ストーカー



 
         
 

真剣に言われて驚いた。どうしてそんなことを言われなければいけないのかわからない。

「なんで?」
「あの人、バイだから。ソッチの業界で有名なんだよ」
「……バイって、女も男も、ってやつ?」
「そう。だからおまえが狙われてるんじゃないかって思ってさ。メシ作ったりしてるらしいし」

さきほど料理の話が出たときに嘉田たちが一瞬戸惑ったのはこのことだった。
しかし高耶はそれに関してまったく警戒心が芽生えない。それどころか「良かった」とさえ思っている。

「大丈夫だよ。もし狙われてるとしても、ちゃんと断ればいいんだし。けっこういい人だよ?」
「おまえがわかってるならいいけどさ……とにかく変なことされそうになったら言えよ?助けるから」
「うん、サンキュー。じゃあ、片付け終わったから帰るよ」

エプロンを外して直江の待つカウンターまで行った。その場にいた中川に挨拶をしてから直江と肩を並べて出た。

「助かったよ。一緒に帰れて。今朝のことでちょっと怖かったからさ。嘉田さんたちにはみっともなくて言えないしさ」
「そうだったんですか。偶然あの店に行った私に感謝してくださいね?」
「ありがと」

直江は高耶の家まで送った。それじゃ申し訳ないとアパートの部屋にあげ、酔い覚ましの濃いお茶を出した。
先ほど少しだけ気になっていたことを聞くチャンスかもしれないと、直江がお茶を飲んでゆっくりと息をついた時を狙って訪ねた。

「あのさあ……綾子さんて誰?」
「綾子ですか?親友ですよ」
「親友……?」

もしかしたら親友という名の恋人かもしれない。もしも直江が不実なバイであれば、恋人を数人持っていることだろう。その中のひとり。

「いつも一緒にいるの?」
「まあそうですね。いつもいます」
「そうか……」

なんとなく気付いてはいたが、どうやら自分は直江が好きらしいとわかった。優しいところも、頼れるところも。
直江がバイだと聞いてまったく不快に感じなかったのはそういうことだ。

「あ、そうだ。直江の好きなお菓子あるぞ。買っておいたんだ。持って帰れば?」

暗に「帰って欲しい」と告げたつもりだった。
直江の人間関係を知りたくない。そこに自分が入る余地があったとしても、独占できなければ意味がない。
だからもうこれ以上、一緒にいるのはいたたまれない。

「そんな、いいですよ。気を使わないで」
「でもさ」
「あなたと話すのが楽しいんです。だから気を使わないでください」
「……ん」

高耶の頭を撫でてから直江が立ち上がった。

「帰ります。またいつでも電話ください」
「あ、ありがと……」

玄関先で直江を見送ってから、もう一度自分に問いかけた。
直江を好きだと思う気持ちは、友情なのか、愛情なのか。
答えはすぐに出た。愛情だった。

 

 

その日から数日後の土曜の明け方、また誰かが高耶の部屋にやってきた。今度はドアではなく窓から。
高耶の住むアパートは古く、エアコンの室外機へと続く穴を窓に取り付けたタイプだった。窓の端10センチほどが塩化ビニール素材の板で嵌められていて、その板に穴を開けて室外機のホースを屋外に出している。
窓に取り付けてある掛け式の鍵は不要になり、代わりにつっかえ式の鍵が取り付けてある。

ギギという音で目が覚めた。窓にかかったカーテンの方からしている。
そういえば雨戸を閉めていなかった。
すぐに気付いたがもう遅く、誰かが高耶の部屋の窓を開けようとしている。
かろうじて鍵はかけてあるため、開くことはなく、音もすぐにやんだ。

アパートの敷地内をタ、タ、タ、と歩く足音がする。諦めて帰ろうとしているところのようだった。
窓に人の気配がなくなったのを確認して、高耶がカーテンをあけて音のした部分を見ると、嵌めた板が少し壊されていた。

「……うそだろ……」

何か丈夫な棒で壊そうとしたのか、板にはヒビが入っている。
それ以上壊したら大きな音が出るからなのか、途中で諦めた感じがした。

「どうしよう……なんで……」

心臓が大きな音をさせて鼓動している。頭の中で響いている。緊張で心臓が爆発しそうだった。

「な……なおえ……」

充電器に差してあった携帯を取り上げ、リダイヤルで直江にかけた。すぐに耳元に直江の声がした。

『また何かあったんですね?』
「そ、そう……窓が……壊された……」
『すぐに行きます』
「いま、どこ?家?」
『コンビニにいますから、1分足らずで着きますよ』

携帯の通話を切ってから玄関に走った。早く直江に来てもらわないと、高耶の心臓は押しつぶされてしまう。
アパートに入ってくる足音がした。静かな足音。それから高耶の部屋のドアがノックされた。

