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驟雨

しゅうう


17
 
         
 

ゆっくりと鍵を開けてドアをほんの少し開けた。
中から聞こえていた声が泣き声だとわかった。どんどん不安が迫ってくる。

ワンルームの部屋はドアからそのまま部屋の奥が見えるが、高耶さんの姿が見えないということは、死角にあるベッドにいるのだろう。
玄関には高耶さん以外の人間の靴があった。その持ち主を知っている。

誰の靴かわかったとたん、激しい怒りがこみ上げてきた。
高耶さんが泣いていないとしても、どんな状態だとしても、おかまいなしに土足で部屋に上がりこんだ。
そしてベッドで高耶さんを組み敷いている男の襟首を掴んで床に叩き付けた。

「直江!!」

それがどんなものであろうが。
誰が誰を愛していようが。
そんなものは知ったことじゃない。

床に転がった男に馬乗りになって何度もその顔を殴った。拳に傷がついて血が滲んでも、指の関節が挫けても、男の手が顔に引っ掻き傷を作っても、殴るのをやめなかった。
息切れしてきたところでほんの少し力が抜けたせいか、男が渾身の力で私の体を突き飛ばして立ち上がった。
逆に掴みかかってこようとしたが、半身になって避け、肘で男の背中を打ったら勢いで玄関に向かう廊下へ倒れ込ませてしまった。

捕まえようとしたらかわされ、男はそのまま玄関ドアを開けて逃げて行った。

「直江!!」

高耶さんの呼び声で我に返った。
振り向いて高耶さんの姿を見ると、着ていたシャツの袖が破れていて、ジーンズと下着が不自然に膝あたりで絡み付いていて、とうてい自分からあの男を誘ってベッドに入ったと思えるような姿ではなかった。

「大丈夫ですか?」
「直江ェ!」

両腕を差し出すと縋りついてきた。ずっと泣いていたのか目が真っ赤になっている。

「怪我してませんか?」
「してないけど……」

高耶さんが目線をうろつかせたので何かを探しているのかと視線を追ったら床にナイフが落ちていた。

「あれで脅されて……動けなかった……」
「……なんてことを」
「直江は刺されたりしてないか?」
「ええ、大丈夫です」

犯されたのかどうかは今は関係ない。高耶さんが私のものでいてくれるのかが大事だった。
他の誰にも高耶さんの気持ちを奪われないのであればそれでいい。

服を着替えさせて外に出た。男が尾行してこないかを用心深く見回しながら私のマンションへ。
ここならあの男は知らないはずだ。
ホットミルクを作って高耶さんを落ち着かせ、どうしてあの男がアパートの場所を知ったのか、高耶さんをどうしようとしていたのかを聞いた。

「先週の練習帰りにオレたちをつけてたみたい……」

練習日はいつも日曜日だ。そういえばあの男も普段は働いているのか日曜しか現れなかった。
隙を突かれたのは私が用心を怠ったミスだ。

「直江んちに行くので浮かれてて、鍵をかけるの忘れてたみたいで、いきなり入ってきて……なんとか説得して出てってもらおうとしたんだけど逆効果で……ナイフ出して……」

そこまで言うとまた泣き出した。無理して話す必要はないと言って抱いてやったが、高耶さんの話は続いた。

「セックスしながら心中しようって言うんだ……オレにはもう好きな人がいて付き合ってるって言っても全然信じてくれないんだよ……」

高耶さんがあの男と駆け落ちしようなんてしたから信じてもらえなかったそうだ。
そして一人暮らしを始めた高耶さんが親に勘当されたと思い込み、それなら二人で暮らそうと迫ったのだが高耶さんに拒否をされたため、無理心中を思いついたらしい。
ナイフを持っていた理由は私にも高耶さんにもわからなかったが、たぶん最初から心中するつもりがあったのだろう。
そのナイフは破れたシャツと一緒に私が持って帰ってきた。ナイフには指紋がつかないように慎重に拾ってビニール袋に入れてある。

