驟雨

しゅうう


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翌日土曜日、昼過ぎに警察官が来て、昨日の夜に何があったかを聞かれた。
草野球チームに引き止めるために話をしていたら、私が高耶さんの人格を非難するようなことを言ってしまったので高耶さんが怒って私を「軽く」突き飛ばしただけだと話した。

実際は「軽く」ではなく「強く」なのだが、高耶さんの立場を考えると本当のことは言えなかった。
もちろん告訴はしないし、慰謝料なども請求するつもりはない。治療費ですらいらない。
単に私がバランスを崩して落ちてしまったということにしておきたい。

警察が帰って数時間後に色部さんと山縣さんと亜沙子さんがお見舞いに来てくれた。
すでに二人とも亜沙子さんから話は聞いているらしく、突き飛ばした高耶さんに対して怒っているようだった。
亜沙子さんも高耶さんに同情はしているが、本音は怒りもあるのが表情から見えた。
色部さんが心配そうな顔をしながら、この病院に飲み仲間の医者がいるんだと言った。

「千秋先生っていうんだけどな、昨日たまたま居酒屋で会ったから話してみたんだ。高耶くんの性格がもしかしたら精神の病気じゃないかって」
「そんなわけはないと思いますが」
「ああ、病気ではないらしい。でもカウンセリングが必要な程度ではある、と。詳しくは本人と話してみないことにはわからないそうだが、今回の件もあるし、直江さんが慰謝料も治療費も取らないって言うなら、その代わりに診察を受けるって条件にしたらどうかな?」

私がこんなことになったばかりに高耶さんの評判はどんどん悪くなる一方だ。
それなら一度カウンセリングを受けるための診断をしてもらって、更正できるものなのだとみんなにわかってもらう方がいいかもしれない。
このままじゃ草野球チームも辞めさせられる。そうなるとプロ野球なんて絶対に目指せない。

「ええ、そう話してみます」
「俺たちだってあの子が嫌いで言ってるわけじゃない。心配なんだよ、全員な」

そこに高耶さんがご両親に連れられてやってきた。色部さんたちがいるのに驚いて萎縮していたが、ご両親が強引に病室の中に入らせて開口一番謝られた。
亜沙子さんと山縣さんは入れ替わりに出て行ったが、色部さんにはいてもらって高耶さんのご両親に今回のことは訴えないし、学校にも知らせるつもりがないということをはっきりと伝えた。

何度も謝る高耶さんとご両親と、私の間に入った色部さんは先ほどの話を出せと目配せした。
そして色部さん本人は高耶さんに「缶ジュースでも飲むか」と言って連れ出して、話しやすい環境を作った。

「今回のことはもうこれで終わりにしましょう。その代わりと言ってはなんですが、高耶さんにカウンセリングを受けてもらいたいんです」
「カウンセリング?どうしてでしょうか?」
「……ご両親も気が付いてらっしゃると思いますが、高耶さんは問題行動が多いんです。あの男のことも聞きましたが、一方的に彼が悪いというわけではなかったですよね?以前高耶さんがあの男に連れて行かれたことを覚えてますか?」
「あれは人違いだったんじゃ……」
「いえ、実際は本当に駆け落ちする一歩手前だったんです。ご両親には心配をかけたくなくて嘘をつきました。それは謝ります。でもついて行こうとしたことや、今回のことや、普段のキレやすさを見ていると、高耶さんは心に何か問題があるとしか思えないんです」

そこまで話すと父親は青ざめてそうかもしれないと呟いた。しかし母親が理解してくれずに大きな声で叫んだ。
その豹変振りにまず私よりも父親が驚き、掴みかかろうとするところを止めてくれた。

「あなたはうちの子がおかしいって言うんですか?!ただちょっと怪我をさせられただけで高耶を狂人扱いするなんてどういうつもりなんですか!」

父親に止められながらもまだ叫んでいる母親を見て、高耶さんの心にある原因はこの人ではないかと思い始めた。
母親の興奮状態はやまず、聞きつけた医師や看護師が入ってきた。
その中にメガネをかけて髪を後ろで束ねている医師がいて、名札に千秋と書いてあった。これがさっき色部さんが話していた彼だ。

