翌日、色部さんから電話があって高耶さんがチームを抜けたいと言ってきたと聞かされた。
何かあったかと聞かれたので、昨夜の亜沙子さんとの騒動を話せるところだけを詳しく教えると色部さんも呆れたようだった。
原因は私にあるものの、罪はないということで理解してくれた。
『まったく今時の子は……。甘やかされて育つからこんなことになるんだ』
「そう思いますけど、高耶さんが悪いとも思えないんですよね。きちんとしているところはしているので、利害関係のない間柄というのがわからないんだと思います」
今の草野球チーム内での彼しか知らないが、高校の野球部でも同じだろう。高耶さんが練習に関して人の和を乱したことはない。
ただ休憩時間や練習後の食事ではメンバーと親しく話したりしないだけだ。
『確かに無知なだけだと思うが、時には無知は罪にもなるんだ。現に亜沙子さんを泣かせたわけだし。いくらチームの戦力でも、チームワークを乱されるなら辞めてもらった方がいい』
「え、待ってください。それじゃ見捨てることになってしまいますよ」
『本人が辞めると言ってるんだ。引き止めたって仕方がないだろう』
でも。
高耶さんはまた野球を真剣にやりたいと言っている。それに本気で辞めると言っているのかわからないじゃないか。
「私が話してみますから、もうちょっと在籍させてあげてください。今、高耶さんから野球を取り上げたらどうなるかわかりませんから」
『そうだが……じゃあとりあえず直江さんに任せるよ。直江さんが話してみてダメだと判断したら辞めてもらうって形でいいか?』
「ええ、それでかまいません」
色部さんとの電話を切ってから高耶さんにメールをした。電話には何度もかけているが出てくれないのでメールでだ。
内容は「あなたの取った行動に驚いてつい突き放してしまったが、それも高耶さんのためであって、嫌いになったとかではありません。ちゃんと話をしないとわからないこともあるでしょうから、明日の仕事帰りに児童公園で会えませんか?」と打った。
50%の確率で返事は来ないだろうと諦めた深夜、高耶さんからメールの返事が来た。
いつもだったら明日の学校のために眠っているはずの深夜なのに。
内容は「わかった」とだけ書いてあり、待ち合わせの時間などは私が指定した。
待ち合わせの公園に行くと高耶さんはすでに来ていてブランコの柵に座っていた。
驚かせないように声をかけながら隣に座り、来てくれたことに関しての礼を述べた。
「そんで、なんの用?もうオレたち別れたんじゃねえの?」
「私は別れたつもりはありませんよ。あなたが誤解をしているようだから説明と仲直りをしに来たんです」
「……説明?言い訳じゃなくて?」
「どちらでもかまいません。聞いてくれるならどっちでもいいんです」
そして言葉を選びながら説明をした。何度も話をシミュレーションしていたので思ったよりもすらすら出た。
「私と亜沙子さんは完全に別れてます。でも大人ですから、多少の見栄も持たないと人付き合いは出来ないんです。それで亜沙子さんも私も、別れたばかりとはいえ電車で一緒になったら今後の人間関係も考えて嫌でも喋るものなんですよ。ここまでは理解してもらえますか?」
「……なんとなく」
表情は曇ったままだったが、とりあえず亜沙子さん絡みの事情は解決したようだ。
「私からも聞きたいことがあるんですが」
「なんだ?」
「……単刀直入に聞いてもいいですか?高耶さんは、他人の気持ちを想像したことはありますか?」
「は?」
我ながらバカな質問をしたと後悔したが、隣りに座っている高耶さんが質問の意味がよくわからないと言うので私も言葉を変えることにした。
「たとえば、高耶さんは私の気持ちを想像したことありますか?」
「……あるよ。だって好きだったし。オレが楽しいと思うことは直江も楽しいって思うだろうな、とか、オレが嫌がることは直江はしないだろうな、とか」
「じゃあ、どうして私が先日高耶さんを置いて亜沙子さんを送って帰ったかの理由を想像しましたか?これはあなたが嫌がることだったでしょう?」
「そんなの想像する必要ない。オレを優先させない直江が悪いんだ。そんなヤツの気持ちなんか想像できない」
わかった。ここが問題なのだ。
高耶さんは言うなれば、自分のことしか考えていないのだ。
私の気持ちを想像した気でいるが、それは結局「自分が楽しいか、嫌か」だ。
「はっきり言いましょうか。あなたは他人の気持ちを考えずに行動しすぎです。チームの人たちだって、亜沙子さんだって、高耶さんのためを思って色々してくれるんです。その気持ちを想像したことは?ないでしょう?食事会にも私がいるから来てるだけで、みんなの親切を感じてはいないでしょう?してもらって当たり前だと思ってないですか?『オレはチームに入ってやった』『オレが勝たせてやった』『直江と付き合ってやった』すべてこう思っているんじゃないですか?他人にはしてもらって当たり前、自分はしてやるんだから優先しろ、あなたを見てると逐一こんな感じなんですよ」
相当的を射た発言だったから、高耶さんが反省してくれるものと思い込んでいた。しかし違った。
したのは反省ではなく、激昂だった。
立ち上がって私を見下ろし、こめかみに血管を浮かび上がらせて怒り出した。
「そうやってオレを責めて楽しいのかよ!」
「違いますよ。責めているんじゃありません。そう感じるのはあなたに心当たりがあるからでしょう」
「最低だ!オレを悪者にして自分はいい人ぶって!」
「違うって言ってるでしょう。あなたは自分で自分をおかしいと思うことはないんですか?世界中の誰でも自分を優先させてくれるものだと信じ込んでるんですか?」
言い過ぎた、と後悔したが遅かった。
怒りで興奮した高耶さんに突き飛ばされブランコの柵から落ち、地面に後頭部を叩き付けられて気を失った。
目を覚ましたのは救急車の中で、なぜか知らないが亜沙子さんがいた。
救急隊員の呼びかけで意識を取り戻した。しかしまだ頭の中は朦朧としていて、自分に起きたことを把握していなかった。
「大丈夫ですか?!」
「う……」
喋ろうとしたのだが頭が痛くて話すこともできない。声を出したらその声がガンガンと頭に響きそうだ。
「もうすぐ病院ですからね」
そうだ。高耶さんは?
