたのに、今になって迎えに来たのはどういうことですか?家族に捨てられた寂しさからですか?」

私の言葉に男はカッとなって掴みかかってきたが、その熱も一瞬のことだった。
私の胸倉を掴んだ手を離し、数歩引いて肩を落とした。

「家族に捨てられて、初めて高耶がどれだけ大事だったかわかったんだ。どうしてもやり直したい一心であいつの地元を探し出して、草野球チームに入ったことを知った。試合があるのを聞いたから球場まで行って試合を見て、それからあいつが一人になるまで待った。あんたと歩いていた時がたぶん最後のチャンスだと思って声をかけたんだ。あんたと高耶は一言も話さないから、たぶんあんたはすぐにいなくなる程度のチームメイトだと思って」

あの時高耶さんは私が「危なっかしい」と言ったことを怒って避けていた。
だからお互いの間に距離感があったのは確かだ。

「そうしたらあいつはあんたの腕を掴んで離さなかった。それで、なんとなく悟ったんだよ。今はこいつを好きなんだろうって」
「あ……」
「それでも諦められなくて、今日の練習が終わるのを待って聞こうとしたら……行く途中で会ったから、聞いたんだよ。あいつと付き合ってるのか、と」

まだ付き合ってはいない。今は一度寝ただけの関係としか言えない。

「そうしたら、付き合ってないどころか、好きでもないと言われた。それで……このまま駆け落ちしようと……言ったんだ」

私を好きでもない、と……?

「でも高耶は駆け落ちはしない、まだやり残したことがあるから、と言って……」
「それはなんですか?」
「言わなかった。だからあんたのことかと思って問いただしたんだが、違うとしか……」

私のことは高耶さんの心の中にはなかったのか。好きだと言われたのは、この男の代わりだったということか。
私はこの男に敵わないのか。何をしても、どんなに愛しても。

男の表情には先日のような暗さがなかった。高耶さんに愛されている自信があるのだろう。
いつか高耶さんを迎えに来て幸せにする自信もあるのだろう。

「じゃあ俺はこれで帰るよ。……高耶に、そのうち迎えに行くから、今は待っててくれと伝えてくれ」
「…………」

完敗とはこういうことを言うのだろうか。
私は結局、コーチに似ていたというだけで高耶さんの慰み者になり、本気で愛しても愛されない男として終わるのか。

男の姿を見送って、呆然としながら橋の下にいた。携帯電話が鳴り我に返り、出てみると高耶さんのお母さんだった。

『高耶が帰りました』
「あ、ええ、さっき帰しました」
『でもコーチとは一緒じゃなかったって言い張って部屋に引きこもってしまったんですけど……本当ですか?』

ここで嘘をつけば高耶さんとあの男のためになるのだろうか。
それとも正直に話して二度と高耶さんがあの男と接触できないようにしてしまうべきか。

高耶さんの携帯電話にはあの男が新しく教えた連絡先があるに違いない。
あの男の携帯電話も然りだ。
男は仰木家の場所は知らないようだし、もしこれで草野球チームを辞めさせて携帯を取り上げればもう高耶さんとは接触できなくなる。
執念で探し出したとしても、仰木家と私、それに色部さんたちご近所さんで撃退すれば……。

「……私の見間違いだったようです……先日の男ではありませんでした」
『そうですか。ああ、良かった……!』
「道を聞かれて、それで橋まで送っただけみたいですよ」
『だったらいいんです。ありがとうございました』

高耶さんのためを思うなら。
あんなに愛した男に幸せにしてもらえるなら。
私が引けばいいんだろう。

それから口裏を合わせるために、高耶さんにメールを出した。
男性に道を聞かれたので橋まで送ったと私がお母さんに証言したことを。
高耶さんからの返事は来なかったが、読んでくれているのならそれでいい。

道化になってしまった自分を嘲笑いながら、この気持ちを持て余して、私は他の誰かを愛して、いや、愛せなくなって、偽りの愛を誰かに囁いて生きていくのだろう。

 

 

 

 

つづく

 
   

なんちゅーことを!
高耶さん!

   
         
   

9へススム

   
         
   
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