「お母さん!とりあえず落ち着こうよ!な?!」

精神科の医者だからか落ち着かせるのがうまかった。ほんの1分の説得で母親は黙ってしまった。

「あー、ええと、直江さんか。色部さんと同じチームの」
「はい」
「そっかー……そんじゃ俺はお母さんとロビーに行ってるから」
「よろしくお願いします」

千秋医師は私が思ったよりも私や高耶さんのことを知っているようだ。色部さんから相当詳しく聞いているに違いない。

「すみませんでした、妻が取り乱して……」
「いえ、私ももう少し言葉を選べばよかったんです。すみません」
「まさか怪我人に掴みかかろうなんて思わなくて……お恥ずかしいです」

少し父親とだけ相談してみたら、高耶さんのカウンセリングについては賛成だそうだ。以前からなんとなくそんな気はしていたらしい。
家の中でキレることはないが、友達を作ろうとしないところや、何を考えているのかわからないところなどに不安を覚えていたと言っていた。

高耶さんにカウンセリングをすると決まったときに、さっきの千秋医師が戻った。母親は興奮状態がおさまったが今度は泣くばかりになってしまったので空いている処置室で軽い鎮静剤を打って寝てもらっているらしい。

「精神科医の千秋と言います。色部さんとは以前から親しくしてもらっていて、高耶くんについても少し聞きました。俺としては高耶くんと一緒にお母さんにもカウンセリング受けてもらった方がいいと思うんですけど」
「やっぱりそうですか……」
「子供依存症とでも言うべきかな。表面上は普通の母親なんだけど、子供について何かあるといきなり理不尽な行動に出るんですよ。このままだと子離れできなくて、高耶くんの人生にも悪影響がでます。高耶くんの方はまだ高校生ですし、お母さんからの影響が少なくなれば問題行動はなくなります」

それを聞いて父親は落胆しつつも安心したようだった。
そして少しずつ高耶さんと母親の関係を教えてくれた。
高耶さんに野球をやらせたのは父親だったが、才能があるとわかってからは母親が熱心になり、勉強や人間関係、普段の行動などすべて放置して甘やかしてしまったらしい。
高耶さんの言うことばかりが優先されて、王子様のような扱いをしていたと。
美弥さんについては特に指図をしていないからか、普通の子になったのだと言っていた。

「私が仕事にかまけて妻に子供を任せてしまったせいです」
「いや、お父さんは悪くないんですよ。でもこれからは高耶くんの教育にはじゅうぶん気をつけてもらわないといけませんけどね」

千秋医師は父親だけとまず面談したいので連れて行ってもいいかと私に聞いてきた。
もう話は終わっているし、謝罪の言葉も頂いたのでどうぞと言うと、二人で精神科病棟へ行った。

 

 

退院したのは月曜日で、医者からの言いつけもあって水曜日まで仕事を休むことになった。
あまり体も動かさない方がいいらしい。
とはいえ家事をしないわけにいかないので買い物に行ったり掃除をしたりして過ごしていた。夕飯前に色部さんが差し入れを持ってマンションに来た。

高耶さんは今日からカウンセリングに行くんだと父親から聞いたそうだ。それと母親も。

「外から見たら何も問題のない普通の家庭なんだけどな。中身は色々あったってことか」
「お母さんもいい人でしたから、カウンセリングでいい方向に向かうとは思いますが……」
「そうだな。美弥ちゃんにはまったく問題ないってんだから、どうにかなるだろう」

お大事に、と言われて送り出した後、頂いた差し入れで夕飯を食べてソファに座ってボーッとしていた。
まだ傷は痛む。腫れているのでアイスバッグで冷やしながらテレビを見ていたらインターフォンが鳴った。