視線を亜沙子さんから隣りに移すと怯えた顔をした高耶さんがいた。
そばにいてくれたことで安心して、私はまた意識を失った。
次に目を覚ましたのは病院の処置室で、医師の大きな声が私を呼んでいた。
「直江さん、目を覚ましましたか?」
「はい……」
「気を失ってる間にレントゲンとCTスキャンで検査したけど、脳に異常はないから大丈夫だと思います。でも頭を打って数日してから脳に出血、なんてこともあるからしばらくは入院してもらいますよ」
「はあ……」
頭に包帯が巻かれているのは後頭部に大きなこぶができているからだそうだ。
看護師に病室までストレッチャーで運ばれ、今日は安静にするため面会謝絶を言い渡された。
「婚約者の女性は入れますからね」
「婚約者?」
「山縣さんて方が外にいますから、呼んできますね」
亜沙子さんが入れ替わりで入ってきた。
「ごめんなさい、婚約者だなんて言ってしまって。一応救急隊の人には元婚約者って言ってあったんですけど、どこかで間違って伝わったみたいで……」
「いえ、ありがとうございます。あの、高耶さんは?」
「それが……今は待合室で警察の人と話してて……」
「警察?どうして?」
亜沙子さんの話はこうだった。
公園の隣りの家の奥さんが、男同士で争う声が聞こえたので気になって窓から覗いたら、片方の男が突き飛ばされて地面で頭を打ったように見えた。
突き飛ばした人間が驚いて叫んでいて、私はピクリとも動かなかったから慌てて救急車を呼んだ。
救急車が来た音で亜沙子さんが家から出て公園に行ってみると、倒れているのが私で、横で泣いていたのが高耶さんで、救急車を呼んだ奥さんが「この子が突き飛ばした」と興奮気味に話していたせいで巡回の警察官が来て、高耶さんには後で事情を聞くことにして救急車に乗せたらしい。
そして先ほど警察官が病院に到着したので高耶さんが呼ばれて事情を話しているらしい。
「隣りの奥さんが高耶くんが突き飛ばしたって証言しちゃってるから、たぶん補導は免れないと思う」
「そんな……」
「私も高耶くんは直江さんの知り合いだから、わざとやったわけじゃないだろうって言ったんだけど信じてもらえなくて……」
「申し訳ないですが、高耶さんの様子を見てきてもらえませんか?」
「はい」
亜沙子さんが立ち上がってドアを開けるとそこに黒い影があった。薄暗い病室と明るい廊下の逆光ですぐに誰かわからなかったが、それは警察官だった。
ノックをしようとしたところで亜沙子さんがドアを開けたらしかった。
「どうしたんですか?」
「仰木くんですが、話を聞いても興奮していて住所も言えないんですよ。なので病院では患者さんたちに迷惑をかけてしまうので警察署に連れて行きました」
「え?!」
「調書を取りますので直江さんにも明日以降お話を伺います」
それだけを事務的に言って帰ってしまった。
亜沙子さんも私も呆然とするばかりだ。
「調書って……」
「警察が絡んだらそういうことにもなるでしょうね」
「わざとじゃないのに……」
「大丈夫です。高耶さんを訴えるようなことはしませんから」
ようやく亜沙子さんがホッとした顔をした。明日も来るからと言って帰って行ったが、高耶さんはどうなるのだろうかだけが気になってしまった。
そのうち痛み止めの薬のせいで眠くなり、いつの間にか眠りに落ちた。
つづく |