「怖かったでしょう?今日は私がずっと付いていますからね」
「うん……」

それから数時間は高耶さんのそばを離れずに落ち着かせることに専念した。
興奮状態が続いたせいか、夕方遅くになると高耶さんは疲れて眠ってしまった。
ベッドに寝かせてドアを閉め、私はリビングで高耶さんのお父さんに電話をした。

今日、あの男が高耶さんの部屋に押し入ったこと、高耶さんを犯そうとしたこと、ナイフで脅して心中しようとしたことを話した。
しばらく私の家に匿うつもりであることを告げると、お父さんはしばらく迷っていたが了承してくれた。
今から高耶さんのアパートに行って必要な荷物を持ってマンションに来るそうだ。

「まだ近くに潜んでいるかもしれませんので、周囲に気をつけて来てください。あとをつけられてこの場所に高耶さんがいることがわかったら意味がありませんから」
『わかりました』

2時間ばかりしてお父さんが来た。高耶さんのアパートに荷物を取りに行ってから、いったん家に帰ってタクシーを呼んで20分ほど遠回りをしてから来たらしい。
高耶さんの家の近辺は大きな通りから離れているため、簡単にタクシーを捕まえることは不可能だ。潜んでいたとしてもタクシーに乗るお父さんを追い駆けることなど無理だろう。

「高耶はどうしてます?」
「疲れて寝室で寝ています」

お父さんに破れたシャツとあの男の持っていたナイフを見せた。

「これで脅されたそうです。もしかしたら犯されているかもしれませんが、本人にそれを聞き出すのは今はやめておきました。お父さんが警察に訴えるなら私が証言しますし、ナイフもシャツも持って行きます」
「……警察に言うとなると、高耶とあの男の過去を話すことになりますよね……」
「ええ。高耶さんが余計に傷つくことにもなりかねません」
「それは……高耶にとっても家内にとっても……」

せっかく高耶さんとお母さんのカウンセリングが進んでいるのに、警察沙汰になったらすべてが泡になって消える。
出来ることなら穏便に済ませたい、お父さんの望んだのはそれだった。

「直江さんの手や顔の怪我も、もしかしてやられたんですか?」
「ええ、殴り合いになった時に。正当防衛と言い切れないぐらい殴りましたから、私もなんらかの罪になるかもしれませんね」

私のその言葉でお父さんの意思は決まったようだった。
警察の介入はなしにして、証拠の品をチラつかせて釘を刺すに留めるそうだ。

「高耶さんの携帯にあの男の連絡先があるはずです。電話をして二度目はないと脅しておきましょう」
「私が電話します。これでも高耶の父親ですから、責任は果たします」
「……ええ、それが一番いいと思います」

高耶さんの携帯をカバンから取り出して男の電話番号を呼び出した。
私はあの男の名前を知らなかったが、やはり高耶さんのお父さんは当然知っていて淀まずにボタン操作をした。
そして私とお父さんで考えた脅し文句を書いたメモをガイドにして、電話に出た男に話そうとした。
ところが男は高耶さんからの電話ではなく、父親からだとわかってすぐに切ってしまった。
何度掛け直してももう出ない。

「どうしましょうか……」
「明日また掛け直してみます。出なければ何度も掛けます。電話番号を変えられても、居場所を調べつくして絶対に釘を刺します」

高耶さんを大事にしている父親らしい声と顔で言い切った。
このお父さんに任せておけば大丈夫だろう。

「ではそろそろ帰ります。高耶には私がどうにかするから安心しろと伝えておいてください」
「わかりました。ではお気をつけて帰ってください。まだこのあたりにいるかもしれませんから」
「そうですね。高耶がお世話になりますが、よろしくお願いします」

お父さんは厳しい顔つきのまま帰って行った。
高耶さんには2~3日学校を休ませて、私も会社を休んでそばにいることにした。会社には親が危篤だと嘘をつくしかないが、大切な高耶さんのためならそれも仕方がない。

 

つづく

 
   

次回が最終話です

   
   

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