「はい」
『…………あの』

高耶さんだ。

「どうしました?」
『話していい?』
「ええ、どうぞ」

オートロックを開けて高耶さんが部屋に来るのを待っていた。思ったよりも時間がかかったので何かあったかと思ってドアを開けるとエレベーターに向かって歩いている背中が見えた。

「高耶さん」

ギクリと肩を震わせて立ち止まる。
マンションに入ってきたはいいが、部屋に行くかどうか迷って何回も往復していたに違いない。

「どうぞ、入ってください」
「うん……」

いつも覇気はないが、今日は一段と元気がない。カウンセリングに行ってきたはずだから何か言われて落ち込んでしまったのだろうか。

「どうしたんですか?」
「……ごめんな。怪我させて……。わざとじゃなかったけど、ああなるの半分ぐらいはわかってたんだ」
「でしょうね。柵に座ってたなら押されて落ちるのはなんとなく予想できますよね」
「でもなんか止まらなくて……本当にごめん。反省してる」

その話はいいから中に入ってくれと言ってリビングに通し、温かい紅茶を出して座らせた。
高耶さんは謝りに来ただけではないらしく、ずっと言いよどんでばかりでなかなか本題に入らなかった。
それでも根気よく話を聞かないといけないと思った。
高耶さんは自己中心的に見えるが、たぶん他人の目がとても気になってしまって傲慢に振舞わないと傷つけられると思い込んでいるのだ。

「今日、カウンセリングに行ってきた」
「どうでしたか?」
「ちょっと変かもしれないけど……面白かった……」
「面白い?」

そんな感想が聞けるとは思ってなかった。カウンセリングに行った知り合いはいないが、なんとなく「面白い」ものではないと思っていたのだが。

「なんかね、最初は雑談なんだよ。学校はどうだとか、家で何があったとか。でもたぶん医者にはそれも判断材料になってるみたいでさ、色々と聞かれた」
「悪い印象はなかったんですね」
「うん、なかった。医者の千秋って人も話しやすくて友達っぽかった」
「続けられそうですか?」
「……たぶん」

カウンセリングには母親も通うはずだ。高耶さんと一緒に、というわけではないだろうが別の日や別の時間で。
高耶さんよりも母親に問題があるようだからどちらかと言えば母親に重点を置かれるだろう。

「母さんも通うんだって。なんか……父さんが言うには……育て方が悪かったって……オレ、そんなにおかしい?」
「それは私が判断する内容じゃないですから、何も言えません」
「じゃあ、もしオレがおかしかったとして……直江は嫌いになる?」

これが本題のようだ。
怪我をさせたり、普通じゃないことをしたり、そんな自分を嫌いになるか、と。

「なりませんよ」
「……でも、それは……知り合いとして、だろ?」
「あなたを今まで通りに恋人として好きかということ?」
「……そう……」
「好きですよ。理由は……自分でもわかりません。あなたでないと愛せないのは確かです。だから何があってもあなたをずっと愛してます」

何をされても愛していると思う。怪我なんかどうだっていい。殺されたってかまわない。

本心から伝えると、高耶さんは泣き出した。ボロボロと涙が零れて、しゃくりあげて泣いた。

「直江がいなくなったら生きていけない」
「高耶さん」

そっと抱き寄せて泣かせておいた。
私がいなくなったからといって本当に生きていけなくなるかは別の話だが、今まで信じて支えにしてきた母親が今は信じてはいけない存在になってしまったのだから、寂しさがどうしても私に向かってしまうのだろう。
それでもいい。
私がそばにいる理由があるのなら。

「直江の気持ち、ちゃんと考えるから。他の人の気持ちも考えるから。だからいなくならないでくれ」
「はい」

何度かキスをして、その日は家に帰した。送って行かれないことを詫びて、人間関係や勉強や他のこと、何でもいいから迷ったりしたら必ず連絡をくれと念を押した。
高耶さんは小さく頷いて少し笑って家路についた。

 

 

 

つづく

 
   

直江が高耶さんを好きなのは
高耶さんが子ウサギちゃんだからです

   
         
   

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