「高耶さん?」
「なお……!」

ドアを開けて直江に抱きついた。

「怖い!!」
「もう大丈夫ですから、安心してください……そんなに怯えないで……」
「直江ぇ!」

混乱している高耶の背中を抱いて、頭を撫でて直江は窓を見た。
たしかに壊されている。ほんの少しだが板の下の部分が割れて、ヒビが入っていた。

「覗かれましたか?」
「わかんない……!」
「ずいぶんと強引なことをするストーカーですね……」

雨戸を閉めろと直江にアドバイスを受けていたのに閉めなかった自分を高耶は恨んだ。
まだ半分は気のせいだと甘い考えを持っていた。

「どうしたらいい?!」
「……大家さんに相談しておきましょう。それから警察にも。これは立派な不法侵入ですから」
「うん……」
「私も付き合いますから……」
「うん……」

高耶は直江から離れることが出来なかった。怯える自分の体が震えて自由に動かせない。
舌までもつれそうになっている。

「昨夜はバイトだったでしょう?その時に怪しい人影はなかったんですか?」
「なかった……帰りは嘉田さんにビデオを貸すって言い訳して、ここまで送ってもらったんだ……。その時は何もなかった……」
「そうですか……いったい誰がこんなこと……」

もちろん高耶には心当たりがない。
もしも自分の知らない相手だったら、昼間でも油断ができないと直江にこの恐怖を訴えた。

「それはまずありませんよ。私のような不特定多数の読者を持つ場合はそれも考えられますけど、高耶さんのように普通に生活して、周りにいる人間を把握できる場合、だいたいが顔見知りの犯行なんです」
「え……?」
「例えば、一緒に働いてる誰かとか、お客さんとか、友人などですね……」

友人と仕事先の人間の顔をスライドショーのようにして思い出すが、どの人間もそんなことをするようには見えない。
客の顔はいちいち覚えていられないので思い出せない。

「心当たりがないのなら、警察に言ってもあまり効果はありませんね……でもパトロールの強化ならしてもらえます。今から電話を入れましょう」
「うん……!」

高耶の動揺が激しかったため、直江が以前ストーカー被害にあった時に担当してくれた刑事に電話をした。
しかし今日はいないと言われてしまった。

「今日は非番だそうですけど、一応、最寄の交番と鑑識から警察官が来てくれるそうです」
「そっか……」
「……とにかく落ち着きましょう。高耶さん、手を離して」
「あ」

ずっと無意識に直江の服を掴んでいたらしい。そこだけシワになっている。

「缶コーヒーでいいですか?コンビニで買ってきたんです」
「それ買いに行ってたんだ……?」
「ええ。自分ではコーヒーもうまく作れないので……それとパンもありますよ」

コンビニの袋の中には直江の朝食らしきものが入っていた。コーヒー、パン、ヨーグルト、牛乳、トマトジュース。
それをテーブルに出して高耶には缶コーヒーを渡した。

「警察官が来るまでに着替えておいた方がいいですね」
「ん」

直江の目の前で高耶が着替える。高耶本人は恥ずかしかったのだが、そんな様子を見せてしまえば直江に自分の気持ちを悟られてしまうかもしれないという思いから、何も気にしていないふうを装って、直江の背後で着替えた。

着替え終わるとすぐに警察官が3人来た。ふたりは警察官の制服、もう一人は鑑識の制服だった。
被害者は高耶、電話をかけたのが直江だとわかると、直江に名前や職業を聞いた。

「作家をしています」
「ペンネームは?」
「橘義明」

そう言われてすぐに反応したのは鑑識の男性だった。最近直江が出版した本を持っているという。
心理学から考察したストーカーの行動についての本だそうだ。直江の体験も書いてある。

一通りの質問をされ、外から窓を壊されたという説明をすると、高耶と直江を伴って建物を周り、部屋の窓を見た。

「あ〜、本当だ。壊されてるねぇ。バールか何かで壊したんじゃないかな。写真撮って」

鑑識の制服の男性が壊されたところを何枚か写真に収めた。中からも写真を撮るため、高耶の部屋の中に入りこちらも数枚撮った。
被害届を出してくれと言われ、テーブルの上で用紙に書き込む。
そして直江が言った。

「しっかり調べてくださいね」
「はい」
「またこちらから色部刑事に連絡を入れておいた方がいいですか?」
「いえ、私たちから報告しますので、橘さんからはして頂かなくて結構ですよ」

こうして直江と色部刑事の関係を警察官にわからせるのが目的だった。この程度の被害では調査すらしないのが現在の警察の実情だと直江は知っている。

警官がいたのはたったの20分程度だった。高耶は残りの缶コーヒーをようやく味わって飲めた。

「色部刑事ってのが前に世話になった人?」
「ええ。親切な刑事さんですよ。一応お巡りさんが報告してくれるそうですが、私からも相談しておきますね」
「……色々、ありがとう」
「どういたしまして」

高耶を一人にするのが忍びないということで、その日と翌日の日曜は直江のマンションに泊まることになった。
迷惑をかける代わりに家事をするという約束で。

「でも、綾子さんが来るんじゃないの?」
「綾子が?ええ、たぶん来ると思いますが……それが何か?」
「ううん、なんでもない……」

直江の恋人の綾子と会うことと、一人でストーカーに怯えるのとを天秤にかけたらストーカーの方が重かった。
仕方なく高耶は綾子に会う覚悟を決めた。

 

 

つづく

 
         
   

直江王子様。

   
         
   

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